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EXTRA DAY(1)


 “凪畑 瑞音”――。彼女の特徴と言えば髪型が三つ編みである事くらいで、残りの部分は本人に語らせたとしても“地味”の一言に尽きる。これと言って毎日目立つような特別な事はしてこなかったし、したいとも思わなかった。自分がつまらない人間であるという自覚はあったが、だからどうというわけでもない。そう、それが彼女にとっての日常だったから――。

 日付も変わりかけた真夜中、彼女が走る通りは余りにも彼女に似つかわしくなかった。派手に着飾った若者が昼も夜も無関係に夢を見続けるようなそんな街の中、そもそも彼女は水と油……。決して交じり合う事も無く、ただ時は無慈悲に流れ続けていた。

 どれくらいこうして夜の街を彷徨っているのだろう――? ふと少女は自分自身の状況を省みる。走り続ける必要は無く、ただ必要な分だけ動けばいいのだと悟ってから体力の無駄な消耗は抑えられ、今の瑞音は汗の一滴も浮かべてはいない。だが真夜中まで歩き、精神を削るこの“逃亡”という作業は確実に瑞音の体力を削り続けていた。

 何度目か判らない、携帯電話のディスプレイを開く作業。しかしそれは一般的な彼女と同年代の少女とは異なる理由……単純な時間確認である。楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去るのが道理と言う物だが、ならばこうして時計の針が遅くなる呪いをかけられたように感じるこの瞬間もまた道理なのだろうか。目を瞑り、少女は空を見上げた。明るすぎる街に照らされて、星空はむしろ翳っているかのようだ。


「ディヴィナ……マズルカ……」


 ふと、呟いた言葉は誰に教わったわけでもなく、しかし彼女が元から知っていた言葉でもない。酷く喉が渇き、小銭を握り締めて自動販売機へと向かった。まるで灯りに吸い寄せられる虫のようだな……と、そんな事をふと思う。嫌気が差しているのか、それともこの状況に感覚が麻痺しているのか……。恐怖はあれど、しかし冷静さを失う事はなかった。自動販売機に小銭を投入し、ミネラルウォーターを購入する。ペットボトルの蓋を開け、貪るようにそれを半分近く一気に空けると、まるでそれが習慣付いた事であるかの如く、当然に携帯電話を開いた。

 じっと時の針が進まぬ事を確認し、それから溜息を漏らした。夜が酷く長かった。諦めるように溜息をもう一度――しかし少女は気づく。これは時計ではなく、携帯電話なのだと。当たり前すぎるがそれをまるでたった今思い出したかのように、少女は唐突に三桁の数字を入力しそれを耳に押し当てるのであった――。




「俺は思うんですよ、安藤さん。男と女……それは嫌でも惹かれあう運命にあるって。男も女も、異性という存在に魅力を覚えずにはいられない……当然の事ッスよ。なぜならば、それが生命の営みだから!」


「…………で?」


「俺はこうも思うんです、安藤さん。つまり、男と女が二人きりになるのはとても健全な事なんです。でも逆に言うと、こうして男二人で狭い車の中に押し込められて長時間過ごすのは非常に良くないんじゃないかと」


「ほお……」


「まあつまり俺が何を言いたいのかと言うと……安藤さん、この車の中むさくるしいんすよ……。俺、早くも心が折れそうなんスけど……」


「馬鹿野郎、下らねぇ事ほざいてねえで少しはそのカラッポの脳味噌動かして考えろ。そんな与太話聞かせられる為にてめえとつるんでるわけじゃねえんだよ」


「あ、酷いッスね安藤さん……。俺の事見た目で判断してそう言ってるでしょ? 俺は安藤さんと違って叩き上げじゃなくてエリートコースなんスよ。いい高校出て、いい大学出て……その辺の若者より頭いーんスよ。ちょっと、聞いてます? ねえ?」


 運転席であれこれと無駄話を放り投げてくる部下に睨みを利かせ、“安藤 仁”はこの状況を改めて振り返った。部下――“飯島 純”の言う通り、確かにこうして夜中に車の中に男二人で篭っているのは妙な状況には違いない。だが安藤とて別に好き好んでチャラチャラした若造と一緒に居るわけではない。他に組める人間がいないから、仕方が無くこうして二人で行動しているのである。

