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トカゲ娘は爬虫類嫌いな男と番になりたい

作者: 龍川歌凪

「僕、爬虫類苦手なんだ」


 意中の青年のその言葉に、竜の血族の娘、アリシア・ザラマンデは絶望した。



※※※※



 竜は稀に人間をつがい相手に選ぶ事があり、ザラマンデ家は火竜の血を引く一族の末裔である。


 火竜は蜥蜴とかげに近い姿をしており、別名火蜥蜴とも呼ばれる種族である。

 翼は無く、頭部には小さな二本の角がちょこんと生え、全身が赤い鱗に覆われている。


 竜の血を引く一族には生まれつき体の一部に鱗が生えている者がおり、彼らは『竜の子』と呼ばれている。

 竜の子は竜身に変じる事ができ、また人身の状態でも一般人よりほんの少しだけ力が強く、体も丈夫である。

 アリシアもまた竜の子の一人であり、彼女の背中や太ももには赤い鱗がいくつか生えている。しかし普段は服の下に隠れていて見えない為、彼女の見た目は普通の人間と何ら変わりない。


 そんなアリシアは現在十八才。

 この国の女性にとっては結婚適齢期である。


 そして彼女には今、片思いの男性がいる。


「アリシアは本当に真面目で働き者だね。いつも凄く助かってるよ」


(やった! ルーカスさんに褒められた!)


