DAY2:Long Distance Runaround(1)
人を支配するのに最も手っ取り早いものは恐怖だという。
例えば、独裁政治。
力のない市民相手に武器を振りかざした政治官僚達が押し付ける国の在り方は、まさにそれそのもの。逆らえば焼く。逆らえば斬る。逆らえば――殺す。人間というのは通常例ならば傷つくことを恐れるものだ。
所詮死というものは、生きている人間ならば誰もが体験したことのない幻想だというのに、誰もが勝手に妄想し想像し、構想して恐れという着地句点に降り立つ。これは、滑稽であるとしか言えないんだろう。
例えば、拷問。
戦争の激戦化に於いては秘密裏に捕獲した敵兵に、情報を吐かせるために目も憚るような行為を施した。その際、拷問官が頭に留意しておくのは一点だけ。――“死んだ方がマシだ”と思わせること。この一点に限る。
殴打、切断、焼却――。方法は何だって良い。男女の性別の相違によって、方法はまた異なってくるだろう。何も身体的な物ではなく精神的なものでも良い。とにかく、こんな状況なら死んだ方がマシだと思わせる。
そして被拷問者が“死にたい”――そう頭に過った時に一言囁けばいい。「吐けば殺してやる」と。
【痛み】とは脳への【危険信号】に他ならない。故にそんなものを常に浴びせられていたのなら、気が狂うというものだ。だから人というものを支配するには、恐怖というものを活用することが最も早い手立てであると言える。
――それを、ザリチュはよく理解している。ただそれだけなのだ。
『……これで七人目だな、竜次』
「……うん」
人工の光――蛍光灯の光に反射した血染めの剣。それを竜次は床に向かって払う。遠心力により振り払われたそれは、ファストフード店の白い床に点々と、一直線に飛び散っていった。
十数分前に四人殺した後、間髪入れずに竜次とザリチュは次の魂を喰らいにやって来ていた。現在では幸いなことに、日が変わるような深夜でも自然を装って入れる施設が多い。竜次とザリチュは、それを当り前のように残虐の為に利用していた。
男も女も容赦なく両断する。レジの前に平然とやって来た竜次は、そのまま受付の店員を縦一文字に斬りつけ、騒ぎ慌てふためく深夜の客達に駆け寄り、またも両断していく。実に所要時間は一分も掛かっていない。斬り付ける、獲物を追い掛けるなどは殆ど刹那の間で、時間が掛ったのはむしろレジの前で店内の客の位置を把握することだけだった。
『またかよ……』
「うん、ごめん。念には念を入れておきたいんだ……」
鼻から息を吹く、軽蔑を強く含んだ笑いを契約者である竜次に向けるも、竜次本人はもはや気にせず、色のない瞳で監視カメラと記録媒体を探すだけであった。
血の溜まりを広げる床を気にせず、竜次はぴちゃぴちゃと歩く。直ぐ足元に内臓が落ちていようと、目玉が落ちていようと、脳漿が飛び散っていようと、もはや竜次には気になる対象ではなかった。もう意味を為さない、自らの罪の塊である屍よりも、これから自分の身に危険が迫るであろう物の方が、竜次には遥かに重要なのだ。
「――――行こうか、ザリチュ。今日はもう満足でしょ?」
自動ドアを潜って、もはや一般人と大差のない姿で店内から竜次は出てくる。違いと言えば、独り言にしか見えない虚空に投げる言葉と、それに返す何者かの声があること――そして右手には巨大な黒い剣が握られていることだけか。
『……ああ。そうだな。まだ初日だから、このぐらいで許してやるよ。でも次は、この二倍だ』
その言葉と同時に、黒い剣は雲散する。闇に紛れる塵芥の粒子となって、それは存在をこの世から消滅させた。
「うん、分かったよ」
店の前に停車させた自身のスクーターに竜次は歩み寄る。白い車体に被せられた白いヘルメットを手に取りながら、ザリチュの言葉に応えていた。
『俺の言う通りにすれば生き残れるからな、竜次。……俺の言う通りにすれば、お前は死なない』
「……うん」
