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懺悔1【オスカーサイド】

お読みいただきありがとうございます。

2話にわたってオスカーサイドです。

「すまない、君のことを好きにはなれないかもしれない」


 自分は初夜の日にそう彼女に告げた。

 今思えばなぜあんなことをと冷静になれるのだが、あの時はそう告げることが誠意であると勘違いしていた。


 


 私は幼い頃から母の愛をほとんど知らずに育った。

 病のせいなので致し方ないことなのだが、幼心にはかなりの負担であったのだと思う。

 母の美しく優しい姿を探し求めながら成長した私は、何かが欠落してしまったまま大きくなってしまったのかもしれない。

 数年後、体調が戻りようやく自由に会うことができるようになった母に、素直に甘えることができなくなった。

 やがてどこか闇を抱えたような病弱な子どもは格好のいじめの標的になり。

 私は余計に殻に閉じこもるようになった。

 何のために生きているのか、悶々とした日々を過ごしていた私にある出会いが訪れる。


 それが、いじめから私を助けてくださったエリーゼ様だ。

 王太子の婚約者であるエリーゼ様のおかげで、私は二度といじめられることは無くなった。

 私より六歳年上の彼女は頼りになる存在で、当時の自分には眩しく輝いて見える憧れの存在であった。

 人生のどん底から拾い上げてもらった恩を王家への忠誠で返していこうと。

 そして私はその憧れの気持ちが恋心故であると思っていた。

 だが彼女とどうこうなりたい気持ちは一切ない。

 エリーゼ様が王太子殿下とお幸せになることだけを祈り、王太子ご夫妻を生涯守ると誓ったのだ。

 無論誓ってやましい気持ちなどなく、王太子殿下もそのことをわかってくださっている。


 家族の愛を知らないで育った私には、愛に溢れた家庭を作る自信もない。

 心を許せる友人も数少ない私は、もちろん未だに女性経験もない。

 そんな私は結婚などせずにいずれは養子を迎えればいい、そんなことを考え始めていたのだが。

 公爵夫妻である父と母はそんな私に無理矢理婚約を取り付けた。

 それがセレーナである。

 きっと両親なりに今の私の現状に責任を感じていたのだろう。

 公爵家の難しい立場を考慮して選出された彼女は、侯爵令嬢として美しく気高い女性であるとも聞かされていた。


 姿絵はあえて見なかった。

 見たところで婚約が覆されるわけでもない。

 元々自ら望んだ結婚ではないのだ。


 体の弱かった母の世話を焼くのに忙しい父に代わって執務を行なっていた私は、寝る暇もないほどの忙しさの中にいた。

 婚約が結ばれたセレーナの元を訪問せずとも、結婚してから彼女のことを知って、大切にすればいい。

 


 だがここで私にはある葛藤が生まれたのだ。

 エリーゼ様に対して抱いている気持ちをセレーナには予め伝えた方が良いのではないか?