 彼女が働いている魔道具店の店主、ルーカス・アルヴェン。


 サラサラとした、この国では珍しい淡緑色の髪。

 穏やかな空色の瞳。

 目鼻立ちの整った柔和な顔立ち。

 清涼感のある落ち着いた声。


 まるで春そのものが具現化したような、優しげな雰囲気の好青年である。


 ルーカスはアリシアより二つ年上であり、去年この町へとやって来た。


 彼の一族は代々魔力が高く、それを生かして魔道具作りを生業としている。

 実家の店は長兄が継ぐ事もあり、次男であるルーカスはこの町に自分の店を構えたのだった。


 彼と初めて出会ったのはまだルーカスが店を開いたばかりの頃。


 その日、アリシアはガラの悪そうな男からしつこいナンパを受けていた。


 鱗と同じ色をした腰まで届く赤い髪と、ぱっちりとした青藍せいらんの瞳はとてもよく目立ち、周囲の目を引きやすいのである。


 するとそこへたまたま通り掛かったルーカスが恋人のふりをして彼女の手を取り、その場から連れ出してくれたのだった。


 まるで恋愛小説のような展開にアリシアの胸がキュンとなったのも束の間。


 路地裏に入りナンパ男の姿が見えなくなるや否や、「はあ~~~~…………」と彼は深い深い安堵のため息を漏らしていた。

 よく見ると膝が小刻みに震えている。


「ごめんねー、僕びびりでさー。最後まできっちり格好良く決めたかったんだけどなー……」


 そう言って冷や汗を浮かべながら笑う彼の姿は、正直少々情けない。


 けれども。


 そんな気弱な彼がアリシアの為に勇気を振り絞ってくれたのだ。


 その姿は誰よりも格好良く、輝いて見えた。


 それと同時に、アリシアの中の竜としての本能が囁いた。


 彼と番になりたい、と――……。



 その後アリシアはお礼の品を渡しに彼の元を訪れたのをきっかけに、以降も客としてしばしば彼の店を訪れていた。

 すると何度目かの来店の際、人手不足で困っているとルーカスがぼやくのを耳にした。


 どうやら店に隣接した工房で彼が作業をしている間、店番をしてくれる従業員を募集中なのだとか。


 これは彼とさらにお近づきになれるチャンス! と下心全開のアリシアは、それならば自分をここで働かせてほしいと自ら申し出た。

 その場で即断即決した彼女にルーカスは多少面食らってはいたものの、「君みたいなべっぴんさんが看板娘になってくれるなら嬉しい」と喜んでくれた。


 ルーカスは自称びびりである割にはリップサービスのスキルが高く、たまにこちらが恥ずかしくなるような台詞をさらりと吐いてくる。


 きっと社交辞令だからこそ言えるのだろう。

 本音だったならばそんな事、堂々と言えるはずがないのだ。

 だって彼は臆病だから。

 商魂の成せる業という奴であろうか。


 だが例えお世辞だったとしても、好きな人に美人と言われればやはり嬉しいのが乙女心というものである。


 「お世辞でも嬉しいです」と返せば、「もう、お世辞じゃないよ!」と少し不服そうな顔をされる。そんなやり取りが二人の常となった。



 魔道具には魔力式時計や魔力を燃料とするランプなど、実に様々な物が存在し、ルーカスの店では主に装飾品を取り扱っている。


 持ち主の周りを結界で包み込み、雨から身を守ってくれる雨避けのブレスレットや、手を翳して念じると警報音が鳴り響く防犯ブローチなど、アクセサリーとしてだけでなく実用性を兼ねた品が多く、特に若い女性層に人気である。


 彼の店は小さめかつ大通りから少し離れた所にある為、あまり目立たず、アリシアが働き始めたばかりの頃はまだ店内の客はまばらであった。

 しかしアリシアが友人達に宣伝したところ、口コミが徐々に広まってゆき、今はそれなりに繁盛している。

 客足が増えてこれまでよりも忙しくなったが、竜の子であるアリシアは腕力も体力も人並み以上である。


 アリシアはとにかく真面目によく働いた。――ルーカスに良いところを見せたいという下心があったのは否定しないが。


 そんな彼女にルーカスは「日頃のお礼だよ」と言って、たびたび試作品のアクセサリーをプレゼントしてくれた。

 試作品と言う割には彫り物などの装飾が妙に豪華で凝っていて、タダで貰うのは少々気が引けたけれども。


 また、ルーカスは一度作業に集中すると食事を摂るのも忘れて没頭してしまう癖があり、見かねたアリシアが彼にお弁当を作ってあげるようになった。

 すると彼はどんなに忙しくともアリシアが作ったお弁当だけは残さず綺麗に食べるのだった。


 彼と番になる為に花嫁修行をこっそり頑張ってきた甲斐があったというものである。


 そんなある日の事。


「ねえアリシア。今度の休日空いてる?」

「え? ええ、空いてますけど……」

「実は隣の通りの婦人服店に新作が入荷したらしいんだけどさ、僕一人では行きづらくてね……。一緒に行ってくれると嬉しいんだけど、どうかな?」


 装飾品店の店主であるルーカスは流行にとても敏感である。

 流行りのファッションに合う装飾品を作る為、日頃から情報収集は欠かせない。

 しかし男一人で女性物の服を見に行くというのは非常に勇気がいる。恐らく気の弱い彼でなくともハードルが高かろう。


 これは仕事の延長線であって恐らく他意はない。


 それはわかっているけれども。


(ルーカスさんとお出掛け出来るなんて夢みたい!)


「はい、是非ご一緒したいです! 凄く楽しみ!」

「良かった。君も新作の服を見に行くのが楽しみなんだね」


 ――本当に楽しみなのはルーカスと共に休日を過ごせる事そのものなのだが。


 とはいえ服に興味があるのもまた事実である。


 ルーカスは仕事柄、身だしなみやおしゃれにとても気を遣っている。

 それゆえアリシアもまた彼と釣り合うよう、これまで以上におしゃれに力を入れるようになり、日々ファッションの研究に勤しんでいるのである。


 当日はとても楽しかった。


 自分好みのワンピースも買えた。ルーカスに「似合ってる、綺麗だよ」と言ってもらえた。

 いつも通り「お世辞でも嬉しい」と言えば、「だからお世辞じゃないってば」と、いつも通りの言葉が返ってくる。そんなやり取りもまた心地よい。


 帰りに二人で立ち寄った行きつけのケーキ屋のシフォンケーキは、いつもよりもっともっと甘くてふわふわで美味しかった。


 だがこれはあくまで仕事の延長線。

 デートなどではない。


 そんな風に思っていると。


「今日は付き合ってくれてありがとう。……それでね、もし良ければまた今度一緒に出掛けない? 隣町に猫と触れ合える喫茶店があるらしいんだけど、アリシアは猫好きだったよね? どうかな?」


