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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

落ちこぼれ令嬢は最強の魔女 〜ぐうたらしてたいのに皇太子殿下のせいでぐうたらできません!〜

作者: おもち




───バシャッ



頭から水をかけられたルーシャは抵抗することも無く、ただ床を見つめていた。


「あははっ、いい気味ね!代々優秀な魔術師や魔女を輩出する我がベーラルヴァ公爵家の汚点、落ちこぼれのルーシャ!」

「………」

「魔法が使えないあなたのことなんて誰も気にもとめない!せいぜい私の邪魔をせずに、一生この部屋で過ごせばいいわ!」



姉のリリスはいつもこう。ルーシャが何をしていても、何もしていなくても、唐突に現れては暴言を吐いて、魔法を使ってルーシャを虐げる。それを執事や侍女たちは見ているけど、『落ちこぼれ令嬢』と呼ばれるベーラルヴァ公爵家の汚点であるルーシャを助けようとは思わない。


───いつも見て見ぬふり。


でもそれが悪いとは思わない。周りから優秀な魔女と呼ばれるリリスは皇太子殿下の筆頭婚約者候補だ。そして筆頭公爵家の長女でもある。両親もリリスを溺愛していて敵に回しては危険な存在。


だから使用人はルーシャをいない存在として扱う。それが自分たちにとって1番いい方法だから。



けれどそんな日々も今日でおしまいだ。



(この私が『落ちこぼれ』と言われるなんて。前世ではありえないことね)



ルーシャは今日、突然として前世の記憶を取り戻した。自分が『落ちこぼれ令嬢』なんかではなく、『最強の魔女』としての記憶を。


前世のルーシャは今も語り継がれる最も偉大なる魔女・アステリア。アステリアは膨大な魔力を持ち、あらゆる魔法を使いこなした。彼女に使えない魔法などなく、溢れんばかりの才能を持って自らも新たな魔法を創り出し、世界を導いた。



「それにしてもお姉さま、水をかけるなんて、酷いことをするわ。今が暖かい季節で、私が記憶を取り戻したからよかったものの、人間の体は脆いのだがらすぐに風邪でもひいてしまうわ」


ルーシャは座り込んだまま無詠唱で魔法を使って、濡れた体や服を乾かした。


「無詠唱で魔法を発動させたけれど、どうやらこの体は前世と同じ量の魔力を持っているみたいね。けれど扱い方がわからなくて魔法が使えなかったのかしら」


ルーシャは空中に鏡を生み出して、自分の姿を確かめた。そしてその姿に思わず唇をとがらす。


「むう。この私がこんな相応しくない姿をしているなんて」


アステリアは長く美しいライラック色の髪に、人々を魅了するマゼンタの瞳をしていた。そして女性らしい体つきに長い手足。アステリアは魅惑の美貌を持った美しい魔女であった。


けれど今のルーシャは違う。手入れがされておらず、伸ばしっぱなしで枝毛があるシルバーブロンドの髪。前髪なんて伸びすぎて瞳の色が見えない。痩せこけてくすんだ肌。栄養失調の棒のような手足。何もかもが前世とは大違いだ。


ルーシャは体中に魔力を張り巡らせ、修復、修繕、調節……と魔法を重ねがけしていく。そして体を包み込んでいた魔力が無くなると、もう一度鏡を出して自分の姿を見た。


「まあ、とりあえずはいいかしら。痩せすぎた体は魔法で回復させたけれど、やっぱり何かしら食べないとダメね。瞳は前世と同じくマゼンタ……」


前髪は目の上で綺麗に切りそろえられており、今は長年見えなかったルーシャの瞳の色がよく見える。視界も広くなり、心做しか景色が明るく見える気がする。


「まずはご飯を食べましょうか。くたびれた服

もさっきの魔法で変えたし、問題なく外を出られるわね」


アステリアの記憶がない時はルーシャ自身でこの物置部屋から出ることはなかった。この扉を開けると全員がルーシャを『落ちこぼれ令嬢』としてしか見ないから。そんな視線がルーシャは怖かった。


けれど今はそんなことはない。アステリアの記憶を持つルーシャに怖いものなんてない。



だって最強の魔女だから。



部屋を出て食堂に向かう。今の時間なら両親もリリスも昼食を摂るために食堂にいるころだろう。そしてそのせいでルーシャには遅れて昼食が部屋まで運ばれてくる。最悪な日だとそのまま一日忘れられて空腹のまま過ごすことになる。


(これ以上食事を抜いてはいけないわ。17歳なんてまだ育ち盛りなのだから)


誰もいない廊下をコツコツと歩いていく。小さい時以降、あの部屋から出ていないため昔の記憶を頼りに食堂へと向かう。


無事に食堂へと着くと、扉の前には給仕の使用人がいた。彼は初め、ルーシャのことを分からなかったが、今目の前にいる人物がルーシャだと分かると面白いほどに狼狽えた。


「! お、お嬢様……」

「扉を開けて」

「し、しかし今は旦那様方が……」

「私は開けて、と言ったのよ」

「……っ」


声に多少の魔力を乗せただけで給仕は軽く竦んだ。震えながら扉を開ける姿は大型動物に怯える小動物のようだ。


(これじゃあ、私が虐めているみたいに見えるじゃない)


