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二日目:最低(3)


『ねえねえ、壬……。私たち、最期まで勝ち残れるよね?』


 自らに対する、ゲーデからの問いかけ――。それに答える必要性を壬は感じなかった。正直に言えば、それどころではないというのが本音だ。

 昨晩、壬は自らが暮らす神貴アクアポリスへと一時的に退却した。殺人を犯すのであれば、アクアポリスよりも伊薙町でと決めていた。どうしようもない、非常に低レベルで頭の悪いナンセンスな田舎者を殺すのならば、特に良心が痛む事はない。

 理由といえばそれだけではない。自らが住むアクアポリスとは離れた伊薙で殺人を犯す事で警察の捜査をかく乱する狙いもあった。が、あれだけ派手に殺し歩いてしまったのだ――夜中の警備は中々の物がある。

 とは言え、伊薙は広い。警察官があちこちをパトロールしているものの、全ての地区を常時把握出来るわけではない。それに警官の一人や二人――仮に強力な銃器で武装した人間が相手であろうと、ゲーデの力がある限り遅れをとる事はない。

 今後の動きやすさを考慮すれば出来れば目立たず。しかし勿論臆する事はない。壬は夕暮れ時には既に伊薙に潜み、駅前のファミリーレストランで時間を潰した。夜が更けてくる頃に歩き出し、何食わぬ顔で徘徊を開始する。


『ねえねえ、壬〜……。壬ったらぁ〜……』


「……うるさいぞ。他人には聞こえないからいいが……独り言を喋っていたら目立つ。少し黙れ」


『でもでも……昨日のあの怖い契約者にまた会っちゃうかもしれないよう……? 勝てるかなあ? 昨日は逃げ切れたから良かったけど……』


 壬の腕時計から現れた白い少女の影が不安げな表情で壬の隣を進む。白銀の髪を靡かせるその様相はまだ少女のあどけなさを残し、純白の布帯を纏ったその姿は神秘的な妖精を彷彿とさせる。

 阜羽 壬と契約を行った【ブリスゲーデ】、“アルビノ”――。その能力により壬は既に傷を完治させていた。昨晩斬子に斬りつけられたダメージは決して軽くはなかった。しかし一般人から略奪した魂を治癒に当て、アルビノの“能力”を発動する事で傷はまるで無かったかのように綺麗に塞がったのである。

 ゲーデの持つ特殊な能力こそ、このゲームを制する為に必要となる要素である。壬は昼間の間にアルビノと共に己の戦術を組み上げた。アルビノは喜んで己の能力の全てを壬に説明した。二人で勝利する為に必要な、“アルビノ”というゲーデの戦い方を把握したのだ。

 昨日は斬子の方が上手であった。斬子の方がゲーデという存在が持つ力を理解していた。特殊能力について何も知らないまま、ただの剣として戦っていた壬が敗北したのは当然の事でもある。


「問題ない。こちらの方が魂の蓄積量は上なんだ、まともに戦えば負ける道理はない」


 眼鏡を中指で押し上げながら壬は小声で答える。アルビノは少しだけ安心した様子で頷き。それから壬の顔を覗き込む。


『怪我は一応、能力でふさいだはずだけど……痛まない? 大丈夫?』


「問題ない。それより周囲に気を使ってくれ。実体化していなくとも物は見えるんだろう……? パートナーとして、仕事はやってくれないと困る」


『うん、判ってるよ。ちゃんと見てるから……。それより壬……? “眼”――使い始めてもう三十分くらい経つよ?』


 その言葉に足を止め、壬は振り返る。振り返った壬の瞳が一瞬緑色に輝いたように見えた。しかしそれは一般人には認識する事が出来ない、ゲーデの能力の一旦である。

 周囲を見渡す壬の視界には様々な人間が行き交っている。壬にはその人間を見るだけで、対象者の残りの寿命を認識する事が出来た。

 全てのゲーデの共通した能力である“眼”――。それは参加者に共通して与えられた力。ゲーデに依存しない、特殊な能力の一つである。

 九日間という短い期間の間に十二人の契約者たちがお互いを殺しあうゲーム――しかし中には敵と遭遇する事を避けたり、戦う事を拒む者が現れるかもしれない。鼬ごっこをしていたのでは時間を無為に使うだけである。“眼”はそうした配慮からか、必ず契約者ならば発動する事が出来た。