 またお出掛けに誘ってくれた。

 しかも今度は仕事とは無関係の、正真正銘のデートである。


 その後もルーカスはアリシアをたびたびデートに誘ってくれた。


 また、アリシアから一緒に演劇を観に行かないかと誘った時には、二つ返事でOKしてくれた。


 アリシアは思う。

 これはもう付き合っていると言っても過言ではないのではないか、と。


 控えめに言っても友達以上恋人未満くらいの関係にはなっていると思う。


 ゆえに彼女は決意する。

 この想いを彼に告げよう、と。


 恐らく気弱なルーカスは恋愛事に関しても奥手であると考えられる。

 こちらからあまりぐいぐい攻めすぎると引かれてしまうかもしれない。

 それゆえアリシアはこれまで、タイミングを計りながら少しずつ少しずつ彼との距離を縮めてきた。

 だがそろそろ一歩先に進んでも良い頃合いだろう。


 次の休みの日、町のはずれにある小高い丘に二人で散策に行く約束をしている。

 今の時期は様々な花が咲き乱れ、そこから望む夕日はまさに絶景。

 告白するには最高のスポットと言える。


 また、告白の際には自分が竜の末裔である事も打ち明けようと思う。


 強大な種族である竜は一般的には畏怖の対象であり、時に忌み嫌われる事さえある。ゆえに正体を明かす相手は慎重に選ばねばならぬ決まりとなっている。

 しかしこれから本格的な交際を望む以上、先に告げておくのが筋というものであろう。


 そして約束の日の前日。


 事件は起きた。


 ルーカスは最近何かの制作に没頭しており、今日中に完成させたいとの事で、アリシアが退勤する日没の時間になってもまだ工房に篭っていた。

 仕事を全て終わらせてから悠々とデートに赴きたいという事なのだろうか。


 何を作っているのかと尋ねても「完成してからのお楽しみ」の一点張りである。きっと余程の自信作なのだろう。


 アリシアが店から出ようとしたその時。


「うわっ!?」

「!? ルーカスさん!?」


 ルーカスの短い悲鳴に慌てて工房へと向かう。


 扉を開けると、ルーカスが腰を抜かしていた。顔面蒼白で窓のほうを見つめている。


 そこにいたのは――。



 ヤモリだ。


 曇りガラスの窓の外側にべったりと張り付いている、ごく普通のヤモリである。

 恐らく窓から漏れ出る光に集まってきた虫を補食しにやって来たのだろう。


 竜は鱗持つ者の長とも呼ばれ、鱗の生えた生き物は全て竜の眷属である。

 特に爬虫類は竜にとって親戚のようなものであり、アリシアにとっては気持ち悪いどころか可愛い存在である。


 しかしルーカスのこの反応。


 まさか――……。


「お、驚かせてごめんね。格好悪いところ見せちゃったね。じ、実はね……僕、爬虫類苦手なんだ」

「え……」


 その瞬間、アリシアは目の前が真っ暗になった。


「いやー、子供の頃に蛇に噛まれた事があってさー。無毒だったのが不幸中の幸いだったんだけどね、それ以来爬虫類全般が怖くなっちゃってさー……」

「そ、そうなんですか……」


 ようやく落ち着きを取り戻してきたルーカスとは対照的に、アリシアは平静を装うのに必死だった。


 竜は鱗持つ者の長。

 特に火竜は見た目がほぼ蜥蜴である。

 それに例え竜身にならなくとも、竜の子には爬虫類のような鱗が体にいくつも生えてしまっている。


 これは今後恋人や夫婦になる上で非常にまずい。まずすぎる。


 いや、むしろ何故今の今まで彼が爬虫類嫌いである可能性を微塵も考えなかったのか。自分の浅はかさにうんざりする。


 それでも彼の事を諦めたくはなかった。


 初めは恩人ゆえに抱いた小さな恋心だったけれど、今はもう、あの時よりももっとずっと大きく育ってしまっている。


 いつもアリシアに優しく接してくれるところも。

 仕事熱心で真面目なところも。

 気弱な割に案外キザで格好つけなところも。

 結局格好つかずに終わって、それでもめげずにまた格好良く振舞おうと頑張るところも。

 容姿も。声も。


 全てが愛おしかった。


 家に帰ってからも、アリシアはどうしたものかとうんうん唸りながら悩んでいた。

 ショックのあまり食事も喉を通らず、また一睡も出来なかった。


 明日は彼との約束の日だと言うのに……!



