(5)
「答えろ。 チカチーロの末裔。 私の顔に何か付いているか?」
「あ、いや……別に」
そんな名の呼び方をされたのは生まれて初めてだった為、少し対応に困る。 身体を1歩引き下げ、目を逸らして対応したが、願いを1つ叶えて貰えるなら、是非その呼び名を何か耳につかないものに変えて欲しいものだ。
大した事ではないが、対した事では大いにある。 ただし、相手に反していない……みたいな。
目を逸らした先には、向かう先にはヘンリーの横顔が存在した。 どうやら、口を半開きにしながら、彼女の美貌に魅入っているのが一目見て受け取れた。 彼はいつもどこか大切なところが抜けているのが、この少ない付き合いでも感じられる。
そう言えば自分やヘンリー程の歳になれば、元服もとうに終えており、婚約者がいてもいなくてもおかしくはないのだが、その辺の色恋沙汰については未だお互い自己開示していなかった。 しかし、ヘンリーの薬指には指輪は付いていない為、どうやら今は、それらしき相手はいないと推測する。
『銀』のヘンリーと『ピナカ』のミサキ──外見だけを見て考えれば、彼らのカップルと言うのも少し絵になる様な美男美女ではあるが……残念ながら階級が違う。
ここまで手厳しく階級差別が憲法の如く定められているこの国の制度の事を、少し考えれば分かる気がするが、六階級制度の違う男女は特例を除き、結婚をするどころか、同棲すら認められない。 子孫を遺すに当たってその差別階級に優劣の混沌を避ける為である。
この国らしいと言えばこの国らしく、実に非人道的で合理的な政策ではあるが、こんな束縛がありながらも国民を絶やすことなく増やし続け、国が廻っているのだから世も末だ。 ──世も末というか、時代も末と言った具合ではあるのだが。
「相手から視線を外さないのは好意の表れではなく無意識による敵対心からの心理だったか──なんだったかな、昨日本で読んだ気もするが、私も初対面の人間に嫌われる程、顔が広くなってしまったかな」
もしそんな知識自慢を言って首を折る彼女の揚げ足を取るのならば、先程の初対面と言った時の彼女の声が少しだけ高くなったのには何か裏の心理が見受けられる気もする──自分達は初対面ではない? だとすれば、先程少し感じた懐かしい感傷も納得がいく。 傭兵の名簿で確認したなら話は別だが、『チカチーロ』の俗名を知る者もここにはいないはずだ。
──前世紀、一次戦争の英雄にして大逆罪の汚名などとうに軍から抹消されているはずだ。 今日などではない、どこか──遠い昔にどこか。
「まぁ、いい。 それよりも私は用があってこんな薄汚い場所へと自ら足を運んだのだ」
ヘンリーやその他の人々の顔付きが雄の顔から傭兵の顔付きへと一気に急変する。 ミサキと言う女……傭兵達の頂点に立つ者としての器をこの若さにて取り揃えている。 声のトーンや貫禄と言った、目では見えない部分に先程感じた懐かしみの原因も備わっているのやも知れない。
「今日の戦いでこの東門前の兵を総司令していたストレインジャー中尉がお亡くなりになられた! よってこの傭兵の中から臨時にストレインジャー中尉の穴に入って貰う傭兵を、勝手ではあるがこちらで指名させてもらう! ……まぁ、俗に言う戦場出世と言う奴だ。 階級や戦闘力、統括力などをこちらで吟味した結果……『ピナカ』のガインと『銀』のヘンリーを今この瞬間から少尉相当兵として指名したい! いたら手を上げてくれ、ガイン、ヘンリー!」
「え! あ……オイラだけど……」
ヘンリーが驚きを隠せずに一瞬、声のトーンを上げては、情けない手の上げ方で彼女の指名に応える意を表する。
「──そうか……お前が『ピナカ』のガイン……」
「違うヨ。 オイラは『銀』のヘンリーの方ダ。 『ピナカ』のなんちゃらだったらそこでのびテル」
