理解できないのはあなたの方です
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大広間にはすでに大勢の貴族たちが到着しており、煌びやかな雰囲気が満ち溢れていた。
私たちが大広間へと入っていくと、すぐに複数の貴族たちに取り囲まれる。
「これはオスカー様、お久しぶりです。こちらが例の奥方様で? いやぁ、噂に違わずお美しい」
「やあ、久しぶりだね。祝いの品をいただいたようで、礼を言うよ。セレーナ、ご挨拶を」
そう言われた私は、男性たちに向けてお辞儀し挨拶をする。
「セレーナ・トーランドと申します。以後お見知り置きを」
そして顔を上げたそのとき。
……おや?
なんだか見覚えのあるような顔であった。
そして恐らく相手も同じことを考えたのだろう。
少し驚いたような顔をして私の方を見つめていた。
かすかな記憶を辿っていけば、確かこの男性は侯爵令息であったはず。
独身時代に参加した数少ない舞踏会で何度か目にしたことがあったため覚えていた。
歳はオスカー様と近かっただろうか。
「奥様は覚えていらっしゃらないでしょうが、以前舞踏会であなた様にお会いしたことがあるようです」
やはり、私の記憶は間違っていなかった。
慣れない舞踏会で所在なさげにしていた私に、優しく話しかけてくれた男性である。
「私、覚えておりますわ。知り合いがおらず一人でいた私に声をかけてくださいましたよね。あの時はありがとうございました」
「覚えていていただけたとは。なんとも光栄です。今後ともよろしくお願いいたします」
ジャック・ホルン侯爵令息と名乗ったそのお方はにこやかに頭を下げてその場から立ち去っていった。
「ホルン侯爵令息はまだ独り身なのだな」
彼の姿が完全に見えなくなるのを待っていたかのようにオスカー様が尋ねてきた。
基本的に舞踏会には夫婦揃って出席するのが恒例となっており、一人で参加していたジャック様を見る限り彼は未だ独身なのだろう。
「そのようですわね。ですがあのお方は親切でお優しい方ですから。きっといいご縁に恵まれますわ」
「……あの者には随分と優しいのだな」
「え?」
「私に対する時とは大違いだ」
その言葉にはどこか棘があるようで、私がパッと顔を上げると慌てたようにオスカー様に視線を逸らされる。
「……もし不快な思いをさせてしまったのなら、申し訳ございません。ですがあのお方はあなたのように失礼なことは言いませんので」
今の私の発言のどこに非があるのだろうか。
舞踏会の最初から機嫌を損ねられるのも困るのでとりあえずは謝っておくが、ついチクリと嫌味が出てしまう。
「……いや、私の方こそすまない。気にしないでくれ」
しかし意外にも返ってきたのは素直な反応。
オスカー様はやはりどこかおかしい。
なんだか調子が狂ってしまう。
そこからは何と話しかけて良いのかもわからずひたすらお互い無言のまま、貴族たちへの挨拶を繰り返していく。
……繋がれた手が離されることはなかった。
◇
――そろそろダンスの時間になるかしら。
挨拶も潮時だろう。
チラ、とオスカー様の方を見上げると彼も同じことを思っていたようで、僅かに頷く様子が見られた。
私は彼に手を引かれ、ゆっくりと大広間の中央に向かって歩いていく。
「二人で踊ったことはなかったが……大丈夫だろうか? 練習しておけばよかったな。すまない、すっかり忘れていた……」
「大丈夫ですわ。ダンスなら得意ですので」
自分で言うのもなんだが、侯爵家の教育は非常に厳しかった。
足に靴擦れができるほどダンスの練習をさせられたことを思い出す。
オスカー様の方こそ、ダンスは踊れるのだろうか?
今までの様子からダンスが上手なようには全く見えないが。
二人の息が合っていなければどちらかの足を踏んでしまいかねない。
そうなったら舞踏会で恥をかいてしまう。
「……私の方こそ踊れるのかと聞きたい顔をしているな。安心してくれ、これでも公爵家の息子だ。しっかりダンスの教育は受けている」
「それなら安心いたしましたわ」
その言葉通り、オスカー様のダンスの腕前は優秀であった。
私との息もぴったりと合い、心配していたような事故が起きることはなかった。
何より彼とのダンスは非常に踊りやすい。
私のペースに合わせてくれているためステップが踏みやすいのだ。
優雅に踊る私たちの姿を他の貴族たちがうっとりと見つめているのがわかる。
彼らはまさか私たちの関係が白い結婚であるなど知りもしないだろう。
私たちのダンスをエリーゼ様もご覧になっているのだろうか。
果たして彼女は何を思うのだろうか。
永遠に答えの出ない問いが頭の中を駆け巡る。
一年で離縁すると決めたのは自分のはずなのに、ほんの少しだけその決意が揺らいでしまったような気がして、なんと自分は単純な女なのかと嫌になる。
そんなことを考えながらダンスを続け、ぐるりとターンをしたのだが。
ターンを終えて正面を向くと、思いの外私たちの距離が近くなり互いの吐息がかかりそうなほどになっていた。
「っ……」
「すまないっ……」
「い、いえ……」
咄嗟のことで一瞬息が止まりそうになり、鼓動が速くなっていることがオスカー様に知られたらどうしようと不安になるが、どうやら動揺していたのは彼も同じだったようだ。
