死者よ起き上がることなかれ
テメレイヤ王国南東部に位置する、北にオライオン山脈、南にモナーク湾を有する交易都市コリングウッドは今日も賑わいを見せていた。東西の交通の要衝である土地柄ゆえか、表通りで声を張り上げる露店商や商品からは幾分かオリエンタルな風情が漂う。
そんな町の大通りから少し外れた通りに火を灯したロウソクを入れたフラスコをかたどった鋳鉄製の看板が掲げられたアパートがあった。1階は商店になっている。扉にも看板と同じマークが描かれており、錬金術ギルド公認資格を有する人間を有する店舗だとわかる。店は雑貨店であった。
店内は薄暗かったが、どういった物を取り扱っているのかがわからない程ではない。受付の向こうの棚にはおそらく薬が入っているだろう瓶が所狭しと並べられている。
受付には少しふっくらして、のんびりした印象を感じる婦人と作業着を着た青年が座っていた。
婦人は手に持った新聞を見ながら
「マック君、こんどの劇場の演目すごいわよぉ。悪魔召喚魔術師が恋をした姫のために陰で国のワルモノと戦い続ける悲恋モノですって。」
「悪魔召喚なんてありません。召喚術の存在は学会でちゃんと否定されています。」
「ンモー、夢がないわねー。そんなんじゃ彼女できないわよぉ?」
「いらんお世話です。」
そんなやり取りをしていたらカランと音をたてて店のドアが開けられた。店に入ってきたのは背が高く、眉と鼻が整った男前だった。
婦人は立ち上がり
「あらぁ!いらっしゃい!お求めの物は何かしら?香油ですか?瓶薬ですか?それとも香り付き石鹸?」
「すみません。今日こちらに伺ったのは雑貨を買いに来たのではないのです。」
そう言って青年は上着の懐から書簡を取り出し広げて見せる。その冒頭には大きくピッケルと剣が交わった青色の判が押されていた。
「冒険者ギルド経由で依頼に来たのです。こちらに『蛇を追う者』がいると伺ったのですが、彼はいらっしゃいませんか?」
婦人は目を丸くして話を聞いていたが、ふと首をかしげる。
「冒険者ギルドから来てくださるなんてわざわざお疲れ様ねぇ。でもうちにはそんな蛇好きの人なんていなかったと思うのですけど・・・。」
「ああいえ、『蛇を追う者』は二つ名です。正確に言えば、マッキントッシュ・サンダラーさんはいらっしゃいますか?」
「それは俺だ。あと大家さん、『蛇を追う者』は間違えないでください。」
「あら、ごめんなさい。お店のカウンターじゃなんだから応接室を使ってちょうだい。」
「ありがとうございます。」
マックは店内で待つ青年を連れて応接室に案内した。
「どうぞ。待たせてすまない。」
「それはいいが・・・しかし君、なんというか、その、普段からそんな特殊な香水を使っているのですか?」
「ん?ああ、すまない。ここでは瓶薬の制作もしていてね。金属臭くって悪いな。」
「あ、ああ。制作ですか。なるほど。じゃあ冒険者ギルドは錬金術の依頼もあるんですね。それは錬金術ギルドから文句を言われませんか?」
「いや、実験は錬金術ギルドからの仕事だぞ?」
「ん?それじゃ冒険者とロウソクギルドの二組織に籍を置いていることになりませんか?」
「ああ。兼業だ。今どき珍しい事でもないと思うが。何か気になることでも?」
「ん・・・いやそうだよな。ウン、なんでもありません。」
「はあ。そうか。」
青年はそこで襟を正して話を切り出した。
「僕はブリオーニ・アンフィオン。冒険者ギルドに紹介されてここに来ました。」
「ソロ冒険者『蛇を追う者』のマッキントッシュ・サンダラーだ。」
マックは一息入れて続ける。
「まずブリオーニさん。はじめに言っておくが俺は討伐依頼は受けない。専門分野を言うと錬金術と考古学ってヤツを扱ってる。ギルドでも聞いたかもしれないが『蛇を追う者』はギルド内では迷宮探索部の所属だ。そりゃ、目的地までの道のりや迷宮内の魔物から身を守れないわけじゃないがそれは専門じゃない。ここまでは大丈夫か?」
