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三日目:反撃(2)


「どうして……僕を責めないの……?」


 それは至極当然の疑問だった――。

 人生最悪の夜が明けた頃、僕は血塗れの九頭龍斬子と言葉を交わしていた。彼女は死ななかった。きちんと目を覚まし、そうしてあろう事か僕にお礼を言ったのである。

 “助けてくれてありがとう”――。気でも狂っているんじゃないかと思った。だってそうじゃないか。僕は彼女を殺そうとしたんだ。僕の所為で彼女は死に掛けた……それがただ一つの正解のはず。なのに彼女はおかしなことを言う。まるで僕が彼女の命を救ったかのような言い方をする。

 それはどう考えても、何度考え直しても、誰がどうやったってやっぱりおかしな事であって、それ以上も以下も無い。常人ならば絶対に出てくるはずのない言葉を受け、僕は完全に動転していた。頭のおかしい人を目の前にして平然としていられるほど僕の気は確かじゃない。

 だからこそ、その言葉を止める事は出来なかった。彼女には何を言われても仕方が無い。それだけの事をした。なのに――どうして? どうして九頭龍斬子は微笑んでいるのか……その疑問に僕は答えを与えて欲しかった。

 しかし彼女は何も言わずに目を瞑っていた。当然、傷は治りきったわけではない。ベッドの上、壁に背を預けて今もぐったりとしている。全身に汗をかき、その呼吸も荒々しい。

 それ以上問い掛ける事さえ彼女を傷付ける事になるのではないか――そんな考えが脳裏を過ぎる。結局僕が選んだのは沈黙だった。只管に座ったまま黙り込む。

 夜が明けて日差しが差し込んできたって言うのに、結局最悪の日は変わらないんだ。だって毎日最悪を更新しまくっているんだから。彼女が生きていたのは良かったさ。でも、この状況は全然良くないじゃないか。


「……大分、酷くやられたな。右腕ききうでもやられている……これではろくに剣も握れない、か」


 その言葉が僕を責める言葉であるような気がして気まずくなり俯いた。しかし彼女の声色に怒りとか悲しみみたいな物は一切感じ取る事が出来なかった。淡々と、ただ事実を告げるだけ……。ふと顔をあげると彼女はこちらに微笑みかけていた。理由は――不明だ。

 とりあえずこの状況に耐えられなくなった僕は朝食の準備をする事にした。ダンテは数時間前から大人しくなっているので、もしかしたら暢気に寝ているのかもしれない。でも、行き成り襲い掛かってこなくて良かった……。そうしたら彼女ともまた戦わなきゃならない所だった。

 しかし、料理なんかしていられる心境じゃない。僕はそもそも部屋に人を上げるっていうのがまずありえないんだ。僕の聖域の中に異分子が――しかも敵がいるっていうのがもうどうにも落ち着かない。こんなにもそわそわした気分は久しぶりだ。部屋に朋希と遼太と深邑、三人が同時に上がりこんできた時くらいのパニックだ。

 そもそも料理食べる所なんかないじゃないか。僕はいつもパソコンデスクの前で食べてるし……床、で食うのか……。散らかりそうで嫌だ。そんな事を考えていると、背後から九頭龍が僕を呼ぶ声が聞こえた。


「申し訳ないんだが、昼過ぎまで休ませて欲しい。話はそれからでも遅くないだろう」


「それはいいけど……えと、ここで?」


 正直もう僕のベッドの上に誰かがいるのは耐えられそうになかった。頭が痛くなってきたし、吐き気もする……。ベッド血塗れだし……九頭龍は女の人だし。


「君のベッドを占領してしまうのは申し訳ない気分だが……。君も少し休んだ方がいい。夜通し私を見守っていてくれたのだろう?」


「え……? どうして、それを……?」


「君には見えないだろうが、私にもゲーデはいるのさ……。それより……まだ、身体が上手く動かなくてな……。少し……寝るよ」


「あ、うん……。でも、着替えた方がいいんじゃ――って、もう寝てる……」


 寝ているというよりは意識を保てなくなったという感じだ。手当てはしたけれど、それだって素人の処置だし……傷が治るって言ったって、脇腹と腕を抉り取られてるんだ。そう簡単に治るわけがない。

