忠実な召し使い
日差しの影には真行寺男爵の車椅子がおかれ、男爵は好々爺といった面持ちで高倉ケン太との会話を楽しんでいるようだ。男爵の背後にはいつものように木戸が無表情な顔をぶらさげている。
太郎が入っていくと、一同は顔をあげた。
「おお、これがさっき話していた只野太郎ですわい!」
男爵が上機嫌に声をあげた。
ほう、と高倉ケン太は立ち上がるとつかつかと太郎に近づき右手を差し出した。かれは背が高く、ほとんど木戸とおなじくらいの背丈だった。
「よろしく、君の事は男爵から聞いている。優秀な召し使いだそうだね」
太郎は差し出された右手を握った。ケン太の握手は力強い。かれはあけっぴろげな笑顔を見せた。
「ぼくのことは聞いているかな? 美和子さんの婚約者として……」
「はい、うかがっております。ようこそいらっしゃいました」
うん、とケン太はうなずいた。ちらりと男爵をふりかえり、ふたたび太郎に向き直って話しかける。
「もし、ぼくが美和子さんと結婚すればの話しだが、そうなると君は美和子さん専属の召使として引き続き、ぼくらに仕えることになるのかな?」
太郎はうなずいた。
「はい、お許しがあればお仕えしたいと存じます。ぼくは美和子さまに”忠誠の誓い”をしましたので、どのようなことがあっても忠実にお仕えします」
「”忠誠の誓い”? それはなんだね」
これには太郎は驚いた。召し使いをかかえているかれが、このことを知らないとは。太郎は説明した。
「召し使いになった者は、主人となったかたと誓いをかわすのです。誓いをかわした召し使いは、なにがあってもお仕えしなくてはならない決まりです」
黙り込んでいた木戸が急に口をはさみこんだ。
「高倉さま。お聞きになっていないのも無理はありません。その”忠誠の誓い”に拘束されるのは太郎の卒業した執事学校の卒業生にかぎられます。それにすべての召し使いが誓いをするというわけでもないのです。現にわたしは男爵さまとその誓いをしていませんが、忠実な召し使いとしての立場がゆるぐわけもないのです」
木戸は”忠誠の誓い”をしていない!
太郎は驚きに言葉をうしなっていた。また、誓いをしていない召し使いがいるということにも驚いていた。
とんとんと男爵が車椅子の肘掛けをたたいて一同の注目をひいた。おほん、と咳払いをすると、男爵は話しだした。
「以前、太郎君の父上の只野五郎がこの屋敷に仕えてくれていたころ、かれとわしの間でその誓いをかわしたのだよ。だからわしも、娘の美和子に誓いの儀式をするようすすめたのだ。まあそんなことしなくとも太郎君は忠実に仕えてくれることはわかっておるが、かれの父親のことを思い出すとつい、おなじことをしてもらいたくなってね。なにしろ五郎はすばらしい召し使いだったから……」
ケン太は肩をすくめた。
「執事学校か……うわさは聞いている。そういえば、こんど新しくうちに入ったメイドの山田洋子という女の子、たしか執事学校の卒業生だと言っていたね」
そう言うと太郎を見た。
「彼女のことは知っているかね?」
「はい、同級生でした」
ほう、とケン太は顔をあげた。
「それじゃあ、ぼくが彼女に”忠誠の誓い”の儀式をすれば、彼女はぼくにたいして忠誠を誓うことになるのか」
太郎はうなずいた。
ふうん、とケン太は楽しげな表情になった。
「なるほど……だが、それはやめておこう。ぼくはそんな誓いで他人を拘束する趣味はないし、それにぼくが主人としてふさわしくない振る舞いをすれば、彼女は自然と見限るだろう。ぼくとしてはつねにじぶんが他人の模範となるよう努力しているつもりだからね、そんな儀式はする気はないよ」
その時、がちゃりと部屋の扉が開いた。
扉の方向を見たケン太の表情がぱっ、とあかるくなった。
一歩踏み出す。
「これは……お美しい!」
賛嘆の声をあげる。
つられて入り口の方向を見た太郎も思わず目を見張っていた。
美和子が立っていた。