校長
「卒業おめでとう。そして真行寺男爵のお屋敷への奉公もな」
校長の山田勇作氏は校長室で太郎を待っていた。太郎が入室するなり、祝福の言葉をかける。
ありがとうございます、と太郎は頭を下げた。
「これが、真行寺男爵から君によこされた夜行列車の一等切符と男爵邸への道順だ。明日、出発するんだったな?」
校長は机の引き出しから一通の封筒を取り出し、机の上面をすべらせた。一歩前に出て太郎は封筒をそっととりあげた。
あらためると封筒の表には男爵の印璽が押された封蝋で封印されている。かすかに封蝋の香りが漂った。
校長は引き出しからもう一通の封筒を取り出した。
「そしてこれが執事協会の案内状だ。なにか困ったことがあったら、相談するといい。執事規約に反しないことなら、親身になって相談に乗ってくれるだろう」
執事協会……。かすかに太郎はもの問いたげな表情になる。校長はうなずいて説明した。
「知らないのも無理はない。正式な執事になった者だけに案内状がくることになっている。君は男爵家に奉公することに決まったから、協会がわたしを通じて案内状を送付することになったのだよ。その執事協会の目的は、召し使い同士の互助会のようなものだ。召し使いに対し、不当な扱いをした主家にたいし制裁を加えることもあるし、また主家を裏切る行為に走った召し使いに制裁をくわえることもある。要するに健全な、主人と召し使いの関係を保持することを目的とした組織だ。君はまあ心配はないだろうが、憶えておいたほうがいいだろう」
太郎はうなずいた。できることなら、この協会の厄介になりたくはないものだ。
ふたつの封筒を手にした太郎を前に、校長は両手の指を組み合わせた。なにか大事なことを言い出すときの山田勇作の癖である。
「君はわが校はじまって以来の優秀な生徒だ。やはり血は争えないというのかな。お父上もまた、優秀な執事だった。君はお父上のことを覚えているかい? そう、只野五郎のことだよ」
太郎は首をふった。
「いいえ、父はぼくが生まれてすぐにいなくなりましたから……それに父の写真もありませんので、どのような人物なのかも知りません」
そうか、と山田氏はうなずいた。
「君のお父上は有名な召し使いだった。最高の執事、という称号すら控えめではないかという評価もある。君が都会へ出て、男爵に奉公するうち、お父上のことでなにか耳にすることもあるかもしれん。おそらくやっかみ半分で、いやな噂を聞くこともあるだろう。だが、憶えておいてほしいのは、君のお父上の只野五郎氏は、つねに最高の召し使いであったし、その評価は時と共に変わるものではない、ということだ。わかったね?」
はい、と太郎はうなずいた。
しかし校長が特別にじぶんにこういうことを言うということは、なにか裏に事情があるのではないか、と太郎は考えていた。
その事情とはなんだろう?
校長室を辞し出口へと向かう太郎を、洋子が物影から見つめていた。どうやら彼女はふたりの会話を盗み聞きしていたようである。