彼と彼女が別れた理由
翌朝、総務部2課のメンバーは応接室に集まっている。
大介は昨日の話を始めた。
「昨日、経理部の山下里佳さんがここへ来ました」
「里佳? 」
大介は「ああ」と短く言う。
「池本空調サービスの手書き請求書分の発注書は、生田課長の指示で自分が作ったと」
「生田課長の指示で? 」
麻友は隣の智也を見る。少し青ざめている?麻友は智也の腕にそっと手を添える。
「大丈夫? 」
と聞いた。智也は顔を上げて少し笑った。
「その、生田課長からの指示と言うのは、メールで? 」
その様子を見た環が口を開く。
「ええ、メールだそうです。でも書き出しに生田ですとあっただけで、差出人のアドレスまでは覚えていないそうです」
「誰かか名前を語った可能性も? 」
「ええ、あるにはあるのですが、そのメールは削除してしまったと」
「大ちゃん」
報告会後、部屋を出て行った大介を追いかけ麻友は声をかける。小走りに近寄った。
「昨日はゴメンね、この話だった? 」
「ああ」
「そっか。分かった、じゃあまたね」
引き返そうとした麻友の肩を掴む大介。
「お前さ、昨日仕事だったって嘘だろ? 」
どきっ……バレちゃってる
「あのさぁ、そんなに俺がキライ? 」
大介はとても辛そうな表情を浮かべていた。
「え? 」
「いや、何でもない」
ふっと息を吐き麻友の肩を離すと、背を向けて行ってしまった。
一人取り残された麻友。何だろう?この気持ち……どうしよう、苦しい。
智也は一人で飲みに来ていた。昨日は麻友と一緒に、楽しい時間を過ごしたはずの……
「どうした? 今日は一人で来たかと思えば、黙って飲んで」
「うん……向こう、賑やかですね」
「初めてのお客さんだよ。同期の集まりだと言ってたな」
「彼女とケンカでもしたのか? 」
智也はふっと笑って
「だから、彼女じゃないんですって。それに麻友さんとだったらケンカにならない、いや、ケンカもしてみたい」
「智、ちょっとキモいぞ」
「タツさん! 」
「やっぱり、君は、竹内君」
賑やかなテーブルに座っていた一人が、智也に気付いて声を掛けてきた。
「……坂井さん」
智也は大介をチラ見して、言った。
「1人? 」
「ええ。麻友さんと一緒だと思いましたか? 」
「……ああ」
大介は少し間を開けて、うなだれる智也に言った。
「隣、座っても良いか? 」
「嫌だと言っても座りますよね」
「ジントニックを」
大介は腰を下ろし、既に注文をしていた。2人のやり取りで、タツは大体の事が把握出来た。
「君は、麻友と付き合ってる? 」
「いえ、まだです。そっちはどうなんです? 」
「まだ、か……」
「? 」
「麻友は幸せだな、お前みたいな優しい奴に好かれて」
「何ですか、それ。大人の余裕って奴ですか」
「俺が麻友に好かれる事は、無いよ」
大介はジントニックを飲み干す。
「俺と麻友が大学生の頃、付き合ってた事は聞いてる? 」
「いえ」
「別れた理由、知りたくない? 」
「えっ! 知りたいっ、知りたいですっ! 」
それまで大介を見もしなかった智也は、大介の手を握り、キラキラした目で懇願する。
「好きなもの飲んで下さい、ご馳走します」
「お前、ゲンキンなヤツだな」
大介は優しい笑顔で智也の頭をくしゃっと撫でる。
俺が大学3年の時、麻友は同じサークルに新入生として入部してきた。可愛かったよ。素直で明るくて、いつもニコニコしてた。男子からの人気も結構あって、俺の周りでも彼女の事を狙ってるヤツは何人かいた。夏ごろかな、麻友に呼び止められた。
「だ、大介先輩! あのっ、私先輩の事が好きです! つ、付き合って下さい」
麻友は真っ赤になって、憧れの大介に告白した。何度も何度も繰り返し練習した言葉。ちゃんと言えてるかな……
「ありがとう、嬉しいよ」
かなり驚いた顔をしていたが、少し顔を赤らめ、微笑んだ。
「俺で良ければ」
そして、2人は付き合うことになった。麻友にとっては初めての恋人、とても嬉しくて楽しかった。麻友はただ、大介と一緒にいれば、満足だった。
麻友は、とにかく世間知らずで奥手だった。特に恋愛ごとにはめっぽう疎くてさ。手を繋げば恥ずかしそうにうつ向くし、キスするまで3ヶ月かかった。
「えっマジですか」
「ああ、しかも、した後泣かれた」
「ぷっ、へこみますね」
「それでも俺は麻友が大好きだったから、待とうと思ってたんだよ」
でも、考えてみて。大学生の健全な男だぜ?好きな彼女がいつも隣に居て、変な気にならない訳がない。それでも、麻友が大事だったから、ひたすら耐えたよ。麻友は一緒に居て、時々キスする事が恋人だと疑わなかった。そんなある日……
「浮気したんだ、俺」
「……えっ」
「同じサークルの同級生と。その子は麻友との事も知っていて、思い出に1度だけ抱いてほしいって言ってさ。良く考えれば、そんな虫の良い話あるわけないのにな」
「したんですか? 」
「ああ、1度だけ」
「まあ、その子にとってどういう意味があったのかは分からないが、麻友に話してしまったんだよ、全部」
「……ショックだったでしょうね、麻友さん」
「麻友ちゃん、大介君とどんな付き合いしてんの? 」
「え? どんなって……」
「昨日私、大介君とエッチしちゃった。彼、結構激しいのね。あ、知ってるわよね、彼女なんだし」
「……」
「エッチの後、あんなに甘えてきて可愛かったわ。しつこい程体を擦り寄せて……いつもなの? ねぇ、麻友ちゃんさ、彼の事満足させてあげられてるの? 」
「し、知りませんっ」
麻友は逃げるように走った。なに?なに?どういう事?
麻友は気が動転して涙も出なかった……帰り着くまでは。大学から一気に走って帰ったのは初めてだった。部屋の鍵をかけて、我慢していたものが一気に溢れてきた。
「大ちゃん……」
どうして大ちゃんは、私じゃない人とそんな事したんだろう。そんな事、したいなんて1度も言わなかった。私とじゃ嫌だったのかな。私が子供っぽいから?あの人が言うように、私なんかじゃ満足出来ないから……?こんなに好きなのに、大ちゃんは同じでは無かったの?
麻友は翌日、サークルを辞めた。