最後に立っていた男
「どうすんだよ、お前ら」
ふてくされた俊平は不機嫌にうなった。
せっかく勝と一勝負できると思ったとたん、邪魔がはいって気分がしらけたらしい。
俊平は思い切り不満であった。
「おれが美和子を倒す!」
勝は叫んだ。そして俊平を見る。
「だがその前に、おめえと勝負してえ! おめえを倒して、その後美和子とやる!」
断言した。
俊平は笑った。
「面白え! そうじゃなくちゃな……だが、そこの女と勝負するのはおれだ! まずはおめえ、勝又勝を倒してからだが……!」
それを聞いた勝は背をそびやかした。
「承知! おい、美和子!」
美和子を睨む。
「逃げるんじゃねえぞ。この勝負が終わったら、かならず勝った方と勝負するんだぞ!」
指先を突きたてた。
美和子はゆっくりとうなずいた。
「よろしくてよ。わたしはどなたの挑戦も受けましょう」
あちゃー、と茜が額をたたいた。
「ね、美和子姐さん。そんなんじゃ駄目だよ……もっと格好よくきめないと! そんなんじゃ、いいところのお嬢さん、まるだしじゃない!」
茜の言葉にくすり、と美和子はほほ笑んだ。
「ご免なさいね、わたくし、あなたの言うような喋り方はなれていませんの」
「うるせ────い!」
いらいらしているように勝は顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
「どいつもこいつもペチャクチャさえずりやがって! 茜、おめえはどいていろ!」
どん、と茜の肩を突いて俊平に向き直った。
腰を落とし、目を怒らせた。
「来い! やり直しだ!」
俊平はうなずくと勝に身体をむけ、闘いの構えをとった。
ふたたび廃墟にふたりの闘気が満ちていく。
勝と俊平の視線による火花が、目に見えそうである。
…………。
どちらかともなく、ふたりは動いた。
目にもとまらぬ速さといっていい。
ほとんど同時に「がつーん!」という、衝撃音が響いていた。
ひっ、と茜は目を閉じた。その側に立つ美和子は、彼女の手を握りしめている。
静寂。
おそるおそる、といった感じで茜は閉じていた目を開く。
ふたりはぴくりとも動かない。
額をよせあい、おたがいの手の平をぐっと掴んでいるだけだ。
「どうしたの?」
茜のつぶやきに、美和子は「しっ!」と唇に指をあてた。
ぶるぶると勝と俊平の全身がこまかく震えている。
ふたりはほとんど同時に走り出し、全速力で頭をぶつけ合ったのだ。その時の音が、まるで二台の戦車が正面衝突したような音となってあたりに響いたのである。
頭突きし合ったふたりは、同時におたがいの手の平を組み合い、そのままちからまかせに相手を組み伏せようと戦っているのである。
すさまじい力比べであった。
びりっ!
びりびりびりっ!
勝と俊平の学生服のあちこちに裂け目があらわれ、たちまち袖がちぎれとんだ。逞しい腕があらわになる。縫い目がふたりの力瘤によって裂けてしまったのである。
がくり! と、最初に一歩しりぞいたのは俊平だった。わずか一歩だが、しかし確かに勝の圧力に屈したのである。
巨大な、碁盤のような俊平の顔に焦りがうかぶ。勝はおのれの勝利を確信し、にたりと笑みを浮かべた。
たまらず俊平はじぶんから組んでいた手を離し、ぱっと飛び下がった。
うおおっ、と叫び声をあげ勝は腕をふりあげ、いきなり固めた拳を俊平の顎に叩き込んだ。
ぼこっ、と低い音が響く。がくっ、と俊平は横向き、目が虚ろになった。たらり……と口もとから血が一滴、こぼれる。
つぎに勝はアッパーを顎にめり込ませる。
どう、と俊平の巨体が宙に浮く。
もんどりうち、かれは地面に倒れこんだ。
うつ伏せになり、唸り声をあげる。
「立て! このくらいでまいるわけ、ないだろう」
勝は怒号した。
さっと俊平は地面に手をつき、低く構えた。片手に握りこぶし大の石を掴んでいる。
勝は眉をよせた。
と、いきなり俊平はその石をあんぐりと口を開け、その中に放り込んだ。
ばりばり、がりがりと俊平の鋼鉄製の義歯が石を噛み砕く。
ぷーっ、とかれは口中の砕いた石粒を吹き出した。
「わっ!」
勝はおもわず手を挙げ、じぶんの顔を守った。
隙が出来たと見るや、俊平はかがんだ姿勢からダッシュして頭を勝の鳩尾にまっすぐに突き刺した。
ぐふぅ……、と勝は顔を真っ赤にさせる。
うずくまる勝の顎を、俊平の膝が蹴り上げた。さらに素早くまわし蹴り!
