三日目:反撃(3)
“彼女”はいつも独りぼっちだった。
誰も信じられず。誰も傍に置かず。誰の声にも耳を傾けず。誰にも触れようとはしなかった。彼女は孤独だった。彼女に信頼出来る人間など居なかったのだ。
彼女は一人きり、歳不相応な荘厳なる玉座の上に座っていた。広々としたその部屋の中、彼女以外の人間は居ないも同然だった。
王であった父親も、母も彼女は失った。まだまだ甘えたい盛りの彼女の手の届かない場所へと愛する人は消え、小さな身に遺されたのは恐ろしい権力と力、そして秩序を守らねばならないという重圧だけだった。
彼女に沢山の人々が笑顔を振りまいた。しかしそのどれが真実でどれが偽りなのか、彼女には見抜く術がなかった。国を陥れようとする輩は数知れず。権力を取って代わろうという野望を持つ者も少なくない。
結果、彼女は誰も信じない事にした。自分の心さえ彼女は信じない事にしたのだ。即位したとは言え、彼女はまだまだ幼い少女だったのだ。その心には隙間が多く存在し、そこにつけこまれた時、自分でもどうにも出来ない感情の波に乗せられてしまうかもしれない。
だが、“仕方が無い”では済まないのだ。彼女が抱える国という巨大な集合体、その全てを台無しにしてしまうかも知れない――。王に戸惑いなど許されない。気の迷いなど持っての他だ。だから彼女は、何も信じなかった。何かを信じようとする自分さえ、信じようとはしなかったのだ。
そんな彼女が信じていたただ一人の存在――。たった一人だけ、燃え落ちて行く世界の中で彼女が微笑みを向けた人。物心付いた時には既に傍に居て。常に彼女を守り。彼女に世界を教え。最初で最後の友であった人。
白銀の騎士。聖なる人――。少女は彼女にだけ心を許し、彼女に多くの重要な使命を与えた。国が動く時、王が重き決断を下す時常にその傍らにその人の姿はあった。
二人はまるで姉妹のようだった。同時に母と娘のようでさえもある。歳の離れた二人はしかし固い絆で結ばれていた。少なくとも王は――そう考えていた。
物語の結末はあっさりと訪れる。王は自らに剣を向ける騎士の記憶を最期に焼き付けた。何故そうなってしまうのか――僕には良く判らなかった。
でも、そういう事があるんだと思う。信じて信じて、でも結局最期は裏切られる……。だから誰も信じられない。誰も信じないんだ。自分自身でさえ、信じるには程遠い。何故なら僕らの感情はいつだって不確かで、誤った判断だって平然と下すから。
そんな、夢を見た。騎士の剣に貫かれ、切なげに顔を顰めたまま少女は口から血を吐いて玉座に倒れこんだ。それが恐らくは彼女の――“王”の魂に刻まれた、最期の記憶だった。
契約しているゲーデと僕たち契約者は魂を共有している存在だ。だからそういう事があっても……相手の夢を見るなんて事があってもいいと思う。別に不自然じゃないさ。もう、割り切る事にした。
でも僕は一人で頑張っていたダンテの姿を見てしまった。見ようと思ったわけじゃないけど――でも、見てしまったんだ。だから、僕は……彼女を少しだけ、信じられる。
信じられるというのは多少語弊があるかもしれない。僕は彼女に共感……そう、共感しただけなのだから。でも、誰も信じていない――きっと僕も信じていない彼女だからこそ、僕らはお互いを信じていないからこそ、だからこそやるべき事をやらねばならないんだ。
九頭龍も信じない。敵も信じない。ダンテだって信じない。僕が信じるのは確定している要素だけ。それを運用し――“運”とか“他力”とかではなく、自ら活路を見出す事……それが僕の生き方だったはずだ。
夜になり、僕は一人で伊薙の街をうろつき始めていた。勿論探しているのは例の殺人鬼――。あいつは僕らを狙っている。このまま行けば負傷している九頭龍に止めを刺そうとするだろうし、僕だってその例外じゃない。
あいつは倒さなきゃいけないんだ。九頭龍なんていう不確定要素を傍に置いてやるんじゃない。僕が自分で、自分の戦い方であいつを殺さなきゃ駄目だ。もう不安定な日々に怯えるのなんて真っ平だから。
「――――驚いたな。まさか、自分から出てくるとは……! だが、一足遅かったな。傷は癒えたし、魂は充分に補給させてもらった」
