コック見習い
こつこつ……!
ドアがノックされ太郎は反射的に手にしたアルバムをもとに戻した。
「どうぞ」
答えると、ドアがかすかに開き、そのすきまからひとりの少年が顔をのぞかせた。
白衣と、頭にコック帽を被っている。年のころは太郎とおなじくらいか、ひとつふたつ年下かもしれない。全体にぷっくりと太っている。少年は太郎と目が合うと、にっと笑った。
「あんた、あたらしく入ってきた執事だろう?」
太郎がそうですと答えると、少年はひとりうなずいた。
「やっぱりな。あんた、夕食はどうなっている? もう、食ったのか」
太郎が首をふると、少年はちぇっと舌打ちをした。
「しょうがねえなあ……みんな忘れてやがんだよ。ほら、これが夕食だ。持ってきてやったぞ」
少年は扉を開くと、手に盆をのせて部屋に入ってきた。盆には布巾が乗せられ、すこし盛り上がっている。部屋に入り込んだ少年は布巾をとって見せた。
そこにはほかほかと湯気を立てているシチューと、焼きたてのパン、つけあわせの温めた野菜などがあった。
「腹減ってるんだろう? 食えよ」
「有難う、ぼくは只野太郎というんだ」
太郎が自己紹介すると、少年ははじめて気がついたというような顔になった。
「ああ、そうか。おれ、田端幸司。コック見習いでね。上の連中の話しで、あたらしい執事が来たってことは聞いていたけど、だれも夕食のことを言い出さなかったんで、勝手だけどまかないで持ってきたんだ」
「それはどうも……でも量が多すぎないか。どう見ても、ふたりぶんはあるよ」
へへへ……と、幸司は笑った。
「そりゃそうさ。実を言うと、おれも飯がまだなんだ。おれみたいな見習いは、飯なんかまともに食えることが少ないからな。こんなチャンスはめったにないから、おれもご相伴にあずかろうと思ってね。余分に作ってきたんだ。あんたがよければ、ここで一緒に食おうぜ」
別に断る理由もなく、太郎は部屋にあったちいさなテーブルと椅子をふたつ用意して幸司と名乗った少年と向かい合って食事をとることにした。
前掛けを外し、被っていた帽子をとってかたわらに置くと、幸司はテーブルに料理を手早く載せ、パンをちぎってシチューにひたし食べはじめた。太郎もそれを真似して口にする。幸司が心配そうに見つめているのに気づき、うなずいた。
「うまい! きみ、料理の腕は確かだな」
誉められ、幸司はへへっと笑った。しかし嬉しそうである。
「そうかい? おれ、いつか独立してレストランを経営するのが夢でね。本当は勝手に料理なんかさせてもらえないんだけど、先輩の調理をこっそり見たり、食べ残りを舐めたりして味を研究しているんだ」
ふうん、と太郎はあいづちをうちながらもくもくと食べ続ける。ひとにはいろいろな目標があるんだ、と思った。最高の執事になるのがとりあえずの太郎の目標である。
食事の間、太郎は幸司により真行寺家でのいろいろな話を聞かされることになった。たいていは他愛のない、だれとだれが仲が良いとか、だれかはだれかと喧嘩しているとかの噂話だったが、木戸の名前が出てきて太郎は耳を澄ませた。
「あの木戸って筆頭執事の野郎、おれたち下働き連中なんか鼻にも引っ掛けねえ、って態度でよう……ときどきむかっ腹たつときがあるんだぜ」
そこでぺろりと舌を出した。
「いけねえ、あんたも執事だっけな」
太郎はにっこりと笑って首をふった。
「大丈夫、だれにも言わないから」
そうか、と幸司は肩をすくめた。身を乗り出し、あたりに目を配るとささやき声になった。
「お前も気をつけんだぜ。あの木戸ってやつあ、どっか変だ」
「変って、なにが?」
言われて幸司は口を引き結び、考え込む表情になった。
「わかんねえ……なんかこそこそしやがってよう……時々こっそり屋敷を抜け出して誰かと会ってるみたいなんだが、なにを企んでいやがんのか。みんな噂してる。木戸はこの屋敷を辞めるつもりなんじゃないかって」
「辞職するっていうのかい? ”忠誠の誓い”を裏切って?」
太郎には信じられないことだった。召し使いが主人のゆるしなく、勝手に辞職することなど
「執事協約」に反している。この「執事協約」は、太郎たち召し使いを目指す生徒が最初にたたきこまれる、いわば執事の法律のようなものである。
半分ほど食べ進んだとき、階下で「幸司、幸司!」と、コック見習いの名前が連呼されているのが聞こえてくる。
いけねえ! と、幸司は立ち上がった。
「先輩が探してらあ! 悪いが、おれはこれで失礼するぜ。あんたと話せてよかったよ」
そそくさと立ち上がったかれはあわてて前掛けと帽子を手にとり、あたふたと廊下へと出て行った。どたばたと騒がしい音をたて、階段を降りていく。
かれが出て行って、太郎はほっとため息をついた。とたんに部屋はしん、と静けさを取り戻す。気づくと窓の外は暗くなっていた。
食べ残しを始末すると、太郎は部屋の明かりをつけた。筆記具はすでに見つけてあった。
机にむかい、母親への手紙をしたためる。
真行寺家に正式に召し使いとして奉公することになったこと、そして洋子のこと。大京市の印象など思いつく限りのことを書き連ねる。しかしこの部屋で見つけた只野五郎らしき写真については書くことをひかえた。なにも書くことがなくなり、太郎はペンをおいた。いくらでも母親には報せることがありそうで、しかし実際には便箋に二枚ほど書いただけでもう文面のたねはつきた。封筒にいれ、切手を貼って宛名を記した。
太郎はベッドを整え、着替えをすると身を横たえた。
明日は手紙を投函しなきゃ……そんなことを考え目を閉じると、あっという間に眠りについた。
夢の中で、太郎は洋子の顔を見ていた。洋子はなぜか寂しげな表情で太郎を見つめている。
最近、タイムマシンの理論に興味あり。
タイム・トラベルものなんか、いつか書いて見たいなあと考えています。