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使命

「さて!」

 ケン太は陽気に立ち上がった。

 窓に近づくとくるりとふり向き、美和子を見つめた。ケン太の視線に、美和子はさっとうつむいた。

「美和子さん、ぼくはいま高倉コンツェルンの総帥となっています。全国すべての高倉傘下の企業のうち、ぼくに忠誠を誓わないところはまあ、ないでしょう」

 一体何を言い出すのか? 太郎は内心首をかしげた。自慢話はこういう場合、ふさわしくはない。しかし美和子は大人しく聞き入っているようだ。

「ぼくには夢がある!」

 ケン太は腕をひろげた。

「高倉コンツェルンをさらに発展させること! そしてこの企業を世界企業にすることがぼくの当面の夢です!」

 言いながらケン太は歩き出した。両手を背中にまわし、熱心な口調になる。

「しかしその夢の実現にはぼくの身体がいくつあっても足りはしない。いま、ぼくは猛烈に忙しい! 実際、こうして美和子さんと会ってお話しする段取りを取るだけでも、一週間スケジュールを調整しなくてはならなかった……」

 はあ……と、美和子はぽかんとした表情になっていた。彼女もケン太のこの演説には戸惑っているようだな、と太郎は思った。

 美和子は口をはさんだ。

「そ、それじゃケン太さん。あたしのために、大事なお仕事が……? あ、あのよろしかったら、いますぐにでもお仕舞いになさって、お仕事にお戻りになったら……?」

「そんなこと言っているわけじゃないんだ!」

 ケン太は叫んだ。

 美和子は目をぱちくりさせている。

「ぼくは考えている。ぼくの夢の実現のためにはパートナーが必要だってね……そしてそのパートナーが美和子さん、あなたなのです!」

 ケン太はぐい、と美和子を指さした。

 ぐっと美和子にのしかかるように近づくと、さっとケン太は膝まづき、その手を取った。

「美和子さん、どうかぼくと結婚してくれませんか? いま、とは言いません。あなたが女学院を卒業するまで待ちましょう。そしてぼくと手を取り合って、高倉コンツェルンを世界企業に成長させていきましょう!」

「あ……あの……」


 いつもは饒舌な美和子の口が、今日に限ってまったく働かないようだった。ただただ、彼女はケン太の長広舌を聞き入っているだけである。

 ケン太はさらりと美和子に対し、結婚の申し込みをしてしまったのである。

 彼女の困惑を見てとったケン太はにやっ、と笑った。そのとき、太郎はかれの八重歯がきらりと光ったのを見た、と思った。見間違いだろうか? いや、確かに光った!

 さっとケン太は美和子から離れた。

「いや、申し訳ない。つい、熱がはいってしまってあなたのことも考えず……。いまお答えを貰おうとは思いません。あなたも考える時間が必要だ。いまは待ちましょう」

 ケン太は窓際に近づき、外の庭を覗き込んだ。

 真行寺家の庭は専門の庭師が丹精込めて世話をつづけている。ひろびろとした庭のあちこちの立ち木はきちんと刈り込みがされ、西洋風の庭園では花が季節ごとにあらゆる色彩を乱舞させる。この部屋からはもっとも庭園のすばらしい景色が堪能できるのだ。

 庭をながめていたケン太はしばらく黙っていたが、ふと腕時計に目をとめた。

「おや、こんな時間だ。それでは美和子さん、失礼いたします。あなたの美しさに、つい長居をしてしまった」

 さっと椅子に座り込んでいる美和子の前にくると膝まづき、かれは彼女の手をとってその甲に口づけた。

 あ! と、美和子は全身を震わせた。

 すばやく立ち上がると、ケン太はそれではと一礼して、ドアを開けて出て行った。


 しまった!

 太郎は後悔した。

 あのとき、ドアを開けるのは召し使いである太郎の役目だったのに、ケン太みずから開けさせてしまった!

 あわてて追いかける太郎を尻目に、ケン太は屋敷の廊下をさっさと大股に歩き去っていく。

 どうしよう……このまま美和子の側にいるべきか、それともケン太を追いかけるべきなのか?

 太郎は迷った。

 そのとき、美和子が口を開き、太郎の迷いを消し去ってくれた。

「太郎さん。お願い、ここにいらして……」

 はっ、と太郎はすばやくもとの位置にもどって美和子を見た。

 彼女はぼう然としているようだった。

 視線は窓の外に向けているが、なにも見ていないのは確実である。

 首筋まで彼女は真っ赤にそめていた。

 ふ、と美和子は太郎のほうに顔を向けた。

 太郎は愕然となった。

 美和子の目に涙がいっぱいたまっている。

「あ、あたし……どうしていいか分からない……。ケン太さんのことは前から聞かされて、許婚だからと言われて……」

 美和子はくしゃくしゃと手にしたハンカチを握りしめていた。

 太郎はおおきく息を吸い込んだ。

「お嬢さま……」

 話しかける。美和子はぽかんとした目で太郎を見つめた。太郎から美和子に話しかけることはめったにない。

「お嬢さま……ぼくはお嬢さまと”忠誠の誓い”をはたしました。ですからどんなことがあっても、ぼくはお嬢さまの召し使いとして、忠実に従います。お嬢さまが結婚なされて、高倉夫人となってもそれは同じです。どうかご安心を……」

 う……、と美和子はうつむいた。ハンカチを目にあて、涙を拭いた。

「ありがとう、太郎さん。あたし……あたし……あなただけが頼りなの!」

 感動が巨大な波となって太郎に押し寄せる。太郎はただ、その波に必死に耐えていた。

 そうだ、ぼくは”忠誠の誓い”をはたしたのだ! だからどんなことがあっても、美和子の側にいて守るんだ! それがぼくの召し使いとしての使命なんだ!

 あらためて太郎はその思いを固くしていた。

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