ルーシャはため息をつくと扉をくぐり、中へと入る。そこには家族三人で楽しそうに食事をする姿があった。


「失礼します。私も食事に混ぜてくださいな」

「「「……!」」」


微笑みながら席に着くと、あんなに和みながら食事をしていた3人は鬼のような形相でこちらを睨んでくる。


「……何をしに来た。ここはお前がいるべき場所では無い」

「初めに言ったでしょう。食事に来たのです、お父様。そもそも食堂には食事をする以外に来ないでしょう」

「あ、あなた、お父様に失礼でしょっ!」


ルーシャの切り返しに父は持っていたナイフを強く握る。怒りを必死で押えているのがわかる。それに対して姉・リリスは感情の赴くままに行動する。世界は自分中心と疑っていない。


「っだいたい、あなたその姿は何!?ついさっきまではボロボロだったくせに!その服だって私のものじゃないでしょうね!?」

「そんなに大声を出さなくとも聞こえるわよ、お姉さま」

「っ『落ちこぼれ』のくせに生意気なのよ!」

「はいはい。それと先ほどの質問だけれど、これはお姉さまのものではないわ。髪だって切ったのよ。あの姿は私に相応しくないもの」


マゼンタの瞳を細めてリリスを見ると、顔を真っ赤にして怒っていた姿が弱々しくなり、顔は青白くなった。


「あ、あぁ……」

「そんなに怯えないで、お姉さま。私は食事に来ただけなのだから。用が済んだから出ていくわ。だから静かにしていて。ね、お父様もお母様もいいでしょ?」


有無を言わせないように魔力を乗せて喋ると、父も母も喉を詰まらす。なんとか絞り出した二人の了承の声にルーシャは満足し、給仕に声をかける。


「お父様たちも許可してくれたから、早く食事を持ってきて」

「は、はい!ただいま持ってきます!」


慌てて出ていった給仕を見送ると、先程からチラチラと見てくる三人に目を向ける。三人はルーシャがそちらを向くとサッと視線を下げ、目を合わせないようにした。


(害がないなら別にいいけれど)


運ばれてきた料理をルーシャは完璧な作法を持って食べ進めていく。その姿にこの場にいる誰もが驚きを隠せない。ルーシャに魔法の才がないと分かった時から、両親はルーシャに対して教育を施すのを止めた。


そのせいでルーシャは貴族が学ぶはずの一般教養すら身についていない。一度だけリリスの誕生日ということもあり、家族内だけの小規模パーティーを開いたとき、ルーシャは案の定教育を受けていないせいで一人浮いてしまっていた。


それを両親やリリスは貶しながらも嘲笑うという、人としてどうかしているとしか思えない所業をした。ルーシャはそれを機に『落ちこぼれ令嬢』としての名が急激に広まっていった。


(……けれど、もう二度と『落ちこぼれ』なんて言わせないわ。『落ちこぼれ』ほどこの私に似合わない言葉はないもの)


カトラリーを料理に合わせて変えていき、1口サイズに切り分けて口に運んでいく。シャキシャキと歯ごたえのあるサラダはドレッシングとよく合い、咀嚼する度に野菜の新鮮な甘みが広がる。お肉は柔らかく煮込まれており、スっとナイフが通って簡単に切れる。


(やっぱりあとから運ばれてくるものとは全く違うわね)


ルーシャはひと口ひと口を噛み締めながら料理を口に運んでいく。お腹がすいていたこともあり、運ばれてきた料理はあっという間に食べ終えてしまった。


「ふう、美味しかったわ。夕食も楽しみにしているとシェフに伝えてちょうだい」

「は、はい!」

「それでは邪魔者はこれにて失礼致します」

「待ちなさいよ」


席をたち、その場から離れようとするルーシャを予想通り引き止めたのは姉のリリスだった。


「どうかしましたか? お姉さま」

「どうしたも何もないわよ!あなた、『落ちこぼれ』だと言うことを忘れたんじゃあないでしょうね!?」

「……ふふっ、『落ちこぼれ』ですか」

「な、何がおかしいのよ」


あまりにも同じことを繰り返すものだからルーシャはつい、我慢できずに吹き出してしまった。


「ご安心下さい、お姉さま。私は今まで通り、あの部屋で大人くしく過ごしていますから。お姉さま方が何もしてこない限りは、ですが」

「っ、強がりもその辺にしなさい!あなたと私とでは魔女としての格が違うのよ!魔法が使えないあなたとは比べるまでもないけれどね!!」

「そうですね。……確かに、お姉さまの言う通り()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですね」


ルーシャはあえて強調して言ったがその事に誰も気づかない。それこそが自分たちの魔女、魔術師としての力が三流以下だと知らしめているようなものなのに。


「はっ、分かればいいのよ!これからも私には逆らわないことね!」

「そうですね、以後気をつけます。それでは今度こそ、失礼致します」


欠点など見つからない美しい一礼をして、ルーシャは食堂を出た。実は帰りで迷わないようにここに来るまでに魔力の糸を部屋から出してきたため、帰るのにはそう苦労しなかった。



物置部屋へと帰ると、服を簡素なものへと魔法で変えてベッドへダイブする。もちろん、固くてゴワゴワしたベッドではなく、ふわふわで触り心地の良いベッドに変えてからだが。


「ああ〜、疲れたわ。料理は美味しかったけれど、あの重い空気は精神をごっそりと削るわね」


ベッドの上でごろごろと寝転がる。ルーシャはぐうたらと過ごすことを密かに夢見ていた。


(お父様もお姉さま達も私にここで一生を終えて欲しいみたいだし、その言葉に甘えちゃおうかしら?前世ではちーっともぐうたらできなかったんだから!)


