初恋
馬車が王城へと到着すると、私とオスカー様は手を取り合ったまま城の大広間へと歩みを進めていく。
通り過ぎる貴族たちは皆私たち夫婦を振り返り、何やら噂話をしている様子。
恐らくこの目立ちすぎる装いかもしれないと少し恥ずかしくなるが、気づかないふりをしてそのまますれ違う。
そして私たちは大広間の中央に腰掛けた王太子ご夫妻の元へと向かった。
「王太子殿下、そして王太子妃殿下。本日はお招きいただきありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は無しでいいだろう」
「そうですよ。楽にしなさい」
王太子殿下はとても優しそうなお方で、王太子妃殿下……エリーゼ様はまさに女神様のようなお方であった。
透き通る白銀の髪に真っ白な肌、そして儚げなその美貌。
どれをとっても彼女に敵う者などいないと思わせるほどの美しさである。
——エリーゼ様へのお気持ちは恋心ではないとおっしゃっていたけど……これほどまでにお美しいお方が近くにいて心が揺らがない男性などいるのかしら。
私の中でそんな邪念が再びふつふつと湧き上がり、醜い自分の心が嫌になる。
「こちらがご夫人かな?」
「はい。我が妻、セレーナでございます」
「お初にお目にかかります。セレーナと申します。ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ございません」
オスカー様の紹介に続けて、私は頭を下げた。
「そうか、君が。オスカーの言っていた通りの女性だな」
王太子殿下は満足気に微笑みながら何度も頷いている。
「王太子殿下! おやめください」
するとなぜか慌てた様子のオスカー様が、王太子殿下に向かって首を振っている。
だが王太子殿下はむしろその様子を楽しんでおられるようだ。
「殿下、オスカーが困っていますわよ」
「すまない。だが反応が面白くてだな……」
見かねたエリーゼ様が王太子殿下を制すると、彼女は私の方を向いて微笑みながらこう告げたのだ。
「セレーナさん、少し二人でお話がしたいのだけれど」
◇
「ごめんなさいね、突然連れ出すような真似をして。驚いたでしょう?」
あれから私はエリーゼ様に連れられて、大広間から少し離れたところにある豪華な客間に案内された。
そこには淹れたての香りの良い紅茶が既に用意されており、私は案内されるがままにソファに腰掛ける。
一国の王太子妃と部屋に二人きりという状況に、私は緊張の面持ちで彼女からの言葉を待った。
「どうしてもあなたと一度お話がしてみたかったの」
「私と……でございますか?」
「ええ、あのオスカーがあんなに夢中になっている女性はどんな方なのかしらと思って」
そう言ってエリーゼ様はにっこり笑った。
「あなたも既にご存知だとは思うけど、あの子は家庭環境に恵まれていなかったでしょう? それにいじめも。色々と心の中に抱え込んだまま大人になってしまったあの子のことを、姉のようにずっと心配していたの」
「そうなのですね……」
「でもあなたと結婚してからオスカーは本当に変わったわ。口を開けばセレーナ、セレーナって」
エリーゼ様は面白くてたまらないと言った様子で笑いながら紅茶を一口含んだ。
「あれほどつまらなそうに毎日を生きていたあの子が、あんなに色々な表情を持っていたなんて、知らなかったわ。セレーナさん、あなたのお陰なのよ全て」
「私はそのような……」
するとエリーゼ様は突然佇まいを直すと、訴えかけるような真剣な表情で私の方を見つめた。
「実は……離縁の話を聞いたの。オスカーが変な勘違いをしていたせいで、あなたに嫌な思いをさせてしまったわ……私からも、謝らせてください」
そう言ってエリーゼ様は頭を下げた。
「そのようなっ……頭をお上げください。あれはあくまで私とオスカー様の問題ですので……」
「あの子も言っていただろうけど、私たちの間には本当に何もないのよ? 第一私はオスカーより六つも年上ですし、出会った時には既に王太子殿下と婚約しておりましたから」
「はい。そう伺っております」
「でも先ほど二人並んでいた様子から見ると、その誤解は解けたのかしら?」
さすがは王太子妃殿下、目をつけるところが鋭い。
「今日のそのあなたの装い、きっとオスカーが勝手に決めたのでしょう?」
「……お恥ずかしい限りです」
今日の自分は上から下まで真っ青であったことを思い出し、恥ずかしくなって俯く。
——顔が熱いわ。
「すごく似合っているわ。ドレスもあなたのために作られたことがよくわかる。あなたの美しさを引き立ててくれているもの」
「ありがとうございます……」
「少し愛が重すぎて恐ろしいくらいですけれどね」
「は、ははは……」
私は緊張を落ち着けるかのようにティーカップに手をつけた。
「ねえセレーナさん。あなたはオスカーのこと、どう思っているのかしら?」
突然の質問に私は口に含んだばかりの紅茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み込んだ。
「わ、私ですか!? 私は、その……以前のように嫌いではありません」
「好きではないの?」
「……好きか嫌いかと言われたら……好きです。ですが、私たちの間には色々ありましたもので……なかなか私の心の中で割り切ることができないのです」
「色々というのは、例の初夜での事件のことかしら?」
「おっしゃる通りでございます……」
「オスカーの憔悴ぶりをあなたにも見せてあげたいほどだったわ。かなりの失言を繰り返したそうね? あなたがオスカーを拒否してしまうのも仕方ないと思っているの」
