DAY1:Welcome To The Black Parade(2)
【神貴アクアポリス】――それは、海上に浮かぶ人造の楽園。時代と共に不足していく土地問題に伴って創り上げられたもの。
増加する人口により不足する土地、乱立する建造物により不足する土地、だが何より人間が生きていく上で発生する汚物……人工の楽園は、自らが算出していた芥の上にあるものだった。幾ら外見を飾ろうとも、幾ら金属で覆い被さろうとも、存在自体が海にとっての穢れであることは変わらない。
スポンサーは神貴重工。造船を主とする重工企業の中では世界屈指である。
神貴社はその圧倒的な財力を持ってほぼ全ての資金を提供し、神貴社――強いては神貴家は、実質的に神貴アクアポリスに於いて地位を獲得していた。
そもそも、言ってしまえばその浮かぶ土地そのものが神貴社の“製品”なのだ。連なる施設は当たり前の如く、役員から何もかもに息が掛かっていると言って良い。
しかし息が掛かっていると言えば、それは姫桜に関しても同じことが言えた。
姫桜社は日本に於ける電気機器複合企業の中核。神貴重工との相互利益の相性は良く、昔から提携をとっていた。
それはこのアクアポリスにも継がれている。大雑把に言えば、土台は神貴重工でその上は姫桜社と言うべきか。
となれば無論、姫桜も地位がある訳だが……どういう訳か俺の祖父は全く興味がないらしく、アクアポリスなど、と鼻で笑うような勢いだった。だから祖父はこちらには住まず、都会であることに興味が湧いた俺だけがアクアポリスに住むという形になっていた。
父は、知らない。十年来連絡など取ったことがないし、取ろうと思ったこともない。そもそもあいつは――。
「……ん?」
不意に、額に何かを感じた。
「うん?」
夢を見ていたらしい。
額に手をやるとタオルが置かれていた。熱を吸い取るために置かれているのであろうその濡れたタオルは、既に俺の温度というものをある程度吸っていて、冷たいものとは言えなくなっていた。
瞼を開ければ、俺の視界に覆い被さる白いワンピース――もとい、昨日の女だ。
丁寧な動作で俺の額に乗ったタオルを両手で取っている。そして脇に置いた洗面器にタオルを入れる。言わずもがな、その洗面器には水が張られていた。多分冷えているそれにタオルを浸していた。
タオルを絞りながら女――クレインクラインがこちらを見た。俺が起きたことに気づいたのか、満面の笑みを浮かべた。あの夜見せた笑顔とはまた少し違う、あどけない安堵の笑み。
「良かった……気がつきましたか、レイヤ。どうですか? 体の具合は。何所か痛むところや気分が悪い……えっと、吐き気がするとか、ありますか?」
「いや、ない……でも、少し頭が痛いな……」
「頭痛ですか!? えーと、薬、薬……薬箱ってどこにありますか?」
なんて、タオルを持ちながらクレイは部屋を漁っている。見れば、まだ絞り終わってないのか、タオルに吸われた水が滴っていた。
振りまわしていくうちに次々と飛ぶ水滴。こめかみの血管が破裂しそうだったが、どうにか堪える。
「ああ、いい、いい。薬飲むほどじゃない。それよりそのタオルをどうにかしろ」
「え――あ! 御免なさい。直ぐに絞ります」
パタパタと動き回っていたクレインクラインは、俺が起きた時と同じように正座で座り込み、タオルを絞り始めていた。
「そういや、まだちゃんと――」
クレインクラインに質問をしようと体を起こせば、
「ああ! 駄目です、寝てて下さい。まだ【魂の行使】に慣れていないんですから」
魂の行使……? と疑問に思いながらも何故かクレインクラインに抵抗することが出来ず、ベッドへと再び体を沈ませた。
「なあお前……えーと」
「クレインクラインです」
「長い……」
「そ、そうですか……すみません」
しゅんと項垂れるクレインクライン。――やっぱり長い。
「……どうしたもんかな。――クレイ、ああ、クレイでいいか」
クレインクライン――クレイは絞ったタオルを広げ、畳み、身を乗り出して俺の額に乗せ始めた。