きりきりまいをして、勝は横たおしに倒れこむ。俊平は止めをさすべく、爪先でなんども蹴りを入れた。
どすっ、ばきっ! と、俊平の靴先が勝の身体に突き刺さるたび、いやな音が響く。どうやら俊平は靴先に鉄片かなにか、特殊な加工を施しているようである。
「お兄ちゃん……!」
たまらず茜が飛び出そうとするのを、勝はぐっとにらみつけた。
「そこにいろ! 来るんじゃねえ!」
低く、唸るように命令する。びくっ、と茜は立ち止まった。
ぐぐぐ……、と勝は必死の力をこめて立ち上がった。
ほう……と、俊平は賛嘆の表情になった。立ち上がれるとは思ってもみなかったようだ。
たらたらと、勝の口もとからいくすじも血液があふれている。内臓にダメージを負っているのかもしれない。
ふっ、ふっ、ふっ、とせわしなく呼吸をしながら、勝はゆらり、ゆらりと左右に身体を揺らしていた。立っているだけで必死のようだ。
「立てるとはな……誉めてやるよ。しかしそこまでだ!」
叫ぶと、俊平は大股に勝に近づき、拳をふりあげた。
うつろな目つきで勝は俊平を見上げる。
俊平は口を引き結び、渾身のちからをこめ、殴りかかった。
ばしっ、と鋭い音と共に、勝は俊平の拳を手の平で受け止めていた。
俊平の顔色が変わった。
ぐぐぐぐ……、と全身にちからを入れている。しかし動けないようだ。
俊平の拳を受け止めた勝は、ぎりぎりとその腕を絞り上げていく。
俊平の顔に苦痛の色が浮かんだ。
「まだ終わりじゃねえ……まだな……」
勝はささやくと、勢い良く自分の額を俊平の額に打ち付けた。
ごつーん! 重々しい打撃音が響く。
「……!」
俊平の目が見開かれた。かく、とその膝がおれた。
その顎を勝は殴りつけた。
ごき! といやな音がして、俊平の顔があさってを向く。二度、三度、勝は無言で俊平の顎を殴りつけた。
がはっ、と俊平が口を開いた。
ぼろぼろと口中から鋼鉄製の義歯が零れ落ちた。
くそお……と俊平が顔を上げ、唇を噛みしめた。
野郎! と、叫ぶと同じように殴りかかる。
ぼくっ! ばきっ! と、その場でふたりは殴り合いを続けていた。どちらが倒れるか、意地の張り合いである。足を止め、逃げず、真正面に相手の拳を受け止める。
顎に、腹に、わき腹に拳がめりこむが、おたがい一歩も退かない。いや、退くわけにはいかなかった。
それを美和子、太郎、茜の三人はじっと身じろぎもせず見つめていた。
ふたりの動きはしだいにスローモーになっていく。打撃の音も間遠になって、腕を上げることすら大儀のようである。
とうとうふたりの動きは止まった。
ふーっ、ふーっと獣のような呼吸音をたて、にらみ合っている。
両腕はだらりと垂れ下がり、肩がおおきく波打っていた。額からこめかみ、そして顎さきにかけて大量の汗がしたたっている。
顔も変形していた。
瞼は腫れ上がり、頬も内出血で変色している。
ゆっくりと、勝の腕が上がっていった。
しかし肩より上へ持ち上げることは困難なようだ。ぶるぶると腕全体が震え、勝は歯を食いしばった。
うおおお〜っ、と勝は咆哮した。
最後の力をふり絞り、かれは全身の力をこめ、俊平の顎に拳を叩き込む!
ぐしゃ! と物が壊れるような音を立て、俊平は棒のように倒れていく。
大の字に俊平は倒れた。
すでに意識はない。
ゆらゆらと揺れながらそれを見おろす勝は、ゆっくりと膝まづいた。
手を伸ばし、俊平の胸のバッジをむしりとる。それを自分の胸に震える指先でとめた。
最後ににやりと笑うと、勝はそのまま倒れこんだ。
「お兄ちゃん!」
弾かれたように茜が飛び出した。
膝をつき、勝の頭をじぶんの膝枕にのせた。
うっすらと目を開け、勝は茜の顔を覗きこんだ。身体を回転させ、腕でじぶんの身体をささえ、手を地面についた。
無言で立ち上がろうとする。
「お兄ちゃん、動いちゃだめ……」
唸り声をあげると、勝は茜の肩をささえになんとか立ち上がった。その視線のさきには美和子がいた。
「真……行……寺……美和子! つぎはおめえだ……!」
じりっ、じりっと美和子に迫っていく。
「お待ちなさい。あなたは怪我をしています」
美和子の声に、勝は目を瞠った。
「その怪我が治ったら、お相手しましょう。茜さん、お兄さんを大事にするのよ」
茜は力強くうなずいた。勝に話しかける。
「お兄ちゃん、聞いたでしょ? いまは怪我を治すときよ!」
悔しそうに勝は唇を噛んだ。茜がさきほどの言葉を繰り返す。
判った……と、勝は短く応えた。
茜にささえられ、勝はその場を立ち去っていく。
ふたりを見送った美和子は、じっと動かず見つめていた。
太郎はちらりと美和子を見る。
彼女は何を思っているのか、ただ激しい葛藤があるらしく、唇を固く引き結んでいる。