正面、道端に立つ殺人鬼がそう笑う。場所は海沿いの坂道……。居場所を特定するのはこんな田舎だからそんなに難しくは無い。“連続殺人事件”を警察は調査している。夜中の警戒態勢も強くなっているから、自由に動き回れる範囲は狭まっている。
更に、一度殺人を犯したエリアにはどんなバカだって立ち入る事はしないだろう。そして警官の警備状況なら、昨日の段階で一応は把握している。後は警備の薄いエリアを虱潰しに歩いていけば、何らかの痕跡を発見するのは難しくなかった。
ここに辿り着くまでに既に一つ、死体が転がっているのを確認している。抵抗の様子も見られなかった事から被害者は一般人。昨日の戦闘でわかったけど――ゲーデの契約者同士がまともに争えば“何の痕跡も残らない”なんて奇跡は起こらない。
探索開始から凡そ一時間――予想よりも早く発見する事が出来た。見れば殺人鬼は既にコンディションは万全といった様子で、僕一人である事を確認したからか余裕染みた微笑さえ浮かべている。
「昨日の剣士は居ない、か……。ふん、あの傷ならば無理も無いだろう。今頃その辺でくたばっていてもおかしくはないからな」
そう、事実九頭龍は瀕死の重傷を負っている。今は僕の部屋で横になって寝ているから、順当に行けば回復はするだろうけど……でも、まだ駄目だ。まだこいつに勝てるほど回復はしていないんだ。だから――。
「……しかし、あの様子じゃあお前たち仲間って訳でもなさそうだったしな。一人で出てきたんだ、勝算くらいはあるんだろう?」
「まあ、ね……。無かったら出歩かないさ」
「ああ、そうだな。手負いのあの剣士を庇う為に――なんて、理由でなければな」
殺人鬼が笑う。僕は――正直戸惑っていた。僕は九頭龍の為に戦うわけじゃない。ダンテの為でもないし、かといってこいつに殺される為でもない。
僕は死にたくない。生き残りたい。怖いし、痛いのは嫌だ。それは全部本音だ。九頭龍の事なんてどうでもいい――それも本音なんだ。だけど心のどこかで彼女に死んでもらっちゃ困ると思っている自分がいて。だからわざわざ、こいつとケリをつける為にここまでやってきた自分がいる。
でも、考えるのはもうめんどくさいから止めた。考えても判らないんだ。僕の心は不安定で、たった一つの信念を貫くみたいな真似は出来ない。ふらふらしていて、ふわふわしていて、だから何ともならない。
本当に判らないから、もう考えるのは止めた。こいつの所為とかダンテの所為とか九頭龍の所為とかそんなのはどうでもいい。“僕は”。“僕の意思で”。“自分から出向いた”んだ。それがたった一つの確定された事実――!
「――行くよ、ダンテ」
空に手を翳す。掌の中に浮かんだ赤い炎が燃えあがり、巨大な剣を成す――。殺人鬼は既に人を殺し、剣を構えている。いつ戦闘が始まってもおかしくない。
「本気でやるつもりか? 一人で? お前が? 手が震えているのにか?」
「……君は、強いよ。実際に刃を交えてみて良く判った……。君は魂を沢山集めているしね。でも僕も魂を集めているかもしれないとか、そういう風には考えないの?」
勿論ハッタリだ。でも僕は嘘を付くのは得意だった。周りの人間に合わせて、世界の流れに合わせて、波風立てずに居る為には嘘だって必要になる。
「この街で殺人を犯しているのが君だけとは限らない。別に、アクアポリスで殺したっていい。それに――昨日の彼女、僕が連れ帰った理由……考えなかったの?」
あえて派手にダンテを大地に叩き付けて燃え上がらせる。炎の“密度”は昨日の数倍うすっぺらい。でも――表面だけ取り繕って派手に燃やした。まるでパワーアップしたみたいに。
「――他の契約者を殺せば強くなるんでしょ? 僕が例え一人でも、手が震えていても、本気で君と戦ってみる価値くらいはあるんじゃないかな」
僕の言葉に殺人鬼は眉を潜めた。それは恐怖や疑念と言うよりも怒りに近い感情だ。判ってる――判ってるさ。僕より彼は余程力の扱いに慣れている。殺した数が違いすぎる。
実際彼は強い。能力もそうだけど、彼の剣には迷いがない。凄いと思うよ。人を殺す事になんの恐怖もないなんてね。僕なら絶対御免だ。でも彼はそれが出来る。剣を理解している。力をつけたなら判るだろう。“僕の実力が大した事ない”事なんて。