その時、当然先程のように覆いかぶさっている為、クレイの体――強いて言えば胸の辺りが強調されて俺の視界に広がる。だがそれは視界を覆うことだけで存在感が強調されているのではなく、クレイの胸“自体”が存在感に満ちている。
――端的に言おう。デカイ。このサイズは、中々お目に掛かれないだろう。芸能人なんかにはごろごろいるかも知れんが……少なくとも俺の同年代では少数派だということを断言しておきたい。もはや揺れている。
「お前、胸あるんだな」
「…………は?」
途端に動きを止めた。よいしょよいしょと俺の額で作業をしていたそれを止めるということは、動いていた胸が止まるということで。そしたら胸が慣性で“揺れ残る”というのも当然の事柄だ。
だがしかし、動きが良すぎる……。
ああ、そうか。
「ノーブラなんだな」
「な、なな」
顔を赤くしながら驚く――じゃあ無いな、恥ずかしい……違う、怒っているのか。
何とも形容しがたい表情を口と目で作り上げていた。先程までタオルを持っていた両手で自分の胸を隠すと、
「セクハラです!」
何て、クレイは消えてしまった……消えた?
「ちょっと待て」
『え? 何ですか?』
「うお! ……え? 何処にいるんだ?」
「時計ですよ。腰についてる」
うん? ……ああ、懐中時計か。成程。クレイが出て来た時もそこからだったのだから、自然といえば自然か。文字通りクレイの家みたいなものということだ。
納得……は辛うじてできるものの、有り得ない現実であることには変わりない。
有り得ない日常――。そう自分で思い、再び背筋が震えた。
けれどそれは、畏怖という感情によるものではない。怖くもない、不安でもない。ただ、気持ちが昂っている。所謂武者震いだろう。
猛る体。振りかぶる刃。命を奪いあう非日常。あの刃を交えた瞬間は、堪らなく心が高揚した。飽きた性感の絶頂よりも、今は余程求めたくなる衝動。
それらを齎したのは女神の様な女。武器に変化する女。俺にとって、非日常は彼女を中心に現れた。
「……つーかお前。そんなセクハラとか言う割には、あの時キスをしたよな。手の甲だけど」
『そ、そそそれは……その、癖と言いますか、習慣と言いますか……』
「え? キス魔?」
『ち、違います!』
「まあ、どうでもいいや。俺もキス嫌いじゃねえし」
掛け布団をひっぺがし、良くないです! と未だ叫び続けている声の出所――腰についた懐中の銀時計を見据える。
何も変化はない、外見は。声はする。
とにかく、これが非日常への布石であったわけだ。きっと捨てることが出来なかったのは、きっとこの結末を察知していたからなのだろう。避けられないから――否。不可能であったわけではない、俺は俺の意思で“避けようとなど思わなかった”からだ。
そう、だから、俺にとってこの銀時計は今のところ全ての始まりであり、或る意味で到達点だった。
握り締めてみる。
『……何してるんですか?』
苦しい訳ではないらしい。ということは別に感覚があるわけではなく、意識がそこに存在するだけって感じなのか。
視界とか、聴覚とか、まあ気になることはままあるが、思考から追い払おう。自分がそんな状況に陥るなんてことは有り得ないし、何より不毛な疑問だ。
銀時計を一度親指でなぞり、蓋を開け中を見れば――
「時間が、進んでる……」
9日の12時より、既に8時間は経過していた。
『それは、レイヤの寿命です』
「……寿命?」
『圧縮された残りの寿命9日を使って、【ディヴィナ・マズルカ】を勝ち残る。あなた方が私達剣と言う異能を扱える所以はそれにあります。剣――即ち【実体化】には【契約者】の、残りの寿命とも言える【魂】を消費します。長い時間イディアライズを行っていれば、それ相応の時間が減っていく、ということです。それが各参加者に配られた時計を模したものに表示されるのです』
「――は!?」
ちょっと待て。それは単純にクレイを実体化――つまり物に触れられる状態のことだよな? に、してる間ってことはだ、さっき看病してた時もイディアライズじゃないのか!?