ルーシャの前世・アステリアは常に人々から偉大なる魔女として持ち上げられ、ほんのちょっともぐうたらなんてできなかった。


「食事の時以外はこの部屋から出なくていいなんて最高すぎるわ!お姉さま達も私も幸せなことしかないんだから」


ぐうたらすると決めてルーシャは早速お昼寝の時間と称して、寝ることにした。



ちなみにそのせいで夕食を食べ過ごしてしまったルーシャだったが、ようやく手にしたぐうたらに気分が勝り、ルーシャの空腹は吹き飛んだのであった。





* * *





「はあ〜、今日も平和で素敵な一日ね」


二度寝して目覚めたルーシャはとても気分が良かった。最近は姉のリリスがこの部屋に来ないのだ。


ちょっと気になって魔法を使って調べてみたところ、どうやらリリスは皇太子殿下の筆頭婚約者候補として皇宮で指導を受けていることがわかった。


(確かにお姉さまの礼儀作法ってお世辞にも綺麗とは言い難いものだったものねえ)


優秀な魔女であり、筆頭公爵家の長女、そして皇太子殿下の筆頭婚約者候補のリリス。そんなリリスは周囲から散々甘やかされて過ごしてきたせいで、前世の記憶を取り戻すルーシャまでとはいかなくとも、公爵家の者としてはお粗末な礼儀作法を身につけていた。


「あれじゃあ、いくら公爵家の出身だとしても皇家としては娶りたくないわよ。皇后は皇帝と同じく、その国の代表つまり顔となる存在なんだから」



ルーシャは魔法で着替えて、空腹を訴えるお腹を大人しくさせるために食堂へと向かった。





* * *





記憶を取り戻してから早2週間が過ぎた。ルーシャは可愛らしい顔を歪ませた自分の顔を鏡越しで見ていた。


(やっぱり欠席しようかしら……)


ぐうたらしていたいという気持ちが強まり、ルーシャは自分の父親を酷く恨んだ。





事の発端は1日前。ルーシャはいつも通り、ぐうたらして好きなことをしていようと思っていた時、突然として父親に呼ばれたのだ。ここ最近は食堂で会っても面倒な争いを避けるためにお互い顔を合わせないようにしていたはずなのに。


『ねえ、お父様はどんな理由で私を呼んだのかしら?』

『……それは私の口からはお答えできかねます。私は旦那様よりお嬢様をお連れするように指示されただけですので』

『───そう』



父親の側近が執務室まで案内するとルーシャはため息をついて扉をノックした。


(今すぐにでも引き返したいところだけれど、こんなことで私のぐうたら生活を邪魔されては困るわ)


中から「入って来なさい」と声がかかり、ルーシャはドアノブを回して部屋へと入る。部屋はアンティーク物で統一されており、渋みの感じる大人な部屋だ。そして部屋にあるふたつのソファーの一つには父親と、あまり予想していなかった母親の姿があった。



『……お呼びでしょうか、お父様、お母様』

『まずは座りなさい。話はそこからだ』

『───分かりました』


一礼をしたルーシャの挨拶に両親は冷たく返す。ルーシャはそんな2人をつまらないものを見るような目で見ると静かにソファーに座った。


ルーシャが座るのを見計らうと、父親は徐に口を開いた。


『ルーシャ、お前には明日の皇太子殿下の生誕パーティーに参加してもらう』

『……は? とうとうボケ始めましたか?』

『っ、今なんと言った……?』

『あら失礼しました。つい本音が出てしまいました。それで皇太子殿下の生誕パーティーですか?』


口を押えて目を丸くするルーシャに父親は茹でたこのように顔を赤くする。けれどルーシャはそんな父親に目もくれず、先程聞こえてしまった、できれば嘘でありたいと思う言葉を口にした。


『そうだ。今回のパーティーにはお前も出席してもらう』

『……お父様たちは私があの部屋から出ないことを願っているように感じていましたが……違いましたか?』

『っ、それは今も変わっていない!お前のような落ちこぼれなんぞ、我が公爵家にいるというだけで末代までの恥だからな!!』


唾を飛ばしてきそうなほど口荒く言う父親に、ルーシャはつい無詠唱で魔法壁を張ってしまった。仕方あるまい。だって唾飛ばされたら嫌なんだから。


『───でしたら尚のこと、私をパーティーに出席させるのは痛手では?』


本心はパーティーなんていう、ぐうたらとは無縁の場所になんて行きたくないというものだが。


『そんなことは分かっている。けれど皇家から我々に招待状が送られてきたのだ。お前の名前も一緒になっ!』

『はあ……。そんなに逆ギレされても困るのですが。……でも皇家からの招待状、ですか。確かにそれでは欠席不可ですね』

『そうだ。もしこのパーティーに出席しなければ皇家への反逆と見なされる』


(あら、なんて素敵な言葉かしら)