「ええ、わかってます。ギルドの受付にもあなたは探索・調査が専門だと聞いています。」
「ならいいんだ。時たまどんな冒険者でも良いと言いながら以来の話をするとこんなはずじゃないと逆上する奴がいてな。」
「その点では大丈夫です。ギルドで『蛇を追う者』のプロフィール書を見た限り、あなた方の専門は僕の依頼に合致していると受付の人に保証してもらえました。」
「うん。なら早速だが依頼を聞かせてもらえないか。」
少しの間を取ってブリオーニは言う。
「はい。依頼は、元恋人に盗られた家宝の指輪を取り返して欲しいんです!」
一拍の間をおいて最初に発言したのはマックだった。
「いや、だからさ。さっきの俺の話聞いてたか?そんな探偵みたいな仕事はさ、偵察・斥候部の連中か、その指輪を盗った女が用心棒でも雇っていたら討伐部の連中を使うとか、とにかくそれは俺たちの仕事じゃ・・・」
「いや、すみません。違うんです。言葉が足りませんでしたね。正確には彼女に盗られた指輪を墓の下から取り返してもらいたいのです。」
「・・・墓の下?どういうことだ?」
「はい。順を追って説明します。といっても大した話ではありませんが。僕と元彼女、レノーレ・コリントは1年前までは将来を誓い合う仲でした。しかし僕が家宝の指輪をプロポーズで渡した次の日に蒸発されましてね。今は新しい彼女が傷心を癒してくれています。僕は今の彼女にこそあの家宝の指輪を渡したいのです!」
ブリオーニは話しながら興奮してきた様で声を大きくし、拳を握りしめていた。それに気づき、冷静さを取り戻した彼は肩を落としながら話し続けた。
「・・・もちろん僕ははじめ自分で調査をしました。痕跡を辿るとレノーレはこの町の北東にある故郷のラッセル村にいるとのことでした。しかし僕が村に訪れた時、レノーレはすでに流行り病で墓の下で眠っていたのです。指輪はその際、村の習慣に従い、生前からの装飾品としてレノーレと共に棺に納められたようです。」
ブリオーニは手を合わせるように顔を覆い、目を伏せ、絞り出すように次の言葉を紡ぐ努力をしていた。
「ですからマッキントッシュさん。お願いです。僕の指輪を取り返してください!」
「しかしわからないな。それなら村長なり神父なりに事情を話せば棺を開けてくれるんじゃないか?なぜ話さない?」
「それは・・・」
ブリオーニが言いよどむ。
「話さないのではなく、話せないんだろ?」
答えを口にしたのはマックだった。
「・・・なぜそう思うんです?」
「まず名前だよ、ブリオーニ。お前の名字はアンフィオンだったな。アンフィオンといえばこの町から西にアンフィオン子爵領がある。ワインが有名だね。そう考えるとお前の服装は相応に仕立てが良い。町の人の服装とは一線を画している。整髪料もつけている。それにだ、金属臭で初め気づかなかったが、お前から匂う香水の香りは今現在ある特定の人種たちの間で流行している。たしか雌犬の卵巣から抽出されたエキスを使っているんだったか。」
「・・・特定の人種とは?」
「学院だよ。この町は王国に4ヵ所ある国立学院があるだろう。お前はここの学院生じゃないか?」
「・・・その通りです。この町の学院で経験を積んでから領地に戻る予定です。もう今年で卒業なのに問題を周りに知られたくないんです。」
「なるほど。だから従者を連れずに一人で来たってわけだ。」
それに加えて一般的に冒険者ギルドが双方の業務に支障が出ない限り、他のギルドとの兼業を容認しているという事実を知らないのも納得できる。
「はい。この依頼ならばあなた方が適任だと受付の方に聞きました。」
