私のことはお構いなく
お読みいただきありがとうございます
随分と間があいてしまい、申し訳ございません。
トーランド公爵家に嫁いでから早くも二週間が経ち。
その間私とオスカー様が顔を合わせることはほとんどなかった。
ばったり鉢合わせすることもあったが、軽く会釈をして挨拶するのみ。
公爵令息夫妻は仲違いでもしているのかと、護衛たちにも怪訝な表情を浮かべられているようだ。
そんなある日のこと。
私はいつものように自分の部屋で一人本を読んでいたのだが。
唐突に部屋のドアがノックされ、返事をするまでもなくガチャリと開けられた。
「……入っていいとは言っておりませんが」
ドアの方を見なくとも、こんな入り方をするのは誰であるか予想するのは容易いことだ。
「……ノックはした。夫が妻の部屋に入るのに何の許可がいるというのか」
「あら、私はあなたの妻なのですか?」
「っ……当たり前だろう! 君は正式な私の妻だ」
「まあ確かに一年間はそうでございましたわね」
オスカー様は僅かに眉を顰めながらこちらへつかつかと歩み寄ると、私が腰掛けているソファの向かい側の椅子へと腰を下ろす。
「ご用件はなんでしょうか」
「……その、なんだ……せめてもう少しだけでも夫婦として歩み寄ろうという気はないのか? 使用人や護衛たちも戸惑っている」
「夫婦としての関わりは最低限にすると、あの晩にお話ししたではありませんか」
「私は一言も納得したとは言っていないぞ。初夜の件も……」
この期に及んで初夜だけは済ませようと考えているオスカー様の気が知れない。
「よくもまあ、見た目が好きではない女を抱く気になれますのね。トーランド公爵家のためなら何でもやるという心意気は素晴らしいですけれども」
「いや、だから……あの晩のことは……」
「なんです?」
「……もう良い。本題へ移るとしよう」
オスカー様は美しい形の眉を顰めると、眉間に手を当てて目を閉じた。
どんな表情をしていても美しいというのは、羨ましい限りである。
――なんでこうなるのかしら。なぜ私はたったの一年が我慢できないの?
どうしても初夜の記憶が蘇り、彼に対して素直な態度を取ることができずに素っ気ない対応を続けてしまう自分にも呆れてしまう。
たった一年。たった一年で離縁するのだ。
それまでの間くらい、公爵令息夫人としてオスカー様とその場限りで仲睦まじく過ごすことはできないのかとも思う。
だが実際オスカー様を前にするとエリーゼ様のことや私の容姿のことを思い出してしまって、結局何も変わることはできていない。
「君には舞踏会に参加してもらいたい」
「舞踏会……ですか? どなたとです」
「もちろん私とに決まっているだろう! 君は本当に何を言い出すんだ全く……」
ブツブツと文句を言うオスカー様の表情を眺めながら、ああ面倒なことになってしまったと考える。
公爵令息夫妻として舞踏会に参加しなければならない時が来るとは覚悟していたが、まさかここまで早くそのときが訪れるとは思いもしていなかった。
「結婚してから二人で出席する初めての公の場となる。国中の高位貴族たちが招待される盛大な舞踏会になるだろう。私たちの関係を披露する機会だと考えてもらって構わない」
「私たちの関係とは、この冷え切った仲のことでございますか?」
「そんなわけがあるはずないだろう! 私たちが二人並ぶ姿を、という意味だ! さっきから君は本当に意味がわからないことばかり……」
「そのようなこと、わざわざあなたがお伝えにならなくともアンナあたりに言伝を頼めばいいものを。どうせ私はあなたの命令をお断りすることなどできないのですし」
「……ないかと思って……」
「え?」
「何か、必要なものはないかと思ってだなっ……ドレスやらアクセサリーやら、必要なものを揃えたい!」
どうやら興奮するとだんだん声が大きくなるらしいオスカー様のせいで、耳がキーンと痛くなる。
「耳の近くで大声を出さないでください!」
「すまないっ……」
途端にオスカー様は萎縮したように小声になった。
