執事護衛術
「もう一度、再生してみろ」
スタジオのモニター・ルームでケン太は命令した。その命令に、スタッフがビデオのスイッチを入れる。
モニターのひとつに、太郎が四人の男たちを相手にした一件が再生されている。ひらひらと太郎の両腕がひらめき、次の瞬間、四人の男たちはうめき声をあげて倒れている。
ケン太は身じろぎひとつせず、じっとモニターを見つめている。顎に手をやり、指先をこめかみに当てている。ケン太の背後に洋子がトレーを手に持ち、あらわれた。トレーにはコーヒー・ポットと、マグ・カップが載っている。ポットから注がれたマグのコーヒーをケン太は受け取り、一口すすった。
「うまい! いつものコーヒーと違うな」
「新入りのコック見習いが淹れたものです」
洋子の答えにケン太はちょっと首をかしげた。
「新入りの……ああ、もと真行寺家に奉公していたという少年か。見習いにしては、いい腕をしている。ちゃんとしたコーヒーを淹れられるやつは、いまどき貴重だからな」
洋子は頭を下げ、トレーを持って退出した。退出するとき洋子が確認すると、ケン太はまたモニターに太郎の動きを再生させ、あきもせず眺めていた。洋子はそのまま部屋を出て、キッチンへ向かった。
キッチンでは田端幸司が、食器や、調理器具の後片付けをしていた。洋子が入ってくると、幸司はちらりと目を上げた。
トレーを返し、洋子が口を開いた。
「ケン太さまは、あなたの淹れたコーヒーの味を誉めていたわよ」
口調は平板で、時刻表を読み上げるように感情がない。幸司はうなずいた。
「そうかい、そりゃよかった」
幸司がそう言うと、それじゃ、と返事をして洋子は戻っていった。
その後ろ姿を見て幸司はちょっと肩をすくめた。
「どうした幸司。あの女の子、気になるのか?」
先輩の調理人がにやにや笑いを浮かべ、幸司に話しかけた。幸司はちょっと赤くなると、答えた。
「そんなんじゃないですよ。ただ、あの山田洋子って女の子、ちかごろひどく無愛想になったと思いませんか?」
ふむ、と調理人はうなずいた。
「そうさな……あのメイド、入ってきたときはうるさいくらいおれたちにも気軽に話しかけてきて、もっと陽気だった気がするな」
そうでしょう、と幸司も相槌を打つ。
いったいどうしたんだろう……。
幸司はなぜか洋子のことが気になっていた。
洋子がふたたびスタジオに戻ると、ケン太はモニターの前で椅子の背に背中を押し付けるようにして両手を後頭部にまわしてつぶやいていた。
「ふうむ、妙な動きだな。あの四人は帰還しているのか?」
「はい、お呼びを待っております」
「入れろ。質問したい」
はっ、という応答と共に、太郎に倒された四人の男たちがぞろぞろとモニター・ルームに入室してきた。着替えたのか、ごく当たり前のスタッフの服装をしている。かれらはケン太の前にずらりと整列した。
この四人はケン太の部下である。ケン太はかれらに太郎の技を引き出すため、罠をかけることを命じていた。そのために一人で行動している茜に目をつけ、後をつけさせたのである。やがて茜と太郎たちが接近すると、おびき出すためにあの芝居を打たせたのだ。
ケン太は居住まいを正すと、口を開いた。
「お前たち、太郎と戦ったとき、何が起きた? 太郎はお前たちに何をした?」
判りません、とひとりが首をひねった。
「首や、背中にあいつの指が触れたのは憶えているんですが、あのあと全身が痺れたようになって……」
もう一人がうなずいた。
「そうなんです。あっという間の出来事でした。まるで撫でられただけ、と思ったんですが、どういうわけかあの後まるで身体が動かなくなって……」
みな訳がわからない、といった表情になっている。
ケン太は背後の洋子をふり返った。
「洋子、太郎の使った技についてなにか知っているか?」
「あれは”執事護衛術”のひとつです。人間の神経の結節点を刺激する秘法なんです。正しい順路で神経を刺激すると、あらゆる効果を発揮します。達人クラスになると、相手を殺すことすらできるそうです」
「お前はそれが出来るのか?」
洋子は首をふった。
「いいえ、太郎のような使い手になるには才能が足りませんでした。わたしの知っているのは、初歩的な執事格闘術だけです」
ふうむ、とケン太は顎をなでた。
なにか考え込んでいるようだ。
もし、あいつと戦うことになったら……。
モニターをじっと見つめるその視線は、いつか、その日が来るのではないかと予感している目つきだった。