虚ろな瞳で、竜次は腕時計に向かって頷く。
極限を超えた恐怖という感情は、竜次を破綻させるのに時間は掛からなかった。今では何も考えず、【ディヴィナ・マズルカ】に生き残る為に動く魂を喰い。【ディヴィナ・マズルカ】本質の立ち回りをする竜次は【ブリスゲーデ】の契約者としては優秀な修羅の人物だが、人間としては既に救いがないと言っても過言ではない。
当然そんなことを竜次は自覚している筈もなく、自身の【ブリスゲーデ】ザリチュの“渇き”を癒す為と、自身が生き残る為に無関係の人間に手を掛けていくことにもはや何の疑問を抱いてはいなかった。
――ヘルメットを被り、スクーターのエンジンにスイッチを入れる。煩い音と共に、竜次の体に振動が伝わった。道路へと出る為に、足を使いスクーターを後ろに向かせるが――
「――今夜は随分と血生臭いのね。お兄さん」
――そこには一人の女性がいた。二十代過ぎたか過ぎてないかという風貌。夜の寒空に吹く風に、セミロングに切られた青い髪が横へと流れている。足の長さを強調するように短いスカートを履き、その長い脚は黒いタイツに覆われている。
一歩、笑みを被って少女は竜次へと近づいた――その瞬間だった。
「――【実体化】」
女性――澄華の両手には、表面に穢れのない水を凍らせたような、とても刀身の短い半透明な青い双剣が逆手に握られていた。
「……ザ、ザリチュ!」
竜次はその姿に恐怖し、ハンドルを握る指に力を入れる。
蘇る恐怖、命の危機、死の予感――。あの時の少年との斬り合いが、脳裏に色濃く浮かび上がった。
「……貴方、【ディヴィナ・マズルカ】の参加者ね?」
腕を伸ばし、背後に刃を突き立てながら澄華は妖しく語り続ける。
青い髪に青い剣。それは暗闇の夜空に反射し、妖艶な雰囲気を創り上げていた。
「お相手、お願いできるかしら?」
直後、澄華は体を回転し、その短い刀剣で竜次へと斬りかかった。リーチが短いとは言え、その双剣は【ブリスゲーデ】であることに変わりはない。
抵抗などなく、竜次のスクーターへと刃が沈み込む。それと同時、竜次はスクーターを捨て、後ろへと黒い大剣――ザリチュを展開させながら大きく跳ねて後退した。
エンジン部を両断されたスクーターは火花を散らした。それを見、澄華はハンドル部分へと足を駆け、双剣を広げ高く跳躍する。
見上げる竜次の視界には澄華が映り、その彼女の姿は竜次に月を背に舞い降りる青い硝子のような印象を与えた。浴びれば身を刻まれる鋭利な硝子。身に刻まれた恐怖で、竜次は本能的に剣を体の前へやり楯とする。
振り下ろされた澄華の双剣はクロスを描き、両の刃でツヴァイハンターの刀身へと斬撃が入る。
その衝撃に竜次は肩を震わせながらも、弾き後退させるためにツヴァイハンターを前方へと強く押す。すると、酷くあっさり澄華の双剣はツヴァイハンターから離れ、澄華の体すら奥へと後退させる事に成功した。
それに驚くのは実行した当の二人。
「あ、れ――?」
昨夜の麗夜の刃に引き続き、力を加えれば相手の刃は皆容易く退くことに竜次は気づく。
それはどうして? 相手が手を抜いたから? 自分に特別な技術があったから? いや、それらはきっと違う。
『――竜次! 俺達は強い! そしてアイツは脆弱だ! 俺たちなら余裕で勝てる! 行けぇ! 竜次っ!』
二人は確かに、自分達の単純な強さを理解した。故に竜次は、目の前の獲物へと駆け寄る。
月に反射するその剣先を冷静に見つめながら澄華は、
「……あんなこと言ってるけど、そうなの? ティル」
『……はい。あの【ブリスゲーデ】凄く恐ろしいです。速いし、堅いし、それにとっても重いです。――でも何より』
そう、と弧を描いて自身を切り裂きに来る刃を見て、双剣――ティルを構える。
振り下ろされた刃を澄華は左の刃で斜めに受け流す。そのまま更に落ちてくる重いツヴァイハンターを右の刃で受け流し、結果として大きく斜めに剣の軌跡をずらす。ずれた軌跡は、流れる澄華の青い髪を通過した。