「クソ、あの天然パーマ、俺たちの専門は遺跡の調査だって言ってるのに・・・。しかもこの依頼書、ギルド認可印が青色だから強制遂行依頼だ。断れない。初めて見た。」
「ええ、この件は冒険者の方も含めてあまり多くの人の目に触れさせたくないので『チョット』お金を積んで公式の記録には残らない依頼にしたんです。」
「なに?じゃあこの依頼は存在してないことになる依頼なのか?」
「はい。しかしその代わりに前金を除いても依頼成功報酬は相当金額支払います。」
「・・・なんにしろ俺たちに依頼の選択権はないんだ。依頼についての条件を話そう。」
「そうだね。依頼についての報酬、期間、その他の条件を聞きたいな。」
「はい。成功報酬は総額7万5千ギリオンを都合しています。これは手付金も含まれています。このうちの2万5千ギリオンは先にお渡ししますので準備に使ってください。」
マックは息をのんだ。
「7万5千・・・大金だな。」
「いえ、僕の都合で断れない依頼をこなしていただくのですからこれくらいは当然です。」
子爵家といえどそれ程の大金を学生の身で用意するのは容易ではないだろう。金額の多さを誠意とするならブリオーニは中々に良い奴かもしれない。
「次に期間ですね。これについては今の彼女に入籍してもらうために今日から1ヵ月までの間に指輪を取り返さなければなりません。なので制限期間は30日とさせていただきます。」
「ふぅん。彼女想いなんだな。」
「ええ。僕は早く彼女と結婚したいです。」
「アツアツだね。・・・それで、依頼について他の条件は無いか?」
「はい。最後に一つ。依頼が達成される時、つまり、レノーレの墓を掘り返して指輪を取り戻す瞬間、僕をその場に立ち会わせてほしいのです。」
「おい、俺は依頼品の持ち逃げなんかしないよ。」
「ええ、それはわかっています。立ち合いを希望する理由は鑑定です。レノーレの副葬品が僕の指輪だけなら良いでしょうが、別の指輪が入っていたり、見落としがあってもいけないでしょう?」
「・・・まあ、そういう事情なら納得だ。」
「はい。僕からは以上です。マックさんからは何か質問はありますか?」
マックは床板の木目を眺めながら少し考える。
「・・・いや、こちらからは特にない。」
「ではこれまでの話をまとめましょう。」
ブリオーニがポンと手をたたく。
「まず依頼金は前金を含めて7万5千ギリオン。次に期間は今日から一ヵ月。そしてレノーレの墓から指輪を取り出すとき、僕を一緒に連れて行ってください。レノーレの故郷はこの町から歩いて2日の所にあるラッセル村。依頼達成条件は僕に指輪を受け渡すまで、というところでどうでしょうか?」
「ああ、そんなところだな。」
「はい、ありがとうございます。また何かあれば、冒険者ギルド経由で問い合わせてください。」
「ああ、了解した。」
こうしてコリングウッド冒険者ギルド所属冒険者『蛇を追う者』は墓に眠る指輪の発掘依頼を受理したのだった。
一人残った部屋でマックは呟く。
「ラッセル村だったな。墓を暴くというのは。ギルドに地図を買いに行かなきゃな。」
ギルド所属の探索者は冒険者によって踏査された地図を格安で購入することができる。その購入金の一部はギルドに提出した地図の完成度に応じて踏査した冒険者に還元される。
「今すぐギルドに行こう。墓荒らしだなんて犯罪まがいの依頼を許可したモジャモジャ頭にも文句を言わなきゃならんし、明日か明後日には現地の下調べに行きたいな。」
そう言ってマックはギルドへ向かっていった。
