(9)
「ミサキ司令官……マリブ国軍、挙兵を開始しました!」
地鳴りが響いた直後、直ぐ様見張り役の軍人が自分とガインの間を割ってミサキに報告をしに来る。 戦争が絶えないこの時代ではこれといって異端な事ではないが……今回がそれについての『例外』である事は、目で感じられ、耳で感じられ──そして、本能で感情に結びついた。 大地を覆い尽くす程の兵の数。 地割れが起きそうな程、止まることなく揺れ動いている地面、そして──この、鉄と火薬と錆の匂い。
在るべき居場所に帰って来れた様でどうも落ち着いているが、未曾有のこの事態である事には変わりはなかった。
「そんなものは見て分かる──多いな。 こちらに向かっている敵軍兵はどのくらいいる?」
「推測になりますが──およそ15万! 昨日の約10倍の兵数で前例がない程の大軍隊です!」
「……くそ! どうしていつもこう……こちらの策略の裏を掻くように出てくるんだ、こちらに情報を流している裏切り者でもいると言うのか……こちらの兵の総数は?」
「昨晩、大多数を南門へと移兵させてしまった為──およそ2万程かと……」
見張り役の軍人は顔が青ざめながらに自らの緊急事態を開示した。 確かに絶望的な状況だ。
「……そうか。 おい、簡易な質問だ。 お前には家族がいるのか」
ミサキは一転して、軍人に問い掛ける。
「え? あ……はい! 妻が1人、それに子供が1人……」
「それは、絶対に生き残らなければな──さて、絶望的な状況だ。 どう打破しようか」
態度そのものは冷静を装っているものの、ミサキの目の奥に写っているであろう感情は、焦りと不安の交差であっただろう。 この東門の最高権力者でもある……言い換えるなら立場としてヘマでも起こそうものならば、恐らく真っ先にミサキの首が飛ぶ。
まぁ、この状況で他人に共感や同情を抱く前に、まずは自分の身の安全を確保する行動が先決であるのだが──しかし、自分達のやる事は決まっている。 ガインやその他の傭兵達もそれにはどうやら、自覚がある様で、何の恐れも抱いていないかの如くに、戦闘準備を整え、東門の入り口に烏合の衆を創り初めていた。
「お前達……この勝負、下手に出たら繋がる未来は負けしかないんだぞ!」
「何を怖気付いているんですか、ミサキさん。 いいから、さっさと兵を入り口に集めて下さいよ。 ……要はあれでしょ? 1人8人くらい殺っちゃえば勝てる戦なんでしょう? なら──話は早い。 僕達、傭兵は目の前の敵を駆逐するのみだ」
この戦──とうに勝てる戦では、ない。 そんな事は分かっているのだ。 ならば……最早、小手先の技など必要は無い。
真っ向勝負だ。
血で血を洗ってやろうじゃないか。
「──東の終わりの島国では、敵兵4万5000兵に対し、わずか3000兵で勝利を収めた、武士と呼ばれる戦士がいたそうですよ──そんな話を聞いていると案外、簡単そうな戦じゃないですか」
向かい合って立つ。 敵軍は未だ地鳴りを起こしながら、今まで見た事もない量の数の人間が自分の視界を覆うばかりだ。 それに向かい合って立つ。 立つ。 立つ。 その足をしっかりと地に付けながら、立つ。 もう既にこの場に立っている時点で覚悟など決まっているのだ。
人と銃器の熱で空気が熱くなる。 皮膚と喉がどうも焼けそうに熱い。 それ程までに。 気が付くと、ミサキの指導で一等兵達が傭兵達の後方で準備を整えていた。
2万人を圧倒的に下回る。 その事実が一目で見て取れる──恐らく、敵軍の兵の数に畏れを感じ、射殺令を覚悟して逃げ出した兵も多数いただろう。 考えてみればそれもそうだ。 戦争で命を落とすならまだしも敵軍に捕虜された日には、それこそ本当の生き地獄だ。 死のうにも死ぬ事が出来ずに、そのか細い生命が絶えるまで拷問が繰り返される事が容易に想像出来る。 まぁ、確かにそんな最悪な事態を想像すれば、逃げ出したくなる気持ちも分からなくはない。
──ただし、自分達はここにいる。