だから僕の言葉はきっと侮辱にしか聞こえなかっただろう。プライドの高そうな顔をしている――見れば判った。でもそれでいい。彼の心の中に僅かに隙を埋めればそれで充分だ。
さあ、仕掛けはお終いだ。気合を入れて踏ん張るべき所に来てしまった。痛い事を覚悟しよう。泣き出す事を覚悟しよう。僕は――僕を信じない。
「下らん事を……! だがお前の言葉も一理ある。“契約者を殺せば大量の魂が手に入る”……強くなるという事だ。お前を倒せば手っ取り早い。その力、僕が有効活用してや――――!?」
彼が驚いているのが良く判った。最後まで長セリフを聞いてやる義理なんて無い。僕は真っ先に彼に“背を向けて走り出した”――。要するに、“全力で逃げている”。
背後、彼が走り出す。僕は何度か後ろを確認しながらダンテを肩に乗せて構えながら走る。ゲーデを剣化している間は身体能力が向上する。移動速度は普段の僕の比じゃない。
坂道を飛び降りる。海沿いの急斜面、ほぼ直下する状況の中、剣で壁を削ってブレーキングしつつ落ちて行く。高所、海を見渡すその道の下は海ではなく――倉庫街が広がっていた。
元々は漁港として賑わっていた場所だけれど、アクアポリスが出来てからは漁師もめっきり減ってしまい、今では埋め立てられたアスファルトの大地の上に倉庫が乱立している。深夜に人気は――あるはずも無い。
「ぐ――っ!」
落下の衝撃を大地にダンテを突き刺してクッションにすることで軽減する。それでも手足が思い切り痺れた。でも、何十メートルも上の道から落ちたのにこれなんだから大分マシな方か――。
背後、当然奴も追い掛けてきていた。あっちは僕より移動速度が速い――。でも、落下の速度は変えようもない。だからこそ飛び降りたんだ。そしてこの建造物の多い一帯――身を隠して逃げ回るには丁度いい。
倉庫と倉庫の隙間、薄暗い道の中に飛び込んで僕は走り続ける。脳裏に浮かんでいたのは、九頭龍が僕に伝えてくれた事だった。
「単刀直入に言って、君のゲーデは“遅い”のが弱点だ」
ベッドの上、人差し指を立てながら九頭龍はそう切り出す。
「ゲーデの外見は契約者の能力にも大きく関係する。君の大剣は余りにも巨大すぎるし、どう考えても小回りの効くような武器じゃない。むしろ武器としては余りにも不便な形状をしている。まずはそれを理解しなければならない」
そう、ダンテは物凄く巨大だ。人間が運用できる“剣”と呼べる武装、凡そその概念からは外れた存在。余りに巨大で、無骨で、それはきっと契約者にしか扱う事が出来ない。
ダンテは重い。大きさに比例してか、僕の身体能力において“速さ”と呼べる面はそれ程向上しているわけではない。それでも生身の僕と比べれば尋常ではないのだけれど。
しかし実際昨日の戦いでは敵の攻撃に対応出来ず、放たれた技も見切る事が出来なかった。九頭龍はそれよりも数倍早く、反則染みた速さで剣を振りまくる。それについていく事は僕には難しい。
「君の持つ剣と私の持つ剣は全く別の存在だと考えた方がいい。君の剣は“振り回す”ものではない。それは剣の形状が教えてくれる――」
倉庫の合間を縫って移動し、開けた場所へと抜ける。一歩踏み出せば海に落ちるその場所で振り返ると頭上から襲い掛かってくる敵の姿が見えた。
ダンテを正面に構え、攻撃に備える。正面に浮かび上がった真紅の結界が刀身に触れるまでも無く敵を弾き飛ばした。
「またその防御障壁か……!」
と、彼がぼやいている間に一気に前身する。“ダンテは自分から攻撃するタイプの武器”じゃない――。下段に構え、大地を剣が撫で火花を散らす。赤熱した刀身を思い切り斬り上げる。
殺人鬼はそれを剣で防御する。しかしそんな柔な剣じゃダンテは防げない。赤熱した刀身は相手の刀身とぶつかり合った時火花を散らす。それを火種に――ダンテは炎を起こす事が出来る。
それがダンテの持つ基本的な“能力”――。“燃やし”、“爆ぜる”のがこの刃の意味。刀身に爆弾を取り付けた剣――そんなイメージで僕は相手の剣に触れた衝撃と同時に火花を誘爆させる。
勿論それも防御される。でもそれでいい。ダンテの攻撃を受ければ暫く姿勢が固まってしまう。“重すぎて身体が硬直する”――。だから僕は、この重い剣を思い切り振り回す事が出来る――!