 そして明くる日。


 寝不足で出来た目の下の隈を化粧で隠し、丘のふもとでルーカスと合流する。


 共に丘を登る間もアリシアは悩み続けていたが、寝不足気味の頭は上手く回らなかった。


「今日、良い天気で良かったよね」

「そ、そうですね……」


 体調は最悪である。

 おまけになんだか体が熱く、鼓動が激しい。


 彼といる時はいつも胸がドキドキと高鳴っていたけれど、それとは明らかに違う。

 ドクドクと早鐘を打つように激しさを増していく。


 まさかこれは……。


「人が少なければいいけど、難しいかなあ。人気の場所だもんねぇ」

「……そう、ですね……」

「えっとそれでね、僕、今日君に――……アリシア? なんか元気ないみたいだけど、どうかした?」


 心配そうにアリシアの顔を覗き込むルーカスに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 それでも思い切って彼女は言った。


「ごめんなさい。今日の散策、中止にしていただいても良いですか?」

「え……ええ!?」



※※※※



 今、アリシアは一人で木々の陰に身を隠している。


 あの後、ルーカスに突然のデート中止の理由を問われれば、「すみません、なんか気分が優れなくて」と答えた。

 すると彼は「そ、そっか。急な体調不良は仕方ないさ、気にしないで。また今度一緒に行こうね」と、無理矢理笑みを浮かべてくれていた。

 本当に申し訳なく思う。


 けれど。


「じゃ、じゃあ家まで送るよ」

「い、いえ、大丈夫です。一人で帰れます!」

「え!? いや、具合悪いなら一人で帰るのは危ないって!」

「いえ、ほんと結構ですので! お気持ちだけ受け取っておきますので! それでは!!」


 そう言って半ば強引に彼と別れて家に帰ったふりをし、丘を下る途中でこの場所に逃げ込んだのだった。


 最後に見た彼の顔は、昨日ヤモリに腰を抜かしていた時と同じくらい青ざめて見えた――……。



 いきなりこんな拒絶するような態度を取られ、さぞや困惑した事だろう。傷付いた事だろう。


 後日誠心誠意謝罪しよう。菓子折り持参で謝り倒そう。


 だが先程はとにかく時間がなかったのだ。


 なぜなら――……。


 その時、ドクン、と一際大きく心臓が跳ねた。


 その直後、視界が光に包まれ反射的に目を瞑る。

 そして再び目を開けると。



 目線が随分と低い位置にあった。ほぼ地面スレスレである。

 いつの間にか四つん這いになっており、また臀部近くには何やら自分の意志で動かせる部位――いわゆる尻尾が生えていた。


 そう、彼女の姿は今、火竜へと変じてしまっていたのであった。


 竜の子は心身の不調が著しくなると稀に変身能力が暴走し、己の意志に関係なく竜身へと変じてしまう事がある。

 まだ力が安定していない幼少期にはこういった事が度々起こったが、よもや成人してから起きるとは思わなかった。

 それだけ今回の精神的ショックと、それによる身体へのダメージが大きかったという事か。


 火竜は竜の中ではかなり小型の部類に入り、猫くらいの大きさしかない。

 遠目に見れば爬虫類や両生類のたぐいに見えなくもないが、人里に現れる種類としてはいささか巨大すぎる。


 火竜は本来、狂暴で好戦的な竜種である。

 人々に害を与える可能性があると判断されれば討伐の対象にさえなりうる。


 アリシアの先祖であるオスの火竜はかなり大人しい性格だったようで、その性格ゆえに群れに馴染めなかったそうだ。