 安藤と飯島、二人は神貴アクアポリスの平和を護る警察組織の一員である。自慢するわけではないが安藤はその警察組織の中でも敏腕で通っている刑事で、飯島はそんな安藤にこき使われている部下である。二人が滞在しているのは飯島の自家用車の中、駐車場所はアクアポリス繁華街の一角である。二人はずっとここに留まっているわけではなく、定期的に場所を変えアクアポリス全体を練り歩くようにして夜を明かそうとしていた。自主的パトロール開始から既に五時間……。缶詰状態の飯島の精神は既に限界に近づいていた。


「安藤さん……せめて飯……飯くらいなんかちゃんと食いましょうって……。アンパンと牛乳だけで過ごすって、刑事ドラマの見過ぎっすよ……」


「うるせぇな……。好きなんだよ、アンパン。牛乳だって身体にいいだろうが」


「俺は紅茶党なんスよ……。で、何でしたっけ? 何の話でしたっけ? 何しにここに居るんでしたっけ?」


 若干苛立った様子でまくし立てる飯島を安藤は眉間に皺を寄せてじっと睨みつけた。二人の年齢は十歳近く離れている……が、十歳程度のはずである。しかし安藤の睨みの迫力はそんなもんでは利かないと飯島は常々思っていた。まるで刑事ドラマに出てくる、やたらと事件に巻き込まれまくるタイプの刑事……いや、実際にこうして様々な事件に巻き込まれているわけだが。


「判りましたよ、一服……せめて一服しましょ! それからちゃんと真面目に考えますって!」


「ああ……まあ、そうだな」


 とりあえず困ったら一服……。ヘビースモーカーの安藤を黙らせるにはこれが一番であると飯島は既に学習していた。安藤とは異なり特に煙草が好きというわけではない飯島も、付き合いで彼と同じ銘柄の煙草を嗜んでいる。咥えた煙草に火をつけ紫煙を吐き出しながら飯島は車のバックミラーを覗き込んで自らの前髪を指先で弄り始めた。


「で……? この街で起きている“らしい”妙な事件について、ですよねぇ」


 飯島はぼやくようにして事件の事を語り始めた。尤も彼の集中は主に前髪の行方に向けられていたのだが……。

 安藤と飯島、二人が調べようとしている事件は起きている“らしい”というだけで、実際に彼らは仕事としてそれを調べているわけではない。というのも、刑事であるはずの彼らはその役目を何故か与えられず、情報も圧倒的に規制されているからである。

 今までこの街の平和を護る人間と言えば当然この街――神貴アクアポリスに在住する安藤たちだったわけだが、今回の事件に関してはわけが違う。安藤たちに与えられている情報といえば、“不特定多数の被害者”が続出している“連続猟奇殺人事件”が“この街”で起きている“らしい”という事だけ。本来ならばそんなわけのわからない事態に陥る事など在り得ないし、在ってはならない。だが今回の件についてだけは事情が特別であった。


「……俺が知りてぇのは、この街で今何が起きているのかって事……。そしてもしもこの街に不安を撒き散らすような馬鹿がいるのだとしたら、そいつをとっ捕まえなきゃならねぇ……」


「でもそれは難しいんじゃないッスか? “本土側”の人間が捜査を取り仕切ってるみたいですし……。なんでだか知らないけど、気合入りすぎッスよね~」


 そう、安藤とて事件を放っておくつもりなど毛頭なかった。だがしかしそれは本土から送り込まれてきた捜査班によって禁止されていたのである。今回の事件について、捜査を実際に行うのは本土から送られてきた捜査隊……。神貴アクアポリスの警官たちは指示が無い限り動いてはならない――それが命令である。当然抗議したものの、むしろ仲間である警官たちにそれは咎められてしまった。この街の警察は無能だと宣言されているかのような本土側の無礼な態度に、しかし憤りを覚えたのは安藤一人であった。彼に言わせれば“根性無し”の仲間達も別段悪いというわけではなく、彼らもただ命令に従っているだけ……それがわかっているだけに安藤はそれ以上食い下がる事が出来なかった。だからと言って引き下がるつもりもなく、仕事を取り上げられて暇な時間を使ってこうして“自主的”にパトロールを行っているのだ。

 

「既に何人もアクアポリスで殺人事件が起きてるんだぞ……? 一刻も早く対処しなきゃならねえのに、こっちの行動を禁止する割には本土側の連中はダラダラしているだけで一向に事態が好転する気配もねぇ。おかしいにも程があるってもんだ」