「なにもそこまで小声にならずとも……まあいいですわ。お気遣いありがとうございます。ですが必要なものはございません。ドレスは私が実家から持参している物が複数ありますので、その中から見繕いますわ」
「しかしそれではっ……」
「どうせ来年には離縁するのです。余計なお金は使わないほうがよろしいかと。装飾品も今手持ちにあるものからなんとかしますので、オスカー様のご負担は必要ありませんわ。ご安心くださいませ」
オスカー様は苦しげな表情を浮かべたまま、何も言葉を発しない。
透き通るような碧眼が戸惑うように揺れ動く様子を見ると、なぜか私の胸も苦しくなる。
(なぜあなたがそのような表情を浮かべるのでしょうか。泣きたいのは私の方ですわ)
「もうお話は以上ですか? 何か変更があった場合は教えてくださいね。アンナやベルを通してで構いませんので。ではまた舞踏会の日にお会いしましょう」
「いや! 待ってくれ……」
「まだ何か?」
「その……だから……」
オスカー様はしばらく迷った様子で口元をゴニョゴニョと動かしていたが、ようやく意を決したように話し出した。
「その、初夜の日に君に言ったことを謝りたくてだな……仮にも妻となった女性に言うべき言葉ではなかった。色々と誤解を招く表現を……すまない」
「アンナにでも注意されたのですか?」
聞けば彼女は古くからトーランド公爵家に仕えており、オスカーの第二の母のような存在であるとか。
よって公爵令息に物申すことのできる限られた人物であるらしい。
「確かにアンナにもきつく注意をされた。だがそういうわけではない。あの晩の君の表情を見て、自分が何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと……」
「……もう良いのです」
「だが君は……怒っているではないか」
「怒っているというよりも、あなたに呆れているのです。嫁ぐ前はあれほど意気込んでいたというのに、公爵夫人となる決意もすっかり萎んでしまったようですわ……」
これが私の正直な今の気持ちであった。
あの日に感じたような怒りはほとんど残っていない。
その代わりにオスカー様への呆れと虚しさが残る。
そして容姿を貶されたことによる心の傷が、意外にも深いようだ。
あれ以来私は寝る時以外に髪を下ろすことができなくなった。
言葉には出さずとも、オスカー様が黒髪を見てどんな反応を浮かべるのかが怖いのだ。
「それは……すまない」
「謝っていただかなくて結構です。謝っていただいたところで、あなたがエリーゼ様をお慕いしていることに変わりはありませんし、私の見た目が気に入らない事実も変わることはありませんから」
「セレーナ……そのことなのだが……」
「これ以上、私の傷を抉るような真似はしないでくださいませ」
「っ……」
オスカー様は再び口を開きかけたが、グッと堪えるかのように押し黙ると、そのまま踵を返して部屋を出て行った。
――今更優しくされても、余計に辛いだけなのよ……
その優しさの裏に私への好意はない。
オスカー様の想い人はこの先もエリーゼ様ただ一人なのである。
表面だけの優しさなどいらない。
本当はここまで冷たく素っ気ない態度を取り続けるつもりはなかったのだが、やはりなぜかオスカー様本人を目の前にすると可愛くない態度をとってしまう。
……どうせ最初から可愛いとは思われていないのだけれど。
「セレーナ様……よろしいのでございますか?」
部屋の入り口で待機していたベルが、恐る恐る私に尋ねてきた。
部屋を出て行ったオスカー様の様子から、何となくの事情は察したのだろう。
「かまわないわ。それより舞踏会のことなのだけれど……私がアストリアの実家から持ってきたものの中で、見繕って欲しいの。限られたものの中から選ぶのは難しいかもしれないけど……あなたには迷惑をかけるわね」
「そのようなこと、お気になさらないでください。かしこまりました」
ベルはそれ以上余計な詮索をすることはなかった。
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