イニシャル
ぱん、ぱん、ぱんと拍手の音が聞こえてくる。
ケン太が身を乗り出し、コロシアムを見おろしている。手を挙げ、何度も拍手をしていた。
「素晴らしい! 素晴らしい勝負だった! さすが最終決戦にふさわしい、闘いだ」
勝はようやく立ち上がり、頭をふりつつコロシアムを後にした。茜が素早く側に近寄り、ふたり肩を並べて出口へと向かう。
「どうだね、美和子。最後に、ぼくと戦わないか? そして、この”伝説のガクラン”を手に入れたいとは思わないか?」
美和子は首をふった。
「いいえ、そんなもの欲しくはありません。それより優勝賞金を頂きたいと思います」
ケン太はうなずいた。
「そうか残念だな……。しかし、この大会は有終の美を飾ったことになって、ぼくは満足だよ」
「そうかしら?」
ふいに響き渡った女の声に、ケン太はぎくりと身をすくませた。
「高倉ケン太さん、あなたは偽善者です!」
「だ、だれだ? どこから聞こえている?」
ケン太はきょろきょろと周りを見わたした。
「ここですわ」
ぎょっとケン太は背後をふり返った。
飛行船のスクリーンにひとりの女が大写しになっていた。
栗山千賀子であった。
コロシアムにあるスタジオの一室で、杏奈はさめざめと涙にくれていた。
返す返すも自分の愚かしさが恥ずかしい。すこしばかり格闘の技術を習っただけで、トーナメントに出場しようとしたじぶんの思い上がり、そして美和子に対するいわれない嫉妬。
彼女の手の中でハンカチがぐしょぐしょに濡れていた。
背後にひかえていた洋子がそっと自分のハンカチをさしだした。
杏奈は顔を上げ、洋子の顔を見つめた。
あいかわらず、表情のない目がじぶんを見ている。
ありがとう、とつぶやくと杏奈はハンカチを受け取った。目に押し当てようとして、ふとハンカチに縫い付けられているイニシャルに気付いた。
T・T
杏奈は首をかしげた。
山田洋子のイニシャルはY・Yのはずだ。
「洋子さん、このハンカチどなたのかしら?」
そう言ってイニシャルを見せる。それを見た洋子の表情が微妙に変化した。
洋子の記憶がよみがえった。
このハンカチは、小姓村の執事学校を家出する直前、太郎にもらったものだった。あの時、洗濯して返すつもりだったのがそのままになっていた……。
イニシャルは只野太郎のものである。
「どうなさったの? 洋子さん」
杏奈の声にはっ、と洋子の目の焦点がもどった。顔がたちまち無表情になり、冷静な声で答えた。
「なんでもございません。失礼いたしました」
杏奈は内心奇妙に思った。いまの洋子はいつもの無表情から、なんだかかすかに人間らしい、年頃の女の子に見えた。
と、ドアの向こうからどやどやとした人の騒ぐ声と、乱れた足音が聞こえてくる。
どうしたのかしら、と杏奈は立ち上がった。
細めにドアを開け、廊下を覗き込む。
緊張した表情のケン太の部下が、足早に廊下を走り回っている。どこかでどんどんとドアを叩く音が聞こえた。
目の前を通り過ぎようとするひとりに杏奈は声をかけた。
「どうしたの? なにがあったの?」
「あっ、杏奈さま……」
男はすっかりうろたえきった表情で相対した。
「その、放送室を占拠されたんです!」
「放送室?」
「ええ、放送室には送信装備も付属していますから、勝手な放送をされることを防ぐことが出来ないので大変なことに……」
かれはいらいらと足踏みをしている。杏奈は訳がわからないなりにうなずき、男を解放することにした。男はあたふたと立ち去っていった。
杏奈は部屋の中に戻った。
一角にテレビが置いてある。
スイッチを入れると、画面に栗山千賀子の顔が映し出された。
「高倉ケン太さん、あなたは偽善者だわ!」
彼女の言葉に杏奈はぎくりとなった。