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峠の山賊……地方の田舎には都市ほどの厳重な治安整備はなく、それをいい事に村を襲い、農村の食糧等や美人の娘を定期的に奪い、生きる悪党が少なからず存在する。都市から追放されてきた私兵や傭兵の成り果ての食い扶持、それが地方の山賊である。 当然、それらの被害や負担は農村の住民が受けていたわけであり、このネブラスカ村も被害村の一つらしい。
しかし、それらの被害がそのオオカミの出現と同時にピタリとなくなったというのだ。 関係があるとは思えないが、関係がないはずがなかった。 ネブラスカ村から山賊の住まう峠までの足どりは、実に1時間と掛からなかった。
山賊達のテントが見えだした頃、十人ほどの足軽の山賊兵達がポツリポツリと姿を現していた。 まだ姿は小さく見えるだけだったが、山彦のように声が聞こえる。
「お~い! おにいさ~ん! ここから先は、立ち入り禁止だよ~!」
微かに聞こえたその声も峠の強い突風で掻き消されてしまった。 もう少し近づいてみた。 ポツリポツリと姿を現していただけだった山賊達が集団と化していた。 群れが自分を覆うように囲った。
「お兄さん、聞こえてる? ここから先は立ち入り禁止だよ。 ごめんね~、じゃあ回れ右して帰ってもらえる?」
無精ひげの生やした初老の汚らしい山賊が裏のある貼り付けたような笑顔でこちらに距離を詰めていた。
山賊や野人の言葉に耳など貸すまいと、無視して直進しようとする。 一歩目でがっつりと肩を強く掴まれた。
「ねぇ、お兄さんの為に言ってるんだよ? この先は本当に危険なんだから。 てか、俺らがどんな人間かもう分かってるよね? どっちにしろ、素直に帰ったほうが身のためだよ~」
すぐに痛みを伴う程度に手を掴んだ。「金目のものならこの通り、何にも持ってませんよ」
「……もしかして、君、ネブラスカ村からの頼みで来たの? それなら、安心してよ。 俺ら、あの村にもう行かないよ。 本当だよ。 俺らもそれどころではなくなってしまったからね」
鈍い汗をかき始めた男は手を解き、一歩後退した。 少しだけ不穏な空気が流れ出した。
「大きなオオカミのせいで……ってことですか?」「お、知ってるね、おにいさん」
男は即答する。 先ほど後退した距離もいつの間にか詰めていた。
「そうだよ、ちょっと前からこの先の洞窟に住み着いてしまっていてね。 普段はとても大人しいんだけれど、村を襲いに行こうとするとどうも、逆にそのオオカミに襲われてしまうんだよ。 うちの仲間もだいぶ被害を受けた。 全く困ったもんでなぁ、俺らも荷造りが終わったら、この地域を離れようと思ってるんだ。 それまではここに世話にはなるけどな」
「……この先の洞窟に、そのオオカミはいるんですね?」
「あぁ、そうだが……まさか、退治なんて考えてるんじゃねぇだろうな。 この人数でも返り討ちだったんだぜ? まだ若いんだから、命が惜しいなら武功なんて諦めて、尻尾巻いて帰りな」
確かにその集団を見渡す限り、山賊と呼べるほどの人数はいなかったし、点々と怪我をしている者もいた。
山賊が村に行こうとする度にオオカミに襲われる、それは事実だったといえるだろう。 つまりそれが何を意味するかといえば、オオカミが村を守っているという間接的な側面である。
それらを掘り下げて、考えられる有力な仮説が一つ。 大きなオオカミがオオカミ少年である点である。 ジルの息子が、巨大なオオカミと化した仮説が立証されてしまう点である。
「じゃあ、僕はこれで。 皆さんも悪事をやめろとまでは言いませんが、これ以上あの村に迷惑をかけないでくださいね」