と思ったことは内緒だ。正直、この家が反逆罪として処罰されても構わないが、こちらに被害が来るのは避けたい。ここは仕方がないが、出席するのが1番いいだろう。



『……分かりました。パーティーに出席します』

『ふんっ、初めからそう言えばいいものを』

『……先程から思っていたことですが、私が最大限お父様たちを尊重しているということをお忘れなく。私はこの家がどうなろうとあまり気にしませんので』

『な、な、なにを……』

『ドレスは適当に選んでください。ただし、選んだドレスを着るのは私ですが、あまりにも場違いなドレスを着せると、公爵家の品位を疑われるようなことになりかねないので十分にご留意を』


ルーシャは言いたいことだけを言ってソファーから立ち上がった。カチンと固まっている父親に目を向け、先程から鬼のような形相で見ていた母親を一瞥し、部屋を出た。


(あーあ、パーティーなんてぐうたらできないのに、なんで貴族はパーティーを開きたがるのかしら)


ルーシャは周りに誰もいないことを確認した上で転移魔法を発動させ、一瞬にして部屋に戻ってきた。これは決して歩いて帰るのが面倒だったからという理由ではない。


ベットに腰かけたルーシャは少しでもぐうたらを堪能するために二度寝したのであった。





そして今に至る。



両親が選んだドレスはルーシャの言葉が効いたのか、繊細な刺繍が施された清楚なドレスだった。楝色を基調としたふんわりとレースが重なるデザインで、セットで送られてきたピンクサファイアとよく合う。



美しく着飾ったルーシャは誰よりも美しい。吸い寄せられるような魅惑的なマゼンタの瞳にきめ細やかな肌。女性らしい体つきで出るとこは出て、引っ込むところは引っ込むという、誰もが羨む体型。


そう、今この時ルーシャの表情も女神のごとく微笑を浮かべていれば完璧であった。けれどルーシャは着飾る時間が長くなるにつれ、段々と表情筋が死んでいき、ついにはパーティーになんて行きたくないと思うようになってしまったのだ。


「お、お嬢様……」

「? なにかしら」

「あの……パーティーですので笑顔になられた方が良いかと……」

「そうしたいのは山々だけれど、残念ながら表情筋が言うことを聞かないの。パーティー会場に着くまでには言うことを聞かせるように努力はするわ」

「皇太子殿下の生誕パーティーですので公爵家の次女としての威厳を……」

「そうね、なるべく努力するわ。あなたの無駄話が多くなったようだから準備は終わったみたいね。それならもう行くわ」


今から面倒なことしか起きないというのに、なぜ今も面倒な会話をしないといけないのか。ルーシャは着いてこようとする侍女を引き離し、馬車へと向かう。そこには既に両親とリリスが待っていた。


「どうやらお待たせしてしまったみたいですね。遅くなり、申し訳ありません」


ルーシャは軽く頭を下げる。その様子にリリスら案の定、突っかかってきた。


「一体どれだけ待たせる気!?皇太子殿下のパーティーに遅れるでしょう!」

「すみません、お姉さま。何しろ久しぶりのパーティーなので準備に時間がかかってしまいました」

「っ、ふん!準備ができたのならいいわよ。早く馬車に乗って!」


リリスに催促されてルーシャは馬車に乗り込む。馬車の中は狭く、人と人との距離がとにかく近い。けれど誰も言葉を発しない。


(むしろ口を開かなくて楽だけれど)


窓の外を見ながら移り変わっていく景色を眺めていた。




パーティー会場である皇宮に着くと、そこには多くの馬車が連なっていた。馬車でいっぱいになるそこは人口密度が高く、今すぐにでも転移で帰りたい。けれどそんなことをしたら今後のぐうたら生活に終止符を打ってしまう気がして大人しく待つことにした。



ようやく人がパーティー会場へと入っていくとその場の人口密度は下がり、ルーシャたちは馬車から降りられるようになった。


「相変わらずここは人が多いな」

「私もパーティーでよく来ますが、やはり皇太子殿下の生誕パーティーということもあり、多くの貴族が来ているようですね」


父親は仕事場として、リリスは社交場として、よく皇宮に来ているらしい。リリスは大のパーティー好きで今では皇后陛下を除いてリリスが社交界の女王となっていると知った。


(常に気を張っていないと足元をすくわれる社交界の女王になったってぐうたらなんてできないのに)


アステリア時代では周りからパーティーに出席するように言われ、いやいや出席したパーティーで社交界の中心的存在になってしまい、定期的に出席しなければいけなくなったのだ。そのせいでアステリアは『ぐうたら』という言葉とはまたさらに程遠い生活を送る羽目になったのだ。



皇宮で仕える執事に案内され、ルーシャたちは今回のパーティー会場であるサファイア宮殿へと向かう。


───が、行く先々でルーシャは蔑まされるような視線を送られていた。


(私の『落ちこぼれ令嬢』としての噂を聞いての視線かしらね。───愚かにも程があるわ)


ルーシャは隠蔽魔法を使いながら周りに魔力の圧をかけていく。手加減したとはいえ、この魔力の圧を抜けられる者はこの時代にはいない。周りは突然として息苦しくなったことで、ルーシャに視線を送る暇などなくなり、すぐにその場を逃げるように去っていった。



(呆気ないこと……)



