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贋の錆  作者: 幸 真中
プロローグ・二次大戦編
2/26

(2)

 ──幼い頃から英雄になる事を夢描いていた。

 争いの絶えないこの国を……この世界を……この時代を、平和に満ち溢れさせる程の絶対的な英雄に憧れていた。

 父と母は自分にとってのそれだと、幼い頃は信じて疑わなかった。

「お前なんて……生まなきゃ良かった」

 自分の母親は泣きながら、声にならない声でそう言っていた。

 父親には長い間虐待を受けていたので、憎悪に近い念を感じていたが、母親は別格嫌いなわけでもなかった。 むしろ、好きだった気がしてならない。

「あの人の接点なんて、もう私の間に産まれたお前しかないんだ。 お前さえ産まなきゃ私は幸せになれたのにっ……!」

 幼い頃から、え……いゆう?になる事を夢描いていた。

 実に子供らしくて純粋で、理想を追い過ぎた程壮大な、息を呑むほど美しい幼き思い出だった……──。



「──……ぉい。 おい! 『贋の錆』!」

 ……ふと、誰かに何度も声を掛けられていたのに気付く。

 あの、色男であった。 彼は、傭兵用の仮設共同施設の食堂テントで、自分の対極に立ち、2、3度声を掛けていたらしい。

「隣……座って飯食べていいカ?」

 コクっと頷いてみたものの、自分の同意を待たずに腰を下ろし始めていた。 その上、「隣……」とか何とか言っていたものの、自分の座っている席の対極に腰を下ろした色男であったが、そんな細かい事に茶々を入れる事もなく、色男は無事着席を終えた。

 ──敵兵は、思いのほか手っ取り早く自国に兵を引いて行った。 自分達が……つまりは傭兵達が援軍として導入されたおよそ3時間後には尻尾を巻いて、自国に逃げ帰っていた。

 今日だけに関しては、我がジントニック王国の完全勝利と言うわけである。 今日だけは、今回だけは。 この戦いは別段、特別な戦いであったわけではない。 ただ、二次大戦中の今、敵軍が攻めてきたから、自国を守る為、立ち向かえたと言った……今では日常茶飯事──傭兵が、この戦いで9割以下になった。

 およそ1000人程で構成された東門特別兵士達が現時点では17人程。 それを思うと自分や目の前の色男が今日の戦いを()()()()()()()でも十分に奇跡と言える。

 そんな犠牲の骸の上ではあるが、敵が引き下がった──あまりにも粘りがなく降兵して行ったので深夜帯を狙っての奇襲も考えられなくはないが、食事や仮眠などを取る時間は与えられて今に至ると言った算段である。

 戦時中の傭兵は、所定の施設で寝食を行い、食事や布団、その他消耗品に至るまで軍から支給される。 一等兵に比べたら十分に貴族待遇に思えるかも知れないが、やはりここでも階級差別は悲惨なものであった。

 腐って虫の湧いた野菜の茎。 既にゴミとも言えるそれが、『贋の錆』に支給された食料だった。 向かいで色男がしっかり皿やお椀に乗ったカレーライスと汁物を持って現れたのが少し驚きがあった程である。

 しかし──こんな待遇なら『贋の錆』の階級を戒めてからはしょっちゅうである。 基本、飲食店には店側から退場を強制され、肉屋や魚屋でも買い物を断れる事が多々あり、運良く買えたとしても鮮度が悪い、商品にならないものを通常の値段で買わされる。 自給自足と言う方法も試した事があったが、当時の隣人のいたずらで直ぐに畑は駄目にされた。