 壁に背を預けたまま眠ってしまった九頭龍の肩に腕を伸ばそうとそっと近づく。しかし次の瞬間、僕の目の前には見知らぬ男が立っていた。突然現れたので驚いたけれど、彼も恐らくはゲーデなんだろう。

 男は黒いスーツに身を包み、不思議な仮面をつけていた。ゲームとかでも良く見るような、陰陽の図をモチーフにしたような仮面を嵌めている。和風っぽいデザインのゲーデだ……。彼女に似合ってるなあ……と、胴でもいい事を考えた。

 ゲーデは僕の腕を掴み、それから首を横に振った。それだけで何となく彼の言わんとしていることは判ってしまった。彼は振り返り、自らの主をベッドに横たわらせる。そうして自らもベッドに腰掛け、足を組んで僕を睨みつけた。

 そりゃあ、そうだろう。彼にしてみれば僕は彼の主を傷付けた人間だ。しかも最後まで生き残れるのはたった一人だけ……そういうルールの【ディヴィナ・マズルカ】の参加者でもあるんだ。自分の主に触れさせるわけにはいかないんだろう。つまり、僕を信用していない証拠だ。

 当然の事だ。けど、僕の部屋の中で僕より偉そうな顔をする――まあ顔は見えないし睨まれてるのかもぶっちゃけわかんないけど――のは気に入らなかった。舌打ちして振り返ると、勝手に実体化したダンテが僕の朝食を美味しそうに平らげていた――って、オイッ!?


「あんまり美味くないのう〜」


「じゃなくてっ!! ゲーデって飯食えんの!? ていうかお前、なんで勝手に実体化してんだよ!?」


「む? 実体化は当然お互いの合意の上でが基本じゃが、別に特に能力を気にしないのであれば、勝手に実体化する事も可能じゃ。そこの剣士のようにな」


 まあ、そりゃあそうなんだろう……。でなきゃ寝ている九頭龍のゲーデが実体化するって事はないんだろうけど。でも、普通契約者の飯を食うか……? こいつ……前から思ってたけど、なんか他の【ブリスゲーデ】とは違うっていうか……。そもそもゲーデって寝たり食ったりするモンなのか……?

 振り返って九頭龍のゲーデに視線を向ける。僕が視線を向けた時には既に消え去っていたが、未だに主の枕元に座って僕を見張っているんだろう。なんというか、侍って感じのゲーデだ。それに比べてこいつは……。


「んぐんぐ……ん? なんじゃ?」


 なんだこいつ……? そもそもなんていうかこう、他のゲーデと比べて緊張感みたいなものが圧倒的に欠如してるんだよ。大事な事も言いそびれたりするし……。なんか、僕が怪我して倒れたら本当に助けてくれんのかなあ……。


「まずいのう、まずいのう……! でも久しぶりの食い物じゃ、まずいわけがないのう〜!」


「……なんかさ、僕……お前に対して何か言っても無駄な気がしてきたよ」


「う? なんじゃそれは?」


 口の周りにケチャップをつけながらオムライスを頬張るダンテ。なんというか……うーん。お子様定食とか似合いそうだな……。

 つーかこいつ食った食料どこに行くんだ? 常に実体化してるわけじゃないんだし、実体化を解除したら未消化の食い物とかがその場に残されたりするんじゃないのか……? やだなあ……胃の中身だけ突然放置とか絶対怖いよ。あんまり食べて欲しくないけど、まあダンテの事だからなんか不思議な力で消化したりするんだと信じたい……。


「ていうかだからさ、僕の寿命削ってまで飯食う必要はないだろ?」


「下らんことでケチケチして煩い奴じゃの〜! 寿命の一分二分くらい、増えても減っても大差なかろうに」


「大差あるよ!! お前まさか今後も事ある毎に勝手に実体化して飯食ったり風呂入ったりするつもりじゃないだろうな!? ああもう、消えろ消えろぉおおっ!!」


 思い切りそう叫ぶとダンテは望み通り消えてくれた。そういえば――こっちの意思でも消せるんだっけか。めんどくさいけどまあ、それだったら少しくらいは許してやるか……。不貞腐れられても困るし。


『それは兎も角、どうするつもりじゃ? このまま九頭龍の回復を待つつもりか?』


 半透明に戻ったダンテが背後に浮かぶ。確かに全く問題は解決していない。僕も一晩中起きていた所為で今は物凄く眠いし、今晩にでもまた例の殺人鬼と当たる事になるだろう。それはもう避けられそうもない。