ルーシャはその様子を見て、つい、笑ってしまったのだ。それを見ていたリリスは奇妙なものを見るような目でルーシャを見た。


「いったい何を笑っているの……?」

「いいえ、何でもありません。───ただ強いて言えば身の程をわきまえない可愛らしい小鳥を見ていたのです」

「? 気味の悪いことを言っていないで早く歩きなさいよ」

「ええ、分かりました」


足を止めていたリリスはすぐに前を向き、歩き始めた。ルーシャもリリスを追いかけるように歩き始める。



サファイア宮殿へ着くと入り口で待機している騎士の呼び声で扉が開いた。


「ベーラルヴァ公爵家のご到着です!」


重そうな扉だがキギィと不穏な音はせず、滑らかに扉は開く。中からは金管楽器や木管楽器のハーモニーが響き渡る。



「見てみて!リリス様よ〜!皇太子殿下の筆頭婚約者候補にして、あの偉大なる魔女・アステリア様の生まれ変わりと言われるリリス様!」

「本当だわ!いつ見てもお美しいわ」

「今回の皇太子殿下の生誕パーティーではリリス様と殿下の婚約発表があると噂で聞いたわ」


やはり社交界の女王らしくリリスは社交界で広く認知されている。入った瞬間からこれだ。ちらりとリリスの方を見ると優越感が隠せてない表情をしている。


それに対してルーシャはと言うと……


「ねえ、リリス様の隣にいるのって『落ちこぼれ令嬢』?」

「そうじゃない?ここからじゃ、よく見えないけど」

「リリス様と姉妹なんて信じられないわよね」


まあ、ここも予想通りと言ったらと予想通りの反応だ。散々『落ちこぼれ』としての噂が流れているのだ。社交界でのこの反応も頷ける。


ルーシャは入ってくる時、あえて両親やリリスの影に隠れるような形で入場した。けれど背筋を伸ばし、つま先から頭のてっぺんまでも意識してルーシャは優雅に1歩、1歩とリリスの前に出た。


「───! ねえ、ちょっと待って……」

「本当に『落ちこぼれ令嬢』なの……?」

「信じられない……。すごく綺麗」


周囲の反応が一気に変わったのをルーシャは肌で感じた。それを感じながらまた更に1歩前に出て、ルーシャは美しく一礼をした。


「まあ……!!」

「完璧だわ!」

「あんなに美しい礼を見たことがない!」


目の前からは賞賛の視線を、背中からは嫉妬や憎悪、苛立ちといった視線を浴びる。皇族は既に入場しているため、ルーシャたち一行は皇太子殿下に生誕を祝う言葉を述べるために殿下の元へ移動した。



「この度は18歳になられたことを心からお祝い致します。一家を代表して殿下に祝辞を述べさせて頂きます」

「ああ」

「娘も殿下のためにより一層の魔女としてよ才を磨くでしょう」


父親もリリスが皇太子の婚約者となることを望んでいるのか、ちゃっかりアピールも忘れないところが古狸らしい。


(まあ、ぐうたらできるなら何でもいいけど)


父親の長い祝辞を聞いているとルーシャは眠くなってきてしまった。つまらなく、内容が薄っぺらすぎてルーシャの脳に刻まれなかったのだ。なんとか堪えようとしても眠気は益々強くなるばかり。


(こんなつまらない話を真顔で聞き続けられるなんて、皇太子殿下はよほどの精神力をお持ちのようね。尊敬するわ)


ルーシャは寝ないことを第一に考え、新しい魔法の構築理論を考えることで何とか長い祝辞を乗りきった。だが魔法理論ばかりを考えていたせいで、皇太子がルーシャの方を見ていたことに気づかなかった。



皇族への挨拶が終わると、ルーシャたちはそれぞれ行きたいところへ行った。友人のところ、事業の仲間、夫人同士の会合、そして飲食物コーナーへと。



(この飲み物、サッパリしていて美味しいわね。炭酸が入っているところもお気に入りポイント高いわ)


ルーシャは今日のパーティーのために朝から何も食べていなかった。貰えたのは水のみ。美しい体型のままドレスを着るには仕方がないと侍女たちは言っていたが、そんなことは健康に悪影響だ。


(そもそもコルセットなんてしなくとも、今の私は十分美しいわよ。でも早く帰りたいわ。やっぱりパーティーなんているだけで疲れるんだもの)


ルーシャはため息をつき、夜風に当たるためにテラスへと行こうとした。そのとき、ルーシャはとある気配を感じた。


(───! これは、殺気……?)


背中がヒリヒリと痛む気配。前世で感じていた気配。けれどこの殺気は直接ルーシャに向けられたものでは無い。


ルーシャは勢いよく背後を振り返り、殺気の先を見る。そこには皇太子がいた。


(まさか皇太子殿下を暗殺しようとしている……?)


面倒事は避けたいが、避けたことによりさらに面倒が降りかかることだけは避けたかった。


「……はあ、仕方がないわ。私のぐうたら生活を邪魔されたくは無いもの……って、これ上級魔法じゃない……!」


魔法の気配を探ると、相手が使おうとしている魔法はこの場を吹き飛ばす勢いの上級魔法だということがわかった。相手は既に詠唱を始めており、このままだと約30秒後に魔法でこの場が吹き飛ぶ。


「どれだけ皇太子殿下を殺したいのよ……!」


この手の魔法はルーシャほどの魔女となると無詠唱でキャンセリングが可能だ。けれど詠唱されている分、相手の細かな魔力にまで気を使わないといけないため下手をすると途中で爆破してしまう恐れがある。


