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只野五郎

「そうか……そんなことがあったのか」


 話を聞いて、男はがっくりと肩を落とした。

「わたしが目を離したせいで、ケン太はそこまでやるようになったんだな……」

 男の口調には悔恨の響きがあった。


「あのう……あなたはどなた?」

 ようやく茜は男の正体について好奇心がわいてきた。


 ん、と男は顔を上げ、にこりと笑みを浮かべた。髭にかくれた口許から、まっ白な歯がのぞく。

「わたしのことか……。そう、君らにはわたしの正体を明かしてもいいだろうな」

 つ、と男は一本指をあげた。

「きみたち、悪いがここで少し待っててくれたまえ。なに、十分もかからないだろう。わたしはこれからきみたちと行動をともにするつもりだが、それには身なりを整えないとならないからな!」

 思いがけず快活にそう言うと、男はひらりと身を翻して姿を消した。

 勝と茜はあっけにとられた。


 ほどなく男は戻ってきた。言ったとおり、十分もかからなかった。

「誰だおめえ!」

 勝は叫んだ。

 暗がりからあらわれた男の姿は一変していた。同一人物とは思えないほどの変貌である。勝が見間違えたのも無理はない。

 すらりと上背のある体にぴったりと合ったタキシードに、髪の毛は後頭部でまとめてきっちりと背中にたらし、顔をほとんど覆っていた髭はさっぱりと剃りあげている。

 思わず茜は男の顔に見とれていた。

 端正な顔立ちであるが、ただのハンサムとは違う、年令を重ねた渋い魅力に、茜はぼうっと見とれてしまっていた。


「わたしは只野五郎」


「只野……」

「五郎!」


 名乗りを上げた男の名前を、勝と茜は繰り返した。只野五郎と名乗った男はうなずいた。

「そう、わたしは只野太郎の父親だ」




 只野五郎は茜と勝を案内して、地下の通路を歩いていた。歩きながら、かれは道々説明を続けた。

「あの倉庫にはいろいろ食料があるのでね、じぶんのぶんが足りなくなると、調達しているんだよ」

「だれにことわって……?」

 茜の質問に五郎は肩をすくめた。

「だれにことわる必要もない。わたしの行動は黙認されているからな」


 ふたりの沈黙に、五郎は説明した。

「つまり高倉ケン太にだよ。わたしはこの番長島で、いわば世捨て人として暮らしていた。ケン太の母親が死んでからずっとだ」

「ケン太の母親?」

「そう、そしてわたしの妻でもある」


 勝はそれじゃあ、とつぶやいた。五郎は違う違うと首を横にした。

「高倉ケン太はわたしの子供じゃないよ。母親の連れ子だ。わたしが彼女とであったころ、ケン太はもう幼稚園にはいる年頃だった。わたしの子供は太郎と、そしてケン太の妹、杏奈のふたりきりさ」


 歩きながら、五郎は回想をはじめた。

 茜は叫んだ。

「そ、それじゃ高倉杏奈は……太郎の異母兄妹ということになるわけ?」

 そう言うわけだ、と五郎はうなずき言葉を重ねた。


「太郎が生まれてしばらくして、わたしはケン太の母親と出会った。そのころわたしは太郎の母親と結婚していたのだが、不覚なことにわたしはケン太の母親を愛してしまった。そしてわたしは太郎の母親の前から姿を消した。わたしはその不倫で真行寺家の執事の地位を失った……後から聞いたが、わたしの悪評は長い間召し使い仲間に伝わっていたそうだ……」


 そう言って五郎は苦く笑った。


「無理もない! 執事の不倫とはな……大変なスキャンダルだ。それ以後、わたしはケン太の母親の実家の、高倉工務店に入社し、無我夢中になって働いた。執事としての知識が、経営に役立ち、数年で工務店は有数の建設会社に発展し、やがて建築だけでなく多方面に業種を伸ばし……そして今はご存知の通り国一番のコングロマリットとして君臨している。その過程で、ケン太の母親はひとり淋しく死んだ! 病気だった……わたしは何も知らなかった」


 五郎の顔が苦渋に満ちた。

「わたしは彼女を見捨てたのも同然だ! 仕事に夢中になって、そもそも彼女を愛したことすら忘れていた。その報せを聞いて、わたしは隠棲することにした。あとはケン太が高倉コンツェルンの業務を引き継ぎ、いまにいたっている……」

 言い終わり、五郎は長いため息をついた。


 しばらく黙り、かれはふたたび話しだした。

「世捨て人の暮らしをしていても、わたしは高倉コンツェルンのことを耳にしている。そしてひとつの怖ろしい噂を耳にした」

 五郎はふたりにふりかえった。

「きみたち、高倉コンツェルンの警備員たちについて、疑問に思わないかね?」

「疑問、って?」

 勝は首をひねった。

 茜は眉をしかめた。

「そう言えば、おかしいなって思ったことがあるのよ」

「なんでえ?」

 勝の問いかけに茜は慎重に言葉を押し出した。

「なんであいつら、ケン太に対しあんなに忠実かってことよ! さっきコロシアムでケン太の悪行が暴かれたときだって、あいつらぜんぜん動揺しなかったわ。普通だったら、会社のトップがあんなことしていたのを知ったら、じぶんの身を犠牲にしてあんなことできるかしら?」

 わが意を得たり、と五郎はうなずいた。

「そうだ、高倉家の従業員の忠誠は度が過ぎている! それにはある秘密があるのだ」

 秘密? と茜は鸚鵡返した。

「そうだ。きみたち、洗脳という言葉を知っているかね?」

 ふたりは首を横にした。

「洗脳とは怖ろしい技術だ。本人の意思、思想信条にかかわらず、他人の考えを吹き込む方法だ。この技術により、高倉家の召し使いはいやおうなしに高倉ケン太への忠誠を強制されているのだ」

 そんなこと……と言いかけた茜は「あっ!」と叫んだ。

「そ、それじゃその洗脳を……?」

「その通り、真行寺美和子と、太郎に施すつもりだろう。ふたりは高倉家のロボットにされてしまうのだ……」


 五郎は静かに答えた。

 茜と勝は慄然となっていた。

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