「ああ、そう言っているだろう。 お前さんも、義理はねぇから無理には止めねぇが、せいぜいオオカミさんが腹でも壊していることを祈るんだな」
捨て台詞のようなことを言い、男は背を向けた。 それを合図に群を囲んでいた男たちも散り出した。
「あ……あの、最後に一つだけ」
「ん? なんだよ。 これ以上俺らみたいなのと喋っていると、本当にバチが当たっちまうぜ」
「……僕は、今日初めて、山賊という人種に会いました。 イメージや世間の批判とは全く違う……話の伝わる人達だと率直に感じました」
「それが、どうしたんだい?」
「あなた達なら、きっと表社会でも立派にやっていける、それなのになんで山賊なんてやっているんですか?」
「はははっ。 山賊にそんなこと聞くやつ……初めてだよ。 なんでって……この世は弱肉強食だからねぇ。 兵士として、堕ちた先が此処ってだけさ。 俺らだっておにいさんくらいの頃はこうなるなんて誰も思っちゃいなかったさ。 おにいさんもおじさんみたいになっちゃダメだよ〜」髭の男は、振り向き笑った。
ネブラスカ村の男から助けてもらった時の感覚が身を走った。
「あの村の住民にも似たような質問をしました。 でもその時もなぜか真理に届いた気がしませんでした」
「にもって……聞いといてその態度たぁ、けったいなお兄さんだな。 その答えは、この奥の洞窟に行けば、きっと分かるよ」
「……ありがとうございます──」
相対的に、二人は少しも振り向かず、そのまま現地を後にした。
──洞窟には、本当にすぐ近くに存在した。 洞窟の入り口はとても大きなものだった。 奥が深く、暗闇で覆われていた。 中に入る。 コツコツと乾いた音が闇の中まで響いていた。 闇に隠れ、何も見えなくなっていた。 急に鼻の中に何か戦の香りがした。 あの、二次戦争の戦場で感じた血と獣の混じった香りだ。その香りが、幾戦をも時を誘った。
『……出て行け、小僧』
脳内に語り掛けるように不気味な声が聞こえた。 頭の中を反響するような、重く頭に残っていた。
「だ、誰だ! どこにいる」姿は見えない。 ただただ声が響くばかりだ。
『小僧……私の声が聞こえるのか? 私の……人外の私の声が届いているのか?』
「聞こえるぞ。 声が聞こえるとは、どういうことだ。 姿を現して答えてみよ」
『何が姿を現せだ……よく周りを見てみろ、気づかないのは、お前が初めてだ』
脳内に語り掛けられる声に従い、目を凝らして周囲を見回した。 やはり、闇が広がるばかりだった。
更に目を凝らす。 今まで暗闇だと思っていたそれは、違っていた。
それは何かの毛皮だった。 黒く、洞窟の奥を覆う毛皮だった。 大きな毛皮の全体像は見えない。 それほど大きなものだった。
『お前は……私に驚いてはくれないのだな』
「驚いているさ」 深く息を飲み込んだ。 「あなたは、ネブラスカのオオカミ少年ですね」
視界的には闇は深いままであったが、視覚的には闇が晴れ、その男の正体が明らかだった。 言い換えるなら、闇に慣れたのかも知れない。
素敵な程の大きなオオカミだった。 彼の傷だらけの衰弱した様態は実に絶妙だった。 彼は疲れ切ったかのように倒れている。
『……こいつはこちらが驚かされたな。 どう言った経緯でここに来たかは知らないが、そこに辿り着くとは……そんな非現実な事実を信じるとは』
「教えて下さい。 人間だった筈のあなたが何故、そんな状態に成り果てたのか……」
オオカミ少年は、今にも死にそうに息を切らし、こちらをギロりと睨んでいた。
『はぁ……なぁに、簡単な話さ。 俺はな……おもちゃに使われたんだよ……! 俺は軍のおもちゃにされたのさ。 視線する前に戦争のためのドーピングを受けろって言われて生物学研究所の戸を開いたのが、人の形をしてた、最後の瞬間だった』