 その結果、人の姿に変じて人里へと下りた際に巡り会った人間の女性と恋に落ち、彼女を番相手に選んだのだと言われている。


 ともあれ元の姿に戻るまでこの場所に隠れているのが賢明であろう。

 誰かに見つかればどんな目に遭うかわかったものではない。

 竜は念話によりコミュニケーションを取る。

 ゆえに竜身の間は人の言葉を喋れない上に、念話の声は魔力の高い者にしか聴こえない。

 周囲の住人達に自分が無害だと主張したくとも出来ない状況なのである。



 ずっとここに隠れ続け、夕暮れの時刻となった。


 木々の間から見える雲一つない夕焼け空は、丘の上から見たらさぞかし美しかった事だろう。――彼と一緒に見たかった。



 とうとう周囲に夜の帳が下りてしまった。

 星明かりがなければ何も見えなくなっていたに違いない。


 アリシアの姿はまだ戻らない。


 変身能力の暴走の際は、元の姿に戻るには時間経過を待つしかない。数時間で戻る事もあれば、時には丸一日掛かる事さえある。

 しかもアリシアの両親は商店街の皆様と共に昨日から旅行に行ってしまっていて不在である。最悪明日の昼までこのままだ。


 この場所で夜を越さねばならないと思うと、途端に心細くなってきた。


 そして心細くなった時というのは考えがどんどんネガティブ化していくものである。


 ――どうしてこうなってしまったんだろう。

 ――どうして自分はこんな蜥蜴のような見た目に生まれてしまったのだろう。

 ――せめてフワフワもこもこのファードラゴンだったら良かったのに。

 ――それならば爬虫類嫌いの彼にも嫌われずに済むかもしれないのに。

 ――猫みたいに膝の上に乗せてくれたり、頭を撫でてくれたりしたかもしれないのに――……!


 竜身の時というのは人間としての理性が欠けやすく、野生的な思考に陥りやすい。しかし今のアリシアの思考は野生的というよりペットのそれに近かった。

 だがそんな事に気付ける余裕など無く。


 俯き、心の中で叫ぶ。


(怖い……! 寂しい……! お願い、誰か助けてよ……誰か……ルーカスさん……!!)




「――アリシア……? そこにいるの?」


 聞き慣れた声に反射的に顔を上げると、木々の隙間から、見慣れた『色』が彼女の目に飛び込んできた。


 星明かりにぼんやりと照らし出される、印象的な淡緑色の髪――……。


(ルーカスさん……!?)


 今一番会いたくて、今一番会いたくない人がそこにいた。


「なんか君の声が聞こえた気がしてさ……」


 どうやら無意識のうちに念話を発動してしまっていたらしい。

 魔力の高いルーカスだからこそ、彼女の心の声が届いたのである。


 しかし普段念話に慣れていない者の場合、その声は耳から聞こえてくるごく普通の声だと脳が誤認してしまう。

 よもやアリシアが念話を使って会話をしているなどとは夢にも思っていまい。


 幸いこちらの姿はまだ彼に見られていない。暗がりと猫ほどしかない小さな体に救われた。

 彼の死角となる位置まで移動し、念話で彼に問う。


『ルーカスさん、どうしてここに……?』

「あー、いや、丘の上のほうでちょっとね……。そ、そんな事より大丈夫? もしかして具合悪くて動けなくなっちゃった? 今そっちに向かうから……!」


 そう言って一歩足を踏み出す。


『こ、来ないで!』


 彼の動きがピタリと止まった。


 ――しまった、また拒絶するような言い方をしてしまった……!


