真実と告白
翌朝、いつもの食堂にオスカー様のお姿はなかった。
アンナに聞けば仕事が忙しくゆっくり朝食をとる時間もないのだとか。
昨晩の出来事の後だったので気まずさが勝っていた私は、むしろちょうどいいと思っていた。
昨日の今日で顔を合わせて、何を話せばいいのだろうか。
そんなことを考えて伸び伸びと食事をとっていたのだが。
◇
「……今日もこんなに早くからオスカー様はお仕事なの?」
それから三日経ってもオスカー様のお姿はなく。
毎朝一緒に食事をとっていたものだから、数日彼がいないだけでなんだかいつもと違うような気になってしまう。
まさか先日私が彼を突き放してしまったせいだろうか。
そんな心配まで頭をよぎるようになってしまった。
「アンナ? 聞こえてる?」
「……はい。オスカー様は本日もお仕事でございます」
珍しく歯切れの悪いアンナの返答に私は違和感を覚えた。
「アンナ、オスカー様は本当にお仕事なの?」
「は、はい。ここ最近はかなり執務が滞っているようでして……」
アンナは目に見えて動揺し始めるが、あくまでオスカー様は仕事であると言い張った。
明らかにおかしい。
第一、元々昼食と夕食はオスカー様のお仕事のため別々なのだ。
朝食の間まで仕事をしていたら、この三日三晩ほとんど仕事しかしていないことになる。
「私、オスカー様のところに行ってみようかしら」
「ええっ!? それは……おやめになった方がよろしいかと……」
「なぜ?」
「……」
いつもハキハキとしているアンナにとってこの反応は珍しい。
これは何か理由があるはずだ。
「アンナ、あなたが何も言わなければ私は直接オスカー様のところへ行って真実を確かめるわよ?」
するとようやくアンナは勘弁したのかおずおずとこう告げた。
「実は……数日前よりオスカー様は体調を崩されておりまして……」
「体調を?」
「医師からは過労がたたったせいだといわれているようですので、流行り病などではございません。ただお熱がなかなか下がらないようで」
「それで今オスカー様は、お休みになっておられるの?」
「恐らく……。体調を崩されてからはご自分のお部屋でお休みになっておられるのですが、最低限の食事などを持ってくる者以外は誰も立ち入らぬようにと……」
「私、やはりオスカー様のお部屋に行くわ」
なぜだかわからないが、勝手に体が動いていた。
思えばオスカー様のお部屋に立ち入るのはこれが初めて。
私はアンナの付き添いを断ると一人で廊下を進み、屋敷の中でも一際重厚な扉の前で立ち止まった。
なぜ来たのかと思われるだろうか。
初夜以来あれほど邪険に扱ってしまってきたというのに、今更何の用かと思われるかもしれない。
——それでもいいわ。そうなったらそのときよ。
私は深呼吸をしてノブに手をかけると、ゆっくりと回しながら扉を押す。
扉に鍵はかかっていないようで、ガチャリ……と音を立てながらゆっくりと扉は開いた。
意外なほどに整えられている清潔な室内は、人気を感じさせないほど静まり返っている。
音を立てぬよう静かに部屋の中央に置かれた寝台へと足を進めると、横たわる人のような影が見えた。
「……っオスカー様」
そこにいたのはまさしくオスカー様なのだが、顔色は悪くグッタリとした様子で目を瞑っており、呼吸も荒い。
いつもは綺麗に整えられている金髪も、ぐしゃぐしゃになって顔にかかっている様子。
私が来たことにも全く気づいていないらしい。
そして枕の傍には大量の書類の山。
体調を崩してからも寝台の上で執務をおこなっていたということなのか。
そっと額に手を乗せるとひどく熱く、アンナの話していた通りまだ熱があることがわかった。
すると人の気配を感じたのだろうか、オスカー様が身じろぎ呻くような声を上げる。
そして手で額を押さえながら薄目を開けた。
「う……誰だ? 誰も立ち入らぬようにと声を……っ!?」
視界に私の姿をとらえたのだろう。
オスカー様は一瞬目を見開くと、そのまま再び目を閉じてしまった。
「遂に幻まで見るようになってしまった……私はもう終わりかもしれない……。夢ならば覚めないでくれ……」
どうやらこれは夢だと勘違いしているらしい。
「オスカー様」
「ああ、近頃の夢は会話もできるのか。何と素晴らしい」
「オスカー様っ!」
埒があかないので私は少し大声で彼の名前を呼んだ。
するとハッとしたようにオスカー様が目を開け、その青い瞳で私の方をじっと見つめる。
……あまりに直視されすぎて穴が開きそうだ。
「まさか……本物……」
「人を化け物みたいな言い方しないでください。これは夢ではありませんし、わたしは本物のセレーナですわ」
「本物……」
熱で頭でもおかしくなったのだろうか?