『何だが……“底”を感じません』
「――“底”?」
澄華は地面へと斜めに突き刺さる刃に片足で踏み込むと、またも高く跳躍した。そのまま竜次のヘルメットを踏みつけ、体を反転させ、足を空に向けるようにして、両の剣で斬り付ける――が、竜次は頭部を踏まれた瞬間に、力任せに地面から剣を振りぬき、独楽のように一回転していた。
それに対し即座に澄華は反応し、両の刃を交差させて驚異的な重圧――魂が“上乗せ”された斬撃を押し付けてくる大剣を、何とか防ぐ。
が、衝撃までは押し殺せず、小さな澄華の身体は遠くへと吹き飛んでいった。一度回転しながら、足は地面へと向けて、降下していく。
『何だかあの人、怖いです。――スミカ!』
着地した直後、僅か澄華の身体が滑っている間、悲鳴の様な訴えをティルがしてくる。
不思議と、【実体化】している間はティルヴィングの気持ちというのが如実に伝わっていた。原理はよく分からない。けれど、これは体が軽いことや、握ったこともない剣の扱いに長けていることに何か関係があることなのかもしれない、と澄華の頭の片隅では思考が行われていた。
しかし今、重要なことはそれではない。子供のように脅え切っているティルの様子が気になる。何だか静かだった海面が、さざ波のように細かく震えている、そんな脅え方。
「……分かったわ。今夜は引きましょう」
澄華には、【ブリスゲーデ】の心情を無視して戦うのは得策ではない、と何となく直感していた。わざわざ二人組で組まれた生き残りを駆けたレースなのだ。一人で突っ走っていくことで勝利に結びつくとは考えにくい。
だから後退。澄華は目前にいる敵に対し、無様にも背を向け走り去っていく。
『おい! 竜次、追うぞ!』
「い、良いよ。ザリチュ。今日はこの辺にしておこうよ」
『ああ!? どうして!?』
「も、もうすぐ人も集まってくるだろうしさ。そ、それに今日はもう良いよ。……つ、次の時にまた魂を食べれば確実に倒せるようになるだろ? だから、さ。ね? ザリチュ」
『…………次は倍だからな?』
そう言って、黒い大剣は消え失せ、青い髪の少女の姿も夜に紛れていった。
「――クソ。何処にもいねえじゃねえか」
俺は深夜の神貴アクアポリスを彷徨っていた。探す範囲の中心は、昨夜のあの電光掲示板群の周辺。あのスーツの男と再び刃を交えたくて俺はこんな夜遅くに出歩いていた。
しかし、誰もいない。あの男どころか、夜中の街を歩いている奴人っ子ひとりいない。辺りに人気がない、ということはその場全域が戦闘領域に成り変わる可能性が十分にあると考えられ為、自然と俺の鼓動は高まるが、全く持って期待通りにはならない。
だが、きっと今の俺にはそれが良い。今までが苦労なく思い通りに行き過ぎた。人に威張れるような努力をした訳でもなく、神貴アクアポリスに新設された進学校――明蔡学園へほぼ首席で入学。その時点で、もはや証明に事は足りていると言える。
だから二時間近く歩き回っても目標を探し出すことが出来ないこの状況こそが、俺にとっての求めていた“非日常”である。思い通りにいかない未来。ならば俺は、その中で必死にあがいてやろうではないか――。
「おい、何か策はないのか」
『ありませんねぇ……あ、私を【実体化】させながら歩くのはどうですか? そうすれば参加者から一目で分かって貰えます』
「お前は、本当に莫迦か? 寿命縮まっちまうって言ってんだろうが」
『む……そのぐらい分かってますよ。わざと言ったんです、わざと。……それに私は散策、猛反対したじゃないですか……』
と、不貞腐れたように言うクレイ。腰の辺りから聴こえるそれは、顔は見えないもののなんだか口を尖らせている幻が見える気がする。
そう、こいつは散策に出向く前、【ブリスゲーデ】に有るまじき発言をしやがったのだ。“闘いなんて大嫌いです”。そんなことを大声で言いやがる。流石にどういうことだこの野郎、と怒鳴ったのは言うまでもない。