つまりは、そんな最悪は頭の片隅にすらもないと言う事だ。 そこにあるのは決して最悪ではなく──最高だと言う事それ以外にない。 最高の想像……つまりはこの戦力差での逆転大勝利。 ここにいる誰もがその希望を抱き、武器を構えている。
「──さぁ、行きますか」
ヘンリーよ。 君は言った筈だ、「この戦いが終わったら、対等な立場で酒を交わそう」と。 あの言葉を彼はどんな気持ちで口にしたかは知らないが、彼の聴き取りづらい程の癖のある発音が丁度良く自分の中での解釈をボヤけさせ、とても心地が良かった。
生きろよ、どうか生き残れよ、ヘンリー。
「僕はどうやってでも生きるぞ」
不意に、身体の中から焼ける様に熱くなる。 それを冷ますかの如く、無意識の内に敵兵に向かい走り出していた。 それを何かの合図にしたかの様に傭兵、軍兵と後に続き走り出す。 既に大地の地鳴りの根源が敵味方を混濁して価値のないものとしていた。
約2万兵のか弱い数の力が、自分の背中を押す様に風を切る。
敵軍は、もう既に目の前まで迫っていた。
一度、足を止め、既に戦場と化した堅い大地で足を止め、大きく息を吸う。
「ぅぅぅうううぉぉぉおおおおおおお!」
喉が張り裂ける程の雄叫びを上げるものの、既に自分自身には届かない──脳が拒絶しているのだ。 このドーパミンが、既に神経を殺し合いのそこに置き去りにしている。 目の前には既にマシンガンを構えた敵軍が発砲を開始していた。 しかし、そんな鉛玉は当たる気がしない。 当然の様にそれ等をすり抜け、敵の頭上に錆だらけの剣を直撃させる。 ゴッと言う生々しい音が腕を伝わり、心地の悪い感触を自らに広がらせた。 しかし、頭を殴るのは良い。 命を奪う事も無く簡単に意識を飛ばす事が出来る。 そんな事を考える暇もなく、小バエの様に寄ってくる敵兵を次々と蹴散らし、既に昨日と同じ様に死亡や戦闘不能となった兵達の束が床に散らばり初め、足場を奪っていた──最中。
ズキっとふくらはぎの辺りに電流の様な激痛が走る。 反射的に振り向くと敵兵の1人が自分の足に剣を命中させ、ふくらはぎの肉を抉っていた。 咄嗟にその男の眼球を剣で潰し、怯んだ瞬間を見計らい無傷の足で身体ごと吹き飛ばす。
自分の足は既に踝の辺りまでに血で赤く染まっていた。 しかし、そんな痛みに悶える事も無く、何の気にも掛ける事も無く、無限にまで続く敵軍の深層にまで潜り混んでいく。
──すると。少しずつ周りは冷静になり、状況を把握し始める。 ……血と火薬と土の味が空気からもして来そうな、どんよりとしたものに掻き混ぜられ、意識を引っ張っていたのは確かだったが──そんな事では到底片の付きそうもないある異変に気付き、その瞬間に血の熱が音を立てながら下がっていった。
言うならば──そう、決定的な異変。 決定的な異端。
それは1人の敵兵であった。
まず視覚──1人だけだ。 1人だけ、常人では考えられない程に身体面積が広く、とにかく大きい。 4mを優雅に越える身長を持ち合わせる上に、肩幅も2m近くありそうだ。 それらのスケールの骨組み身体に均等に筋肉が付いている。 ボロボロの布切れの影になり、顔や手足の肌の確認はしなかったが、布下から浮き出る筋肉が、鍛え抜かれたそれを物語っていた。
次に聴覚──人は誰しも、感性のほとんどを視覚と聴覚に集中させていると言うのだから、当然、視界を閉じればほぼ全て、9割近くの感性は耳に集中する。 ……が、しかし、その場合に限りでは、視覚、聴覚と二分割していた感性が、互いが互いに絶頂点で研ぎ澄まされていた。 一歩……また一歩を踏み出す度に地の底が割れている音が手に取るように聞こえる。 巨体から振り降ろさせる棍棒のような武器での薙ぎ払いで、自軍の一等兵が無双ゲームの様に2、30人飛んで行く音までが感じ取れた。
更には嗅覚──血の匂いが強烈に押し寄せるが、それを上から暴力的に搔き消す様なこの獣の如くの異臭……。
ただ一つ、言えることがあるのならば、あれは、確実に人間をずらされている。