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ヘンリーとの食事の間、彼等は絶え間なく陰湿な揶揄を休める事はしなかった。 恐らく彼等は自分が、この国1番の侮蔑対象、『贋の錆』である事に気が付いている。
感情的になった訳ではない。 むしろ、気分は冷静そのものだ。
自分自身が蔑まれるのは幼い頃からであるからして無視をしようと思えば無視は出来たし、決して気に触る程の事ではなかった──この場に自分一人のみでいたならばの話だが。
ここには今現在、『銀』のヘンリーが自分の目の前に座り、自分と仲が良さそうに話をしていた。 だから、侮蔑の対象に巻き込まれる、これは非常におかしい事である。
確かに、自分には『贋の錆』という罪の罰の様な人種階級が己を苛まんでいる。 だからといってそれらに関係する者にまで罰が伝染していては、こちら側としては物を申し開きも出来なくなると言った具合だ。 よって、これは自身の為の自発的行動と言える──そう、決して自己犠牲なんかではない。
全ては己の為、己を戒める鎖の為。
侮蔑を飛ばした男達のところへと、直線で歩き出した。 するとすぐにヘンリーに手を伸ばされ、行く手を断線させられているのに気が付いた。
「落ち着けアレックス──オイラだって、こんな事で怒る程、子供でもねぇサ。 お前だって、そうダロウ? それに、アイツ……」
小声でそんな事を耳打ちする。 顔付きこそは笑顔を見せていたものの、どこか苦々しい。 何かに怯えてもいるように見えた。
野次を飛ばした男達の1人を良く観察してみると──他の傭兵とは一線を引いた頑丈そうな鎧に、見渡す限りで1番高級そうなステーキを食べていた。 自分や『銀』のヘンリーとも人権階級が違うことが予想出来る。 彼の近くに立てかけてある長距離用ライフルや、高性能科学弓を見るからに──
「そう、アイツ……恐らく『ピナカ』の奴なんダ。 関わらねぇ方が身のためダゾ」
六差別階級制度『ピナカ』階級……ヘンリーの階級『銀』の1つ上に位置する階級であり、上から3番目の階級となる。 個人が所持出来るほとんどの武器の使用が許され、平民では最高階級であり、都心の裕福層にそれらが集合していて、戦に出る様な人種はほとんどいない。
最高権力を持った平民と言っても過言ではなく、彼の言葉1つで階級割合の1番高い『銀』程度の人間であれば、処罰の対象となっても不思議ではないのだ。
しかし、これがこの国の常識……この国の闇……従ってヘンリーのこの態度も定石と言えば定石である。
自分はヘンリーの言葉も耳に入らず、足を進める。
確かに、失う地位や名誉のあるヘンリーには怖い存在なのかも知れない。 彼の気持ちも考えればこの光景は決して行き過ぎたものではない。
失う地位や名誉のある者の場合は、の話ではあるが。
向かって自分は失うものがない。 自分を罰しようと思えば『銀』であるヘンリーでも十二分に可能であるからだ。 そう言った迷いも捨て去り目を逸らさずに、とりあえずに足を進めると、相手の『ピナカ』も自分を目の前に立ち上がった。
手を伸ばせば届く程までに距離を詰め、しっかりと2人目を合わせる。 立ち上がって見ると『ピナカ』のその男は予想よりも遥かに背が高く、体つきも勇ましい。 さすが今日の戦いを無傷で生き残ったのであって、どうやらただのボンボンでもない様だ。
人を見下す様に顎を上げてはこちらを覗いている。
「……おす」
「あ? なんだよ、貧乏人。 汚ねぇなりだなお前。 あんまり汚ねぇから詰まった耳くそが擦れて幻聴でも聞こえたか? はははは!」
一緒に座っていた金魚のフンのような子分2人と、高らかに下品な笑い声を上げる。 それらの笑いを何も言わずに、なんの表情も見せずにじぃっと彼らを見つめていた。 泥の様な……獣の様な視線でじいっと……ただ見ていた。
「あぁ? なんだって言うんだよ! くせぇのが移るからどっか行けや!」
