ご褒美のデートとキスマーク
「あのガキは何なんだ? 」
我慢出来ずに、不機嫌そうに大介が切り出す。
「ガキって……竹内君の事?」
大介の言い方に、麻友は少し笑ってしまう。
「俺、あいつに睨まれたんだけど」
「気のせいだよ。あの子、良い子よ」
麻友は窓の外を見ている。暗くて何も見えないが、2人きりでいるのは少し息苦しい。
「何? お前、あのガキの事好きなの? 」
「えっ? 」
思わず溜め息が出てしまう。なに、それ? 嘘でしょ。
重苦しい空気で、大介は麻友のアパートの少し手前で車を停めた。薄暗くて、人通りの殆ど無い場所で、麻友も余り通らない道。
「ゴメン、俺、大人げなかった」
大介が素直に謝罪を口にする。麻友はくすりと笑った。
「ふふっ、ホントだよ~」
大介はシートベルトを外した。そして麻友のほうへ体を向け肩を抱く。
「……大ちゃん? 」
麻友のシートベルトも外し、何も言わずに荒々しくキスをした。
「……っ! 」
「……あいつが言ってたの、何? 」
「……はぁ……え? 」
「本気だとか、俺を見ててとか、何の事だって聞いてる」
「それは……あの……」
(大ちゃん? )
「お前は、あいつの事が好きなのかって聞いてるんだよっ」
大介は自分の声にハッとする。きつい言い方をしてしまった。
「……」
「答えねぇの? 」
大介は麻友の首筋にキスをして、強く吸った。
「あっ……イタッ……やめてっ……どうしてこんな……」
(どうしたの? 何で怒ってるの? 怖い……)
麻友は落ち着こうと、目を閉じる。
「……好きだって、言われたの」
麻友は一呼吸おいて「……それだけ」と言った。
「麻友……」
「すぐに断ろうとしたわ。でも、もう少し自分の事知って欲しいって……真剣に言ってくれたから、何か断れなくて」
「分かった、もういい」
大介は麻友にもう一度キスをした。
「なぁ、麻友は俺の事、どう思ってんの? 」
麻友をぎゅっと抱き締めた。麻友は黙っている。
「……俺以外の男に、告られてんじゃねぇよ……」
大介は悔しそうにそう言い、はぁとため息を吐く。
「ゴメン。困らせるつもりは無かったんだ」
麻友の頭をくしゃっと撫でる。
「俺に、こんな事言う資格無いのにな」
独りで部屋に入る。堪えていた涙が溢れてくる。大ちゃんはなぜ、あんな事をするんだろう。もう10年近くも前に、私達は終わってる。そんな急に今でも好きだと言われても、どうしたら良いのか分からない。
別れてから思い出さなかった訳じゃない。今ならもっと、上手に立ち回れたかもしれないと、悔やんだりもした。でも、どうすれば?
麻友は鏡に映った首筋のアザをなぞる。
(大ちゃん……)
生田課長の意識が戻った事は、翌日には社内に知れ渡っていた。喜ぶ者……そうで無い者。ただ、事件前後の記憶が無いのだそうだ。
「でも、まだ思い出さない方が良いのかも」
「そうかな……」
「今は、ね? 元気になって、退院して、徐々に色んな事思い出した方が良いんじゃない、かな? 時期が来たらきっと思い出せるよ」
「ふふ、麻友さんは本当に優しい」
麻友と智也は駅から徒歩で"SAKURA"へ向かう途中だった。時々はぐれそうになるのを気遣い、智也は何度も振り返ってくれる。決して手を繋いだり腕を組んだりせず。麻友はその距離感を保ってくれる智也が可愛かった。
「麻友さん、昨日……あの後あの人と……」
「え? 」
「いや、何でもないです! あ、着きましたね」
智也はさりげなく麻友の首筋に残る、アザを見ている。
(あれって、キスマークだよな……って事は、つまり……)
一人で勝手に想像して、胸が痛む。
「竹内君、行くよっ? 」
麻友はそんな事気付きもせず、明るく笑う。
だったらどうする? もし2人が付き合っていたら? 諦める?
智也は少し考えていた。いや、もし仮にそうなったとしても、僕は多分諦めない。どんな形でも、傍に居ようと思うだろう。僕が麻友さんを想っている限り……
「麻友さん! 待って! 」
「いらっしゃいませ」
和風スナックと言う通り、綺麗な和服姿で迎えられた。
「すみません、愛子さんはいらっしゃいますか? 」
「ママの知り合い? あいにく今日はお休みなんですよ」
「そうなんですか……あ、じゃあ名刺を! 」
名刺をそのまま渡そうとする智也に、麻友は水性ペンを渡しながら、そっと耳打ちをする。
「一言書き添えるのが、大人のマナーじゃない? 」
「あ、はい」
その様子を見ていた女性は、目を丸くして優雅に微笑んだ。
「あらぁ、素敵な彼女さんだとこ。あなたうちで働かない? 」
「結果、無駄足でしたね」
智也は言い、そして吹き出す。
「ってか麻友さん、スカウトされたしっ! 」
「私が働いたら、潰れちゃうよ」
「俺は、毎日通います」
「御社のお給料では、破産しますよ」
2人は大笑いした。周りから変な視線で見られても、気にならなかった。
智也は時計を見る。まだ17時になったばかりだった。
「どうしましょうか」
「今日はお見舞いに? 」
「ええ、でも今からじゃ早いかな……」
「……じゃあ、軽く何か食べましょうか? お姉さんが奢っちゃうよ」
「マジですか! 行く!行きます!」
並んで歩きながら、嬉しそうに智也が言う。
「愛子さんに感謝だなぁ。休んでいてくれたお陰で、こうやって麻友さんとデート出来るんだから」
麻友は智也を見上げ、困ったように微笑んだ。
(可愛いな……私は彼の事をどう思ってるんだろう。こんな事をして、彼を傷つけてしまうんじゃないだろうか……)
「そろそろ署に戻るか」
時計の針は17時をさしていた。大介はこのビルの5階にある応接室を借りている。荷物をまとめていると、ドアを叩く者がいる。
「はい、どうぞ」
大介が声をかけると、一人の女性が入ってくる。見たことの無い顔だな。大介が向かい側のソファを勧める。女性はそこに腰を下ろし深呼吸している。大介の荷物に気がついたのか、開口一番に言った。
「お帰りでしたか」
「ああ、大丈夫ですよ。何かありましたか?」
「はい……私は経理部の山下里佳と言います。実は池本空調サービスの手書き請求書分の発注書をつくったのは、私です」
「えっ」
「生田課長の指示で私が作りました」
山下はうつ向いて
「私は捕まるのでしょうか」
と聞いた。