「今何時だ!? ――ってこの銀時計じゃねえ!」
本物の時計! と、顔を上げ、シックな掛け時計を見れば――8時。ということはつまり……俺が気絶したのが日が変わった直後――12時だと考えれば、今の今までイディアライズしていたのなら8時間ということだが……。
「クレイ。お前ずっと俺を看病していたのか?」
『はいっ!』
「ざっけんなあああああああああああああああああ!!」
『え!? ――え!?』
「莫迦かお前は!? ずうっと実体化して看病してたら具合良くなっても俺の寿命が縮まるんじゃねえか!!」
『――あ!』
なんて今気づきましたというような素っ頓狂な声を出していやがる。つまり何か。もう反射的に実体化して俺を看病していたということか。まあ確かに冬場の外に数時間放って置かれるのもあれだけれども、しかし流石に寿命を削られて看病されてたとなると良い気分じゃないぞ……。
「ごめんなさいごめんなさい! 私、必死だったので! お仕置きは勘弁を!」
胸元が少々開けた白いワンピースを羽織り、金色の長い髪を振って謝っている。何処で覚えたのか――見た目が外人だから――知らないが、ジャパニーズ土下座を何度も繰り返している。足で座っているベッドに頭が着きそうなほど深く何度も。
置かれた足に、手にベッドは沈み、頭を揺らせばベッドが軋んでいる。――ちょっと待て、ベッドが軋む?
「またお前実体化してるんじゃねえかよおおおおおおおおおおおおおおお!」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「良いから戻れええええええ!」
「は、はいぃぃぃぃ~!」
金髪の外人の姿はいずこかへと――銀時計へと消え去った。既にベッドに干渉する者は俺以外になく、これで寿命を脅かす存在がなくなったわけだ。
「あぁ~……疲れた」
『……御免なさい』
「いいよ、もう……」
実際、振り回されるのは慣れている。そう、慣れているんだ。
まさにすっぽんのようにしつこい、しかも若干天然が入っている幼馴染を知っている為、慣れてはいる。慣れてはいるが、遠慮願いたいのはごく自然の話。
ああ、そうだ。いつも俺について来て、何かと余計な世話をする。こっちもぶん殴るなりして追い返せば良いっちゃあ良いんだが……それが出来ない。何故かはよく分からないが、とある事情が起因しているということは何となく理解している。
それに殴るだけじゃ止まらない気もしないでもない、あのすっぽんは。鍋にして食ってやろうか。そんな気すら起こりかけるしつこさ。
一息溜息を吐くと、不意にインターフォンが鳴った。
「――チッ、めんどくせえな」
『じゃあ私が――』
「いい、お前はもう銀時計に居ろ。良いって言うまで待機だ、待てだ。分かったか? じゃねえと揉むぞ?」
『は、はい――はい? ど、何処を』
「決まってるじゃねえか。まあいい。とにかくお前は俺の許可無しにイディアライズするな。じゃねえと犯す」
『な、なな』
狼狽している声だけのクレイをシカトし、腹を掻きながら玄関口へと急ぐ。
ドアの脇に設置されているインターフォン。それはモニターで、マンションのロビーにいる自分への来客の顔が分かるようになっている。
モニターを繋げ、そのインターフォンを鳴らした主の顔を覗けば――。
「麗ちゃん?」
鮮明な画面に映っている顔は、かのすっぽん女、白峰汐織だった――。
盛大に溜息が出てしまうのは仕方がない事だった。
『竜次……お前いつまでウジウジしてるんだよ』
「煩い! 黙れ、ザリチュ」
ザリチュと呼ばれた時計は溜息を吐く。本来なら腕に巻きつけられている筈の革の時計は、敷かれた布団の上に放り投げられていた。