「そういえば、伊薙の方でも事件起きてるみたいですね~。あっちなんか田舎なんだから直ぐに話が広まりそうなもんなんですけど」


「それがまるで広まる気配がない……。見ろ飯島、おかしいじゃあねえか。これが連続殺人事件が起きてる真っ最中の街に見えるか……? どいつもこいつも平和ボケ顔してノコノコ歩いてやがる。それとも今はそういう時代なのかねえ」


 車の窓から見渡す街では今日も若者が闊歩し、真夜中である事も関係無しに様々な声が飛び交っている。交わる人、人、人……。気を抜けば溺れてしまいそうな夜の闇の中、それでも彼らは普段と変わらずその闇を容易く手懐けている。“死”と言う現象が蔓延しつつあるというこの状況下、それは“無神経”などと言うレベルではない。


「この街の人間のどれくらいが殺人事件について知ってるんですかね~……。情報規制でもされてるんでしょうか」


「報道もイマイチはっきりしねえしな……。このご時世にそういう規制するってぇのはどうなんだ、なあ」


「そんな事俺に言われても……。とにかく今は街をパトロールしてこれ以上事件が起こらないようにしなきゃって言ったのは安藤さんでしょ? んで……何でしたっけ?」


「家族から捜索願が出ている女子高生を探してるんだよ。名前は凪畑瑞音、歳は十八歳、昨日学校に登校してからそれっきり戻らず……顔写真だ、ほれ」


 写真を手渡された飯島はそれを上から下、下から上へと舐めるように往復して眺めた。提供者は瑞音の母親で、写真は十七歳の時に家族旅行の際に撮った物だった。飯島は目を光らせ、ネクタイを緩めながらにやりと笑う。


「結構、かわいいんじゃないっすか……? どう見ても目立たないタイプなのが更に“マル”っすよ。君の可愛さは俺だけが知っている……なんてね!」


「…………お前……前から思ってたんだが、馬鹿だろ?」


「安藤さん酷い!? 合コンで口説いた女子は数知れず……この飯島純に馬鹿とは何ですか、馬鹿とは……。まあでもこの子、女子高生ですよね? たった一日帰ってこないだけで捜索願って……結構ご両親厳しいんすかねぇ? 俺が高校生くらいの時には女の子の無断外泊くらい当たり前のようにありましたけどねぇ……?」


「ガキは黙って親の言う事聞いて、大人しくしてりゃあいいんだよ。学生は勉強するのが仕事だろうが」


「うわ、古いな~安藤さん古いよ! そんなんだから中々嫁さん貰えないんじゃないですか~?」


 ぎろりと、本日三度目の安藤の睨み――。冷や汗を流し、飯島は身を竦めた。あまり調子に乗って突付けるような藪ではないことは重々承知なのだが、彼の性格上それを止めるのはまだ無理そうである。


「で、この瑞音ちゃんが事件と何の関わりがあるんですか?」


「そいつを確かめる為に探してんだろが」


「はあっ!? じゃあ何の関連性もないんですか!?」


「今のところはな」


「そりゃないッスよ安藤さん……。ただの家出娘でしょ、今時全然フツーにいますってそんなの! 今時彼氏の家でキッツイのぶち込まれてるだけかもしれないでしょ!」


「だがそうじゃないかもしれねえ……。勘だよ勘、刑事の勘だ」


「…………安藤さん、もしかして強烈にキャラ作り意識してます? いて! いてててっ!! 耳ひっぱんないで下さいよ安藤さん……って、前!! 安藤さん、前前ッ!!」


「そんな安っぽい誘導に引っかかるわけが……って、おい!」


 二人が乗り込んだ車の目の前、制服姿の女子高生が一人横切っていくのが見えた。明らかにこの夜の世界には場違いな少女――。二人は同時に顔を見合わせ、それから同時に写真へと目を向けた。それから同時にドアを開けて路上に飛び出し、同時に少女が走り去って言った路地へと向かうのであった――。




 凪畑瑞音は、どちらかと言えば比較的幸福な人生を送ってきた。勿論全てが良い事であったとは言えない。友人に恵まれず、いじめに遭っていた事もある。それを苦に死にたいと思った事もある。だがそれでも心優しく真面目な両親の下で育てられ、決して多くはないが友人も居た。本を読むのが好きで、物語にのめりこんでは主人公になったつもりで様々な空想に想いを馳せるのが好きだった。

