聖女①
眠りに入るたびに、そして、目が覚めるたびに思い出す。
物心がついたときの一番最初の記憶。
白銀色の長い髪の女性がアンヌに語りかけた。
──わたくしたち聖女は二十三歳の誕生日までしか生きられないの。そうしないと世界が滅んじゃうから……。だからそれまで、精一杯に生きなさい。
その言葉が脳裏に響いて目を開けると、また、憂鬱な一日が始まる。
柔らかなベッドに寝ていたアンヌは上半身を起こし、窓の方向に目を向けた。
カーテンで覆われていて外の景色を見ることはできない。
実母が奉公の最中に息絶えて半年となる今日、アンヌは十歳の誕生日を迎えた。
「おはようございます。聖女様」
アンヌの起床に気がついたニンフェア男爵家の使用人が挨拶をする。
「おはようございます」
アンヌが挨拶を返してベッドから出ようとすると
「今お召し物をご用意いたします」
と、使用人がパタパタとサンダルを鳴らして駆け寄った。
八歳から聖女としてニンフェア男爵家の屋敷に迎えられたアンヌ。
実母は出自すらわからない奴隷でニンフェア家の当主、ウルク・ニンフェアの慰み者だった。
そんな奴隷の子のアンヌに男爵家の使用人が〝聖女様〟と媚び諂う。
使用人がアンヌの着替えを手伝い終えると、次は朝食のための身だしなみを整えた。
ニンフェア男爵領は男爵家としては裕福である。
小さな村ではあるが、近隣の山岳から鉱石が採取され、それらを売買、および、その取引に伴う税によって潤っていた。
その金でウルクは奴隷を買い、男は鉱山で働かせ、女は家に迎えている。
アンヌの実母もその一人。
ただ、見目良い女はウルクの慰み者として囲われることが多々。
ウルクはアンヌの実父であったが、奴隷の女から生まれたとして何れ奴隷として売るつもりだった。
しかし、アンヌは光属性魔法を使うことができ、その後、回復魔法、治癒魔法などにも才能を発揮したことで、ウルクはニンフェア家の娘として家名を与えて、聖女として神より賜る権能を利用する。
「今日は子爵家がやってくる。くれぐれも粗相の内容にな」
朝食の席ではこのように、アンヌの一日の予定をウルクのから知らされる。
アンヌは貴族だけでなく商家や裕福な平民などの治療に働かされた。
聖女の名を語り治療を繰り返し、実際に多くの民に〝聖女様〟と崇められている。
だが、治療費はタダではない。
「昨日は大金貨百五十枚だったが、今日は二百枚くらいは硬いな」
ウルクの金勘定はわりと正しい。だが、アンヌの魔法による治療は非常に高額で並の商家や貴族では手が出ないほど。
男爵家より爵位の高い子爵家に対してもウルクは常に足元を見続けた。
それでも治療を施せば感謝を受けるのだからそれだけで聖女の力は絶大だとウルクは満足する。
その一方で、アンヌはほぼ無言を貫いた。
多くを語らず、ただ、その時を待つ。
──自由になりたい。
アンヌは願った。
昼間は治療。日が暮れたら眠くなるまで行儀作法や教養を身につけるために講義を受けるアンヌ。
そうして教育を受け、考える能力が高まっていくとアンヌは一つの結論を導き出した。
アンヌは実母のことは何とも思っていない。
しかし、実母を全く慮らないというわけではなかった。
ウルクが申し出たら救えた命の一つ──。
ウルクという男に弄ばれて全身に打撲痕や創傷で汚れた母の死体はアンヌのモノの考えに大きな影響を残している。
だから、いつか必ず私は自由になると心に誓った。
母親のようにならないために。
男に支配されるより、男を支配する女であろう。
だが、そうなるためにはここから離れなければならない。
ファストトラベルでは一度行ったことのある場所にしか使えない。
アンヌのワープポイントはニンフェア領内のみであり、どこに行ったとしても逃げることはまず不可能。
逃げることができる機会を待つしかないとアンヌは考えていた。
それから、アンヌの十歳の誕生日からしばらく──。
ニンフェア領は沸き上がっていた。
高価な鉱石が次々と採掘され大量の利益をもたらした。
その多くは王族にも献上できそうな品質の高いものでこれまでにないほどの売上を記録。
鉱山が好況となれば、商人が集まり、ニンフェア領は賑わう。
商人が儲かればアンヌの治療で得られるお布施も高騰。
ウルクは辺境伯家に匹敵する財力を築きつつあった。
だが、物事はそう順調に行くはずがない。
鉱床を根城とするコボルト族が暴徒化したのだ。
「ウルク様! コボルト族が攻めてきました」