その男が胸ぐら辺りの服を乱暴に掴み、ガッと上へと持ち上げる。 首が締まり、少し息がしづらいが表情をほんの少しも揺るがさない。
「君の戦いぶりは横目ではあるが割と見させてもらったよ。 素直に見事だった。 いや〜〜今日の戦いでね、肩にひどい弓傷を受けてね、痛くて仕方がないんだよ。 自分で言うのはなんだけど僕はだいぶ、素早〜〜く動いていたつもりなんだよ。 そんな的に弓を当てられる凄腕であり、あの場で弓を用いていた兵士は3人もいないだろうよ」
「てめぇ、何が言いてぇんだよ! なんだ、俺がやったって言いたいのか! あぁ!」
「がは! ……誰も、そんな事は言ってないさ。 苦しいから手を離してくれ」
「舐めた口聞きやがって! この……『贋の錆』ごときが!」
『ピナカ』のその男が自分をひどく乱暴に地面に叩き付ける。 肺が刺激され、強い嘔吐感を感じた。 軍から支給されたゴミとも言える食料を危うく吐き出してしまうところでもあった。 少し脳が揺れ視界が揺れ、相手を確定的に認知するまで回復する頃には、既にその男は追撃へと事を進めていた。
彼の拳が大きく振りかぶられる。 しかし、そのモーションには少し無駄があり過ぎた為か、対処するのは容易な作業だった。 彼の拳を身体を縦にして避け、両手でそれを掴み、腕を脇で固める。 そして、彼を背負う様に腰を回転させ、そのまま向こう側のテーブルに叩き付けた。 幸いそこに先客は誰一人といなく彼の痛々しい大の字のみが、大きな音を立てテーブルクロスの様に被さる。
「……ねぇ、起きてよ。 お兄さん。 背中の傷が痛むんだってば」
自分でも随分と無機質に言葉を言い放ったものだと自負している。 それ相応の年頃の男性があんな腐った野菜の茎のみでは足りるはずもなく、その男が残したステーキの切れ端を手で掴み、強引にも咀嚼しながら、彼の金魚のフン達に厳しい視線を向けた。
「う、うわぁ!」
情けない声を上げながら、男達がその場を立ち上がり、『ピナカ』の男の元へと駆け寄る。 どうやら、彼は完全に伸びてしまっているらしい。
「最高峰も──随分と、つまんないんだね」
──一方、傭兵専用の食堂テントの入り口に1つの高貴な存在の影がいつの間にかそこに立っていた。
「──なんだ? 騒がしい様だな」
そんな声がテント内の人間に聞こえてるはずもない程に騒々しくなった食堂に仁王立ちをしながら、彼女らはそこに到達した。 シトラスの香りとともに入り口に背の高い女性の姿が存在感を漂わせる。
「おらぁ! チンピラ共! 傭兵総司令官中尉相当官、『ピナカ』のミサキ様がお見えになったぞ! 直ちに手を止めて、こちらに注目しろぉ!」
ミサキと呼ばれるその女性の隣の、小さくずんぐりむっくりした中年の大声で、食堂内の全ての傭兵達の注目を引く。
「なんだ……このザマは……」
テーブルに大の字になり、気を失っている『ピナカ』の男を見ては、嫌悪の微表情を見せては目を細める。 自分よりも頭半分程の背が高く、アジア系の珍しい顔をしては漆黒の髪を腰の辺りまで靡かせる──実に感傷に触る……そんな印象の人であった。 何の甲斐性を抱いた訳でもないが、伝説の名に近いアイデンティティを匂わせる彼女に何を感じる事も出来はしない。 言い換えるなら──これらも運命か。 今までの生活上、特に女性経験が疎く、少し心が踊ってしまう気持ちを裏腹に、傭兵総司令官、強いては自分の上司である彼女を更に強く睨みを効かせる。 数歩テント内に足を踏み入れ、ゆっくりと辺りを見回す。そして──彼女がこちらに目を合わせた様だ。 大きな黒目の奥まで広がる漆黒は、美人であるが故にどうも心地悪い。
「──なんだ? 『贋の錆』、チカチーロの末裔。 私の顔に何か付いているか?」
『贋の錆』である自分が──決して断じて、転機も好機も総じて、何かしらの所以で彼女に何を思う?
世界の鍵を握る彼女に──自らは何を感じる……そんな事も既にこの時には思い出せていない。