 食品の調達は……意外や意外で辛かった。 1週間、食にありつけないなんて事も多々あった。

 もし、いつか機会があれば、飲食店でたらふく食事をしてみたいものだ。

 腐った野菜の茎をがりがりとしゃぶる自分を色男はじぃっと見ていた。

「……なんだよ。 同情でもしようってぇのか。 それなら……余計な気遣うくらいだったら、他を当たってくれ。 僕はそういうの……──」

「なぁ、お前……名前、なんて言うんダ?」

 口が真一文字になる。

 一瞬、思考が停止した。

 会話の流れ的に質問が支離滅裂であったし、何より……自分の名前なんて、自分でも忘れてしまう程口にしていない……というのは嘘で特別傭兵として、軍に臨時所属する時の署名登録で書いたばかりだ。 つい1週間前、だったか。 流石に未だに忘れてはいないが……実際に署名の時には忘れていた。 1度、戸籍を辿って確認して貰ったくらいだ。

 それ程までにあの獣が付けた自分の名前を劣等感から恥じていた部分はあったし、それこそ無理矢理忘れるべきものだとも思って──忘れた。

 だが、苗字は1日たりとも忘れた事はない。 世間的に見れば、『贋の錆』の原罪を戒める苗字こそ恥じるべきものなのかも知れないが──自分にとっては、良い意味でも悪い意味でも自分のアイデンティティを画一させる大切なものだった為だ。自分を戒める呪いが何によるものなのか……言い換えるなら、自分を見失わない為の大切な苗字。 あの、獣を殺してからの10年間……幾度なく自分を見失いかけたが、外道の底まで落ちなかったのは間違いなくそれのお陰だったと言える。

「なんでだよ。 なんでお前に僕が名を述べなきゃいけねぇんだよ。 お前、誰だか分かってるのか? 周りの目を見てみろよ、お前もハブられても知らねぇぞ」

「だから! 俺はそう言う階級差別は気にしネェんだって。 それに……もう、お前の事『贋の錆』なんて呼びたくねぇんダ」

 理由からするに、色男は階級差別が無意識的に意識しているようで本心を隠しているようだった。 しかし、彼の人柄の良さはこの少しの付き合いで完全に見抜いていた為、特に自分を利用しているなんて考えていないだろう。

 ──この人は、自分を人として認識している。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分は、色男から目を逸らし、聞こえるか聞こえないか程の声で自分の名を述べる──初めてのフルネームを自らで口にする。

「──アレクサンダー。 アレクサンダー・チカチーロだよ。 ……大した名前じゃねぇだろ」

「はは。 はははは。 そうかそうか、アレックスだナ! いい名前じゃねぇカ! ……今日の争い、生き抜いてくれて本当に良かった」

 色男が手を差し伸べる。 どうやら握手を求めていたようだった。 あまりにも自然に手を差し伸べられたのでなんの迷いもなく、自分も手を出し手を交わす。

「ひゃっはっは! オイラの名前はヘンリー。 『(しろがね)』のヘンリー・ロー・ルーカスだよ。 ヘンリーでいい。 これから、お互い終戦まで生き残ろうナ!」

 彼の手は……人の手は、想像以上に温かいものだった。

 差別階級の『(しろがね)』──6つの階級の内の上から4番目の階級に値する階級であり、この国の全ての凶器刃物等と簡易的な中距離銃や弓等の飛び道具の使用が許される。 私生活面では、この国で苦悩差別を受ける事はほとんどない。 田舎町なら裕福層である事も十二分に考えられる。 この国では最も割合の多い、五割を超える平民達がこの『(しろがね)』の差別階級を備えている為、そんなに珍しい存在ではないが、まずもって『贋の錆』である自分が対等に話せる様な階級でないのには変わりはない。

 しかし、この『(しろがね)』の階級にまつわる差別譚が無いわけではないが、この男はそう言った人間達とは一線を引く存在である事を自分は既に確信していた。

 全く……何度、死のうと思ったかは分からないが、まだまだ生きていてもいいかもな……少なくとも、この男を『友人』と心の底から自信を持って言えるまでは……生きていても良いのかも知れない。

 ──それにしても、ヘンリーの後ろの蔑みの視線を感じていると、どうも今日の戦いで受けた右肩の弓傷がひどく痛む。

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