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突然の抱擁

「オスカー、かなりやつれた顔をしていますね。やはり執務が大変なのですか? お父様にもう少し負担していただくよう私からも言っておきますね。手を抜けるところは抜くようにしないと、あなたが倒れてしまいますよ」

「大丈夫ですよ母上。お気になさらず」


 その晩、珍しく早めに帰宅されたオスカー様を交えて私たちは食卓を囲んだ。

 オスカー様もご両親と会うのは結婚式以来のようだ。

 お義母様は息子を心配して色々と気にかけているようだが、肝心のオスカー様はそっけない態度。

 綺麗な所作で淡々と食事を口に運んでいる。

 彼と公爵夫妻の間には距離があるという話はあながち間違っていないようだ。


「それにしても……なんだか食堂の雰囲気も変わったかしら? 温かみが増したというか…この椅子もクッションがあって座りやすいわ」

「お義母様が長時間お座りになっても体が痛くならないように、急遽クッションを用意させたのです」


 お義母様は非常な華奢な方であるとアンナから耳にしていた私は、使っていない部屋に放置されるように置いてあったクッションを綺麗に洗い、食堂の椅子に敷いたのである。


「本当にセレーナちゃんは気が利くのね。うちの男性陣とは大違いだわ。ねえあなた」

「うっ……すまない」


 お義母様にそう指摘された公爵は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「既にアンナから聞いているとは思うけど、私は二十年ほど前に大病をしたの。そこにいるオスカーが三歳くらいのときだったかしら」

「はい、存じております」

「そのときはこの人ったら仕事一筋で家庭のことなど顧みなくてね。私のこともオスカーのことも、屋敷の人たちに任せきりで」


 今の公爵の様子からは全く想像もできないほどであるが、当時の公爵は病弱な妻と子を放っておいたらしい。


「そうしたら、思いの外私の具合が悪くなってしまって。一時は命も危ういかもしれないと言われてしまったの」

「それは初めてお聞きしましたわ」

「その知らせを聞いたこの人の顔といったら……思い返しても笑ってしまうわ。それからは人が変わったようにお見舞いにきてくださるようになって」


 ちら、と公爵のほうを見ると少し顔を赤らめながら食事を口に運んでいる。


「でもその分オスカーには寂しい思いをさせてしまったから……口ばかりで何もあの子のためにできていなくて」

「私なら気にしておりませんよ母上。もう私も大人ですので」

「だからセレーナちゃんがオスカーのところにお嫁に来てくれて、本当に嬉しいわ」

「せ、セレーナちゃん!?」


 知らぬ間に母と妻が仲良くなっていたことに驚く様子を隠すことのできないオスカー様は、裏返った大声を出した。


「やあね、そんな大声を出して」

「……失礼いたしました」

「あなたには、幸せな家庭を持って欲しいのよ。でもまだ新婚さんですものね。私たちとしてはいつでも大歓迎だけれど、あなたたちのタイミングで頑張ってね」


 そう言うとお義母様はニッコリ笑った。


「あの、頑張るとは、何を……?」

「子作りよ」


 スパッと言い切るお義母様の正面で、ぶっと何かを吹き出したオスカー様。


「え、ちょ!? オスカー様何してるんですか!? 汚ない……」

「し、仕方ないだろう……! 母上がおかしなこと言い出すものだから……」


 口に含んでいたスープを吹き出したであろうオスカー様は、控えていた侍女からナプキンの替えを受け取り口を拭く。


「突然やってきたかと思えば、おかしなことをおっしゃるのはやめていただきたいです母上」

「あら、おかしなことではないでしょう? あなただってもう二十六になるというのに。トーランド公爵家の跡取りはあなただけなのだから」

 

 まあ、私をこの家に嫁がせた目的は跡取りを産んでもらうということ。

 公爵夫妻が一刻も早く子どもを、と望む気持ちはわからないでもない。

 だが厄介なのは、私たちの間に子どもが生まれることはあり得ないということである。

 そもそも閨を共にしていないのだから、子どもなどできるはずがなく。

 来年の今頃は離縁しているはずだと伝えたら、お義母様は再びお倒れになってしまうかしら。

 

