石本読書
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
やれやれ、今年はクリスマス当日まで、授業があるんだってさ。冬休みの宿題まで、プレゼントでもらいたくないのになあ。
クリスマス、予定あるかい? 僕は家でひたすら、積んでいる本を消化するけどね。
本、といえば、聞いたかい? 読書している二宮金次郎の像が、最近撤去されているという話。
理由は色々ささやかれているけど、僕は単にコストがかかるからだと思っている。あの石の像のメンテ、かなりお金がかかるらしいしね。
そうして学校から姿を減らしていく二宮金次郎像なんだけど、ひとつ変わった話を友達から聞いたんだ。もしかしたら、それも原因の一端かもしれない。
学校ものを扱うんだったら、ネタになってくれるといいんだけど。
小学生の頃。
友達の住んでいる地域にも、二宮金次郎像はたくさんある。学校はもちろん、神社の境内とか、お店の中とかに置かれている姿が見受けられたとか。
長年の雨に打たれて溶けたためか、顔と頭部から白いものをダラダラ流している姿も多かったらしい。
「毎年、外で本を読み続けるなんて、金次郎さん冷たそう。頭巾とか用意してもいいかな」
クラスメートの女の子が、そんなことを提案した。道の脇に並んでいるお地蔵さんが、赤い頭巾と前掛けを身に着けている姿を見て、思いついたらしい。
先生から許可をもらい、ちくちくと教室で赤い頭巾を縫っていく女の子。ほどなく、歩きながら本を読む、友達の学校の金次郎像は、お手製の雨具を手にすることになる。
彼女はすっかり勢いづいた。家で次々に頭巾を縫っては、ひと気のない夜に、近所の金次郎像やお地蔵さんへ配って回ったんだ。
ひとつこなすたびに、自分の心も温かくなってくるのを、彼女は感じていたらしい。
とうとう自転車を持ち出し、少し遠くにある金次郎像にまで、配達を行ったとのこと。
けれどある日。先生のいない時間にクラスのみんなを集めて、こっそりと打ち明けた。
二宮金次郎像が、本を読んでいた、。と。
「そりゃ当たり前だろ」
ほとんどの人が笑う。本を広げて手に持っているのが、よく見られるスタイルじゃないか、と。
でも彼女は首を横に振った。「実際にページをめくっているところを見たの」と、興奮気味に話して、ゆずらない。
昨日の夜。彼女は自転車を飛ばして、学区から少し外れたところにあるお寺を訪れた。
そこの御水屋の脇に、金次郎像がある。薪の詰まった背負子を下ろし、横たわった大木に腰をかけて、本を開いているという格好。
彼女はすぐそばまで自転車で乗り付けると、前かごに乗せた頭巾を手に取った。
その時、ふわりと風が吹いたんだ。
寒さを叩きつけるものじゃない、柔らかい吐息とさえ感じる、温かいもの。それを受けて彼女が思わず足を止めた時、金次郎像が握っている本のページが、はらりとめくれたんだ。
石でできたページは、音もなく次へと進み、新しい面を開いて固まってしまう。
気味悪く思った彼女は、頭巾を握りしめたまま逃げ帰ってしまったらしい。
「見間違い、見間違い」とたしなめるクラスメートたちにひるまず、「絶対に本がめくれた」と熱弁する彼女。顔も真っ赤で、髪から湯気が出そうなくらいだったとか。
仕方なく、その神社の近くに住んでいるメンツが検証隊となり、放課後に訪れてみる運びに。友達もその一員に加わった。
一度荷物を置いてから、現地に集合する隊員たち。境内の隅で、ボール遊びをしている老人とその孫らしき男の子が一組いる他は、ひと気がない。件の二宮金次郎像は、普段と変わらない格好で、座り込んでいる。
像に手を出すのは罰当たりという思いがあったのだろう。触る代表を決めるじゃんけんの末、友達が選出された。みんなが見守る中、友達は石の本におそるおそる手を伸ばしてみる。
固い。そして、冷たい。触った端からどんどん指先の熱が冷めていく。
けれど、「彼女の言も、まんざらでたらめじゃないかも」と感じるところもあった。
友達が手をかけた部分。石のページとページの境目は、しっかりとくっついておらず、すき間があったんだ。爪を辛うじてひっかけられるほどの細い空洞。
ちょうどのり付けの際に、雑に貼ると空気が入り込んで、できてしまう小さな山にそっくりだった。
そこから力を込めたら、あるいは……。
友達は引っかかる部分をぐっと握り、持ち上げようとしてみる。当然、石ならではの頑強な抵抗と重量があったものの、ほんの少しだけ重いページがはがれて、すき間が大きくなったように思えた。
周囲のみんなはまだ気づいていないようで、相変わらず興味津々な視線をこちらへ向けてくるばかり。
改めて、注目される立場にあると自覚して、友達は手を握り直した。
――あれらをすべて、驚きのまなざしに変えてやる。
先ほどより、力を入れた。
石のきしむ音が、小さく響く。そばにいた数名が「おおっ?」とばかりに近づいてきて、遠くにいる子も後に続く。その目の前で、石のページの張り付いている部分が、じわりじわりと剥がれていき……。