いや、元々おかしい人ではあるのだが。
「私から離れた方がいい。もし何か伝染るようなものであったら……」
ようやくこれは現実であるとわかったオスカー様は、今度は私の心配をし始めた。
そんな病人の格好で何を言うのか。
「アンナは疲れからくるものだと話していましたわ。私なら大丈夫です。まずはご自分の心配をなさってください」
「しかし……」
「大体、この枕元にある書類たちは一体なんなのですか? まさかそのお体でお仕事をされていたのですか?」
私の指摘に、困ったというような表情を浮かべるオスカー様。
恐らく見つかりたくはなかった事実なのだろう。
「どうしても終わらせたいものがあってだな……」
そう言いながら小さく丸まってしまう彼の姿はいつもの公爵令息としての美丈夫からは程遠い。
私は別にオスカー様を怒りたいわけではないので、少し声色を和らげて問いかけた。
「なぜあなたがそこまで無理をなさるのです? あなたは公爵令息の身。本来ならば公爵であるお義父様がおこなうべきではないのですか?」
「……確かにそうかもしれない。だが私は母上が幸せそうに笑っていてくれるのならば、その分自分が頑張ればいいと思って……」
「お義母様が……?」
「ああ。父は忙しかった頃、ほとんど屋敷には寄りつかず、母はいつも寂しそうにしていた。そのせいで病になってしまったのかと思うと……私は再びあのようなことにはなってほしくないのだ。私が頑張れば、家族が幸せでいられる」
オスカー様は、お義母様のご病気が寂しさからくるものであったと幼心に勘違いしていたらしい。
そしてトーランド公爵一家の幸せは全て自分の手にかかっていると思い込んでいるようだ。
「私、お義父様にお手紙を書きますわ」
「……手紙だって?」
「あなたのお仕事を減らしていただくよう、お願いいたします」
「そのようなこと、君にさせるのは忍びない……」
「あなたの方からお義父様にお伝えできるとは思えません。私がお伝えしますわ」
私の強い意志を汲み取ったのか、オスカー様はそこから口を閉じた。
「とにかく、ゆっくり休んでくださいませ。あなたが倒れてしまっては、トーランド公爵家が回らなくなってしまいますよ? また悲しい思いをアンナ達にさせるのですか?」
「……わかった」
「書類は没収ですわよ。とにかく寝るのです」
私は彼の枕元の書類をかき集めて纏めると、机の上に置いた。
「何か飲み物と額に載せる冷たいタオルを持ってきますわね」
「だ、大丈夫だっ……そのような手間を君にかけさせるわけには……」
「起き上がらないでください! 私なら大丈夫ですから」
半刻後、冷たい果実水と冷やしたタオルを持ってオスカー様のお部屋へ再び戻る。
すると彼はすうすうと寝息を立てて眠っていた。
強制的に仕事を取り上げたことで気が緩んだのか、久しぶりに熟睡できているようだ。
——こうしてみると、本当に絵本の王子様のようね。
眠っている顔はあどけなく、実際の彼の年齢よりかなり幼く見える。
形のいい唇に高い鼻、輝かんばかりの金髪の彼はこの国の王族をも凌ぐオーラがあるだろう。
……中身がかなりの厄介者であることは予想外すぎるのだが。
私はそっとタオルを額に載せる。
するとその冷たさは想像以上の刺激となってしまったらしく、オスカー様は目を開けた。
「申し訳ございません。起こしてしまいましたか?」
「いや……ちょうど眠りが浅くなっていたのだろう。君のせいではない。……タオルをありがとう」
「ここにお水を置いておきますね。では私はこれで失礼いたします」
わたしはそう言ってオスカー様に頭を下げると、部屋を出て行こうと踵を返す。
するとそのとき。
「待ってくれ……君にきちんと話しておきたいことがあるんだ……」
「え……」
「わたしの話など聞きたくないだろうが……頼む、これだけは聞いてくれ……」
オスカー様は絞り出すような声でそう言うと、ふらふらと体を起こそうとするではないか。
「ちょっと! 何をやっているのですか、まだ横になっていないと……」