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冒険者ギルドの受付係であるグッチは頬杖を突きながら併設された酒場で燻ぶる冒険者を眺めながらクァ、とアクビをした。最近は魔物の数も活動も沈静化しており掲示板の公開依頼、特別依頼もおおむね解消しており、業務に余裕ができたからだ。酒場でたむろする無頼漢のような冒険者の存在がその思いを増々強めさせた。グッチとしては仕事をせず給金がもらえるので今の状態は良い事だと考えている。そして、この状態は長くは続かないだろうということも。来るとしたらそろそろだろうな、と思い玄関を見ると丁度扉が開かれた。
「ああ。『蛇を追う者』のマックさん。そろそろ来る頃だろうと思っていましたよ。」
「よお。今日もやる気ないな。早速だがなんであんな依頼を俺に出した?知ってるよな。俺の二つ名の由来。」
「ええ。今は無き絡み合う蛇人王国の遺構、遺産の調査への思いからできた名前ですよね。」
こともなげに返答する。
「わかってるならなんで墓荒らしなんて依頼を振った?」
「コイルナーガは千年前の火山活動と地震で滅んで今もこの周辺国の地下にその遺構があるんですよね?」
「ああ、そうだ。」
「なら王侯貴族の霊廟もどこかの地下に埋まっているわけですよね?」
「・・・ああ。」
「持ち主の許可を得ずに土を掘り返して墓をあさる。この条件で一番結果を出しそうだったのがあなただったんです。誇っていいですよ。」
「学術的調査と盗掘を一緒にしないでくれ!」
ダン、と受付窓口に拳を落として気炎を吐くマックに対し、まぁまぁとなだめながらグッチは切り返す。
「今のご時世にあんな大金をギルドに落としてくれる依頼主なんかいませんよ。正直あの依頼金でマックさんの生活は結構楽になるんじゃありませんか?」
「・・・むぅ。」
実際のところ、考古学や歴史学というのはほとんどが趣味の領域の学問であり、研究者本人の直結的な稼ぎに繋がらないことが多い。錬金術ギルドの依頼で稼いではいるが、それは生活費と研究費に費やされ、手元に残る金はいつだって少ない。従って今回の依頼の成功報酬は『蛇を追う者』にとって久しぶりに旨味のあるのは確かである。
「依頼を振った理由を正直に言えば、うちの迷宮探索部は3チームしかいないうえに他のチームは依頼で出張に行ってて頼れるのはあなたしかいないんです。ですからこの依頼、頼まれてくれませんか?」
普段のやる気なさげな様子と違って真摯さを感じる眼差しでお願いしてくるグッチを見て二人は観念した様に頭を振った。
「ああ、わかった。受ける。この依頼を受けるよ。」
「ありがとうございます。」
そういうとグッチはまたいつも通りやる気のなさそうな目つきに戻るのである。
「ただし、こんな依頼は今回だけだ。いいな?」
「ええ、わかりました。」
「じゃあラッセル村までの地図を買うよ。いくら?」
「6シリングですが、3シリング半にしときます。」
「ん、ありがとう。」
マックはギルド受付でやり取りをした後、地図でラッセル村までの道のりを確認し、大通りの露店で下調べに必要な用具を買い込み、余裕のある隊商の馬車に乗り合わせてもらう約束をしてその日はアパートに帰ったのだった。
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馬車にガタゴト揺られながらマックは宿場町で一泊することになった。
地図で見る限り、ラッセル村はこの宿場町の目と鼻の先にあるようだが周辺の町との経路、荷物の集積、諸々の事情により、馬車の経路はラッセル村には伸びていない。
今夜はこの宿場町に泊まり、明日の朝一番で村に向かう予定だ。
宿場のなかで手ごろな宿に入り、チェックインをする。今の時期は年度初めからそこまで経っていない時節であるから客は中々に多かった。
「お客さんはどちらに行かれるんですか?」
宿の手伝い娘が行き先を聞いてくる。おそらく隊商護衛冒険者にしては小奇麗な恰好に興味を持ったのだろう。マックが答える。