 そして、自分は人を好きになるという気持ちがよくわからないため、セレーナを愛することができるかわからない。

 表面上で嘘の愛の言葉を囁くのは彼女に失礼な気がして、私は冒頭の言葉を彼女に告げてしまったのだ。

 そしてそのあとにすぐこう続けるつもりであった。


 「だがそんな私の妻となってくれた君を、生涯大切にしたい」と。


 しかし、予想外のことが起きた。

 私がその言葉を告げる前にセレーナが口を開いたのだ。

 どういう意味かと彼女に問われた私は、ここでエリーゼ様のことを伝えて下手に誤解を招いてしまうことを恐れた。

 頭が真っ白になってうまく言葉が見つからず、パッと目についた黒髪から、咄嗟に彼女の見た目が気に入らないと伝えてしまったのだ。

 完全に失礼な男であるし、我ながら頭がおかしいと思う。


 彼女はかねてから耳にしていた通り、気の強そうな美人であった。

 私の身の回りにはいないタイプの女性だったので、意表をつかれたのは事実である。

 容姿のことを告げると、その表情に悲しみと困惑が混ざったことを今でも思い出す。

 今ならわかる、自分の発言は彼女をひどく傷つけただろう。

 だが彼女は意外にも今度は自分のどこが気に入らないのかと尋ねてきたではないか。

 そこですぐに訂正し謝罪すればよかったもの。

 一度口に出してしまった言葉を引っ込める勇気がなぜか出ず、私はつい軽い気持ちで黒髪だと告げてしまったのだ。


 実を言うと黒髪が少し苦手なのは本当であった。

 昔自分を執拗にいじめていた貴族令息が黒髪であったことから、黒髪を見ると昔のことを思い出してしまい苦手だったのだ。

 思わず口からその言葉が飛び出したのはこのせいだろう。


 だがここまでくると、もはや取り返しはつかないところまできてしまった。

 セレーナはよく口が立つ。

 女性とろくに関わったことがなく口の回らない自分は、売り言葉に買い言葉で気付けばとんでもない発言の数々をしでかしたらしい。

 ……我ながら何と見苦しい。

 これが二十歳をとうに過ぎた公爵令息のやることなのだろうか。


 そして最後にセレーナは、私に慕っている女性がいるのかと尋ねた。

 懇意にしている女性などもちろんいない。

 だがここでエリーゼ様のことを伝えておくべきだと思った。

 その時の自分はエリーゼ様への忠誠が、恋心からくる物なのかもしれないと勘違いしていたためである。

 そしてセレーナへの隠し事はしないという誠意をあらわすつもりで、エリーゼ様のお名前を出したのだ。

 エリーゼ様とどうこうなるつもりはなく、セレーナを妻として立てていくつもりだったので何も問題はないと思っていた。

 ……だが何やらことは大きくなったらしい。


 彼女は私がエリーゼ様にぞっこんで叶わぬ恋に苦しんでいると思い込んだ。

 ……まああのセリフを耳にしたら誰もがそう勘違いするだろう。


 自分は何かとんでもない失敗をおかしたのでは……


 そう思い始めたが、気を取り直す。

 彼女にはトーランド公爵家のためだなどともっともそうな理由を告げているが、本音を言えば私は彼女と初夜を迎えたかった。

 それは男性としての性であったのだと思う。

 彼女は美しい女性であったし、女性の肌に触れてみたかった。

 しかしそんな邪念を抱いていることを悟られてしまうのを恐れて、セレーナとの初夜は義務で致し方なくおこなうものであると告げてしまったのだ。

 余計なプライドが邪魔をしてしまった。

 もちろんそんな都合のいい願いが叶うことはなく。

 自分で自分に最後のとどめを刺したのだ。


 結局彼女には一年後の離縁を告げられ、数少ない友人であるサマンが好みだと言われ、寝室はおろか食事すら別々でとるようになってしまったのだ。

 まさかここまで話がこじれてしまうとは思ってもいなかった。

 全ては身から出た錆なのだが。


 彼女が立ち去った後、私は空の寝台を目にして途方に暮れた。

 自分の愚かさが嫌になる。

 やはり自分はどこかズレているのだろう。

 それと同時にハッキリと意見を話す美しいセレーナの姿がなぜか強く印象に残った。

 これまで私の周りには、家庭に恵まれなかった公爵令息を腫物に触るかのように扱う者しかおらず。

 淡々とした変わらぬ生活の中で初めての刺激だった。




 翌日からは寝ても覚めてもあの初夜のことばかりが気掛かりで、何も手につかない。


 彼女ともう一度話してみたい。

 だがどうやって?

 もはや二度と顔も合わせてくれぬような剣幕であったではないか。


 そんなことばかりが頭の中を支配して、珍しく王城からの招待も断った。


 数日後、嵐のようなアンナの説教からセレーナが自分の予想以上に傷ついていたことを思い知る。


「なんと嘆かわしい……あのようにお美しい奥様に、なんてことを!」


 申し訳なさと自分のしでかした事への恥ずかしさがより一層強く押し迫り、潰れそうになった。

 