 すぐさま弁解しようとすると。


「……はは、やっぱり僕、君に嫌われちゃったかな? まあそうだよね、ヤモリ程度に腰を抜かすような奴、幻滅したよね……」


 どうやら彼は自分が情けない姿を晒してしまったせいでアリシアに愛想を尽かされたと思っているようだ。


 自嘲気味に笑う彼の言葉は切なげで、少しだけ震えていた。


『ち、違うの! ルーカスさんの事、嫌いになんてなってない! むしろ私のほうが……!』

「? どういう事……?」

『えっと、それは……』


 今の自分の姿を見たら彼はきっと卒倒してしまうだろう。


 それに今まで共に過ごしてきた女の正体が大嫌いな爬虫類そっくりだと知ったら、彼はきっとアリシアの事を嫌いになる。


 彼に嫌われたくない。


 だが自分のそんな思いのせいで彼を傷付けてばかりいる。


 彼にはもう、真実を話すべきだろう――……。


『……今、私は変身能力が暴走してしまって、人の姿をしていないんです』

「え……?」

『私は竜の末裔なんです。火竜という、大きな蜥蜴のような姿をした竜です』


 “蜥蜴”という言葉にルーカスはハッとした。


「……そっか、僕が爬虫類が苦手って言ったから、僕に姿を見せないようにしてくれてたのか……。ごめんね、僕が臆病なばかりに、君を傷付けてしまっていたんだね……」

『ううん、ルーカスさんは悪くない。私が今まで黙っていたのがいけないの……』


 竜の血脈の者は自身の血筋について、他者に容易く明かしてはならない決まりである。

 しかしそれでも、もっと早く伝えておくべきだったと後悔の念が押し寄せる。


 そうすればもっと早くこの恋を諦められたのに――……。


「……ねえ、アリシア。今の君の姿を僕に見せてくれないかな?」

『え!? だ、駄目に決まってるじゃないですか! こんな気持ち悪い姿を見たらルーカスさん気絶しちゃう!』

「さ、流石に気絶はしないって! ……それに、君の事は怖くないし、気持ち悪いだなんて思わない。もし僕が少しでも怯える素振りを見せたら、その時は思いっきり引っ叩いてくれて構わない。だからお願い、僕の事を信じてほしい……!」


 彼の死角にいる分、こちらからも彼の表情は見えない。


 けれどもその声音はあまりに真剣で。切なげで。


 一歩一歩、ゆっくりと、アリシアは木陰から姿を現した。


 ルーカスと目が合う。

 その目は少しだけ見開かれていて、それが恐怖によるものなのか、それ以外の感情によるものなのか、アリシアにはわからなかった。


(……やっぱり、気持ち悪いって思われちゃったかな……)


 俯き、再び木陰に隠れようと一歩後ずさったその時。



 クスリ、と小さく笑う声が聞こえた。


 咄嗟に彼の顔を見上げると、そこにはとても柔らかな笑みが浮かんでいた。


 その目は怯えているどころか、まるで愛おしいものを見つめるかのように、優しく細められている。


「アリシアは竜の姿になっても可愛いんだね」

『……私の事、怖くないの? 気持ち悪くないの?』

「全然。むしろその赤い鱗、宝石みたいで綺麗だなって思うよ。それに」


 ルーカスはアリシアの前に跪くと、彼女へと手を伸ばす。


「このちょこんと生えた小さな角も猫の耳みたいで可愛い」


 そう言ってアリシアの頭を優しく撫でた。


 ――こんな姿の自分を可愛いと言ってくれた。

 ――頭を撫でてくれた。

 ――嬉しい、嬉しい、嬉しい――……!


 喜びと共に彼への“好き”が溢れ出る。


 今までの絶望感や心細さなどあっという間に消え去り、体の不調も一瞬で吹っ飛んだ。


 しかし今のアリシアは人としての理性が欠け、思考と行動がペットの犬猫に近い。


 その結果。


「わわっ!?」


 感極まったアリシアは、まるで飼い主が大好きすぎる子犬のようにルーカスに飛び付いた。


 するとそれと同時に彼女の体が光に包まれ、元の人の姿へと戻った。


 咄嗟に彼女を抱き留めたルーカスは、しかし非力であるがゆえに彼女を支えきれず、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。