コボルト族は鉱石を好み鉱床を棲み家にすることが多い。
ニンフェア領のゴールドラッシュはコボルト族を次々と排除した成果でもあった。
しかし、コボルト族もただ黙って蹂躙されることを選ぶわけではない。
周囲の同族と連携を取り、巣穴を荒らす者たちへの報復に打って出た。
「ええい! たかがコボルト。返り討ちにしてやれぇッ!!」
ニンフェア領が反撃に出たときには既に領内は半壊。
それでもなお、コボルト族は弱小であるためウルクの反撃の号令で押し返せていた。
「ウルク様! トロルです!! トロルの大群が攻めてきましたッ!!」
コボルト族を追い返して数日後、コボルト族がトロルの大群を率いて攻め込む。
三メートルほどありそうなトロルの体躯に並の人間が敵うはずはなく。
ニンフェア領は蹂躙された。
人々は次々にトロルに食われ絶命する。
貴金属を身に着けた人間はコボルト族に身ぐるみを剥がされてトロルに差し出された。
アンヌはウルクの屋敷からその様子を伺っている。
次々と運び込まれる怪我人の治療をしているが、治療を待たずにこの世を去るものが少なくなく、また、怪我に至る前にトロルによって殺される者がほとんど。
援軍を呼ぼうにも村から領外へ通じる道はコボルト族によって封じられ、もはや、逃げ場さえなかった。
治療を続けるアンヌ。
窓の外にトロルの姿が見えた時、覚悟を決めた。
──もう、ここはダメだ。
「魔力が切れました。少し休みます」
そう言葉を残してアンヌは私室に戻る。
「聖女様!」
部屋に戻ると使用人が出迎えた。
ニンフェアの屋敷に入って二年間、アンヌの世話をしてきた平民の娘。
アンヌを監視するためにウルクがアンヌの使用人として雇い入れたのだ。
ウルクの従者に付き添われて私室に戻ったアンヌは、自室で使用人とふたりきりとなる。
ファストトラベルで瞬時に異なる場所へ移動できることを隠したいアンヌは人の目が最も届かないだろう自室に戻ってから一人になりたいと考えた。
自由を手にするために、生き延びるために、監視者から逃れなければならない。
誰にも悟られずにファストトラベルで屋敷から逃げられる手段──アンヌは使用人に手をかける決意を決める。
「ごめんなさい。私、まだ、ここでは死ねないの。ごめんなさい」
アンヌは懐に隠しもっていたナイフを使用人の腹部に挿し込んだ。
「せっ……聖女様………」
使用人は痛みのあまりアンヌに抱きついて縋り付いだが、次第に力が失われ、使用人は崩れるように倒れて蹲る。
「ごめんなさい」
アンヌは使用人が死ぬのを見届けることなく、ファストトラベルを開いて境界を跨いだ。
向かった先は薬草の群生地。
村から見てコボルト族やトロル族が攻めてきた方向とは正反対の場所にある森の奥。
ここなら大丈夫だろうとアンヌは一人、避難した。
いつもは人の命を救う聖女のアンヌ。しかし、生きるために彼女は初めて人を殺した。
罪悪感はなかった。
アンヌは実母がボロ雑巾のように扱われて死んだことを知っている。
ああならなかっただけ、マシだろう──と、使用人に対してそう思っていたからだ。
群生地は静かだった。
少し離れたニンフェア領の村から聞こえる悲鳴と喧騒は群生地でもよく聞こえる。
時折、ウルクがアンヌを呼ぶ叫びが聞こえた。
父が娘に救いを求めている。
けれど、アンヌは彼を救う気はさらさらない。
自由を手にするためにアンヌは静寂を待った。
どれくらい経っただろうか。
群生地には食べられる植物がそれなりに存在する。
魔法で火を起こし、水を創り煮たり焼いたりして飢えを凌ぐ。
村が静まり返るときまでアンヌはそうしてひたすら待った。
そうして、数日後──。
アンヌは丸一日、村から音が聞こえなくなったことを確認して、村に戻ることにした。
ファストトラベルで村の広場に移動。
辺りを見渡すと、建物は全て破壊されていた。
怪我をした人間などはおらず。
破り捨てられた血みどろの服だけが、そこに人間が居たことを辛うじて知らしめる。
アンヌは更に村を歩き、ニンフェア家の屋敷にたどり着く。
屋敷はありとあらゆるものが破壊され、人の痕跡はここまでと同じ血で汚れた衣服だけ。
それ以外はトロルの胃に収まったのだろうとアンヌは推測。
屋敷に上がり、自身の私室に向かったが、そこには使用人の姿はなかった。
彼女もまた、トロルによって食されたのだろう。
生きたまま食われるよりは良かったんじゃない?