「何をしている!」
鋭い声がした。はっと見ると、あの孫と遊んでいた老人が、こちらへ向けて大股で近づいてくるじゃないか。
わっ、と声をあげて遠くにいたひとりが逃げ出す。その背中を追うようにして、みんなはちりぢりに走り去っていく。
友達は最後尾だったけれど、何とか捕まらずに済む。途中で振り返ると、あの老人は金次郎像を越えて、検証隊の面々を追いかけようとはしなかった。御水屋の屋根の下で、じっとたたずんでいるばかりだったらしいんだ。
家に逃げ帰ってからも、友達は本に手をかけた感覚が忘れられない。はがしかけた封筒の封が気になるように、友達もあの本をめくりかけたことが、頭に引っかかり続けていた。
――もしもあの時、逃げないでページをめくることができていたら。
ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、気づくとそんな「タラレバ」を考えている自分がいた。
時間が経ち、夜が更けてくるにつれて、胸の高鳴りは増す。この鼓動、少し前にサンタがプレゼントを届ける瞬間を見届けようと、布団の中で待ち続けていた、あの時とそっくりだ。
違うのは、こちらから迎えに行くことができるということ。
友達は早めにぐっとひと眠り。日付が変わって家の人が寝静まるころ、そっと家を抜け出した。
近くに街灯が立っていて、境内の一部を照らしてくれているとはいえ、昼間とは違う涼しさが立ち込めている神社。友達もここに来たとたん、思わずダウンのポケットに手を突っ込んでしまうくらいの冷気だったという。
御水屋に近づくと、一層その冷えが際立ってくる。その向こうで金次郎像は、夜露に濡れながら、じっと座り込んでいた。
友達はその正面に立つ。ポケットから手を出し、昼間の感覚を頼りに、あのすき間を探る。
手ごたえ。やはりあの時に少し持ち上がったのか、初めは爪しかかからなかったのが、今は指の先が差し込めるほどになっている。
ためらいはなかった。今度こそページを持ち上げるべく、ありったけの力をこめる。
ミシミシという音が、はっきりと耳に聞こえた。その音が立つたび、すぐに手を離して辺りを見回し、また力を入れて、音を立てて……。
すき間はすでに、ごまかせない域まで広がっている。すでに指の第二関節まで入り込んで、力がだいぶ入れやすい。
「もう一息」とばかりに指を入れかけて、友達の耳は別の音をとらえた。
ボールをつく音。はっと顔をあげると、サッカーボールの影が、跳ねながらこちらへ向かってくるところだった。あれは、昼間にここで子供が使っていたボールに見える。
気取られた、と思うや、友達は後ろから大きな手で口を押さえられてしまう。そのまま引き寄せられ、壁のようなものに、どんと背中をぶつけた。
「お前、そんなにもあれをめくりたいのか?」
昼間の老人の声だった。
「やめておけ。読み途中のものを邪魔されて、黙っているものはいない。あの像は、今でも読み続けているのだから」
あの女の子のようなことをいう、と友達は口をもごもごさせながら、身体をよじろうとする。その好き勝手を許さんと言わんばかりに、抱きとめる腕の力は更に強くなった。
「納得できないのなら、見るといい」
友達の顔の横から、見慣れない腕が伸びる。辺りに立ち込める闇そのものかと思うほど真っ黒いそれは、先ほどまで友達が指を差し入れていたすき間へ滑り込む。すぐに友人のそれを上回るきしみが、響き始めた。
ミシミシどころか、ギシギシ、ゴリゴリと大工道具で削っているような音と共に、本の影が少しずつ持ち上がっていく。
そして音が途切れる。合わせて、ページがめくられるのを友達が目にした時。
かあっと、景色が光を帯びた。
目の前で、昼間が広がる。御水屋が崩れる。その屋根が自分へ倒れてくる。頭を強く打つ。倒れ込む。
そのいずれもが、ほぼ同時に押し寄せた。気づいた時には、明るくなった世界の中で、地面に頬をつけながら、横たわっている自分がいたらしい。
天を向いた背中が、じりじりとやかれる。陽が照っているようだった。
御水屋はすっかり崩れ、土台の石が残るばかり。阿吽像が控えた観音門も、狛犬たちも、釣鐘も、ここから見えるはずのものが、何もない。ただ黄色い砂がそこに広がっていた。
「それは、必ず訪れる『いつか』だ。石の本に書かれた、『いつか』のページなのだよ」
老人の声が、友達の身体に降ってくる。
「『いつか』は地続き。飛ばしてめくれば、いきなりこうなる。やめておけ。
慌てずとも、いずれ本は読み終わり、『いつか』はやってくるのだから」
声がつげると、また夜が目前に帰ってきた。
御水屋、観音門、狛犬、釣鐘も、すべてが何事もなかったようにたたずんでいる。
友達が起き上がった。老人もサッカーボールも、もう見えない。
二宮金次郎の抱える本は、どこもしっかり張り付いて、先ほどまであったすき間はすっかりと消えてしまっていたのだとか。