杏奈
「感動的だな……いまの場面は視聴者をさらっただろう?」
島にあるトーナメントの番組を制作しているスタジオで、ケン太は太郎と美和子の誓いの場面をモニターで鑑賞していた。その場面にオーケストラの音楽がかぶり、感動を盛り上げる。ふたりの誓いの場面はすぐに編集され、効果音やBGMが挿入され、視聴者に届けられている。
あいかわらずケン太は真っ赤なガクラン、金髪のリーゼントというスタイルで長い足を投げ出すようにして目の前の無数のモニターに見入っている。
ケン太の声に、背後から番組スタッフのひとりが相槌をうった。
「その通りで……なんでもあの場面が放映されたあとで、全国の執事学校に入学希望者が殺到したという報告がきました」
その言葉にケン太はくくくく……と肩をふるわせて笑いをこらえた。
「まったく、只野太郎には毎度驚かせてくれるよ……。あの忠実さは評価されていいな」
そう言うと、ケン太は背後に控えているメイド姿の山田洋子をふり返った。
洋子は無表情で身じろぎもしない。
ふっ、とケン太は唇をゆがめた。
彼女にほどこした”処置”のあと、洋子はほとんど感情をあらわすことがなくなった。
何を言われようと、何を見ようとまったくの無表情で、無感動を貫き通している。
”処置”の結果は人さまざまである。
ひどく感情の振幅が大きい者もいるが、いまの洋子のようにまったくあらわすことのなくなる者もいる。しかしケン太は気にすることはなかった。とにかくあの”処置”によって、洋子はケン太にとって忠実な召し使いになったのだから。
と、スタジオの奥のドアが開き、ひとりの男が姿をあらわした。
ひどく背が高く、痩せた男である。
オールバックの髪型、顔はひどく扁平でボタンのような鼻をしている。
木戸であった。
かれはいま、高倉ケン太の執事となっている。
かれはぬっと室内にはいると、主人を見つけ近づいた。
かすかにうなずく。
ケン太は声をかけた。
「お前がここにいる、ということは彼女が来たのかね?」
「はい、どうしてもと仰るので……」
ケン太は肩をすくめた。
「しょうがないな。おれはやめろ、と言ったんだが。まあ、来てしまったのはしかたない。いま、どこにいる?」
こちらです……と木戸は先に立った。
ケン太は木戸のあとに続き、スタジオを出た。ケン太のあとに洋子も続いた。
長い廊下を歩き、会議室とプレートが架けられているドアの前に立つ。
木戸がドアを開き、ケン太と洋子を招じ入れた。
ケン太は室内を見渡した。
がらんとした室内に長い会議用テーブルがしつらえており、その端にひとりの少女が所在無げに座っていた。
彼女はケン太を認めると弾かれたように立ち上がった。
「お兄さま!」
「しょうがないな、お前には来てもらいたくはなかった」
ケン太はつぶやいた。
少女は妹の杏奈だった。
兄の言葉に彼女は顔を赤らめ、ずいと一歩近づく。
「どうして来てもらいたくなかったの? あたしだってトーナメントに参加したかったから、木戸に言って船を出してもらったのよ」
ケン太はちら、と木戸を見た。
木戸はかすかに頭を下げた。
「申し訳ありません。どうしても、と仰るので……しかたなく」
口調は神妙であるが、表情はまったく変わらない。おれの知ったことではないよ、という内心が現れているようだ。
「お兄さま、わたしトーナメントに参加しますからね!」
ケン太はどっかりと椅子に腰掛け、だるそうに尋ねた。
「なぜだい?」
「真行寺美和子が参加しているからよ! あたし、あの人をこのトーナメントで優勝させたくないの! あたし、あの人を倒すわ」
くっく、とケン太は短く笑った。
「お前が彼女を倒す? 馬鹿を言うな! 美和子はお前なんかが相手になるような女じゃない。彼女は幼少のころから一流の師範について武道を習っているのだぞ。お前のような付け焼刃じゃ、かなうもんか!」
杏奈の顔色がじょじょに真っ赤になり、表情が険しくなった。
「どうして? あたしだって一流の人について……」
「甘いよ! おれだって伝説のバンチョウと呼ばれる男だ。美和子の実力はよく判る。お前の実力では無理だ」
くっ! と、杏奈はうつむいた。
肩が震えている。
ケン太は心配そうに声をかけた。
「おい、泣いているのか? お前が泣くなんて信じられんな」
「泣いてなんか、いないもん!」
顔を上げ叫んだ杏奈であったが、その目にいっぱい涙がたまっている。
ふー……とケン太は息を吐いた。
「しょうがないなあ……まあいい。そこまで言うのなら、トーナメントに参加してみろ。おれがなにを言っても、いまのお前にはわかるまい。自分で体験するんだな」
喜色を浮かべた杏奈に、ケン太は指を一本立てて見せた。
「その代わり! お前には付き人をつける。ま、用心のためだ」
そのままくるりと振りかえり、洋子を見た。
「ここにいる山田洋子をお前につける。それなら許そう」
杏奈は静かに控えている洋子を見た。
「この人は……?」
「ああ、彼女は小姓村の執事学校を卒業したメイドだ。執事学校では召し使いに、主人を守るための格闘術を教えている。そうだな?」
と、これは洋子に向けた言葉である。
洋子は静かにうなずいた。
「はい、その通りです」
「それでお前はその格闘術を?」
「はい、習得しております」
うなずいたケン太は杏奈を見た。
「つまり護衛だ。女同士だから、やりやすいだろう?」
杏奈はぷん、とむくれた。
「そんなにあたしを信用できないの、お兄さま?」
ケン太はじっと杏奈を見つめた。
見つめられ杏奈はどぎまぎと目をそらす。
やがて杏奈はうつむいた。
「いいわ、その人と一緒に行動します」
小さい声で答えた。
よろしい……というようにケン太はうなずいた。
洋子をふりむき、声をかける。
「今日からお前は杏奈の専属だ。いいな?」
「はい、一生懸命、お仕えします」
まるで熱意を感じさせない平板な口調で洋子は答えた。
「”忠誠の誓い”……か!」
ケン太はなにか物思いするかのようにそうつぶやいた。