「こうなったら相手が魔法を放った瞬間に結界で閉じ込めるしかなさそうね」


ルーシャはヒールをカツカツっと鳴らしながら皇太子殿下のいる場所へと走る。周囲は突然のルーシャの奇行に驚きを隠せないが、そんなことに構っている暇はなかった。


(……結構ギリギリかもしれないわね。皇太子殿下と敵のちょうど間に位置取るのがベストなのだけれど)


ルーシャの想像よりも相手が詠唱を終えようとしているスピードが早かった。魔力が膨れ上がっていくのがわかる。そこでようやくパーティーの参加者は高魔力の存在に気づいた。


「きゃぁぁぁ!」

「な、何だこの魔力は……!!」


逃げ始める周囲のおかげで少しの空間ができ、ルーシャはスピードを上げて皇太子殿下の元へ向かう。そこには悲鳴をあげて皇太子殿下の腕に捕まるリリスの姿もあった。


「いやぁぁぁ!怖いわぁ!」

「ベーラルヴァ公爵令嬢、腕を離してくれないか……?」

「殿下は私のことを見捨てるのですか!?」

「いや、そうでは無い。このままでは結界魔法が張れない!」


(なにこの状況……)


着いてそうそう、これだ。ルーシャはつい頭を抱えたくなった。そもそもリリスは優秀な魔女だと言われているはずだ。誰かに助けを求めるよりも自分でなんとかした方が絶対に早い。


(……まさか大して魔法を使ったことがないとかじゃあないでしょうね……?)


ルーシャはその考えを否定しなかったが、どう考えてもそれしか思いつかない。それにリリスの魔力量は今思うと平均的な量程度しかなく、隣にいる皇太子殿下よりも少なかった。


(これで私の生まれ変わりと言われていたの……?私も随分と地に落ちたものね……)


思わず自虐してしまうほど、その事実は受け入れがたかった。だからこそ魔法が放たれる直前まで気づかなかった。


「消えろ、皇太子!」

「っ、やばいわ!」


ルーシャは急いで皇太子殿下と相手の間に入り、結界魔法を発動させた。


「な、なにっ……!?」


爆炎はルーシャの結界の中に閉じ込められ、そのまま強制的に消滅させられた。あまりの流れ作業に会場にいた誰もが目を点にする。しかも『落ちこぼれ令嬢』と称されていたルーシャが高難度な魔法を無詠唱で使ったことにも驚きを隠せなかった。


「ふう〜、これで安心ね。───えいっ」

「うわぁっ!」


ルーシャは魔法で相手の両手両足を固定させ、床に転がした。


「全く、あまり余計なことはしないで頂きたいわね。……皇太子殿下、お怪我はありませんか?」

「あ、ああ。ベーラルヴァ公爵令嬢が守ってくれたからな……」

「ベーラルヴァは2人いるのですが……。まあ良いです。怪我ないならそれで。この人は魔法で両手足を固定させているので、あとは適当に騎士団にでも突き出してください。それでは」


ルーシャは少ししわの付いたドレスをパンパンっと払うと、スタスタとそのままテラスへと戻って行った。



「「「え、えぇぇぇぇっ!」」」



周りはその軽さに我慢しきれず心の声が漏れ出た。


「ベーラルヴァ公爵家のルーシャ様は『落ちこぼれ』でまともに魔法が使えないのではなかったのか!?」

「あれほどの高等魔法を無詠唱で扱われるとは!凄まじい才能だ!!」

「まさに女神のようでしたわ!美しく、魔法も使えるなんて!!」


ルーシャに対する賞賛の声は止まない。人々はそれほど興奮が抑えきれないのだ。けれどその様子をリリスは認めたくなかった。


「なんなのよ……!ルーシャのくせに!」


歯が軋むほど強く噛み、手のひらも長い爪のせいで赤く跡が残っていた。






* * *





「ちょーっとだけ疲れたわあ。前から人が多いところは苦手なのよね」


テラスの手すりに腰をかけ、足をぶらぶらとさせながら夜風に当たる。背中には風魔法でクッションのようなものを当てているため落ちる心配はない。


「それにしても自害覚悟の上で皇太子殿下を暗殺しようとするなんて、なかなかの度量ね。もし私が先にあの子を見つけていたら、殺しの道具ではなく、世界を導く1人として育ててあげたのに」


(残念……)


透視で今まさに連れていかれる刺客を見てそう思った。


夜風にあたり、軽く熱を持った体はすっかりと冷やされ、ルーシャは室内へと戻ろうとした。パーティーも予想外の事態があったが、演奏も再開し、各々でパーティーを楽しんでいる。


「逞しいわねえ……」


リリスたちが帰ろうとしない限り、ルーシャは帰れない。ルーシャ一人で馬車を使えないからだ。


(別に転移で帰ってもいいけど、ただでさえお姉さま、お怒りだったからねぇ)