人間のように、せき込み、石のような血の塊を吐き出した。 数分もしないうちにみるみる衰退しているようだった。
『奴らは、俺のことを監禁し、俺らを「フィクション」と呼び、様々な人体実験を加えさせられた……ははは、おかし──』
「おい、ちょっと待って。 今、なんて?」
『なんだお前、耳が悪いのか。 だから、俺のことを監禁し』
「違う! 生物学研究所と言ったか?」
『あぁ、間違いない』
推理小説のクライマックスのように全ての辻褄が合っていく様だった。 マリブ国は、得意の生物学を駆使し、ジントニック王国には機密に、『フィクション』と呼ばれる、人間を規範とした大型の獣を創造している。 その意図は定かではない。 恐らく、兵器製造に長けたジントニック王国と対立するために人的生存権の侵害という国際的な禁忌を犯してまでその肩を並べていたと考えるのが妥当だ。
「なぁ、オオカミ少年。 最後だ。 答えてくれ。 マリブ軍の生物学研究所にテトラという名の男が居た筈だ。 奴は一体、何者──」
言葉の終わりを待たずに、再度、頭が割れるように頭痛がした。 意識がすぅっと薄くなる。 身体の血管が浮き出そうなほど、力が入って抜けない。
『お前……まさか混ざっているのか? ……こいつは驚いた、通りで私の言葉が通じるわけだ。 その頭痛はいわゆる「バーサーク化」の初期症状の一つ。 戦闘兵器として、作られた俺たちを管理する為の生理現象みたいなものだ。 痛いだろう? 辛いだろう? 安心しろ。 お前もすぐ、人の姿を無くし、バーサーク化もしなくなるだろう』
洞窟が揺れるほどの大きな咳をオオカミがした。 石の塊の様な血は止まる事を無く、多少、地に溜まり始めていた。
『そして……なぜ、お前が、この獣人計画の始祖者、テトラ・シャルル・アンリの名前を知っている? 彼は……ジントニックとマリブを跨ぐ反国軍のリーダー。 レジスタンスだぞ!』
頭痛に苛まれ、そんな声はとうに届いてなどいなかった。 延々と流れるオオカミの血に服が染まっていった。
『はぁ……はぁ……どうやら、人生の潮時に面白い男に会えた様だな──今度は、お前が頼みを聞く順番だ。 私に……私にとどめを刺してくれないか』
「あ……う……そんな事、何のメリットもない、だ、ろ」
『バーサーク化の本質は、元々殺傷動機の促進だ。 私を殺せば、きっと頭痛も治るさ』
「でも……」
『武器を忘れて来たのなら、そこら辺の石でも使えばいい』
言葉とは裏腹に、身体は既に、自分の頭と同じくらいの石を両手で持っていた。 その時、頭痛に苛まれながらも、つくづく自分が嫌になった。
『そうだ……それでいい。 最後に一つだけ、いいかい?』
「……どうしたんだい?」
『私の……父。 私を男手一つで育ててくれた父が、今、何をしているか、お前は知っているな。 教えてくれ』
「あなたを息子だと……見抜いていましたよ。 銃で撃ってしまった事も、死にたい程後悔していました」
その獣は目を静かに閉じ、涙を流していた。自分には、それはとても優しい子供にしか見えなかった。 そうして、もう一度、石の様な血を吐き、この獣先が短いと確信した。 ここで死なせてやろうとも思った。
『もし、もう一度でも会うことがあったのなら、私を産んで来てくれてありがとう、私は貴方の息子である事を誇りに思うと伝えてくれ。 母の事は任せろとも』
「はい……我が命に代えても」
彼の顔を石で何度も叩き潰した。 既に絶命しているのにも関わず、何度も何度も叩き潰した。 オオカミ少年の毛皮に染まる血が、涙に見えて仕方がなかった。
非情に悲しかった。