「……さすが、言っていただけのことはあるな。足取りが軽やかだ」
「オスカー様の方こそ。正直驚きましたわ」
きっと彼は正直に褒めてくれたのだから、私も素直に褒め言葉を受け取ればいいものを結局可愛げのない言葉で返してしまった。
「そろそろ曲が終わる……屋敷で打ち合わせたように、この後私は引き続き挨拶回りで少し席を外す。だがその前に王太子ご夫妻の元に行くつもりなのだ」
「……そうですか」
想い人のところへ行くことをわざわざ妻に宣言する男性がどこにいるのか。
「君も一緒に来てくれないか?」
「は!? け、結構ですわ!」
「……なぜ?」
「夫の想い人の元へのこのこついていく妻などおりません」
「……やはり君は……。いや、こんなところで話す内容ではないな。わかった。では話していた通り、君は少しの間待っていてくれ」
「わかりました」
「くれぐれも、変な男についていくなよ?」
「先ほどからどうなさったのですか? 私はあなたの妻として知られておりますし、声をかける殿方などおりませんわ」
「……君は自分のことを全く理解していない。とりあえず気をつけてくれ」
……理解できないのはあなたの方です。
なぜか怒ったような顔で目の前から立ち去ったオスカー様の後ろ姿を見送ると、どっと疲れが攻め寄せる。
知らないうちに気が張っていたのかもしれないと、私は果実水が置かれたテーブルの方へと向かった。
果実水の入ったグラスを持ち一口含むと、喉を通る冷たさで少し気分が楽になっていくのを感じる。
――オスカー様はどこにいらっしゃるのかしら。
無意識のうちに大広間の中を目で探している自分に気づいた。
すると一際目立つ金色の髪の男性が白銀の髪の女性と何やら向かい合って話している様子が目に入る。
金髪の男性はまさしく夫オスカー様である。
そしてその流れから考えるとお相手の女性は例のエリーゼ王太子妃殿下だろう。
そしてその隣には王太子殿下の姿が。
お二人は決してある一定以上の距離を縮めることはなく、体の触れ合いも一切見られない。
あくまで王太子妃殿下と王家に仕える公爵令息という立場を守っているようだ。
だが彼女を見るオスカー様の目は、とても穏やかで優しいものであった。
――ああ、やはりオスカー様の心はエリーゼ様ただ一人のものなのね。
何を今更……わかっていたことではないか。
なのになぜか胸が締め付けられるように苦しいのはなぜだろうか。
エリーゼ様の髪は美しく輝いている。
黒く塗られたような私の髪とは大違いだ。
触れただけで手折られてしまうような儚げなその見た目も、私とは似ても似つかない。
どれもこれもとっくにわかっていたことなのに、改めて現実を突きつけられたようで傷が抉られる。
「はあ……早く気持ちを切り替えて来年を迎えたいものだわ」
私は残っていたグラスの中の果実水を一気に煽った。
「失礼、お代わりをお持ちいたしましょうか?」
すると後ろから突然声をかけられる。
咄嗟に身構えてゆっくり振り向くと、そこには先ほど挨拶を終えたジャック様の姿があった。
「あ……失礼いたしました。こういった場には慣れていないもので……」
「私もですよ。現に私は未だに独り身です。どうもこういう場は苦手でね」
私とジャック様は顔を見合わせて笑った。
「それにしても、まさかトーランド公爵令息とご結婚されているとは。驚きましたよ」
「ええ。私自身も未だに信じられない気持ちなのです」
「以前舞踏会でお会いした時は、結婚にはあまり興味がないご様子でした」
「その通りです。今回の結婚も、家同士の都合で両親たちが勝手に決めたこと。私の意思などありませんわ」
……実を言えばオスカー様に惹かれたのは私なのだけれども。
それはそれは、とジャック様は笑ってグラスを傾けた。
彼のグラスに入っているのはワインであろうか。
「お酒は、飲まれないのですか?」
ジャック様は私のグラスの中身が果実水であると気づいていたのだろう。
「ええ。嗜む程度しか。すぐに気分が悪くなってしまいますの」
「それは残念だ。うちの領地ではワインの生産が盛んなのです。今年のものは既に作り終えてしまっているので……来年はぜひ作り立てのものを公爵家にも贈らせていただきますよ。味見程度でも、ぜひ」
「まあ、それはありがとうございます」
恐らく来年私はトーランド公爵家にはいないのだが、まさかそんなことをジャック様にお話しできるわけもなく。
それにしてもオスカー様は一体いつまで待たせるのだろうか。
そう思って先ほど彼とエリーゼ様がお話しされていた辺りに目をやるが、彼らの姿はない。
仕方なく再び果実水のグラスに手を伸ばした。
するとそのとき。
「おいジャック、隣の美しいご婦人は知り合いか? 紹介してくれよ」
「ついにお前にも春が来たのか?」
ジャックの元に数人の男性達が歩み寄ってきた。
「こら、失礼だろう。彼女はトーランド公爵令息夫人だ」
彼の反応を見るに、親しい間柄の友人たちなのだろうとわかる。
そして私は聞き慣れない公爵令息夫人という呼び名に少し戸惑ったが、何事もなかったかのように挨拶した。
「お初にお目にかかります。セレーナ・トーランドですわ。以後お見知りおきを」
私は先ほどジャック様にした挨拶と同じように、彼らに軽く頭を下げた。
お読みいただきありがとうございます!