 眼とは、“対象者の寿命を確認する”能力である。開催期間が経過すれば、自然と参加者の寿命は減って行く。最大でも九日間なのだ、見ればそれと判断が出来るだろう。勿論元々九日以内の寿命しか持たなかった人間も居るのだろうが、ある程度のアタリをつける事が出来る。

 更に、一般人から魂を奪う事に関してもこの眼が効力を発揮する。同じ一般人から魂を吸収するのであっても、残り寿命が長い人間と短い人間では寿命が長い人間の方が吸収できる魂の量は多くなる。

 勿論、眼の発動には己の寿命を消費する事に成る。その消費量はゲーデの得意不得意によって決定される。探知系のゲーデであれば眼の発動による寿命消費は少なくて済むだろう。しかしアルビノはそうではなかった。

 アルビノはお世辞にも能力の高いゲーデとはいえない代物であった。探知能力も持たず、直接戦闘に置いても性能は光るものがない。当然のように眼の扱いも不得手であり、寿命の消耗は激しかった。

 そんな自分の至らなさを理解しているからこそアルビノは落ち着かなかった。アルビノの性能は壬も理解しているはずなのに、平然と眼を使い続けている。寿命を刻むデジタルウォッチの数字が見る見る内に減少して行く。


『壬……ねえ、壬ったら……』


「寿命が減ったなら補給すればいいだろう。それに、他の参加者を倒せば一般人とは比べ物にならない程の魂が手に入る――そうだろう?」


『……うん。魂の密度は契約者の方が圧倒的に高いから……。でも、戦うのに魂の量が少ないと不利だよ?』


「昨日みたいに突然襲撃されるほうが困る。出来れば先手必勝だ。それに――お前は別に魂が少なくとも戦うのに問題はないゲーデだろう?」


 壬の言葉にアルビノは浮かない表情で視線を反らす。“それはそう”。“確かにその通り”だ。しかし、不安は拭い去れない。


「そんな顔をせずともちゃんと優勝してやるさ。そのためにはまず他の契約者を潰し、そして力をつける事が必要だ。安心しろ、お前の目的に沿った行動はしているつもりだ」


『……そうだね。信じるよ……壬の事』


 弱弱しくそう微笑むアルビノの言葉。それは自らに言い聞かせているようでもあった。ようやく静かになったアルビノを背後に壬は夜の街を進んで行く。

 周囲を見渡しながら歩き続ける。すると視界を一人の少年が過ぎった。少年の頭上に表示されている寿命に眼を凝らす。壬は眼の能力の発動を解除した。


『壬?』


「――面白い物を見つけた。追い掛けるぞ、アルビノ」


『え? ちょ、ちょっと待ってよう!』


 物陰に隠れながら小走りで移動を開始する壬。その視線の先、挙動不審な動きをしながらおっかなびっくり月下を進む人影があった――。




『――――お主は歪んでおるな』


 突然のダンテの言葉に黒斗は足を止めた。視線を背後に向ける。ダンテは黒斗の左後方、膝を抱えながらふわふわと空に浮かんでいた。

 勿論実体化はしていない――。その姿は誰かに見える事も無い。赤いマントを揺らしながら真紅の瞳で微笑む少女――。美しい月の背景もあり、それはまるで幻想の姫君のよう。

 しかしそんな妄想は直ぐに振り払う。黒斗は足を再び前へ。ダンテはその後を続いて行く。少年は黒いコートのポケットに両手を突っ込んだまま視線を伏せて口を開く。


「急に何?」


『急でも無いのではないか? まさか、自分が正常だと思っておるわけでもあるまい?』


「逆に訊くけど、“まとも”で居ていい事なんてあるの……? 僕はまっぴらゴメンだよ。そんな風には生きられない。怖くて、危なっかしくて……傷つくのは嫌だからね。だから僕は“まとも”になんか生きたくない」


 過去の記憶が脳裏を掠める。何となく重苦しい気分になり黒斗は眉を潜めた。“まとも”で居る事に有意義さなんて見いだせない。臆病に、滑稽なくらい格好悪く、みっともなく、情けなく、逃げるような人生がいい。それが一番いい。それが一番傷つかないで済むから。