 今の僕らに出来る事は夜の戦いに備える事くらい……。でも、九頭龍は利き腕を負傷、そもそも動ける状態じゃない。もう暫く時間をかけて回復を待ち、それから行動したほうがいいような気もする。だけどもし仮にあっちにこちらの居場所を探知するような能力があったなら……怪我をしている九頭龍を連れているのは拙い。

 いや、そもそもどちらにせよ九頭龍と一緒に居るのは拙いんだ。こいつはもう戦えないんだし、僕の足を引っ張ることしか出来ないはず。だったらコイツを囮にでも使って逃げた方がまだ利口だろう。

 そう考えつつ、僕の体は頭とは正反対の行動を取ろうとしていた。その場に座り込み、胡坐をかく。それは逃げるとか移動するとかそういう考えとは正反対の行動……。


『……ぬし、もしかして責任感じておるのか?』


「う、うるさいなあ……。どうせ夜までの間は暇なんだし、部屋にいたっていいだろ」


『確かに。どれ、少しでも眠っておれ。その間は我と――あっちのゲーデが見張りを担当しよう。お主から多少離れたくらいならば行動範囲の中じゃからな』


 まあ、ダンテが仮に見張りに飽きて寝ちゃったとしてもあっちのゲーデが反応するだろう。そういう意味では休むには丁度いいチャンスとも言える。僕は床の上に寝転がると、うさぎのクッションを枕代わりにして大の字に寝そべった。

 床で寝るなんてそうそうある経験じゃないけど……兎に角硬いな。まあ、いつも椅子の上で寝てるんだし別に劣悪ってわけでもない。疲れているお陰もあり目を瞑れば直ぐにでも眠る事が出来そうだった。


「時間になったら起こしてよ」


『我は目覚まし時計か!?』


 そんな文句を言うダンテを無視して顔に手を当てる。かなり眠い……。僕はそうして暫くの間眠りにつく事にした。当然、今夜の事を思えばとても気が重かったけれど――。




 綺堂 朋希が朝霞 黒斗と出会ったのは、まだ広い世界を知らない子供の頃であった。

 “孤児”という同じ境遇を抱いていた彼らが友達と呼べる関係になるまでにはそれ程時間は必要無かった。尤も、友達だと公言するのは常に朋希の方であり、黒斗はそれに難色を示していたが。

 山の麓にあった孤児院、“木漏れ日の家”は元々教会であった施設を改築して作られた孤児院であった。森に囲まれたその施設は過去から続く歴史もあり、非常に厳かな雰囲気を持っていた。他の孤児院と比べれば規律は厳しく、子供たちに与えられた自由にも数々の制限が課せられていた。

 しかしそれらを物ともせず、朋希はいつも自由に振舞っていた。黒斗はそんな朋希と共に居ると自然と規律を破ることになると、いつもその事ばかりを気にしていた。

 誰から見ても“悪ガキ”の称号が似合う朋希ではあったが、その実彼の心の中に自由と言う言葉は殆ど存在しなかったとも言える。彼には歳の近い妹が居た。病気がちな彼女の事を、彼は常に気にしていたのである。

 それは仮にどんなに楽しい時でも脳裏を過ぎった。何もかもより優先すべき事として彼の頭の中に刷り込まれていたし、彼はそれを己で認識していた。自分の存在は妹の為にあり、それ以上も以下もないのだと。

 父も母も居なくなった。自分も傍から消えてしまえば妹は一人ぼっちになってしまう。だがそれは朋希も同じことである。彼らはお互いの存在が在るからこそ明日を信じる事が出来たのだから。

 孤児院では、友達も出来た。二人にとってそれは幸せな時間だった。ベッドから降りることの出来ない妹の為、黒斗と朋希は良く花を摘んで持ち帰った。両手いっぱいに抱え込んだ花は土がついていて、二人はいつも泥だらけだった。部屋の中が汚れるからと何度怒られても彼らはそれを止めようとはしなかった。朋希は満面の笑顔で。黒斗は仕方が無いからといった雰囲気で。でも、妹はそれがとても嬉しかった。

 綺堂 深邑――。それが、朋希の妹の名前だった。最初は黒斗だけが訪れていた部屋に、少しずつ友達が増えて行った。兄は誰とでも直ぐに仲良くなる才能があった。兄は友達を増やして行った。そうして深邑の為になんでもしようとした。