「この街道のはずれにあるラッセル村だよ。」
「えっ、隊商の護衛ではないんですか?」
「いや、俺たちは護衛じゃないんだ。別の依頼でね。だからこの宿場町で乗り合わせた隊商とは別れるね。」
「ラッセル村には何をしに行かれるんです?」
「魔獣の討伐だよ。最近はそんなに畑を荒らすなんて話は聞かなかったけど、いる時にはいるんだよな。」
「その割には結構綺麗な装備ですね。」
「まぁ罠をメインに使うから、そこまで重装備で汗を流す必要はないな。」
非公開の依頼であるのである程度辻褄の合う都合の良い答えを返す。本当なら依頼目的を話す義務もないが、久方ぶりの珍しい客に舞い上がる手伝い娘の好奇心を満たしてもバチは当たらないだろう。
「畑に罠を掛けるんですか?それとも森の獣道にも掛けるんですか?森に入るなら気を付けてくださいね。」
「ああ、注意するよ。」
「特に夕方近くには早めに帰ったほうがいいですよ。森は暗くなるのもすぐですから、吸血鬼が早いうちから出歩きます。魔獣なんか比べ物になりません。」
「吸血鬼?吸血鬼ってあの、悪魔が死んだ人間に入り込んで再び大地を歩かせる不死魔物のことか?」
「はい。この辺りは昔から吸血鬼が出やすい土地柄って言われています。だから・・・」
「それはないよ。」
手伝い娘の台詞に半ばかぶせるようにマックは否定する。
「君は吸血鬼を魔獣や魔物の一種と考えていないかい?」
「え、違うんですか?」
「違う。まったく違う。生き物は死んだら起き上がることはない。これは絶対だ。」
「でも、魔獣は一回死んだ動物が蘇ったモノじゃないんですか?」
「それは教会が教える俗説だよ。君は悪魔ってヤツを見たことがあるって言うのかい?魔獣はどこかの瘴気が濃い空気を吸って体が変化した動物だよ。これでも俺は錬金術を修めていてね、結論から言えば、魔獣はいるけれども、不死魔物はいないというのは最近の文壇の定説だよ。悪魔はいない。もちろん、吸血鬼もいないんだ。」
「そんな!あり得ません!だって、だって、10年前に4軒先のペティおばさんは死んだ旦那さんが夜中に蘇って会いに来たって、その時血を吸われたって言って、それで、今その二人の子供だっているんですよ!息子のダン君は半吸血鬼としてこの町を悪魔から守ってくれてるんですよ!毎年魔除けの儀式を通して悪魔のやってくる通り道を潰して、一年間溜まった厄を払っているんです!それこそラッセル村まで行って儀式を行っているくらいです!」
なかば興奮した様子で手伝い娘は意見を主張する。
「じゃあ聞くけどその死んだ旦那さんが歩いているところを目撃した他の人はいるのかい?学会ではダンピールは魔除けの儀式で、もみくちゃに丸めたシャツの隙間から悪魔の通り道を見ているなんて馬鹿げた話を聞いたが?」
「そ、それはその年の中で不幸があった家族にとり憑こうとする悪魔の通り道を覗いているんです!悪魔は弱った人の心に付け込むんですから故人の魔力が宿った上着で通り道を覗くことはなにもおかしくありません!」
「別に理由はなんだって良いよ。ようはそんなことは誰がやったとしても同じようなことを言えるよねってことが言いたいんだ。」
「で、でもペティおばさんは実際に旦那さんに血を吸われてその時の噛み後も見た人がいるって・・・」
「・・・君、今いくつになる?」
「じ、17歳ですけど・・・」
「君は本当にペティさんが吸血鬼の子供を産んだと思っているのかい?」
「・・・・。」
傍から見てもへなへなと手伝い娘が脱力する様が伝わった。
「すまない。言い過ぎた。ごめんな、悪気は無かったんだ。ただ、都市の方じゃこういう考え方もあるっていうことを言いたかったんだよ。・・・俺はもう部屋に行くよ。」
「いえ・・・、気にしないでください。・・・荷物、部屋まで運びますね。」