 ――それでも彼女を抱き締める手だけは放さなかった。


 人の姿に戻ったアリシアは、また人としての理性も取り戻し。


「きゃー! ご、ごめんなさいルーカスさん! 私ったら嬉しくてつい……!」


 慌てて彼の上から退き、彼の身を起こす。

 地面に石などの固い物が無かったのがせめてもの救いか。


「あはは、気にしないで。美女に抱きつかれるなんて男冥利に尽きるってもんさ。ちゃんと受け止め切れていたら格好良く決まったんだけどねぇ」


 そんな軽口と共にへらりと笑うルーカスはやはり優しい。好き。


「ともあれ元の姿に戻れて良かったね。勿論竜の姿の君も可愛いけど、あのままだと家まで帰れないもんね。それに……出来れば“これ”は人の姿の君に対して行いたいからね」


 言いながら、ルーカスは再びアリシアの前に跪く。


 もう竜身ではないのだから目線を低くする必要などないのにどうしたのだろう、とアリシアが首を傾げていると。


 ルーカスは懐から何かを取り出した。

 それは濃紺のビロードに覆われた小さなケースだった。


 それが乙女の憧れの光景だとアリシアが気付いた時には。


「アリシア、僕と結婚して下さい」


 ケースの中には彼の髪色によく似た淡い緑色の宝石を戴いた指輪が納まっていた。星明かりを受けて柔らかな輝きを帯びている。


 あまりに突然で予想外の展開に、アリシアはただただ目を丸くする。


 確かに自分達はほぼ恋人同士同然であった。

 アリシアとて叶うならばすぐにでも求婚したかった。


 けれども彼は気弱だから。

 がっつき過ぎると彼にドン引きされてしまうのではないか。


 そんな懸念からアリシアは彼との距離を少しずつ詰めていった。

 そして今日、まずは彼と正式に恋人になる為に自分から告白しよう、そう考えていたのだが。


 まさかルーカスのほうから、しかも告白を通り越して求婚されるとは。


 ……いや、よくよく考えてみれば。


 彼は気弱なびびりを自称しているわりに、試作品とはいえ丹精込めて作った品をプレゼントしてくれたり、初デートはあちらから誘ってくれたり、歯の浮くような台詞を平気で吐いてきたりと、結構積極的にアプローチしてきていた気がする。

 今までただのお世辞だと思ってやんわり受け流していたキザな台詞の数々は……よもや本気で言っていたとは。


 一見草食系に見える彼であるが、どうやらそれはとんだ間違いであったらしい。


 実際、怖いもの知らずと呼ばれる者とて恐れるものが本当に何一つ無い訳ではなく、一つや二つ、例外が存在するものである。


 つまり逆もまた然りなのだ。


 いつもは臆病なルーカスであるが、恋愛面に関してだけは隠れ肉食系だったのである――……!


 指輪を見つめたまま時が止まったように硬直するアリシアに。


「あー、えっと……流石にちょっとプロポーズは早すぎた、かな……? いや、僕も多少迷いはしたんだけどさ……君が男性客と楽しそうに話す声が工房まで聞こえてくるたび、いつも凄くハラハラしちゃって……。早くしないと他の男に君を取られてしまうんじゃないかって焦っちゃって……」