 それからというものセレーナとの関わりは時折屋敷の中ですれ違うだけ。

 まるで他人のようだ。


 せめて彼女のために何かしたい。

 ちょうどその時舞踏会の招待状が届いたことをきっかけに、私は彼女を誘ったのであった。

 数日ぶりに顔を合わせた彼女はやはり美しい。

 エリーゼ様に抱いていた感情とは全く異なる何かが私を支配していく。


 初夜の詫びに何か装飾品を……と内心思っていた私の考えがいかに甘く、浅はかであったことか。

 セレーナは何も求めなかった。

 どうせ離縁するのだから、自分に金を使う必要はないと。

 彼女の真っ直ぐな瞳で見つめられると、胸が苦しくなり何も言い返すことができなくなる。

 この気持ちは何なのだろうか。


 せめてもの償いにと、私は舞踏会で彼女の色のハンカチを胸元にあしらった。

 適当に用意した様子を装ったが実際は直接店に足を運び、時間をかけて彼女の瞳の色により近いものを選んだのだ。


 舞踏会のために飾り立てた彼女は美しく思わず言葉を失うほどであったが、なぜかその黒髪を纏めていた。

 貴族の女性は髪を下ろすことが多いためその理由を尋ねると、私への配慮だと言うではないか。

 私は愕然とした。

 咄嗟に出たあの言葉が彼女の呪縛となっていると。

 すぐに謝罪をしたが、恐らく意味はなかっただろう。

 彼女の中にはもはや私への期待など全くないことがよくわかったのだ。

 すると突然自分の心がざわめいた。

 彼女を舞踏会へ連れて行ってもいいのだろうか。

 もし自分のいない間に誰か別の男に見染められたら……?

 離縁は一年後であったとしても、その前に屋敷を出て行ってしまうかもしれない。

 彼女を他の男に取られてもいいのだろうか?

 心の中に名前のわからない感情と黒い靄が広がっていく。


 案の定、セレーナは男性たちの注目の的であった。

 中でもあのジャックという男は要注意人物だろう。

 彼女を一人残してきてからというもの、私は心配で気が気でなかった。

 王太子ご夫妻を前にしてこのように気もそぞろになるなど、初めての経験である。


 本当ならば舞踏会で王太子ご夫妻にセレーナのことを紹介したかった。

 だが彼女は何かを誤解しているらしく、私と共に来てはくれなかった。

 

 早々に挨拶を切り上げセレーナの元へと向かうと、例のジャックという侯爵令息が今にも彼女を口説こうとしているところだったのだ。

 あの男は私が彼女をほったらかしにしていると囁いた。

 それは紛れもない事実であり、セレーナに悪く言われても仕方がない。

 そう思って覚悟したのだが。


「ジャック様が想像されているようなことは何一つありませんわ。オスカー様は素敵なお方です。結婚してからもとても良くしてくださっていますし、何よりトーランド公爵家のために立派に働いております。あのお方と結婚できたことに悔いはありません」


 セレーナは私のことを悪くは言わなかった。

 なぜか胸が苦しくなる。

 それと同時にどうしようもなくセレーナとジャックという男への嫉妬心が湧いた。

 こんな思いは生まれて初めてだ。

 これ以上彼女を人目に晒したくない、そんな独占欲のようなものが湧いて、気づけば私は彼女を無理矢理屋敷の外へと連れ出してしまったのであった。


 案の定セレーナにはどういうつもりかと責められ、ジャックとの間には何もないと言われた。

 だがあいつと話している時の彼女の表情。

 そしてあいつの名前を繰り返し呼ぶ彼女の声。

 全てが許せず、くだらぬ言い争いをしてしまった。

 こんな気持ちは初めてだ。

 


 そして気づいたのだ。

 これが恋であると。

 恋だと勘違いしていたエリーゼ様への気持ちは、恋ではなかったのだと。


 自分はセレーナに恋をしたのだ。


 年上のエリーゼ様に抱いていた思いは、母に対するそれと少し似ていたのかもしれない。


 セレーナに好かれたい。

 だがあれほどまでに失態を犯した私など彼女に好かれる資格はない。


 一年とは、何と短いのだろうか。

 来年の今頃は彼女のいないこの屋敷で、私はどう生きているのだろうか。

 せめてそれまでの間は、できる限りのことをしよう。

 彼女に少しでも振り向いてもらうために……

お読みいただきありがとうございます!

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