コック
美和子の出場には、太郎はほとんど不安を感じていなかった。太郎の観察するところ、出場者のほとんどは専門的な格闘技の訓練をうけておらず、ただむやみやたらとあたりに喧嘩をふっかけるだけの、無鉄砲さが身上である。
それに比べ、美和子は幼いころから正式に武道の訓練を重ねて来ている。ちょっとした身動きにも、彼女がいかに鍛錬しているか太郎の目にはあきらかだった。とはいえ、美和子が強さを披露しているということではない。長年の鍛錬により、身動きに無駄がなく、まるで舞を踊る名手を見るような優雅さが彼女には備わっているのだ。それが気品につながり、それを理解できない人間には彼女はただの上品なお嬢さまとしか映らない。
たぶん、出場者の九割は美和子の相手にならない素人だ。太郎はそう判断していた。
しかし杏奈にとってはどうだろう。美和子からの対抗心から、彼女は武道を習い始めたということだが、太郎の見るところ素人とほとんど変わりないレベルである。もし無謀にも、このトーナメントに出場すれば、酷い目にあう確率が高いのではないか?
美和子のグラスが空になり、太郎はそれを受け取って船のレストランへと向かった。船内には乗客のため、レストランが無料で開放されている。酒類はおいていないが、そのほかの食べ物、飲み物はふんだんに用意されている。レストランはそれらを求める乗客で混雑していた。
グラスを返そうとカウンターに差し出すと、その向こうから声をかけられた。
「よう、この船に乗っていたのか!」
はっ、と顔を上げるとまんまるな太っちょの少年の顔が目に入った。
田端幸司だった。
「君は……」
幸司は太郎を見て片目をウインクさせた。
「美和子お嬢さまがこのトーナメントに出場するって聞いてね、あちこち手を尽くしてコックとして入り込んだんだ。もしものとき、こんなおれでも役に立つんじゃないかと思って……」
うん、と太郎はうなずいた。
「うれしいよ。きっと美和子お嬢さまもお喜びになる」
そうかあ……と幸司は満面の笑みになった。
しかし太郎はこうつけくわえるのを忘れなかった。
「ただし、きみはトーナメントの闘いには参加しないでくれ。こんな大勢の人間がお互い本気で喧嘩をするんだ。まきこまれたら、どういうことになるか判らない。君の役立つときは、きっと来るからそれまで自重するようぼくからも頼む」
うん、と幸司は素直にうなずいた。
「わかってるさ。おれだって馬鹿じゃない。喧嘩は苦手だし、そのほかのことできっと役に立つさ!」
じゃあ……と片手を挙げ、太郎はその場を離れた。ちらとふりかえると、幸司は先輩の調理人になにを怠けていたと叱られているところだった。
太郎は甲板に戻った。