「あ、ああ。ありがとう。」
目に見えて落ち込んだ手伝い娘に気まずい思いをしながらマックは部屋に入ったのだった。
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宿で一晩を過ごした翌朝、マックはラッセル村に向けて出発した。
鬱蒼と茂る森の中の道を通って歩を進める。
マックはラッセル村へ歩きつつ、錬金術について考えていた。
錬金術は物質の特性を見極め、その関係を明らかにする学問である。最終的な目標として「賢者の石」を作ることが国立錬金術学会で定められている。
学会では魔術というものは存在せず、世界は物質と物質の関係で構成されていると解明されつつある。
そのため昔から言い伝えられている魔術や召喚術も本当は存在せず、ましてや死んだ生き物が再び動き出すということなどありえないという風潮が主流になってきているし、マック自身もそう思っている。
これはマックに限らず都市に住む人間にとって当たり前の考え方になってきていた。
しかしながら地方に行けば魔術やアンデッドなどといったものが信じられているのもまた確かなことである。
魔獣とは自らの魔力ではない魔力が体内に入り込んだ末に(森でいうなら自然発生している瘴気だまりの空気を吸ってしまった動物が)体内構造が作り変えられた生き物のことである。概ね元の動物の特徴が強化されて引き継がれるが、基本的に魔獣に共通することは警戒心が薄れ、凶暴性が増すことである。
例を挙げれば朝森に走って行った飼い犬が夕方に魔獣になって帰ってきた事例がある。
今まで家族同然に暮らしてきたペットや家畜が突然魔獣になるということは昔の人からは悪魔や亡霊が取り付いたように見えるのは仕方ないことだとも思う。
「ま、ここいらの人間がそういう考えを理解するのはまだまだ時間がかかるんだろうな。」
考えていたら存外、時間はすぐに経つ。マックはそのまま周辺の魔獣調査という名目でラッセル村に入り込んだ。
「はぁ、魔獣の調査ですか。わざわざコリングウッドから?いや、ご苦労様です。この村の作物もコリングウッドに送っているんですよ。たまにこうして冒険者組合の人たちが来て魔獣の調査もしてくれてますから大変助かります。」
「助かりますか。」
「助かります。この村にも代官はいますが、どうしても事務的といいますか、魔獣を甘く見てるんですね。領主様のとこで机仕事しかしてなかったんでしょうから、まぁ、仕方ないといえば仕方ないんでしょうが。やっぱり現場を知る冒険者組合の定期調査はありがたく思います。」
村の宿泊施設に荷物を置いて村の教会の神父と世間話をしながら村の中を散歩する。
冒険者組合は地方領主の認可の元、冒険者を派遣して魔獣の定期調査を行っている。そこで派遣された冒険者に魔獣を討伐させて討伐魔獣から出る利益の一部を領主に献上することで、冒険者ギルドはネットワークを広げてきていた。もちろん、地域ごとに差異はあるが、基本的にはこのやり方である。ここでは領主から送られてきた代官が定期的に兵を指揮して村周辺の見回りをしているらしいがあまりやる気がないらしい。
神父と村のどこの畑が動物にやられやすいかなど話しながら村を回ると案外小さい村で、あらかた村の道を歩ききる。
「今日は村を案内してくれてありがとうございました。」
「いえいえ、これも村に住むものとして当然のことですよ。ほかに何か気になるところはありませんか?」
「では、教会でお祈りをさせてもらえませんか?」
「ええ、もちろんです。」
教会は村の入り口脇にあり、裏手には森に接するように墓地が広がっていた。
形だけ祈ってからマックは墓地に目をつける。
「墓地の周りの柵は結構傷んでいますね。」