般若すらも恐れそうな表情をしていたのをルーシャは見ていた。あれは最強の魔女と呼ばれていたルーシャでも少し怖かった。


「少しでもお姉さまの鬱憤を晴らすのに協力した方が堅実的かしら」


ルーシャはそう決めるとテラスを出て、室内へと戻る。すると周りが異様にザワザワしている。


「? なにがあったの」


ルーシャは意味がわからないがそのザワザワの一部になろうと端っこに身を寄せると、なぜかルーシャの周りだけ波が引いていく。


「??」


また1歩近づこうとすると、その分だけルーシャの周りから人がいなくなる。


「一体なんなの……?」


ルーシャがこの状況に困惑していると視界の先からも同じように人の波が割れ、道ができる。



その道を皇太子が歩いてきた。



皇太子はルーシャの前まで真っ直ぐ歩くと、突然膝をついた。皇帝にしか膝をつかない皇太子の行動にルーシャだけでなく、周りも驚く。ルーシャはどうしたらいいか分からずオロオロしていると、右手を掴まれて、皇太子のエメラルドのような輝きを持つ瞳に見つめられた。


過去に同じような瞳を持った人物にあったことがある。ルーシャはこの瞳に弱いのだ。


「こ、皇太子殿下がなぜこのようなこと……!?」

「先ほど助けられた礼をしたい」

「それなら既に礼を受け取りましたよ!!」


(明らかにこれは私のぐうたら生活に良くないわ!!)


ルーシャは今すぐこの場から逃げ出したかった。けれど思いのほか皇太子はルーシャの手を強く掴んでおり、手を振り払えない。


「あの……手を……。それに皇太子殿下ともあろうお方がこんな易々と膝をついては……」

「それは重々承知している。だが、この場合膝をついて請うのが正しいかと思ってな」

「? それは……ひゃっ!」


皇太子はルーシャの手の甲にキスをした。そのせいで思わず小さな悲鳴を上げてしまった。そして皇太子はそのままルーシャを見あげ、はっきりと口にした。




「どうか俺と婚約して欲しい。願わくば俺の妃になってくれ」

「───へ……?」




ルーシャも周囲も唖然とした。そして周りはコソコソとなにやら話している。


「このパーティーは殿下の生誕パーティーとリリス公爵令嬢の婚約を発表するものではないのか……?」

「いえ、私もそう思っておりました。けれどこの状況は……」

「けれどルーシャ公爵令嬢もリリス公爵令嬢に劣らず、素晴らしい才を秘めておられましたわね。これならどちらが選ばれてもおかしくは───」


こんな話が聞こえてくる。ルーシャはリリスの婚約発表に対抗するために皇太子を守ったわけでわは無い。ただ今後のぐうたら生活を考えた上で助けただけなのだ。


(なんでこんなことになるのよー!!これじゃあ、またお姉さまの恨みを買うじゃない!)


ルーシャの予想どおり、リリスは「ルーシャっ!!」と般若面をしながらこちらに来る。


「お、お姉さま……!これは───」

「言い訳は結構よ!『落ちこぼれ』の分際でよくも……っ!」


右手を掴まれたルーシャにリリスは近づき、大きく右手を振り上げた。


(これ、大人しく打たれた方がいいのかしら。それとも魔法壁で防いでいいのかしら)



結局ルーシャは大人しく打たれるという選択をし、振り下ろされるリリスの手をただ何もせずに見ていた。リリスは無意識なのか右手に魔力が集まり、あれに打たれたらすぐに冷やさないと跡が残る可能性がある。


(痛いのはあまり好きではないのだけれども……)


目を瞑り、手の先が目に入らないようにしていると、いつまで経っても衝撃は来なかった。恐る恐る目を開けると、皇太子がリリスの手を掴んでいた。


「いっ、痛い!痛いです、皇太子殿下!」

「…………」

「離して!!」


リリスの手首を強く皇太子が掴み、リリスの手首は赤くなっていた。そして皇太子の表情はとても険しい。


(またしても意味のわからない状況……!)


とりあえずこのままだとリリスの手首に痣が出来ると思い、皇太子の手からリリスの手首を魔法で抜け出させた。


「!! なぜ……」


皇太子はこちらを向くがルーシャはどこ吹く風だ。


「お姉さま、大丈夫?」

「っあなた!あなたが私の邪魔をするから……!!」

「心外だわ。私がいつお姉さまの邪魔をしたって言うのよ。今回のことは完全に私の予想外よ」

「それに!あなたのあの魔法は何!?『落ちこぼれ』であるあなたが使えるわけが無いのに!」


右手首を抑えながら反論するリリスにルーシャはため息をついて氷を生み出す。そして転移で取りだした袋に入れてリリスに渡した。


「なっ!」

「本当は治癒した方が早いけれど、人間本来の治癒能力を低下させる恐れがあるからこれで我慢して」


氷は痛み止めの効果も付与しているため、しっかりとこの氷で冷やしていれば次の日にはほぼ完治しているはずだ。


「それじゃあ、お姉さま、帰りましょうか。その手首じゃ長居は良くないわ」


(帰ってぐうたらしたい)


ルーシャは座り込んだままの姉を立たせて、会場を後にしようとした。けれどそこで皇太子から制止の声がかかった。


「待て」

「どうしましたか、皇太子殿下?」

「どうしたも何も、先程の返事を聞いていない」

「? ……ああ、婚約の件ですか。それでしたらお断りします」

「!? なぜだ」


ルーシャの返答に皇太子だけでなく、リリスや周りすらも驚く。皇太子直々の申し出に否を答える貴族なんていないと思っていたからだ。


「いいですか、私は''ぐうたら''してたいのです!皇太子殿下の婚約者というのは私の望む生活とは真逆なのです!ですからお断りします」


周りが呆気に取られている間に、ルーシャはリリスを支えながら歩き始めた。


「「「は、はぁぁあああ!?」」」


固まっていた貴族たちは案外直ぐに元に戻り、驚きの声を上げる。けれどルーシャはその声を無視して前を歩き続ける。


(もう、だからパーティーは嫌なのよ。面倒なことしか起きないから)


無意識にため息をつく。後ちょっとで出入口だと言う所で右腕を掴まれた。


「!?」

「断られたからと言って、簡単に諦めるものか。ようやく見つけたんだ」

「ちょっ、離してもらえますか」

「もう二度と、お前を失いたくない」

「いや、私たちは初対面のはずですが」


皇太子が性懲りも無くすがってくる絵面にルーシャは顔を顰める。しかも皇太子が意味のわからないことまで言うのだ。


(なんなのもう!)