怯んだ敵目掛けて連続で襲い掛かる。まともに剣を振り回せば避けられてしまう――。相手の方が早いんだ、当然だろう。でも、攻撃を防いで、弾いて、怯ませて――今なら絶対に避ける事なんて出来ない。
「く――ッ!?」
一瞬、相手の目を見てしまった。その表情からは焦りと僅かな恐怖が見て取れた。なんだか悪い事をしている気になる。でも――手を休める事は無い。
連続で巨大な刃を叩き付ける。その度に小さな爆発が起こり、それは確実に彼の体力を奪って行く。振り回す刃は空を斬り、轟音と共に飛来する。叩き付けられる衝撃と爆発から、その威力はまるで小型のミサイルみたい。
防ぎきれず、殺人鬼は後退する。後ろに跳んで間合いを開く。でも、それも予想していた事だ。ダンテを思い切り振り上げ、大地に叩き付ける。
衝撃が走り、火柱が立ち上った。それは大地に真っ直ぐに生まれた断裂に沿って正面に向かって連続で吹き上げる。大地から真っ直ぐに吹き上げてくる炎を前に殺人鬼は剣を構えて防御の姿勢を取る。でも無駄なんだ。“炎”は“剣”じゃ防げない。
轟音と共に空が焦げ付くような匂いがした。熱風が潮風に混じって吹き荒れ、火柱は収まって行く。開けた視界の先、殺人鬼は服装をぼろぼろに焦がしてしかし尚しっかりとした様子で大地に立っていた。
僕のダンテに障壁が存在するように、他のゲーデにだって障壁は存在するんだろう。ただ僕のはその障壁が更に強固だってだけで。燃えてしまったネクタイを片手に彼は僕を睨み付けた。
「強くなってるでしょ、僕」
彼は答えない。それは疑念が大きくなっている証拠でもある。僕の言った言葉を思い出しているだろう。僕が強くなっているという可能性――それにようやく敗北の可能性も勘定に入り出す。
「名前を教えてくれないかな」
「……名前、だと?」
「知っておいた方がいいと思うんだ。だってそうでしょ? 僕は君を“殺してしまう”んだから――」
彼は目を丸くし、それから肩を揺らして低く笑う。挑発としては充分な効果があった。彼は当然――自分の能力を発動させる。
自らの掌を切り裂き、その血を刀身へと塗りこんで行く。血飛沫が渦を巻き、白銀の美しい刀身を多い尽くして行く。血の刃――。僕のダンテが炎を操るように。あっちのゲーデは血を操れる。
刀身に血液のコーティングを纏ったならばその攻撃力と防御力は格段に上昇する。それは昨日身を持って知った事だ。でも、決して防ぎきれないわけじゃない。
「生意気な口を利いてんじゃねえぞ、コラアアアアッ!!」
真面目そうな顔をしていた敵がそんな言葉と共に突っ込んでくるのが見える。僕は覚悟を決めて深呼吸を一つ、それから同時にダンテを構えて駆け出した。
空ぶったらダンテは隙が大きすぎて必ず反撃を受ける事になる。だから剣を体に密着させた状態で敵に向かって突っ込んで行く。結界に守られているし、剣に備え付けられた巨大な盾が身体を守ってくれる。
距離を離せば鞭が来る。それは反撃にも繋がらず、一方的にこちらが攻撃され続けるだけだ。だから至近距離の白兵戦に持ち込まなければならない。力すべてをガードに回し、正面から突っ込む――。
「ダンテぇええええええッ!!!!」
『障壁最大展開!!』
ダンテの声と同時に全身に張り巡らされた結界が光を帯びて輝き出す。敵はそのまま切りかかってきたが、結界ごと突っ込んで体当たりし、その身体を空中に弾き飛ばす。
間合いを開く事はしない。跳躍し、吹き飛ばされた敵を追う。空中で身体を捻り、鞭のように血の剣を振り回し攻撃してくるがそんなものは気にしない。正面から突っ込んで――捻じ伏せる!!
