尾行
コロシアムは外観だけ忠実に再現しているようだが、その内部は近代的な設備になっている。通路に進むと、滑らかな床面に白い、清潔な壁に変わる。覆面の女は、その通路をひそひそと足音を消して歩いている。
太郎には気付いていないようだ。
通路は円形のコロシアムに沿って作られているから、なだらかなカーブをもっている。一定の距離を保っていれば、追跡することはたやすい。ぎりぎりの距離につかずはなれず尾行し、ふりむく気配を感じれば立ち止まれば視界から遠ざかる。
女は通路から階段の入り口に進んでいる。
階段入り口に近づくと、上へと昇り始めた。
太郎も後に続いた。
と、彼女の姿が見えない。
あっと思って太郎はあわてて階段の踊り場へ踏み込んだ。見失ったのか?
その時、太郎の背後に人の気配がした。
ふりむくと覆面の女が立っている。
「尾行されるのは御免だね」
そう言うとにっ、と目元で笑う。
あんたは……と、太郎は口の中でつぶやいた。
「とっくにあたしの正体は知っていると思っていたけどね」
太郎はうなずいた。
「ああ、ぼくの推測が確かなら、きみとは会ったことがあるね。だけどちゃんと正体をあらわしてくれないか?」
女はうなずき、腕を上げると顔をおおっている覆面の結び目をほどいた。
はらり……、と彼女の覆面が床に落ちた。
あらわになった彼女の顔を見て、太郎は口を開いた。
「きみの名前は確か、栗山千賀子といったはずだね」
「憶えていてくれたのね。嬉しいわ」
そう言って彼女はにっこりと笑った。
大京女学院で、太郎に話しかけてきた小姓村の執事学校を卒業したメイドである。
いまは中国服を身にまとい、髪の毛はきっちりとまとめているから印象は変わっているが、確かに彼女であった。
執事の重要な役目として、人の顔と名前を覚えるというのがある。来客にきちんと応対するには、顔と名前を覚えているというのが必要な能力であるからだ。覆面からわずかにのぞいた彼女の目元から、太郎ははやくから正体を察していた。しかし彼女の目的がわからず、黙っていたのである。
「どういうことだい? なぜこのトーナメントに参加したんだ?」
ちっちっ、と千賀子は舌打ちをした。
「慌てない、慌てない! あたしは執事協会から派遣されてきたんだ」
執事協会……。
意外な名前を聞かされ、太郎は驚いた。
「そう、あんたが執事協会である依頼をしたから、あたしがここに送り込まれた、というわけ。トーナメントの最終日に残れるほどの戦闘能力を持っている召し使いは数が限られる。小姓村の、執事防衛術を学んでいるあたしにそのお役目が回ってきたというわけよ」
そうか、と太郎は納得した。
「大変だったんだから! トーナメントに残るためには戦いに勝ち残っている必要があるし、あんたのお大事の美和子さんを負かすわけにはいかない。上手に負けてあげるには、結構演技力がいるんだからね!」
肩をすくめると太郎に顔を近づけた。
「ね、あんたはここにいないで、お嬢さまについてあげて! あたしはあたしで、執事協会の仕事をすませなきゃならないの。こっちはひとりでやれるから」
太郎はうなずいた。
言われてみればその通りだ。
「わかった。よろしく頼む」
うん、とうなずき千賀子は階段を上がっていった。それを見送り、太郎は踵を返した。