 ルーカスの店は女性向けのアクセサリーをメインに取り扱っているが、男性向けの商品も少しばかり置いてある。

 それらを求めてやって来る、または家族や恋人への贈り物を購入しに来る男性客がしばしば来店する為、当然ながら店員であるアリシアが彼らの接客をする。

 ルーカスにベタ惚れぞっこん首ったけのアリシアにとって、勿論それは仕事の一貫に過ぎず、他意などない。


 だが彼の気持ちもわからなくはなかった。


 アリシアもまた、ルーカスが女性客と話しているのを見るたびにそわそわと落ち着かぬ気持ちになったものである。


 彼女達の中に彼の事を好きな人がいたらどうしよう。


 彼女達の誰かを彼が好いていたらどうしよう。


 そんな不安にいつも苛まれていた。


 ルーカスもそのような焦りから少々暴走してしまったようだが、アリシアの反応を見て徐々にクールダウンしてきたらしい。

 何ともばつが悪そうな顔をしている。


 相変わらず最後まで格好良く決められぬ彼だけれど――そんなところがまた愛おしい。


「……私、人の姿の時にもいくらか鱗が生えてますけど、それでも結婚したいって思えますか……?」

「――それ、今さら僕が気にすると思う?」


 少しだけ呆れたような表現を浮かべて即答してくれる彼への返事は、勿論一つだけ。


 彼の瞳を見つめて、言う。


「私も……ずっと……貴方と番になりたかった。私を貴方のお嫁さんにして下さい」


 ずっとずっと言いたかった言葉。

 けれどいざ口に出すと何だか無性に恥ずかしくて。


 きっと自分の頬や耳は今、髪や鱗と同じくらい赤くなっているのだろうと思う。


「――……っ! やった、やったぁ!! ありがとう、アリシア! 必ず君を幸せにするからね!」


 目に涙を浮かべてアリシアを抱き締める。

 まるで子供のようにはしゃぐ彼の姿に、アリシアもまた笑みと涙がこぼれる。



 その後ルーカスは名残惜しそうにアリシアを抱き締める腕をほどくと、彼女の左手の薬指に指輪を嵌めた。


 それは驚く程アリシアの指にピタリと嵌まった。


 アリシアは彼に指のサイズを教えた事はない。

 何故サイズがわかったのかと問えば、この指輪は特殊な魔法金属で出来ており、指を通した者に合わせて大きさが変わるのだと教えてくれた。


 どうやら彼が最近制作に没頭していた品はこれであったようだ。


 ゆくゆくはルーカスのような、サプライズでプロポーズをしたい男性層への商品開発も視野に入れているとの事だった。


 やはり彼はなかなかに商魂逞しい御仁である。

 店の未来は安泰そうだ。


 ちなみに、ルーカスが夜になるまで帰らずにいたのは、アリシアに振られたと思って頂上付近で夕日を眺めながら悲嘆に暮れていたかららしい。


 ……まあ確かに、入念に準備を進め、いざプロポーズをしようとしたその日に、相手に拒絶めいた態度を取られたのだ。もしかしたら沈む夕日を見つめながらむせび泣いていたのかもしれない。


 やはり彼にはお詫びの品として菓子折りを贈るべきであろうか。

 ――いや、どうせならば手作りのお菓子を渡すとしようか。きっとそのほうが彼は喜んでくれるだろうから。


 今度とびっきり美味しいクッキーを焼いてあげなければ。



※※※※



 それからしばらくして。


 二人は少しの間正式に恋人として交際した後、互いの両親に挨拶に行く事となった。


「でも、私が竜の一族の末裔である事、ルーカスさんのご家族は受け入れてくださるかしら……?」

「ああ、その点はきっと大丈夫だよ。ほら、僕の髪、独特な色をしてるでしょ?」


 ルーカスは自身の特徴的な淡緑色の髪を指差した。


「アルヴェン家はエルフの一族の末裔とされているんだ。だから一族に生まれてくる者は代々魔力が高いって言われてる。まあ大昔の事だから本当のところはよくわからないんだけどね。少なくとも、人間外の種族の血筋に反対する人はうちの家族にはいないから、安心して」


 「ま、例え反対されたとしても君を諦めるつもりはないけどね」、と爽やかな笑みを向ける彼からはやはり肉食系の片鱗が垣間見える。


 そして彼の言う通り、彼の家族はアリシアをあたたかく迎え入れてくれた。


 またアリシアの家族も、ルーカスの事を穏やかで誠実そうな青年だと気に入ってくれた。エルフの血族の可能性がある事を伝えても、「へー、そうなんだ」の一言で終わった。他種族の血を引く一族というのはどこも考えが似通っているのかもしれない。


 程なくして二人は式を挙げ、晴れて夫婦となった。


 婚約指輪同様、結婚指輪も勿論ルーカスの手作りである。

 ペアの指輪を嵌めて働く二人を見て、ショックを受けた客がちらほらいたとかいなかったとか。


 休日の際にはアリシアは竜身になり、窓際でルーカスと共にのんびりと日向ぼっこを楽しんだ。


 猫のようにルーカスの膝の上に乗せてもらい、頭を撫でてもらう。

 それが竜としてのアリシアの至福のひとときであった。


 恋愛小説の王道シチュエーション――乙女達の夢――愛する男性による膝乗せである。誰が何と言おうとそうなのである。


 また、そのようにアリシアと接していくうちに、ルーカスにある変化が訪れた。


 爬虫類への苦手意識が徐々に減っていき、なんと今ではヤモリや蜥蜴に対して「可愛い」とすら言うようになったのである。


 ルーカスが苦手を克服出来て嬉しい反面、同じ有鱗目としてちょっぴり焼きもちを焼きたくなるような、何とも複雑な気持ちである。


 だがそんな贅沢な悩みを抱くたび、アリシアは自身の幸せを噛み締めるのであった。


 そしてその幸せの中に、これから『もう一人』加わりそうである。


 彼の事だ、この事を伝えたらきっとまた嬉しさのあまり泣き出してしまうのだろうな。


 そんな事を考えながら、愛おしそうにお腹をさする。


 はやる気持ちを抑え、アリシアはまだ何も知らぬ夫の元へと向かうのだった――……。

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