「何ぃいいっ!?」
斬撃を受けながら、空中で剣を振り下ろす。直撃すれば両断間違いなしの威力を前に彼は鞭を倉庫の壁に突き刺し、自らの身体を引っ張って回避する。空振った一撃は空しく空を斬り、不安定な体勢のまま大地に落下してしまう。
片手を大地に突き、地面から弾かれるように軽く宙に浮かぶ。低空で吹っ飛びながら身体を反転させ着地。ここに来るまでに――自分がどれくらい動けるのかは一応掴んできた。
何も無意味に無様に逃げていたわけじゃない。全力で走ったり飛び降りたり、狭い路地をジグザグに進んだりして自分の性能を把握していたんだ。頭上を見上げると壁に張り付いた殺人鬼が飛び降りながら鞭で連打を仕掛けて来る。
鞭の攻撃は本当に一方的だ。こっちは防御する事しか出来ない。でも――やられるわけでもない。今なら剣を動かして防御できる。目は夜の闇に慣らしてきているし、剣の動かし方も判ってきた。昨日とはもう違う――。
襲い掛かる血の軌跡が夜の闇を切り裂く。防御する度に刀身に鈍い衝撃と音が響き、腕が痺れる。結界で防御しているのにそれを貫通して余りある威力で何度も繰り出される攻撃――正直言ってそれは僕には目で追うのも精一杯だった。
ダンテは兎に角遅い。速さに関しては下の下なんだ。だから目で追って防御するだけでもいっぱいいっぱいで、全てを防げるわけじゃない。
「っつう!?」
結界を貫通し、足に鞭が命中する。皮膚を引き裂き肉に食い込むその鋭い痛みに思わず悲鳴を上げそうになる。でも、そんな事をしていたらズタズタに引き裂かれてしまう。
懸命に防御を続けた。距離は開かれていて、反撃は出来そうにも無い。炎を出そうにもこの間合いじゃ普通に避けられてしまう。相手側に隙がない状況で攻撃を繰り出せば、ダンテを防御に使えず反撃で大打撃を受ける事になる。
だから今は耐えるしかない。ズタズタにされたってしょうがない。これがダンテの戦い方なんだ。僕の戦い方……。“耐えて反撃を待つ”事でしか、今は勝利を手にする事なんて出来ない。
「……面倒くさいな。一気に仕留めるぞ、アルビノ!」
『うん! この距離なら、絶対に反撃を受ける事もないし……!』
殺人鬼は鞭を手元に戻し、剣の形を成す。それを低い姿勢で構え――僕はそれに対応するように両手でダンテを大地に突き刺した。
そう、これを待っていたんだ。この攻撃を……。自動追尾能力を持ち、猛スピードで突っ込んでくるほぼ防御不可能な必殺攻撃――“巻き込む血潮”。昨日は全く対応出来なかった、彼の切り札。
実際この技は物凄く強い。回避しても方向転換をして追い掛けてくるのは鞭というより、その剣が意思を持って襲い掛かってくる事を意味する。避けても続けて攻撃され、防御は貫通してくる。それだけの威力を持っているのは魂を上乗せしている攻撃だからであり、彼の切り札だからでもある。
ゲーデにはそうした特殊な攻撃が存在する。必殺技、とでも呼べばいいのだろうか。それこそ彼の巻き込む血潮は必殺クラスの一撃を持っていた。あれを普通に受け流す九頭龍が人間離れしすぎているだけで、あんなのどうしようもない。
『――予め言っておくぞ、黒斗』
それは、今日の昼の事。ダンテに炎の能力の事などを尋ねている時、彼女は腕を組んで僕に真面目な表情で言った。
『奴の必殺技――あれは我では絶対に防御出来ん。刀身で受ければ弾けるじゃろうが、連続して来られては成す術が無い。相性が悪すぎるんじゃ』
拗ねるような口調でダンテはそう呟いた。でもそれじゃあ問題だ。巻き込む血潮が出てきたら、じゃあもうアウトって事になる。
それじゃあ勝てない。殆どの確率で負けてしまうじゃないか。それは問題だ、間違いなく……。何か方法はないのかと問いかける僕に対し、彼女は――。