投げた張本人である竜次は、未だスーツ姿のまま、部屋の隅で膝を抱え縮こまっていた。
あの戦闘から狭苦しいアパートの一室に帰ってきても、一睡すらしていなかった。帰るなり乱暴にザリチュを放り投げ、今に至る。
竜次の頭には“最悪”という二文字しか廻らなかった。
人生で最大に不運な日。そんなものは間違いなく今日。上司から首の辞令を下された瞬間からもう人生のどん底に近かっただというのに、よく分からない命を賭けた【ディヴィナ・マズルカ】なんていう漫画みたいなゲームに参加させられた。遂に底へ到達だ。
あの黒い装束の男から話だけを聞かされたのならこんなことは到底信用せず、とっとと職を探し、最悪バイトにでも就かなければ話にならない。
けれど、見せられたものは話だけではなく、目の前に起こった出来事は非現実と否定できない出来事。
いつの間にか持っていた腕時計からは光が溢れ、気づけば自分は巨大な剣を握っていた。加えてその剣は言葉を話す。
そして、同じように異様な剣を握った少年に襲い掛かられた。
あの時感じた剣圧、衝撃、恐怖、――そして“死”は紛れもなく現実だ。決して、夢幻などではないだろう。
自分が巻き込まれたという事実に目を背けられない。誤魔化せない。恐怖は既に、震えとして身体に染み渡っていた。
『だからよ……怖いんだろ? 死にたくないんだろ? だったら生き残ろうぜ。勝ち残ろうぜ? 俺と一緒によ』
「嫌だよ! 俺は争うなんてしたくないんだ! どうしていつも上手くいかないんだ! 会社だって首にされるし、千夏にだって逃げられた……もう、嫌だ……」
決して大きいとは言えない、中小クラスの重工企業に、幾つもの会社に蹴られ、ようやく入れた企業だというのに神貴社の影響で首にされる。どうして神貴に吸収合併されたからって従業員まで神貴社が関与してくる。部署の人員半数以上が入れ替えとか……あんまりだ。
だけど、その兆しは数年前から見えてはいた。だから、金がなくなると悟った恋人である千夏は、とうの昔に竜次の元を離れた。所詮、自分は金をせびる為だけの存在だったということ。竜次に振り撒いた笑顔も、愛しているという言葉も、この部屋で過ごした夜も、全てが嘘っぱち。あっさりと捨てて、他の男へと移ってしまった。
この状況が最悪でなくて何だというのか。
家賃の高いアクアポリスに住み続けたせいで、安い自分の月給では貯金すらままならない。かといって、伊薙に引っ越すのだって金がない。敷金礼金、そんなものを何処から出せっていうんだ。
文字通り最悪。頼れる親族もろくにいない。高齢で竜次を生んだ両親は既に逝去している。
順風満帆などどこ吹く風。ああ、こんなだったら生まれて来なければ良かったのに――。そんな気持ちさえ横切ってしまう。
「最悪だ……」
『…………』
その竜次の様子を見て、ザリチュは憤りを感じていた。自分はこの【ディヴィナ・マズルカ】に勝利するつもりで馳せ参じたというのに、当の契約者はどうしようもない腰ぬけ。
不幸という不幸を思い切り身に浴びた存在は、お世辞にも強いとは言えなかった。
だから思わず――言ってしまった。
『竜次、あんまりごちゃごちゃ言ってっと――俺が、お前を喰うぞ』
息を止めながら、竜次は腕時計を見る。そこにあるのは腕時計で、声だってそれから発せられたにすぎない。剣にだって成ってない。
だっていうのにどうして――こんなにも、喉元に牙を立てられている錯覚を覚えるんだ。
『……理解したか。良い子だ。分かっただろ? 逃げられないっていうことが。それじゃ力を蓄えに――人殺しに興じるとしようぜ?』
まるで喉からのような、低い嗤いが、沈んだ部屋に染み渡っていった。