 何かと向き合う事なんてしたくない。恐ろしくてしかたがないから。信じた所で裏切られるのがこの世の常。何かに依存する事は己の舵を誰かに預けるという事。大切な宝箱の鍵を放り投げるという事。そんな怖い事はしたくない――ずっとそう考えてきた。

 逆に黒斗には自分以外の存在の在り方こそ理解に苦しむものだった。どうしてくだらない事で一喜一憂し、この素晴らしき退屈な世界の中で変化を求め続けるのか。

 他人と関わり、自分と関わり、日々変わって行く事を求める――それは理解に苦しむ事。今を続ける事でさえ精一杯で、明日の事もわからない……そんな黒斗にしてみれば他人と接する事は恐怖以外の何者でもなかった。


『友に頼ろうなどとは考えぬのか?』


「考えた事もないよ。それで裏切られたらどうするんだ? 頼ったら期待しちゃうじゃないか。僕は絶対期待だけはしたくないんだよ。最も愚かな行為だ。絶対裏切られる。フラグだよ、絶望の」


『警察に駆け込もうとも考えぬのか?』


「当然だよ。警察なんて相手になんないよ。日本の警察は拳銃撃つのにだってモタモタしてるんだよ? 自分でゲーデの力を体感したから判るんだ。もう普通の人間にどうにか出来るレベルはとっくに超えてるって」


『――お主にとって【ディヴィナ・マズルカ】とは何だ?』


 真剣な声色でダンテが問い掛ける。身体を空中でふわりと回転させ、足を組んで宙に座る。腕を組んで小首を傾げる真紅の姫の言葉に黒斗は足を止め、苛立った様子で振り返った。


「……さっきから何? 僕は急いでるんだ。話しかけないでよ」


『そう邪険にするな。パートナーなんじゃからな。相棒の気持ちくらい知っておくのは当然じゃろう?』


 眉を潜め、身体ごと振り返る。そうしてダンテに詰め寄り、その眼前に人差し指を突き出して黒斗は口を開く。


「“迷惑なクソゲー”だよ、ダンテ。それ以上も以下も無い。そういうヒロイックな事に僕を巻き込まれても困るんだよ……! 選ばれた十二人の契約者? 死神のゲーム? 喋る剣? 冗談じゃない! 冗談じゃないんだよ――ッ!!」


 腕を振るい、大地を蹴る。額に手をあて、黒斗は背中を丸める。その様子は怒っているわけではなく。不安にかられているわけでもない。ただ――“予定が変わってしまった”事に苛立っているような――。そんな、子供染みた感情だった。


「僕は絶対に死にたくない……生き残る為だったら何でもやるさ。君も僕のパートナーだっていうならくだらない事を言っていないで生き残る手段を考えてよっ!! 御託なんか並べたって仕様がないじゃないか!? もっと机上に空論を並べろよ!! 君は!!」


 怒気を孕んだ声で告げる黒斗を正面にダンテは全く別の事を考えていた。自分から話を振っておいて、既に黒斗の発言など思慮の外である。

 朝霞 黒斗――ダンテの契約者となった少年。他人を拒絶した性格、不安定な言動、子供染みた感情論……優れた契約者であるとは言えない。それは確かにお世辞にも言えない。だが――何となくダンテはこの少年の事が気に入り始めていた。

 それは決して褒められたものではない。しかし少年は強烈に“個”を所持している。自分自身という存在を理解している。それはやりようによっては強さに変わるかもしれない――。この最悪の状況に僅かな光明が差し込んだ。


『成る程。朝霞 黒斗――面白いのう、お主は』


「はあ?」


 素っ頓狂な声をあげ、眉を潜める黒斗。ダンテは無邪気な笑顔を少年に向ける。そうしてゆっくりと振り返り――。


『じゃが確かに今は下らぬ問答を続けている場合ではなかったようじゃな』


 闇夜を射抜く真紅の眼差しの先――。夜の闇の中、ゆっくりと歩いてくる人影が一つ。腕を組んだダンテが黒斗の隣に降り立ち、その肩に触れる。


『つけられたようじゃな』


「〜〜〜〜……ッ!! 最悪……ッ」


 夜空を覆っていた雲が風に吹かれて飛んで行く。月明かりを浴び、暗闇から姿を現したのは一人の少年だった。眼鏡をかけた茶髪の少年――阜羽 壬。黒斗が最も恐れていた“殺人鬼”の契約者、その張本人が黒斗の目の前に立っていた。