『そもそも、ゲーデの必殺技に対して普通にどうにかしようという発想が間違っておる。ああ〜……九頭龍斬子は別物だと考えるんじゃな。そんな事は言われずとも判っておるだろうが……。兎に角、“必殺技”には“必殺技”で応じるのが定石。ならば――』
――目を瞑り、大地に突き刺した剣を感じる。その剣に流れているのは炎の濁流――。ダンテの魂は、溶け出すくらいの熱を帯びて僕の心の中を駆け巡る。
正面では巻き込む血潮の構え。それに対し、僕は心の中でダンテに言われた事を反芻していた。生身では防げない――。なら、“防げる状況”を作ればいい。
「……行くよ、ダンテ」
『うむ。剣に集中しろ、黒斗。“我を感じろ”……それが今の我とお主に出来る事じゃ』
言われなくても判っている。心の中、ダンテの姿を思い浮かべる。ダンテが座っていた玉座……独りぼっちの孤独。それに自分の孤独を重ねて――炎の記憶を呼び覚ます。
大地に突き刺さった剣から溢れ出すのは蒼い炎……。それはまるで海のように波打ちながら大地を埋め尽くして行く。炎は膝下を全て飲み込み、それは僕だけではなく彼も同じである。
「これは……!?」
『え……あつ、くない……よ? 壬、これ、全然熱くないけど……』
「なんだか判らんが……!! 何かされる前に仕留める!! アルビノッ!!」
刀身に渦巻く血飛沫は巨大化し、小規模な竜巻のような姿になって放たれる。それは真っ直ぐ、炎の海の上を突き進んでくる。
でも、今なら判る。“全て予想していた事”だから。剣を引き抜き、僕はただ軽く剣を構えた。
「何……!?」
『巻き込む血潮を……防御するつもり!?』
「そう。防御出来ないなら、出来る状況を作ればいい。嘆きの川――ッ!!」
剣を振り上げ、巻き込む血潮目掛けて振り下ろす。だがその血飛沫の竜巻は自在に動き、姿形を変え、軌道を変える事が出来る。だからこそ厄介なのであり、だからこその必殺なのだ。だが――。
『あ、あれ……? 壬、あれ、私……えっ?』
彼の剣、アルビノが何が起きているのか判らないといった様子でそう呟く。でも僕は容赦なく竜巻に剣を叩き付けた。烈風は自ら斬り伏せられる事を願うかのように真っ直ぐにダンテの刀身に吸い込まれ、そして――“弾き返される”。
その方向は真っ直ぐ主であるはずの二人へ。殺人鬼――壬は技を解除しようとするが、それも叶わない。攻撃は完全に操作不能の状態に陥っている。
「巻き込む血潮が……っ!?」
勿論そうなれば回避に乗り出すのは当然の流れ。彼は自らが放った必殺の一撃を横に跳躍して回避する。しかし――。
「それじゃ駄目だよ。巻き込む血潮は……相手が逃げた方向に追尾するんだから」
直角に弾道が曲がり、真横に跳んだはずの主目掛けて竜巻は突っ込んで行く。
「な……にぃいいいいいいいいっ!?」
奇妙な音が鳴り響き、竜巻が壬の胸を穿つ。完全にそれは致命傷であり、口から血を吐きがならそのまま龍のように蠢く血の嵐に壬は引きずり回され、大地や壁に何度も激突してからようやく開放されて大地へと音を立てて落下した。
その肉体は滅茶苦茶に引き裂かれ、何度も打ち付けられたせいで手足はおかしな方向にねじれ曲がっていた。白いアスファルトの大地に彼の身体から溢れた水溜りが見る見るうちに広がって行く。
「第一の円、自断――。君の……負けだよ、殺人鬼」
ダンテを軽く振るい、炎と共にその姿を消滅させる。大地は血に染まっていた。世界を覆いつくしていた炎の海も消え去り、今はもう何も残ってはいなかった。
「壬……壬っ!! うそ……そんな……! なんで……っ」
