残照
結果としてうまくいかなかったようだ。
あとで山田氏から太郎に手紙が届いた。
その内容から、洋子と勇作氏のやりとりはつぎのようなものだった。
「どうしても厭、というのか?」
「厭よ! 絶対、帰らない! あたし、この家のメイドになったんだもの。お父さんがなんと言おうと、一人前になるまで帰らないわ! お母さんにもそう言っておいて」
高倉家の庭にある東屋で山田氏と娘の洋子は顔をあわせていた。山田氏はごく普通の背広姿だが、洋子はメイド服である。デザインはクラシカルなもので、しろいエプロンにはふんだんにレースがあしらわれ、足元の革靴にはちいさなリボンが紐をきゅっと締めている。このいでたちで現れた洋子は、驚きの目をみはる父親にたいし、自慢そうにスカートのはしを持ち上げて見せた。あこがれのメイド姿で現れた洋子に、山田氏はこれからの交渉の難しさを予感していた。
屋敷の全貌が見渡せるこの場所で、洋子は憤然と勇作氏の帰郷するようにという言葉を跳ね返していた。
なんどくり返しても洋子はがんと首を縦に振らない。
山田氏は疲れ果てた。
かれは執事学校の授業を思い返していた。
執事学校では召し使いとしての心得、そして誇りを繰り返し教え込む。それは理想的な召し使いになるには必須の授業だが、洋子には特に利きすぎたようだ。
背後の高倉家の屋敷をふりあおぐ。
山田氏の目には、高倉家の屋敷は異様に映った。いや、誰の目にも奇妙に映ることだろう。
まさに様式の混乱、といった言葉がぴったりとする。
天に高々と屋根を突き刺すようにそびえたつ母屋、その母屋に接続する大小無数の屋敷は空中通路でつながれ、壁には冷暖房のためのダクトが這い回っている。あとから思いつきで建て増しされた住宅は統一感のかけらもなく、ただただ実用一点張りの目的しかあたえられていないようだ。
母屋には高倉コンツェルンの紋章がかかげられ、夜には照明で明るく浮かび上がるのだそうだ。コンツェルンの総帥、高倉ケン太はこの屋敷を事実上のコンツェルン司令部として活用しているようだ。
それよりも気になるのはこの屋敷にあちこち見受けられる屈強な身体つきの、目つきのするどい召し使いたちだ。
あきらかにかれらは武装している。
まるで軍隊の駐屯所にまぎれこんだような錯覚を山田氏は感じていた。かれらはきびきびと歩き回り、まるで兵隊のように足をそろえて行進していた。
そのことを洋子に問いただすと、彼女はまったく気にしていないようだった。
「あの人たち、高倉家の人たちのボディ・ガードだって。とっても忠実なのよ。ケン太さんの言いつけはもちろん、妹の杏奈さまの言いつけにも従うし、このお屋敷の召し使いたちって、とっても高倉家に忠実なのよねえ。執事学校の”忠誠の誓い”以上だわ」
娘の言葉に山田氏は不安を感じていた。
たしかに召し使いは主人への忠実さを期待されている職業である。しかしここの屋敷の召し使いたちの忠実さには、別の理由がありそうな……。
それがなにか判らないが、かれの娘がそれに巻き込まれるのではないかと感じとっていたのだ。
ふと気づくと、屋敷を夕日が照らしている。
もう夕刻近い時刻である。
疲れ果てた山田氏は立ち上がった。
洋子への説得をあきらめざるを得ないようだ。小姓村への最終列車の時刻がせまってきている。
高倉家を立ち去ろうとする父親に、洋子ははじめて娘らしい表情を見せた。
「ごめんね。お母さんによろしく言っておいて。一人前になったと思えたら、かならず帰るって」
うん、と父親はうなずいた。
とぼとぼと大京駅へむかうかれの背後に、高倉家の屋敷が残照のなか、黒々としたシルエットを見せていた。