 思わず気圧されるように黒斗は一歩後退する。その表情は恐怖に脅えていた。一方壬は白いコートの裾を揺らしながらゆっくりと前身を続ける。


「――冷え込む夜だ。空は澄んでいるが、月明かりはどこか寂しい……。お前もそうは思わないか?」


 鋭い視線が身体を射抜くような錯覚を覚える。壬の瞳が月明かりに照らされて一瞬緑色に輝いた。ダンテは眉を潜め、黒斗の前に立つ。


『“眼”を使ったらしいな』


「眼!? なにそれ!?」


『説明は後じゃ。ついてきたということは――来るぞ』


 壬の腕時計が光を放つ。閃光と共に空中に現れた純白の少女がふわりと大地に降り立つ。自らの【ブリスゲーデ】――アルビノへと手を伸ばし、その形状を剣へと変えて壬は構えた。

 白い刀身に赤い紋様を持つ、不気味な片手剣――。それを軽く数回振り回し、壬は一息に駆け出した。対する黒斗は慌てた様子で後退しつつ、


「――ダンテッ!!」


 叫び声と同時に壬が正面から襲い掛かる。繰り出された斬撃――しかしそれは黒斗の身体の周囲に渦巻く火柱に阻まれていた。

 高熱の障壁に剣を翳して防御しながら壬が身を引く。火柱が燃え上がったのは一瞬――。直後、黒斗は実体化イディアライズした“ダンテ”を両手に握り締めていた。

 白銀の刀身を持つ、聖なる剣――。黄金の装飾の施された盾を備えた、特異な形状の大剣。それは攻める事よりも護る事に優れているかのように見える。

 黒斗はダンテを構えた。その構えには“腰が入っていない”。今直ぐにでも逃げ出したい――そんな弱気な感情が込められている。


「――やっぱりな」


 剣を降ろし、壬が肩を震わせて低く笑う。それだけで背筋をびくりと震わせて黒斗は後退する。


「お前――戦うのは初めてか? それとも、ゲーデ同士の力量差が理解出来るのか……ふん、どちらにせよ都合がいい。お前を倒して――その魂で僕はアルビノを強くする。お前は“昨日の”よりは弱そうだ」


「な――っ!?」


「はははっ!! 実験台にさせてもらおうか!! 丁度いい力試しだ!! アルビノッ!!」


「う――わあああああっ!?」


 甲高い金属音が鳴り響く。黒斗はあろうことか両目を瞑り、剣を前に突き出すだけの防御で壬の斬撃を防いでいた。壬はそのまま連続して黒斗へと斬りかかる。殆どまともに防ぐ事も出来ない黒斗は隙だらけであり――その防御の合間を縫ってアルビノを奔らせる。

 黒斗は無意識に身体の中心部を、更に剣の大きさも相まってほぼ正面全域を防御する事が出来ていた。しかし側面のガードががら空きである。脇をすり抜けるようにして身体を捻じ込み、擦れ違う刹那、一撃を叩き込む。

 アルビノの刀身が確かに黒斗の脇腹を斬り裂いた――その手ごたえはあった。正面に向かって跳躍するような形ですり抜けた壬は空中で反転し、黒斗を見据える姿勢で着地する。大地を滑り、勝利を確信して顔を上げたその時、ようやく異変に気付く。


『あ、あれ? 壬……?』


「…………」


 無言でアルビノを見やる壬。刀身には――血の一滴も零れては居なかった。

 確かに手ごたえはあったはず。正面を見やる。黒斗はようやく壬が背後に回った事に気づいたのか、ぎこちない動作で振り返った。しかし確かに斬りつけたはずの側面に傷跡は見えない。