……ああ、隣人への心配は全く要らない。俺の住む高級マンションには完璧な防音が施されいてる。玄関など特殊な場所以外では、恐らく歌を大声で歌ったって聞こえない。だから、連れ込むには最適だったりする。
……とにかく、クレイは昨夜、戦いなんてしたくない。そう断言したのだ。だったら何でゲーデになった、そう問い詰めても何も言わない。お前は俺の剣になるんじゃなかったのか、そう言っても口を閉ざすだけ。殺意が沸いて銀時計を潰してやろうかと思ったが、流石にそれは自分の命を潰すのと同意な為押さえつけたが。
だからとりあえず、銀時計の姿のまま夜の街へと強引に連れ出したのだ。
「はぁ……畜生」
繁華街に設置されているベンチに体を放り投げる。足を開き、腕を左右に背もたれへ広げて寄り掛かるという、凡そ普段の俺なら一部を除いた他人に決して見せない傍若無人な態度。
流石に、苛立ちというものを隠せなかった。クレイがただ臆病なだけなら良かった。けれどそうじゃない。クレイは確固たる意志を持って戦いというモノを拒絶している。
確かに、初めに出会ったあの時も、光に包まれた女神のような印象を抱いた。だから、慈愛を分け隔てなく振り撒く、そういう印象を抱いたことも事実だ。だが、いざそれを本当にやられると腹が立つ。
持ち主がやる気で剣がやる気がないってどういう事なんだよ。俺が主だろうか……。
動きやすいように、と思って黒のカーディガンに黒のニット帽で来たのが不味かった。意外と寒い。頭は帽子のお陰で暖まっているものの、体全体は中々寒い。袖の辺りを擦って寒気を誤魔化そうとするが、十二月半ばの冷えには無意味だった。
『寒いのですか?』
「あ? あぁ、まあ、ちょっとな」
『……私が温めましょうか?』
「……ギャグだよな?」
『え?』
「……」
『……。……え?』
「……もういい」
はあ、と溜息を吐く。すると目の前は白い息によって、まるで霧のように塞がれた。その水蒸気はゆらゆらと空へと立ち昇り、やがて――。
「――貴方、死にます」
――開けた視界には、白いドレスの様な服装に身を包んだ一人の少女が立っていた。短いスカートに膝丈の上まである白いオーバーニーソックスを履き、白い僅かにフリルの装飾が施された日傘を持っている。その姿は、何処か可憐な印象を抱かせる。
「……ああ?」
突然現れた少女。いきなり言ってきた言葉が“死ぬ”とはどんだけ不躾だ。だからポケットに手を突っ込み、尻をベンチ深く掛けながら俺は言う。
もう“仮面”を被るという事など、頭の中からは吹き飛んでいた。完全に素の状態。不良その物の横柄な態度で持って、目の前の少女に不機嫌の塊をぶつける。
だが、所謂白いゴスロリチックな服装に身を包んだ幼い少女は、怯む様子なくアメジストのような澄んだ大きな瞳を俺に向けてくる。その透き通るような綺麗な瞳は、こちらの全てを見透かしているかのよう――。
「貴方は……このままでは真っ先に死にます」
「お前……【契約者】か?」
「乖離した星々は交わることはありません。……それらはただ、彷徨うだけ」
だが、目の前の少女は俺の問いかけに答えない。紫色の瞳を向けたまま、小さい唇で言葉を紡ぎ続けるだけ。
どういうことだ。俺が……真っ先に死ぬ?
「お前……何を言っている?」
「……どうか、それに気づいて下さい」
そう言って、カツカツと靴音を鳴らして少女は去っていく。
無防備な背中を見せるその姿は、戦闘を行う気など皆無だろう。ならば、今ここで殺してしまうべきだ。戦闘の意思のない【契約者】など、恰好の餌食でしかない。……その筈なのに、俺の脚は、腕は動かなかった。
何処か少女の言葉は、俺の心に深く染み渡る。何故かはわからない。分からないけれど、それが分かってしまう。身体が凍りついてしまうほどに。
純白の少女は不可解な謎を残したまま、街の雑多な建造物へと姿を消していった。