剣から少女の姿になったアルビノが自らのパートナーに駆け寄るが、既に彼は生きてはいないだろう。ピクリとも動かず、ただ音も無く血溜りだけが広がって行く。
物言わぬ存在になってしまった自分の相棒の身体を揺らし、少女は何度も名前を呼んでいた。まるで自分が悪い事をしたように感じて思わず俯いてしまう。
そんな僕の背後、ダンテは何も言わずに僕の肩に手を乗せていた。顔を上げ、アルビノを見詰める。泣きじゃくりながら振り返った彼女は憎しみを込めた目で僕を見詰めていた。
「……謝らないよ。悪いけど、僕が勝って君の相棒が負けたんだ。ただ、それだけの事だから」
彼女は悔しげに唇を噛み締めながら肩を震わせていた。僕が何も言えずにその場に立ち尽くしていると――背後に立ったダンテが言う。
『では、止めだな』
「え? 止め?」
『パートナーを失った時点でゲーデに生き残る術はない。契約者が死ねばゲーデも消滅するし、逆も然りだ。一蓮托生、片方死ねば残りも死ぬのが道理であろう。ゲーデを斬り、その魂を喰らうのじゃ。それで漸く、“勝利”と呼べるのだから』
「で、でも……」
殺すったって……女の子だ。戦う術も無くなって泣いているだけの無力な女の子だ。それを……でかい剣で両断しろっていうのか。
なんて寝覚めの悪い戦いなんだ。思わず息を呑む。ほうっておけば勝手に消えるんじゃないだろうか……。でも、それじゃあ魂が手に入らない。
こいつらは人を沢山殺してきたんだ。利己的な理由で、どうしようもない理由で。その気持ちはもう、くたばった壬から聞く事は出来ないけど……でも、どんな理由があっても人を殺したら殺人鬼なんだ。
それは僕だって何も変わらない。自分の利益の為に誰かを殺した……それは事実なんだ。ダンテの言葉に目を瞑り僅かに思案する。そうして僕は自らの意思で剣を再び手に取っていた。
「い、いや……。やめて……」
剣を構える僕に対して彼女は完全に脅えている様子だった。殺される直前の人間の目をしている。その目は――多分、そう簡単には忘れられないだろう。
そんな目を向けられる日が来る事を誰が想像しただろう。少なくとも僕は考えて居なかった。こんな歳も大して変わらないような女の子を、バカでかい剣でぶった斬るなんて。
でも、そうしなきゃいけないんだ。そうしなきゃ生き残れない。安っぽいモラルの為に危険を冒すわけには行かない。“やることはやらなきゃ”駄目だ。戦いの報酬は――ちゃんと貰い受ける。
剣を振り抜く。少女の上半身と下半身は永遠にお別れを告げる事になった。目の前で倒れ、血を流しながら消えて行くゲーデを見下ろし僕はその最後を目に焼き付ける。
「やだ……死にたく、ないよぉ……! もう……【ブリスゲーデ】なんて……いや……なの、に……」
言葉の意味が良く判らなかった。でも、彼女は救いを求めるように僕に手を伸ばしていた。涙を流しながら、命乞いをしていた。
そんな女の子に止めを刺す為に僕は剣を突き刺した。剣が大きすぎて彼女の首はもげてしまった。光の粒に成って弾けた力がダンテの刀身に吸い込まれて行くのを感じる。
『よくやったな、黒斗』
ダンテがそう僕を労う。でも、僕は何も言わずに空を見上げていた。誰にも知られる事も無く、きっとこれから誰にも話す事はない。でも、僕は絶対に忘れる事はないだろう。
自分の意思で誰かを殺して生きて行く……僕は彼と何も変わらない殺人鬼になった。転がったままの壬の死体に背を向け、小さな声で囁いた。
「……さようなら」
謝る事はしない。僕が勝って、彼が負けただけ。ただそれだけの事だから。夜の闇の中、心も吐息も潜めて僕は初めての勝利の余韻を懸命に押し殺していた――。