「い、今僕……き、斬られなかった!?」


『うむ』


「うむ。じゃないでしょ!? け、怪我は!? なんで痛くないの!?」


『別にシンプルな答えじゃ。“我”は――』


 黒斗を中心とし、周囲に光が走る。空中に、大地に、浮かび上がる赤い紋様――。真紅の結界の中、黒斗は目を丸くしてダンテを見詰める。


『予め言っておくぞ、黒斗。“我は強い”――。この程度、なんて事はないわ』


「――防御能力を持ったゲーデか……! アルビノ、仕掛けるッ!!」


『う、うん! じゃなくて、はいっ!』


 壬は自らの刀身を眼前に構える。そうしてあろう事か、その鋭い刃を自らの手で強く握り締めたのである。

 当然のように掌の肉は裂け、血液が溢れ出す。どくどくと白い刀身を赤黒く血液は染め上げて行く。その時だった。それは黒斗にもはっきりと感じ取れた。つい先程よりも今の方が。今よりも恐らくは次の刹那の方が――。“アルビノの力が増している”という事実に。

 血液を浴び、刀身は喜ぶように輝いていた。刻まれた紋章が鼓動を刻む。血飛沫を滴らせながら壬は血に染まった刃を奮う。空中に霧散した血液は一瞬でアルビノの刀身に凝固し――剣は真紅の装甲で覆われていた。


「――血喰らいブラッド・ドレイン、発動」


 壬が再び走り出す。黒斗は先ほどと同様、結界を展開して防御を行う。剣を前に――。壬は今度は側面から斬りつけるような事はしなかった。アルビノの何倍もの巨大さを持つ大剣ダンテに対し、正面から打ち込んで行く。

 力の強弱は明白。ダンテは一撃で壬の攻撃を防ぎ、更に軽く前身するだけで壬の身体を弾き飛ばす事が可能だ。ダンテのパワーは優秀、実際に斬子の攻撃をあっさりと跳ね返して見せたという過去の実績がある。

 黒斗はダンテの力を信じた。しかし壬は優劣の明らかな正面衝突に微笑を浮かべて望む。薙ぎ払うように揮われた刃――。それはダンテの刀身に直撃し、激しい衝撃と同時にその刀身を側面へと反らした。

 “弾かれた”――その事実が上手く認識出来ずに黒斗は目を丸くする。壬は既に次の攻撃の準備を整えていた。続く連続攻撃――先ほどと同じ動き。先刻は全て防ぐ事が出来た。なのに今は――耐え切れる気がしない。


『黒斗ッ!!』


 ダンテの怒号に意識を引き戻される。剣を正面に構えたまま後方目掛けて思い切り跳躍する。加減が出来ずに滑るようにして後退する。その黒斗の眼前、真紅の剣筋がいくつも折り重なるようにして空ぶった。

 汗の球だけその場に残し、黒斗の身体は後方へ――。しかし着地を考えずに思い切り跳んだ為、10メートル以上跳躍した挙句、殆ど後部に倒れるような姿勢になってしまう。咄嗟に大地にダンテを突き刺し、ブレーキと姿勢制御を行う。


「くそっ!! ちょっと後ろに下がればいいだけなのにっ!!」


 力の制御が上手く出来ていない――それはハッキリと理解出来た。元々ぼろぼろのアスファルトに更に巨大な亀裂を作りながら停止する。無意識の間に呼吸を停止していた黒斗は一気に息を着き、途端に遅れて震えがやってくる。

 何が起きたのかわからなかった。アルビノの威力は高が知れていたはず。しかし壬が刀身に血を浴びせた瞬間、その威力も、リーチも、何もかもが強化されたように見えた。


『――特殊能力だ。個々のゲーデは外見だけではなくその性能も能力も異なる。単純な見た目や基本能力だけで相手の力量を判断するな!』


「じゃあ、あいつは――血を刃に浴びせる事で、剣の威力を強化するって事……?」


「――殆ど正解だが――ひとつだけ間違いがある」


 答えたのはダンテではなく、敵であるはずの壬であった。壬と黒斗の間合いは凡そ5メートル――。ゆっくりと語りかけてきてもおかしな事は無い。お互いの間合いは充分すぎる程開いている。

 黒斗は剣を正面に構え、息を呑む。壬はアルビノを片手に余裕の笑みを浮かべ、赤い刀身を軽く揮う。


「お前はアルビノを“剣”だと言ったな」


 そうして何度も繰り返し繰り返し、その刃を揮う。赤い軌跡が夜の闇の中に蠢く。そうして――“ようやく気付く”。

 アルビノの閃光が。刃を揮う度、そのリーチが。刃が描く軌跡が“延びて”いる事に。一見理解に苦しむ事。しかし黒斗は咄嗟にそれに反応して見せた。

 突然、離れた場所で壬が鋭く腕を振るう。片手に握り締めているのは勿論アルビノである。しかしその刀身は――。まるで蛇のようにのた打ち回り、鋭く伸び、あろう事か離れた黒斗目掛けて襲い掛かったのである。