 別段、変わったことの無い人生……。辛い事もあった。けれども総じて言えば彼女の人生は起伏に乏しく安定した、緩やかで穏やかな人生であったと言えるだろう。だがそれは狂ってしまった。とても簡単なきっかけで、そしてそれは彼女の意思ではどうする事も出来ない。単純にその全てを総じて不幸だったと表現する事も出来るが、瑞音はただそんな一言で全てを諦めてしまいたくはなかった。

 だから、せめて抗う為に逃げ出したのである。逃げる事で戦おうと思った……その不幸と。走っている所為で動悸は激しく、肌は汗ばんでいた。どうしてこんな事に――。“耳を澄ませば聞こえてくる”誰かの足音は着実に自分の身へと迫っている。それはぴったりと張り付いて離れず、常に感じる事の出来る間合いで瑞音を見ていた。


「やだ……! こないで……!」


 声が震えていて、自分が心底恐怖の中を彷徨っているのだと思い知らされる。すると急に足が竦み、止まってしまいそうになった。そんな自分の身体に鞭打って何とか走り続ける。脳裏を過ぎる様々な景色――。勿論、そう思った事がないわけではない。“物語の中のように、特別な事が起こればいいのに”……そう願った事が一度もないと言えば嘘になる。だが、こんな悲劇を望んでいたわけじゃない。こんな恐怖を、苦痛を、絶望を、望んでいたわけじゃない――。

 気づけばどんどん瑞音は裏路地を進み、人気の無い方へと向かっていた。そういう風に誘導されたのだと気づいた時には既に遅く、彼女は袋小路に追いやられていた。慌てて振り返り、瑞音は周囲を見渡した。“音”は聞こえる。でもそれだけ――。姿は見えない。耳を澄ましても聞こえるのは狭い路地の中を跳ね回るような足音の反響だけ……。迫っているのか遠のいているのか、或いは最早すぐ傍にあるのか……。何も判らなくなり、耳を塞いだ。もう耐えられないと思った。気づけば涙が溢れ、歯は噛みあわずがちがちと音を立てていた。もしも客観的に今の自分を俯瞰したのならば――ああ、きっとおかしくて笑ってしまうのだろうな……そんな風に考えた時だった。


「――――ははっ!」


 闇の中、笑い声が聞こえた。まさか本当に――? ゆっくりと顔を上げる。だがそこにいたのは自分自身などではなく、当然のように――彼女を追い立てて居た狩人の姿があった。


「追いかけっこってのも、結構嫌いじゃあないんだぜ。でもかくれんぼは駄目だ。何故かって? そりゃあ決まってる。この俺様が――目立たないからなッ」


 白い、歪な笑みが印象的だった。少年は握り締めた黒く長いシルエットを振りかざし、唇で言葉を刻んだ。その意味を考えるよりも早く、瑞音は自分の過去を思い起こしていた。まるで時間が止まったかのように様々な事を振り返る――。それが“走馬灯”という物なのだと気づいたのは……恐らく振り下ろされた刃が彼女の首を刎ね飛ばした遥か後の事である――。




「……飯島! こいつを見てみろ!!」


 裏路地を走った先の袋小路、そこで安藤は屈んで地面を見つめていた。飯島はふと足を止め――それから口元を抑える。ただ、その時湧き上がってきた感情は“不気味”の一言であった。閉ざされた空間の中、夥しい量の血液が壁にぶちまけられていたのだ。

 安藤は地面に零れたその血痕を指先で触り、それがまだ乾いていない事を確かめる。明らかに人間一人が死んでいて当然の量の血液が噴出した痕跡があるというのに、そこに死体は無い――。青ざめた表情を浮かべ、安藤は煙草を胸ポケットから取り出し、一本口に咥えた。


「くそ……。死体がない殺人現場ってのも、気色悪いもんだな……」


「殺人現場……? これがですか?」


「他になんだっていうんだ」


「死体がないんですよ」


「だが――間違いなく誰かが死んでるんだ。誰かが――な」


 苛立った様子で煙草に火をつけ、安藤は紫煙を吐き出しながら空を仰ぎ見た。そうして男が見上げる空の下、少年はビルの屋上に立って同じように空を見上げていた。金色の髪か風に靡き、少年は笑みを浮かべる。


「【ディヴィナ・マズルカ】――か。楽勝だな。こいつはどうやら、俺様一人の独壇場――ってやつになりそうだぜ」


 血のついた手を空に伸ばし、月を掴むようにしてぎゅっとそれを握り締めた。魂を賭けたゲームは続く。たった一人の“最強”が決定する、その瞬間まで――。


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