 ああ。色々と面倒だ……。


 そんなことを考えているうちに、満腹になったことも相まって欠伸が出そうになった。

 流石に公爵夫妻の前なので、ナプキンで鼻から下を押さえて欠伸をかみ殺し、そのまま涙が滲んだ目元をサッと押さえて何事もなかったかのように食事に戻る。

 何の気なしにちらっとオスカー様の方に視線を向けると、彼がギョッとした顔で私を見ていることに気づいた。


 しまった、欠伸がバレたのか。

 まあいいだろう。


 私は素知らぬ顔でグラスを傾ける。


「……お言葉ですが母上、セレーナはまだ嫁いできたばかりの身。環境が変わり慣れるだけでも精一杯なのです。これ以上彼女を追い詰めるような発言はおやめください」


 するとオスカー様はお義母様を嗜めるような発言をしたのだ。

 お義母様はパチパチと瞬きをして驚いたような様子を見せる。


「あ、ああそうね……私ったらごめんなさい。あなたたちが決めることですものね。セレーナちゃん、今の言葉は忘れてちょうだい」

「いえ、お気になさらず……」


 オスカー様がこのような発言をしたことは正直意外であった。

 今までの彼ならば、お義母様の言葉をのらりくらりと相槌を打って流してしまいそうだからである。


 ハッキリとお義母様の言動を制する態度に私は戸惑うとともに、なぜか胸が苦しくなった。


 このお方がエリーゼ様のことをお慕いしていなかったならば。

 そうしたら今頃は気まずさを残しながらも和解し、やがては仲睦まじく公爵令息夫妻として暮らしていたのだろうか。

 私の望んでいた未来がそこにはあったのかもしれない。



 結局それから食卓が何とも微妙な空気になってしまい、その日は早めのお開きとなった。

 どっと疲れが出た私は足早に自分の部屋へと戻ろうとしたのだが、廊下で突然オスカー様に呼び止められる。


「セレーナ、今少しいいだろうか」

「……明日ではいけませんの? 私疲れてしまって」

「手短に終わらせる」


 廊下で言い争いになって公爵夫妻や使用人たち聞かれたら困るので、初夜以来遠ざかっていた夫婦の寝室に渋々足を踏み入れる。

 すると、目の前の光景に驚いた。


「え……」

「どうかしたか?」

「オスカー様、あなたはここでお休みになっていたのですか?」


 あの初夜の日に私がこの部屋を飛び出してからというもの、夫婦のために用意された寝室は使われていないものだとばかり思っていた。

 私と同じようにオスカー様もご自分の寝室で眠っているのだと。

 しかし今目の前に広がるそこは、確かに人に使われている気配を感じる。


「ああ……あの日以来私はここで眠っている」

「なぜですか……?」

「いや……こんなことを言ったら気味悪がられる」

「構いません。話してください」

「……君がいつ戻ってきてもいいように……と思って……」


 最後の方は声が小さくなりよく聞こえなかったが、オスカー様の顔は真っ赤になっている。


「……」

「すまない、気持ち悪いだろう? 忘れてくれ」

 