 しかしそんな幸せな日々はあっさりと終わりを告げてしまう。二人は別々の家庭へと引き取られる事が決まったのである。勿論二人ともそれを良しとはしなかった。けれど“大人の事情”と“世界の現実”が二人の絆を簡単に引き裂いてしまった。

 ろくに友人に別れを告げる事も出来ないまま、彼らはそれぞれ金持ちの家へと引き取られた。生活は何一つ不自由な事は無くなった。しかし二人はお互いの半身を引き剥がされたような、絶えることの無い痛みに晒され続ける事となった。


「兄さーん! こっちこっち!」


 その、ベッドの上から降りることの出来なかった妹がこうして手を振って自分を呼べるほどに回復したのは、単にその大人の事情のお陰だった。

 最新科学技術の集結する人工島、神貴アクアポリス。そこでの治療は確かに妹の体を回復させた。今では夢にまで見た学校にまで、休み休みながら通う事が出来るようになった。これ以上幸せなことは無いと深邑は笑った。

 けれど、朋希はそれだけでは満足できなかった。出来るだけ傍で、彼女を守りたかった。本来ならば両親が担うべき役目を背負う事が出来るのは自分だけだと、そう言い聞かせていた。

 新たな両親に無理を言い、殆ど家出同然に伊薙町にやってきたのもその為である。ただ、妹の傍で暮らしたかった。例えそれが……沢山の大人に反対される事でも。

 アクアポリスへと向かうユピアブリッジの中央を運行する列車に乗り、朋希は夕暮れの景色の中アクアポリスへと足を踏み入れていた。駅から出た所では既に深邑が朋希を待っていた。その傍らには孤児院からの友人でもある奈雲 遼太の姿もある。二人の元に駆け寄り、朋希は二人の頭を撫でた。


「待たせたなっ!! こんな寒い所で待って無くても良かったのになあ」


「兄さんが中々来ないから出てきたんですよ? さっきまではちゃんと風の当たらない所に居たから大丈夫」


「そ、それより朋希……なんでいっつも会うとまず僕らの頭撫でるの? 子ども扱いしないでよー……」


「ん? 実際子供じゃねえか」


「子供じゃないってば……。寒い中深邑を待たせると拙いと思ってさっきまでそこのファミレスに入ってたんだよ? ちゃんと守ってたんだからね」


「そりゃ偉いな。深邑、寒くないか?」


 二人の頭から手を離す朋希。深邑は素直に頷き、遼太は乱れた髪形を直しながら唇を尖がらせていた。

 こうして三人出会う事はあまり珍しい事ではない。出来れば馴染みである黒斗もつれてきたい所であったが、誘おうとする前にさっさと下校してしまったのだから仕方が無い。そもそも黒斗はこの手の集まりに参加するケースの方が珍しい。


「あれ? 黒斗は来てないんだ」


「あ〜、なんか知らんがあいつ今日は機嫌悪そうだったぞ? ぶつぶつ独り言喋りながら帰っちまったし」


「……兄さんが何か黒斗さんの機嫌を損なうような事をしたんじゃないんですか?」


 じっとりとした視線を兄に向ける深邑。朋希は腕を組んで考えてみるが、思い当たる節はなかった。

 彼ら、“木漏れ日の家”の出身者がこうして出会う事になったのは奇跡的な偶然の賜物である。勿論、彼らを引き取った新しい両親という存在が全員とも金銭的に余裕のある立場の人間であり、この神貴アクアポリスに集まった事は全くの偶然と言う訳でもないのだが。


「でも、珍しいね。兄さんの方から突然様子を見に来たいだなんて」


「あ? ああ……そうだな。まあ、そういう日もあるさ」


 曖昧に言葉を濁し笑顔を浮かべる朋希。深邑を挟んでその反対側を歩く遼太はどこか浮かない様子で小さく溜息を漏らしていた。


「遼太、元気ないな。どうした?」


「え? いや、元気が無いわけじゃないんだけど……。むしろ、元気が無いのは僕じゃないっていうか……」


「え?」


「な、なんでもないよ。それよりごめん深邑、先輩は誘えなかったよ」


 話題をそらすように努めて明るくそう切り出す遼太。その効果は抜群で、深邑は見る見る顔を真っ赤に染めて首を横に振った。


「い、いぃいよっ! え、さ、誘っちゃったの……!?」


「断られちゃったけどね……。まあ、先輩放課後は結構いそがし――あ」


 “先輩”が忙しい理由を脳内で考え、拙いことを言ったと気付く。恐る恐る深邑の顔色を覗き込むと、やはりどこか困ったような笑顔を浮かべていた。

 そう、彼らが慕う“先輩”――姫桜 麗夜の評判を考えれば当然の事である。男女共に人気の高い煌びやかな人物ではあるが、それだけに引く手数多である。共に時間を過ごす事もろくに望む事が出来ない深邑にとっては、憧れるにも高嶺の花であった。