私は早歩きでオスカー様の元へと戻り彼を横たわらせ、それを確認すると近くに置いてあった椅子に腰掛けた。
「わかりましたわ。聞きますから、もう無理はなさらないでください」
それからオスカー様はぽつりぽつりとあの初夜の出来事について話し出したのである。
◇
オスカー様のお話によれば、エリーゼ様にいじめから助けてもらったことで芽生えた憧れや忠誠心を恋心であると勘違いしていたのだとか。
つまり彼はエリーゼ様に恋などしていなかったのである。
「……私には未だに信じられません……」
「あの時の私の発言では、そう思われても仕方ないだろう……だが信じて欲しい、事実なのだ……」
「……」
「エリーゼ様が他の男と話しているのを見ても、嫉妬で気が狂いそうになったことなどないんだ」
「……今なんと?」
はっとオスカー様は自らの口を手で塞いだ。
「今のは聞かなかったことにしてくれ……」
「はい……?」
なんだかよくわからないが、とにかくオスカー様がおっしゃっていることは本当らしい。
そして驚くことに、オスカー様は黒髪を毛嫌いしているわけではなかったのだ。
「売り言葉に買い言葉で、咄嗟にそう言ってしまった……すまない、君をここまで傷つけてしまうとは思いもせずに。私はこの年まで女性経験もない……君の気持ちも考えずに色々とやらかしてしまった……」
「……あの、またお聞きしますが今なんと?」
「ん?」
「女性経験が、ない……ですって? そのお顔で?」
まさか。
一度に与えられる情報量が多すぎて、頭がついていかない。
これほどまでに見目麗しい公爵令息が未だに未経験だなどと、そんなことあり得るのだろうか。
さすがにエリーゼ様と……ということはないだろう。
だが今まで女性と一つもそのような浮名を流すことも無かったというのなら驚きしかない。
「……悪いか。今まで好きになった女性などいなかったのだから仕方がない。エリーゼ様への恋心は勘違いだったのだから」
「ですが貴族令息なら、娼館の一つや二つ……」
「あんなところ、恐ろしくて行けるわけがないっ!」
「そうなのですか……」
「私は今まで誰かを愛することなどないと思っていた。だが今は違う。一人の女性とゆっくり愛を育みたい……」
「ゆ、ゆっくり愛をって……」
オスカー様の口から飛び出す少女のような願望に、私は目眩がしそうになる。
「では、初夜の件は全てが誤解であると。そうおっしゃいたいのですね?」
「……ああ。面目ない……本当ならばあの場ですぐに訂正し謝罪していれば、ここまで厄介なことにはならなかったかもしれないというのに……すまなかった」
具合が悪いのか、申し訳ないと言う気持ちのせいなのかわからないが、オスカー様のお顔は真っ青だ。
「……となると、オスカー様は黒髪がお嫌いではないということなのですか?」
ここで私はずっと気になっていたことを口にする。
「実は幼い頃に私をいじめてきた貴族の子どもが黒髪だったんだ。だから黒髪に対して少し苦手意識があったのは事実だ。だが君の髪色が嫌いだとかそんなことは一切思ってはいない……」
「そんな……」
「すまない……本当に全ては私の言葉の至らなさなんだ」
これまでの私の努力は一体何だったのだろうか。
オスカー様にこれ以上容姿を指摘されたくない一心で髪を纏めていたというのに。
初めから必要のない努力だったということなのか。
「もっと……もっと早くそうおっしゃってくだされば良かったではありませんか……嫁いできてから数ヶ月、私がどれほど辛い思いで……」
「っ……本当にすまないセレーナ……こんな馬鹿な私をどうか許してほしい……いや、許してくれなどとは言わない。だが私は……」
そこまで話すとオスカー様は急に黙り込んでしまった。
「なんですか?」
「……だから、その……私は……」
「?」
「私は君の……君のことが好きなんだ!」
「……え?」
私の中の時間が止まったような感覚に陥る。
今オスカー様はなんと言っただろうか?