「ええ、もうここの墓守も年ですからね。補修が間に合いませんし、最近耳も遠くなってきているいるそうです。」
それは目的の墓を暴くのに人に気づかれる危険性が減るので好都合である。
「それになんだか新しめのお墓が多いですね。」
「はい。半年前に熱病が流行りまして。去年そこまで麦が実らなかったことも相まって、村の1割ほどが亡くなってしまいました。」
「それは・・・失礼しました。」
「いえ、お気になさらず。」
「・・・一つだけ丁寧な仕上げのお墓がありますね。」
「ああ、あれは村長の娘さんのお墓です。レノーレさんと言うのですが、信心深く大変聡明な女性でした。1年前にコリングウッドの学院で心に傷を負ってこの村に帰ってきて、そのままこの教会のシスターになっていたのです。同僚のシスターとも仲良くしており、みんなの前で笑顔を絶やさず、これから、という時期に半年前の流行り病で・・・」
神父は心底悲しそうに話した。
「心に傷、とは?」
「さあ、私も詳しくは聞いていません。この教会に入って来た当初はそれこそ自殺しそうな勢いでしたし、あまりそういった人の過去を聞くのはためらわれまして・・・。」
「そうですか。」
目的の墓が墓地のどこにあるのかアタリをつけようとして思いがけず依頼人の元恋人が話題に上がることに驚きを覚えつつ、神父からの話を聞くとブリオーニの言っていた指輪を奪って蒸発したという人物像との差異に疑問を覚える。
しかしながら神父はこれ以上レノーレについて知らないようなのでマックは話を切り上げ、宿に戻ろうかと考え、目線を玄関の方へ移しているとあるものが視界に入り込んだ。
「神父さん、あの燭台にあるロウソク、あれは蜜蝋ですよね。養蜂しているんですか?」
「おお、お気づきになりますか。」
「まあ一応町では錬金術ギルドにも所属しているので。それに建物の中に入った時、獣脂ロウソクの鼻につく獣臭もしませんでしたから。」
「ええ。おっしゃる通りここの教会は蜜蝋を使っています。不便な森の奥ですがこの質の高い蜜ロウソクはこの教会の数少ない自慢の一つです。」
「養蜂現場を見させてもらっても?」
「ええ、構いませんよ。ちょうど世話をしに行く時間です。担当しているシスターと一緒に見学なさってください。」
マックは担当のシスターの後について養蜂場へたどり着く。
「おお、これは立派だな。巣箱が多いのもだが、蜜源の植物の手入れがすごく丁寧だ。」
「ええ、ええ、そうでしょう。アタシたちの自慢の花園なんですよ。といっても花が咲くのはもう1ヵ月くらい先ですけどね。」
「いや、こんなに手入れが行き届いているんだ。きっと綺麗な花が咲くさ。」
「ええ、綺麗な花が咲くでしょうね。でもこの花園を一番心を込めて手入れしていたあの子が見られないなんて・・・。」
「あの子、とは?」
「レノーレって子がいたんです。村長の娘さんで1年前にうちのシスターになって、でも半年前の病気で・・・。あんなにいい子だったのにっ。」
「ああ。神父から聞いてるよ。なんでも心に傷を負ったとか。どういうことか知ってるか?」
そう聞くとシスターは辺りを見回した後、口に手を寄せてヒソヒソ声で話しだした。
「誰にも言わないでくださいね。・・・あの子は町にいた時、婚約者の男に捨てられたのよ!なんでも突然態度がよそよそしくなって話もしなくなってから急に別れ話を切り出されたって。あれは他に女でもできてたんでしょうね。でも当然レノーレはそんなことわからないから彼の部屋で喰い下がって理由を聞いたらしいわ。そしたら彼は自分のつけてた指輪をレノーレに押し付けて、『それで納得しろ、お前との関係はそれで終わりだ!』って言ってレノーレを部屋から追い出したらしいのよ!・・・あの子は茫然としていたらしいけれどやっぱり彼のことが好きだったんでしょうね、彼が別れろって言うなら彼のために自分はどこかに行こうって思ってこの村に戻ってきたの。」