「……お二人さん? なんの話してるのか、お兄ちゃんちょっと興味あるなあ……?」


「と、朋希……顔が凄い事になってるよ……」


「兄さんには関係ないの!」


「か、関係ないぃいいいっ!? この俺に関係ないって……遼太コラアッ!! てめえ、あとでコッソリ教えろコラアアアアアッ!!」


「もー! 恥ずかしいから静かにしてよっ!! 皆こっち見てるよ……けほっ!」


 深邑が少し大きな声を出した途端咳き込んでしまい、遼太と朋希は同時に視線を向けた。胸に手を当てて苦しげな様子で立ち止まる深邑。二人は頷き合い、直ぐに道端に深邑を誘導した。もう慣れたものである。


「大丈夫? ごめん、ちょっとはしゃぎすぎたね……」


「ううん、大丈夫……。それよりごめんね、せっかく楽しくお話してたのに……」


「気にすんな。話ならこれからいくらでも出来るしな。遼太、この辺で入れそうな店あるか? 俺はアクアポリスはよくわからん」


「あ、そうだね。じゃあ、案内するよ。えっと……」


 遼太は深邑の手を取ろうとして何故かそれを引っ込めてしまう。その不自然な動作に兄妹がそろって小首を傾げると、遼太は取り繕ったような笑顔で背を向けた。


「――こっち。先に行くから、ついてきて」


「……おう。深邑、歩けるか?」


「うん」


 それが、“現実”が定めた関係性――。

 深邑は結局誰かの手を取らねば前に進む事は出来ず。朋希の手は彼女の手を取るためだけにあり。他の全てを取りこぼしてきてしまった。

 それはこれからも永遠に続いて行く。定められてしまった運命のように。繰り返し繰り返し、何度も何度も……。

 だが、繰り返す関係で居られるだけでもありがたいことなのだと朋希は理解する。それは、彼の運命さえも大きく捩じ曲げたある出来事が切欠であった――。




「――――戦おうと思う。一人で……僕が」


 目を覚まして開口一番、黒斗がそう口にしたのには勿論相応の心境の変化があった。しかしその真相を知るものはその場に居らず……驚きを隠す事は出来ない。

 時計は午後を指し示す。昼過ぎまでの休息の後、しかし斬子の傷はまだ回復し切ってはいなかった。どんなに早くとも、自由に動けるようになるまでもう一晩はかかってしまう……それは最早避けようのない現実である。

 戦えるのは黒斗しかいない。だが他にも方法はあるはずだった。一晩ここで過ごしてもいい。黒斗だけここから逃れてもいい……。“最低”という条件付であれば選択肢などいくらでもあったはず。その中から何故彼が戦うという意思を選び取ったのか、それはパートナーであるダンテにも理解の及ばぬ事だった。


『本気で言っておるのか?』


「……うん。それしかない……ううん、そうしたいんだ。僕が……自分で決めたいから」


 そう語る黒斗の視線は脅えているように見えた。しかし同時に嘘のようなものは形を潜めている――。斬子はそんな戸惑いを抱いたままの黒斗にそっと微笑みかけた。


「……ならば、私が今の君にして上げられる事は二つだけだ」


 そうして額の汗をそのままにそっと左手の人差し指と中指を立て、視界に翳す。


「一つは“君に出来る事と出来ない事を教える事”……。君のゲーデは君が思っている以上に強力なゲーデのはずだ。力の使い方を知れば……或いは勝ち目も見えるかもしれない」


「……二つ目は?」


 恐る恐るそう問い掛ける。すると斬子は子供のような無邪気な笑顔を浮かべ、それから眉を潜めて俯きながら。


「――“君の幸運を祈る事”、さ」


 冗談交じりにそう告げた――。

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