 私は何と答えればいいのかわからず、言葉が出てこない。

 オスカー様はその態度を呆れからくるものであると勘違いしたようで、ガックリと肩を落としている。


「いいえ……私こそ、変なことを聞いてしまってすみませんでした。……それで、お話ししたいこととはなんですの?」


 この嫌に気まずい空気をなんとかしたくて、私は話題を変えた。

 私の発言に、オスカー様は少しホッとしたような表情を浮かべると口を開く。


「君に謝りたいと思ってだな……母が無礼なことを言って、すまなかった」


 そう言ってオスカー様は頭を下げたのだ。


「私、別に気にしておりませんわ」

「だが……君は……」

「なんですか?」

「君は泣いていたではないか!」


 ……私がいつ泣いていたというのか。

 必死に先程の記憶を手繰り寄せる。

 そしてある一つの可能性に至った。

 もしや。


「……あの、私泣いておりません」

「なんだって!? いや確かに君は涙目になってナプキンで目元を覆っていたではないか!」

「まさか……あれは、目にゴミが入っただけですわ」


 さすがに欠伸をしていたと話す雰囲気ではなく。

 私は咄嗟に嘘をついて誤魔化した。


「……本当にそうなのか? 私に気を遣って言っているのでは……」

「あなたに気を遣う必要などありません」

「だがしかし……」

「どうせ離縁するのですし、気にしておりませんから大丈夫です。オスカー様ももう忘れてくださいませ」


 こんなことが言いたかったわけではないのにまた強気なことを言って、つくづく可愛げのない女だ。

 気まずさを誤魔化すかのように寝室から出ようとオスカー様に背を向けた私に、まだ何か言い足りないのかオスカー様は再び口を開いた。


「そのことなのだが」

「……」

「私は君に誤解させてしまっていた」

「何をですか?」

「私はエリーゼ様のことは好きではないのだ!」


 オスカー様の大きな声が部屋中に響き渡り、寝室の時間が止まったように感じる。

 突然告げられた内容が私の頭の中でぐるぐると回った。


「……今なんと?」

「私はずっと、エリーゼ様への気持ちは恋だと勘違いしていたっ……今まで恋だと思っていた気持ちは、単なる憧れと忠誠によるものであったのだ……」

「おっしゃっている意味がよくわかりません」

「今話した通りの意味だ」


 全く意味がわからない。

 初夜の日にあれほどエリーゼ様のことを私に話しておきながら、実はあれは勘違いで恋ではなかっただと?

 十代の少年ならまだしも、二十をとうに過ぎた男の台詞とは思えない。


「ふざけるのはいい加減にしてください。私のことを馬鹿にしているのですか?」

「そのようなつもりはないっ……」

「信じられません」

「信じてくれなくとも構わない……だがこれは事実なのだ」


 オスカー様は両拳をぐっと握りしめながら俯く。


「それほど閨を共にしたいのですか?」

「……は?」

「エリーゼ様のことを誤魔化してまで私の機嫌をとって、そこまで夫婦の営みをご希望ですか? だから寝室に誘い込んで……」

「何を言って!? 違うっ!」

「それならばなぜ、あの初夜の日にそうおっしゃらなかったのですか?」

「あの時はまだエリーゼ様への気持ちが恋であると勘違いしていて……」

「それではどうしてようやく今になって恋ではないと気づいたのですか? ……本当に意味がわかりません」

「話せば長くなる……だが、君は誤解をしている!」

「私こそ、あなたが何を考えているのか、さっぱりわかりません。ただあなたの行動は、私を馬鹿にしているものばかりですわ」


 今度こそじわり、と本当に涙が出てきた。

 惹かれていたお方だからこそ、お互い誠意を持って夫婦として結ばれたかったというのに。


「っセレーナ、泣くでない……」

「……っ!?」


 次の瞬間、私はオスカー様に抱きしめられていた。

 ぎゅっと抱きしめられた胸板は、思っていたよりも男性のそれである。

 爽やかな香水の香りが鼻をくすめ、私は気がおかしくなりそうになった。

 再び彼のことを男性として意識してしまいそうになる。


 オスカー様の気持ちがわからない。

 これほどまでに仲がこじれる原因となった発言の数々を、今になって彼は否定し始めている。

 それが本心からくるものなのか、偽りなのかが私にはわからず怖いのだ。


「っ……」


 気付けば私はオスカー様の胸元をドンッと押していた。

 二人の体は簡単に離れていく。


「セレーナっ……すまない……」


 私は背中から聞こえるオスカー様の謝罪に振り向くことなく、走るようにして夫婦の寝室を出て行ったのである。

お読みいただきありがとうございます。

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