オスカー様が、私のことを、好き……?
少し経ってようやくその事実を呑み込むことができた私が彼の方をチラと見ると、オスカー様は顔を真っ赤にして布団に突っ伏していた。
ただでさえお熱があったというのに、余計に悪化させてしまったかもしれない。
「何か言ってくれ……恥ずかしくてこのまま死んでしまいそうなほどだ」
「何かって……あまりに突然すぎて……私には何も……」
何も言葉が浮かばない。
何か発さなければと口を動かそうとするが、ただハクハクと魚のように唇を動かすだけになってしまった。
「セレーナ、頼む……何か答えてくれ……」
そう縋るような眼差しで訴えるオスカー様の表情は切なげだ。
その表情を目にすると胸がチクリと痛むような気がする。
だが今の私は彼と同じほどの気持ちを持ち合わせてはいなかった。
もちろん初夜の日に感じた嫌悪感は今ではだいぶ薄れつつあるし、彼が悲しい思いをしているのを見たくはないと思うようになった。
だが、それを好きかと言われると答えに迷ってしまう。
「……私はまだ、先ほどあなたがおっしゃった初夜の発言の数々を素直に受け止められないのです。誤解していた時間があまりに長かったからでしょうか……」
「そうか……」
オスカー様は目に見えて落ち込んだように俯くと、ぎゅっと布団を両手で握ったように見える。
「全ては誤解だったと説明されて、はいそうですかとすぐに切り替えられるほど、心は単純ではないのです……」
「わかっている……全ては私のせいだ」
「いえ……確かに私も頑なになりすぎて、あなたの言葉を遮ってしまったことが多々ありました」
「セレーナは悪くない。私が悪いのだ。そもそも私が最初にあのような発言さえしなければ……だがセレーナ、私は君と離縁したくないのだ。君のいない生活は考えられないっ……」
「オスカー様……」
するとオスカー様のお顔が先ほどよりも赤みを増しているように見えた。
「オスカー様、今はとりあえずそのお話は置いておきましょう。まず体調を整えることが一番ですわ。長引かせて拗らせでもしたら厄介です」
「……ああ……」
「またあとで新しいタオルとお水を持ってくるついでに、様子を見にきますから」
私は今度こそ部屋の扉に向けて歩き出す。
そしてノブに手をかけたその瞬間、掠れ声でオスカー様がつぶやく声が聞こえた。
『セレーナ……ありがとう……』
その言葉につい後ろ髪を引かれそうになりながらも、私はオスカー様のお部屋を後にした。
部屋を出た私は、先ほどのオスカー様とのやりとりを頭から振り払うように、トーランド公爵へ手紙を書いた。
オスカー様が置かれている現状、公爵令息という立場であるのに現在の執務の内容が重すぎること、そして彼は家族のために自分が犠牲になるべきだと考えているということを。
つい最近嫁いできたばかりの私が口出しすべき内容ではないだろう。
だがこのままではオスカー様が本当に心身共に壊れてしまう。
私はそんな切実な願いを込めて、その手紙を公爵に届けてもらうよう頼んだ。
◇
少ししてから再びオスカー様のお部屋を訪れると彼はぐっすりと眠っているようだったので、私は額に載せたタオルを新しいものへと交換して静かに退室する。
先ほどオスカー様から伝えられた気持ちのせいで、私の心は落ち着かない。
——オスカー様が、私のことを……好き?
確かにここ最近の彼の態度は明らかに不自然であり、この告白と結びつければ納得するものも多い。
だが初夜の出来事があまりにショックだった私にとって、彼の思いは素直に受け止めることができなかった。
オスカー様は誰かに恋をしたことがないと言っていた。
きっとお義母様やエリーゼ様以外の女性で接する機会が多くなった私に、恋をしたと勘違いしているのではないか?
……エリーゼ様への恋心を勘違いしていたくらいなのだ。
今回の恋心も本気なのかどうかわからない。
もはやそんな気さえしてくる。
——オスカー様、そのお気持ちはあなたの本心なのですか……?
答えの出ない問いに頭の中を支配されてしまったため、わたしは結局一睡もすることができなかったのであった。
お読みいただきありがとうございます。




