元カレとのキスの余韻と新たな恋の予感?
「この突き当たりが書庫……」
書庫までの廊下が、長く感じた。すれ違う社員の好奇の眼差しが痛い。
ドアの前に着き、鍵を開けドアノブに手を掛けた時、大介がすかさず言う。
「お前は無理に入らなくて良い。俺独りで行くから」
「え……? 」
「手、震えてる」
麻友はハッとして手を引っ込める。そして大介の方を見た。
「大丈夫だよ、一人じゃないし」
「ダメだと思ったら、言えよ? 」
「うん……」
麻友は書庫内をさらりと案内した。そして、段々と部長とやり取りした場所に近づく。ちょっと……息が……苦しいかも
説明が途切れ途切れになる。
「はぁ……はぁ……」
「麻友? 」
「……大、ちゃん……」
「おい? 」
「苦しい……かも……」
麻友の呼吸が乱れている。麻友は震えながら思わず大介にしがみつく。
「……こわい……死ん、じゃう……」
「麻友、大丈夫だから……落ち着いて」
「だ……いちゃん……はぁ……」
しがみつく手に力が入っている。ポロポロと涙がこぼれていた。かなり苦しそうだ……過呼吸? ビニールって、あるわけ無いか……どうしよう……麻友は苦しそうにしている。青ざめて来たか……息を整えてやらないと……
仕方ない。
「……麻友? ちょっとだけ、我慢しろ」
大介はいきなり麻友を壁に押し付け、両手で頬を包み込んでキスをした。
「んっ…! いやっ……こんな、時に……」
「黙れ、楽にしてやるから」
大介はそう言って、もう一度キスをした。麻友の口を塞いで、空気を吸い込みすぎるのを制御する。今はこれしか思い付かない。
(頼む、これで治まってくれ! )
「……ん……」
麻友は大介から離れようと力一杯抵抗したが、余りの苦しさに、大介に身を預けるしか無かった。抵抗するのをやめ大人しくなった時、大介は麻友を支えながら、その場に腰を下ろした。大介は言い聞かせていた、これは応急処置、恋人のキスでは無い……
麻友の呼吸が落ち着いて来る。 激しく息をしていた肩も、今は大介の呼吸とぴったりと合っている。
(もう、大丈夫か……)
大介は目を開けた。目の前で、目をつぶっている麻友の顔がある。涙で濡れたまつ毛、紅潮した頬。さっきまでの青ざめた感じでは無かった。
一度唇を離したが、大介は無意識にもう一度キスをした。それを受け入れている。麻友の小さな手が、大介の首を触る。
「ま、ゆ……」
大介が小さな声で切なそうに囁いた時、我に返った麻友は驚いて顔を背ける。
「あっ、ごめん」
「はぁ……はぁ……」
「麻友」
「あ、うん。ゴメン……あの……ありがとう」
大介を見上げ、少し笑った。ドキン……
「やっと、笑った」
再会してから、麻友は今までニコリともしていなかった。
「麻友……俺……」
大介は麻友を抱き締める。
「やっぱり、今でもお前が好きだ」
大介を見送り、事務所に戻る。少し頭がぼうっとしているのは、過呼吸のせいだけではなかった。
「お帰り」
環がパソコンから顔を上げた。
「大ちゃんは帰ったの? 」
「はい」
「顔色が悪いみたいだけど、何かあったの? 」
「いえ……あの、書庫で過呼吸になってしまって」
「え?!大丈夫だったの?!」
「あ! はい、その、坂井さんが……」
「……どうやって? 」
「えっと……その、口で……」
環は珍しく頬を赤らめて
「あ、そう言う事ねごめん、ごめん」
と、笑った。
「悪い別れ方でも無さそうね」
「……どうでしょう」
麻友は曖昧に答えた。
お昼過ぎ、智也が事務所に戻って来た。朝渡された紙袋を持って。環は休憩から戻って来ていない。
「竹内君、今朝はバタバタ射なくなってゴメンね。彼女にも悪い事しちゃったかなって」
麻友が素直に口にする。
「いや、あれは彼女じゃないですよっ! 前田千晶って言って、ただの同期です! 」
智也は全力で否定する。麻友の言葉に脱力し、ため息混じりに椅子に座りこんだ。麻友は引き出しからクッキーの包みを取り出す。
「あの、これ」
「俺は麻友さんが好きなんです! 」
2人の声が被った。
(あっぶなーい! )
ドアの前でノブから慌てて手を離す環。当然、智也の告白が聞こえていた。環は困った様な顔をした。
(竹ちゃん頑張ったんだけどねぇ……タイミングが悪い子なんだから……今日は、大ちゃんの事で、頭が一杯なのに……)
「あ、これ、金曜日のお詫びとお礼。今朝焼いたの」
麻友は淡々とクッキーを手渡す。智也は反射的にそれを受け取った。
「麻友さん、すいません、いきなり……」
勢いで告白してしまった自分にも驚いていた。
「でも、誤解されたくなくて」
「うん……私こそ勘違いしてゴメン……あの、ありがとう、でも……」
「いやいや! 即答なんてしてくれなくて良いです! 」
智也は麻友の言葉を遮る。
「これから俺頑張って、麻友さんにつり合う男になります。だから、返事はもう少し後で聞かせて下さい」
麻友はしばらく黙っていた。
「私にそんな価値は無いと思うんだけど……でも、分かった」
「良かったぁ」
智也は満面の笑みで麻友を見た。そして麻友の作ったクッキーを宝物のように開きまた、嬉しそうに笑った。
「誰も襲えなんて言ってないわよ」
恵はイライラした口調で、相田に言った。相田はタバコを燻らせ、ビールを飲む。
「そう怒るなよ。別にちょっと脅しただけ」
「警察が毎日見回りするなんて、生きた心地がしないわ」
「大丈夫だろ、生田君だって、まだ意識は戻ってない」
相田は恵の髪を撫でる。そしてタバコを消し恵にキスをする。
「そんなつまらない話、よそう。時間が勿体ない」
相田はそう言って、ベッドサイドのライトを消した。