「なんだ、こいつが……」
またもや目を細めては自分がぶん投げてしまったその男に痛々しい視線を寄せては、何かしら小声で独り言の様な事を呟いていた。 生憎、そこまで聴力に自信があるわけでもない上、口の動きから相手の言動を察する様な特技も持ち合わせていなかった為、なんと言ったかまでは今となっては分かる術は本人に聞くに絞られる訳だが、そこまで重要な事を口にした様な雰囲気は感じ取れなかった事を踏まえてそれ以上の詮索はしていない。 それにしても──まさか、ヘンリーが指名されるとは少しばかり意外だった。 あまり今日の活躍を目に出来ていなかったが、確かに今日の戦争を生き抜いたと言うだけで実力者の証明には成りうるし、彼の人柄や知能差数の点に目を止めれば適任な気がする──がしかし、足りないのだ。
彼には足りない。
人の上に立つ人間として最も大切な要素が。
なんと言えばいいか──口にして良いものかも議論にすべき論点となってもおかしくはないそれらが──この浅い付き合いでも受け取れてしまったのだ。
「もう、こいつはいい……失望した。 じゃあヘンリー。 これから明日以降の戦略会議を上層部で開こうと考えている──当然、ストレインジャー中尉の穴に入って貰うお前も参加してくれるな」
「そりゃ勿論だけれどモ……」
「よし! なら、少し遠いが、仮説の地方の東門特設軍部に同行を願おうか。 時は金なりだ。 夜中を襲われる可能性もあるから……急ぐぞ」
「ま、待ってくレ! それなら、こいつも……アレックスも!」
耳元で大きな声を荒らげ、肩を組んでくる。 ミサキの視線が再度、自分へと向けられる。 彼女はどうやら、堂々とした立ち振る舞いをしているものの、視線がどこか一点に定まらない。 まるで何かを気に掛けている様だった。
何かに追われ──何かを気に掛け、神経を研ぎ澄ませる様だった。
「──アレックス……?」
「あぁ! 確かにこいつは、社会的には信用される立場の人間ではないのかも知れナイ。 でも……今さっきまで、丁度話し合っていたんダ! 今後の陣形の事を……従っての自主戦略会議を。 そして、こいつには策師にも戦士にも、同等の才能がある! それをオイラは見出す事が出来たんだ!」
「ヘンリー……それは言い過ぎ。 傷付くぜ」
「あ、悪イ……ソノ……」
テンポ良く他愛の無い会話を弾ませながら笑顔を互いに見せ合う自分達を見て、ミサキは何かを言いたそうにこちらを覗いていた──手応えを感じられる。 これは思ってもみない好機だ。
『贋の錆』、六階級最底辺の称号としての自分にとって、この国程に生きずらい世界は恐らく存在しないだろう。 そんな自分がこの国でのし上がる方法はただ1つ──この2次大戦で功績を残し、尚、その功績が軍に認められる他にない。 『贋の錆』からの脱出は過去に実例があった訳ではないが、今までにも六階級制度の昇格は幾度となく承認している。 まずもって侮蔑の象徴とも言える『贋の錆』が国家最高権力の本軍に直属でコネクションを取れる事自体有り得ない事ではあるが──その最大の鬼門をこんな序盤で解決出来る、そんな好機に思えて仕方がなかった。
そして、軍に自分が繋がる事が出来たなら、理解が出来るかも知れない。 その可能性が1番高いのだ──自らのアイデンティティの本質、我が父の『王族強姦の冤罪』の真実がきっとそこに存在する。
自分だって馬鹿じゃあないし、命も惜しい。
誰が好き好んで、血腥い戦になど出ようか。 徴兵された兵士とは違い、ここにいる傭兵達全てに何かしらの事情はある。
そんな獣の様な……そんな人間がいる筈もない。
「──ダメだ。 特設軍部には貴族や王族が出入りする事もある。 許可なく『贋の錆』なんぞを入れたと知れれば、軍法会議ものだ。 どう足掻いてもそれは出来ない」