こっそり魔法で吹き飛ばそうかと思い始めると、またあのエメラルドのような瞳で見つめられ、ルーシャは咄嗟に視線を外してしまう。皇太子はそんなルーシャに決定的な言葉をなげかけた。



「───()()()()()



その声はルーシャにしか聞こえない程度の囁くような声だった。隣にいるリリスにも聞こえない。けれどルーシャにははっきりと聞こえていた。


「い、今なんて……」

「アステリア。今度こそ、お前を逃がさない」

「っ!」



ルーシャはいても経っても居られなくなり、転移魔法を使って、馬車の前まで転移した。


「は、え、何が……?」

「お姉さま、ごめんなさい。驚かせてしまって。でもあの場にいたら皇太子殿下を殴ってしまう恐れがあって……」


突然景色が変わったリリスは驚いた。転移魔法というものはこの時代には存在しないものだからだ。けれどルーシャの切迫した様子にそれ以上何かを言うことはできなかった。





* * *





あのパーティーの後から、ルーシャは皇太子から毎日贈り物が届くようになり、お茶会へも誘われるようになった。


(っ、やってくれたわね!これじゃあぐうたらできないじゃない!なんてことをしてくれたの!?)


送られてくる手紙を握りしめ、ルーシャは憤慨した。あの件は社交界で面白おかしく噂されており、それに拍車をかけているのが皇太子からの贈り物だ。


ルーシャはこれらのせいでぐうたらできず、最近では部屋の周囲に結界を張って、人を近づかせないようにしている。


「───けど、これも時間の問題よね……。やっぱり本人に会いに行くしかないわ」


ぐうたら生活をこれ以上邪魔されないように、ルーシャはお茶会の招待状をもって、皇宮へと転移した。




「会いに来てくれて嬉しい、ベーラルヴァ公爵令嬢。いやアステリアと呼んだ方がいいか?」

「私の名前はルーシャです、皇太子殿下。ですからルーシャとお呼びください」

「ではそうしよう、ルーシャ」


二人しかいない部屋でルーシャは感情の読めない皇太子を観察していた。会話が途切れると茶器の擦れる音しか聞こえない。そんな時、先に切り出したのはルーシャだった。


「───私は世間でも知られる『落ちこぼれ令嬢』です。そんな私に皇太子殿下の婚約者が務まるとは思えません」

「ふっ、『落ちこぼれ令嬢』か。ルーシャが落ちこぼれであれば、この世界の人間は全員それ以下ということになるな」

「何を言っているのでしょう。事実、私は落ちこぼれです」

「あれほど高難度な魔法を使っておいて何を言う。なあ、アステリア?」


うっ、とルーシャは言葉につまった。皇太子はそれに口角を上げる。


「俺はお前を逃がすつもりは無い」

「っ、ですから私は皇太子殿下の婚約者になるつもりはありません」

「なぜだ」

「なぜって……あの時も言いましたが、私はぐうたらしてたいの!皇太子の婚約者なんてぐうたらとは無縁じゃない!!……はっ」


つい素の口調で話してしまい、ルーシャは口元を押えるが皇太子は嬉しそうだ。


「───残念だが、俺ずっと前からお前に恋い焦がれている。今更逃がしてやれる気がしない」


そう言って皇太子は席をたち、ルーシャの方へと近づいてくる。


「……恋焦がれているって、いつから……?」

「ずっと前から」

「具体的な数字を言ってください」

「それは難しい。が、歴史書を見る限りざっと500年ほど前か」

「はっ?500年?」

「ああ。───もうお前を犠牲にさせない」

「!?」


ルーシャはその言葉にドキリとする。ルーシャは知っている。そのエメラルドの瞳を。最後までルーシャを引き留めようとしていたあの瞳を。


「何を、言っているのか……」

「思い出せなくてもいい。けれど俺はお前を逃がさない。それだけだ」

「っ長居しすぎたようです。それでは失礼───」

「今逃げても必ずここに戻ってくるだろう」


皇太子があまりにも自信満々に言うものだからルーシャは売り言葉に買い言葉でムキになって言い返してしまった。


「私はぐうたらしてたい。だから絶対に殿下の元には来ないわ!」

「それはどうかな。俺は執念深い」

「ふんっ!」




ルーシャはそのまま自室へと転移した。そしてそれがいけなかった。ルーシャと皇太子が二人きりで部屋にいたことを知られてしまい、二人は恋仲だという噂が流れてしまったのだ。


そのせいで余計に周りが騒がしくなり、ルーシャのぐうたら生活は成り立たなくなった。



「私はぐうたらしてたいだけなのにーーー!!」




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