 剣で攻撃を弾くも、激しく火花が散る。見た目の動きは撓り、揺れ、まるで頑丈な様子には見えなかった。しかし実際に防御して判る。その手ごたえは剣と同じ。しかしその形状は――。


「アルビノの本来の姿はこっちでな。こいつは剣じゃなく――“鞭”なんだよ」


 笑い、壬は素早くアルビノを揮う。真紅の軌跡が無数の閃光の刃となって黒斗に襲い掛かる。それは最早目で追うことさえ敵わない猛スピードの連続攻撃。

 黒斗の今の身体能力ならばそれを防ぐ事は不可能ではない。しかし黒斗は自分の力が制御出来ていない。的確に防御行動をとる事が出来ない今の黒斗では、その攻撃を耐え凌ぐ術はない。

 後退を急ぐ。しかしそれよりものたうつ刃が黒斗の首を飛ばす方が早い。思わず息を呑む。瞳を見開き、死を実感したその刹那――。


「――だから出歩くなと警告しただろう。朝霞 黒斗君」


 背後から、無数の閃光が飛来する。それは黒斗のすぐ脇を通り抜け、迫っていた鞭の弾道を連続で打ち弾く。

 相殺された衝撃で壬は刃を引く。鞭の形状から剣へと姿を戻したアルビノを片手に壬は忌々しげに舌打ちした。


「もう追ってきたのか……! 太刀の契約者――!」


 ゆっくりと振り返る黒斗。その背後、太刀スサノオを片手に歩く斬子の姿があった。黒斗の隣に立ち、少年に外傷がないことを確認すると斬子は視線を前へ。

 正面に立つ壬は昨晩出会った時とは様子が異なっている。手にしているゲーデは赤黒く輝き、刀身はまるで揺れているかのようにも見える。


「九頭龍……斬子……?」


「無事だったか? 怪我は無さそうで何よりだ」


 斬子はそう優しく微笑み、黒斗の一歩前に出る。そうしてスサノオを構え、鋭い眼差しで壬を見据えた。


「力をつけたな、殺人鬼」


「ああ。昨日のようには行かないさ。傷も既に癒えた――。今の僕なら、お前に遅れをとる事はない」


「――自惚れに気付かぬ事は哀れな事だな。その付け焼刃の技術、私に通用するというのならば試してみるがいい」


 長大な太刀を片手で構える変則的な体勢。しかしそれにはあらゆる攻撃に対応出来るという、斬子の確固たる自信に裏付けされた独特の気配がある。

 間合いに入り込むものならば全て斬り伏せて見せる――そんな、本能に訴えかけてくる危険な“におい”。月明かりを宿したような静かな瞳。美しい輝きを刃に乗せ、斬子は口元に笑みを浮かべる。


「寄らば斬り捨てよう。九頭龍斬子――夜月の瞬きがお相手する」


 風を受け、斬子の黒髪が揺れる。壬はアルビノを左右に振るい、身体を捻るようにして一撃を放つ。しかし直後、その攻撃が斬子に触れるよりも数秒早く。攻撃はいつの間にか繰り出されたスサノオの一撃で切り払われている。

 繰り返し何度も攻撃を放つ。数秒早く――既に切り払われる結末が決定している。それは非常に異様な光景だった。アルビノの刃先が揺れ動き、対象を絡め獲るのに一秒も必要ない。それを数秒前には防いでいるかのような動作――無駄の一切存在しない、絶対的な防御。

 防いでいるのではない。まるで次の攻撃を既に予測し、全てを薙ぎ払っているかのような錯覚さえ覚える。斬子は汗一つかかず、呼吸一つ乱さず、ただ無言でアルビノを弾き続ける。

 まるで何事もないかのよう。しかしそれは確かに怒涛の攻防であった。断続的に空中で刃と刃がぶつかり合う激しい轟音が鳴り響くのだ。それはまるで嵐のように、火花と共に夜空に舞散る。