私はなんと言葉を返したらいいのかわからず、膝の上に手を置いたままさらに俯く。
「でも……もしあなたが少しでもオスカーに対してやり直してもいいという気持ちが残っているのならば……離縁は思いとどまってほしいの」
「え……」
「あの子がこれほどまでに誰かを好きになるのは、あなたが最初で最後だと思うわ」
「さすがにそのようなことはないかと……」
「王太子殿下も同じことを話しておられたわ。あなたを失ってしまったら、今度こそオスカーは全てを失ってしまうと」
『これはあくまで私たち夫婦の願いであって、決めるのはあなた自身だから。あなたがどうしてもオスカーのことを許せないというのならば、離縁も仕方ないわ。あの子がそれだけのことをしてしまったということでしょう。周りの意見は気にせず、あなた自身の気持ちと向き合って決めて欲しいの。でももしもほんの少しでも気持ちが残っているのなら、前向きに考えてみてね』
エリーゼ様は最後にそうおっしゃっていた。
お話を終えて大広間へと戻る間中、エリーゼ様のお言葉が頭の中で繰り返される。
初夜の日にオスカー様に告げた一年という期限は、刻一刻と迫っている。
このままいけば私がトーランドのお屋敷にいるのもあと数ヶ月だ。
それまでには結論を出さなくてはならない。
エリーゼ様のおっしゃる通り、私の中にはオスカー様とやり直してもいいのかもしれない……という気持ちが生まれ始めていた。
だが私の彼に対する気持ちと、彼の私に対するそれとは恐らく熱量が違いすぎる。
無責任に彼の気持ちを受け取ることは、逆にオスカー様を傷つけてしまうことになるのではないか。
それならばいっそのこと一から新しい方と関係を築き直して行ったほうがいいのではないか。
だがオスカー様が他の誰かと並んでいるところを想像するだけで辛くなる。
◇
「っと、失礼、考え事ですか?」
「申し訳ございませんっ……あ、あなたは……」
ぼうっとそんなことを考えていたものだから、大広間に続く廊下の曲がり角で誰かとぶつかってしまったらしい。
咄嗟に謝罪するために顔を上げると、そこにはまた懐かしいお方の顔が。
「ああ、これはこれは。オスカーの奥方ではないか。以前あなたがまだアストリア侯爵令嬢のときにお話ししたのが最後でしたかな」
「お久しぶりですわ……サマン様」
そう、目の前にいたのは騎士団長サマン様。
初夜の日に私がオスカー様に対抗するために名前をお借りした、あのお方である。
相変わらず艶のある短い黒髪を後ろに撫で付け、燃えるような赤い瞳はとても男らしい。
彼はニコッと歯を見せて笑うと、こう切り出した。
「その様子ですと、オスカーとうまくいっているようですね?」
「え……ああっこれは、その……」
サマン様の視線は明らかに全身真っ青な私の装いに向けられている。
——顔から火が出そうなほどに恥ずかしいわ……
「良いじゃないですか。夫婦仲睦まじいということは、何よりです」
「ありがとうございます……。サマン様は……」
彼の隣に目をやるが、パートナーの存在は見受けられない。
サマン様は私の視線に気づいたようで、困り笑いを浮かべながらこう告げた。
「私は未だに独身です。親からは毎日のように見合いをせっつかれていますが、のらりくらりとかわしているのです」
「サマン様ほどのお方なら、引く手数多でしょうに。きっとご両親もご心配なのでしょう」
「私は剣のことしか知りません。相手の御令嬢にもきっと引かれてしまうでしょう」
「そのような」
謙遜しているが、未だ独身でいるサマン様を周りが放っておくわけがないのだ。
彼が将来の伴侶として選ぶ女性はどんな方なのだろうか。
まあ機転が利くサマン様ならきっと良き夫となるだろう。
私は純粋にそんなことを考えた。
「サマン様とご結婚されるお方はきっとお幸せになれますわ」
「それは嬉しいお言葉。ありがとうございます」
ちなみに、とサマン様は続ける。
「オスカーから聞きました。セレーナ様は、私のような男が好みであると」
そう言っていたずら好きな子どものような表情を向けるサマン様に、私はしどろもどろになりながら答えた。
「なっ! オスカー様ったら……なんてことを……あれは、違うのです……」
確かにサマン様のことは好みの男性だと以前まで思っていたのだが。
初夜の日に口にした言葉は、完全にオスカー様をギャフンと言わせることが目的である。
サマン様とどうこうなりたいとは一切思っていないのだ。
「そんなこと、わかっておりますよ」
サマン様は大きく笑った。
「オスカーは私の長年の友人なのですが、あいつがあれほどまでに焦り憔悴した様子は初めて見ました。あなたが、あいつを変えてくれたのでしょう。良い意味でね」
「サマン様……」
「あいつはもうあなた無しでは生きてはいけない。きっかけは些細なことでも、一度良いなと思ったらどんどんのめり込んで周りなど見えなくなる。それほど童貞の初恋というのは重く、厄介なものなのですよ」
「どっ……童貞の初恋って……」
突然サマン様の口から飛び出した強烈な言葉に私はしどろもどろになる。
「おっと、ご夫人の前で失礼。ただ覚えておいてください。あいつは一度好きになったら狂ったようにのめり込む、そういう男です。色々と不器用なところばかりですが、きっとあなたを幸せにしてくれるはずだ」
「サマン様……」
私はつい顔が赤くなってしまい、手でパタパタと扇ぐようにして熱を冷ます。
するとその時であった。
「セレーナ? ……と、サマン……?」
突然後ろから声をかけられ振り向くと、そこには複雑な顔で佇むオスカー様の姿があったのである。
お読みいただきありがとうございます。