アンヌは思う。
村には衣類や食料は残っていた。
人や貴金属類は何一つ残っていない。
金貨や銀貨、銅貨すらも。
「お金がないんじゃどうにもならないじゃない」
アンヌは独り言ちた。
とはいえ、ここにはまだ、食料や衣類がある。
しばらく過ごしてから考えよう。
アンヌは屋敷の本宅を出て離れの小屋に向かった。
そこはアンヌが八歳まで過ごした厩のような狭い部屋。
そこも壁が壊され血塗れの衣服の切れ端が散らばっていた。
その翌日──。
隣領のフレアベイン子爵領から数人の騎士を伴ってやってきた。
やっと村の門に到着したと思ったら村の門や壁が破壊されていて様子がおかしい。
「イゴール様。ニンフェアの村の様子がおかしいです」
御者が馬車の車内にいるイゴール・フレアベインに報告する。
「どうした?」
「城壁が破壊され、門がありません。村内に人の気配が感じられず」
「ん。馬車を広場に停めよ。私も馬車を下りて様子を確かめよう」
イゴール・フレアベインはフレアベイン子爵家の当主。
この日、息子のウスターシュを連れて聖女に治療を施してもらう予定だった。
いつもならすれ違う商人や旅人の姿があったのだが、この日、一度も人とすれ違っていない。
そこで何かあったのかと不審に思うところはあった。
馬車から下りたイゴールは周辺の様子に目を疑った。
村の建物がことごとく破壊され、血の跡はところどころに見受けられるものの死体を一つも見ていない。
「イゴール様! 生存者を発見しました」
騎士の一人がニンフェアの屋敷に足を踏み入れたところ、アンヌの姿を見つけてイゴールのもとに連れてきた。
「あなたは……」
「アンヌ・ニンフェアと申します。このような状況で心苦しいですが、この村にはもう私しかおりません。快くお迎えできず申し訳ございません」
アンヌは丁寧に腰を折って頭を下げる。
「良い。それよりもこの村の様子はいったい……」
イゴールはアンヌに状況の説明を求めた。
アンヌは知りうることを答え、村にはアンヌ以外の生き残りが居ないことを伝える。
「そうか……聖女様だけが生き残った──ということか。これも神のお導きというべきか……我々にアンヌ様を残してくださったことを感謝するべきなのか……」
イゴールはアンヌが生き残ったことを神に感謝して、要件を伝えた。
息子の病の治療のために訪ねたのだ──と。
こんな状態だと言うのに快く応じてウスターシュの治療をしたアンヌにイゴールは甚く心を揺さぶられた。
「アンヌ様のおかげでウスターシュの病が治り、来年から王立フロスガーデン学園に送り出せそうだ。感謝する」
「ご子息様の回復の兆しがございますし、快方に向かうご様子が伺えて何よりです」
イゴールの謝辞にアンヌはウスターシュへの治療がうまく行ったことに安堵する。
しかし、何度かの治療を施さなければ安定はしないだろう。
アンヌはそれを言おうか悩んだ。
この状況では次の治療を約束できない。
アンヌの憂いを知ってか知らずか、イゴールは言った。
「アンヌ様はご家族どころか領民すら失ってしまった。このままここにいることは難しかろう。私のところで世話にならないか?」
イゴールはアンヌを引き取ると申し出る。
アンヌは戸惑いを見せたものの、生きるということを前提に考えたら選択肢は無い。
アンヌはイゴールの申し出を受けると答えることにした。