「何故防がれる……!? 何でアルビノの攻撃が! 次の攻撃がわかるんだ!? 能力か!? 何かの能力で――!?」


 斬子は答えない。そのまま一歩、前へと前進する。来る――そう考えた時であった。壬はアルビノを背後に構える。剣を背後に――それは突きの姿勢だった。


「出し惜しみは無しだ……! その能力がなんだかは判らないが、これなら――ッ!! アルビノォッ!!」


『うん、判ってる……!!』


 鞭のようにしなる刀身が螺旋を描く。背後に構えた渦巻く刃を正面へ、一歩踏み込むと同時に放つ――。


「『 巻き込む血潮ストームブリンガー――――ッ!!!! 』」


 それは、アルビノが持つ最強の能力。血潮は渦となり、竜巻のように鋭い突きが放たれる。それは一直線に斬子目掛けて猛進する。

 威力は折り紙突き――血液を媒介とした強化状態のアルビノの攻撃、更にその数倍の威力を誇る。ダンテとてまともに受ければ防ぎ切る事は出来ず、黒斗は致命傷を負う事だろう。だがその鋭い突きの一撃に対し――斬子は前へと踏み込む。

 両足を前後に大きく開き、身体を斜めの姿勢に。大地擦れ擦れを低く構えるようにし――両手で構えた刃を頭上から一気に半月状に振り抜く――!

 一瞬、夜が昼へと変わるような閃光が瞬いた。真っ白な明かりの先、暴風に巻き上げられて斬子の黒髪が激しく靡いていた。一撃で斬子を貫くはずだった巻き込む血潮ストームブリンガーの一撃――それは、たった一振り太刀が触れただけで軌道を大きく捩じ曲げられていた。


『そん、な……』


「だが――ッ!!」


 巻き込む血潮ストームブリンガーは弾かれたとしても、Uターンして対象を追い続ける。大地を削り飛ばしながら猛進し、空をUターンして飛来する真紅の竜巻。それは、背後から斬子へ襲いかかる――のではなく。一人呆けてそれを眺めていた黒斗目掛けて降り注ぐ。


「――くっ」


 初めて斬子が焦りの表情を見せた。咄嗟に反応し、大地を蹴る。しかし黒斗の元までは間に合わない。竜巻は黒斗の側面から襲い掛かる。気付くのがコンマ数秒、遅れてしまった。

 命中が確定する。黒斗は慌ててダンテを構える。しかし結界は一瞬で駆逐され、刃はダンテの刀身を削りながら黒斗の首筋、肩辺りをすり抜けて行く。僅かに遅れて肩と首から血飛沫が舞い上がり、黒斗の身体がよろけた。

 二度目のUターン。今度は黒斗の胴体を貫くよう、狙いを定めて繰り出される。最早それは鞭でさえもなく、空中を自在にうねる大蛇のようである。黒斗の手からダンテは離れ、空を舞う。全てがスローモーションのような世界の中、自らの首筋から噴出した血に黒斗の表情が青ざめる。

 正面には真紅の大蛇。横では手を差し伸べながら走ってくる斬子。首筋からは血が噴出している。黒斗は最早何も考えられなかった。冷静さと呼べるものは完全にどこかに落としてきてしまった。


「朝霞――ッ!!」


 黒斗目掛けて斬子が手を差し伸べる。黒斗もまたその手に向かって自らの腕を伸ばす。二つの手は重なり、そして――。

 次の瞬間、何が起きたのかは黒斗にも理解出来ていなかった。勿論それは巻き込む血潮ストームブリンガーを放った壬とアルビノにとっても予想外の状況であった。

 黒斗は無事だった。その黒斗が手を握り締める先、血飛沫が上がる。黒斗はそこで漸く気付いた。自分が手を繋ぎ――“引っ張り込んで盾にした”九頭龍斬子。その胴体につけられた大きな傷の意味。

 斬子の血塗れの手からスサノオが零れ落ちる。美しい刃がアスファルトに転がり、そして――九頭龍斬子は気を失って血溜りの中に倒れこんだ。


「……え?」


 斬子の血を浴び、黒斗の顔の半面は赤く染まっていた。震える手で斬子の手を離す。自分がした事の意味を、理解する事も出来ないまま――。



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