「そいつはひどい話だね。」
「そうでしょう!この教会に来て半年間、あの子と一緒に生活してるとあの子の良さが良く分かったわ。ええ、それこそ今の話をベッドで聞いた時、シスター全員でその男を袋叩きにしようとしたもんだわ!それだのに『私のために先輩方が手を挙げるまでもないです』ってあの子は私達を引き留めたのよ!」
「心根が優しいんだな。優しすぎるくらいだ。」
「ええ。ほんとにね。だから夏至祭の時のケーキをその男の顔に見立ててみんなでフォークでぐさぐさ刺してから平らげてやったわ。・・・思えばあの子が教会にきてから初めて笑ったのはその時ね。・・・それなのに秋口の初めの頃に流行り病にかかっちゃって、あの子の人生はこれからだったって言うのにっ・・・!最期まで彼氏の名前を呟いていたわ。ううっ、いっそ、私が代わってあげられたらどんなに良かったか・・・。」
「・・・泣かないでくれ。あなたがそんな風に泣くことをシスター・レノーレもきっと望んでいないよ。」
話ながら感極まって泣いてしまったシスターを慰めながらマックはブリオーニから聞いた話との矛盾を考えていた。
村の宿屋に戻ってマックは考える。
正直この人間関係の話は依頼には関係がない。粛々と指輪を墓から取り出す仕事をこなせばいいだけだ。
しかし、今回実地で聞いた話はどこが、と言葉には出せないが気になることが多かったのも事実である。
「一応、墓掘り実行の時は注意しておこう。」
こうしてマックの現場での下見は終了した。
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そして墓掘り実行前日。マックとブリオーニはラッセル村手前の宿場町で昼前に宿をとり、準備を進めていた。
「ブリオーニお前、今日も香水つけてるんだな。」
「すみません、午前で切り上げてからすぐだったもので。」
「まあいい、計画の再確認だ。ここからラッセル村は歩いて2時間ほどだ。日が暮れて3時間したころに出発すれば、村人が深く眠っている時間帯に到着できる。墓所は道路脇の森に村から突き出るように位置しているし、柵もボロボロだったから侵入はたやすいだろう。おまけに墓守は老人で耳が遠いときている。墓を暴くいいチャンスだ。」
「天が僕らに味方してくれているようですね。」
「目的の墓の場所はもう押さえてある。墓所の中で比較的に森側だ。ちょうど墓守の詰め所との間に他の墓が多く立っているから見られることもないだろう。俺が墓を掘るから、お前は万が一を考えてあたりを警戒していてくれ。」
「はい。わかりました。」
「よし、じゃあ今のうちに仮眠をとっておこう。おやすみ。」
「はい、おやすみなさい。」
そして日が暮れてから時間がたち、村の誰もが眠る時間。
教会の墓所にこそこそと侵入する二人組の影があった。
「・・・あった。ここだ。これだろう?お前が探していた墓は。」
「・・・はい。間違いありません。レノーレの墓です。」
「よし。じゃあ早速取り掛かろう。」
背嚢から小型シャベルを取り出し、マックは詰め所から見えない様に他の墓の陰に隠れて手際よく土を掘り返し始めた。ブリオーニは窓を絞ったランタンで手元を照らしている。
「マックさん、なんだかすごく手際がいいですね。」
「まぁ、遺跡調査じゃ、組んだチームメンバーが戦闘職しかいない時もあるからな。」
「でも実家の増築工事の時、大工が基礎を置くために穴を掘るのを見ましたけど、それに負けず劣らずの速さですよ。」
「それは半年前にこの村で流行った熱病が原因だな。この村の1割の人間が死んだそうだがそうなると一度に大量の墓穴を掘って埋めなきゃならない。だからまだ比較的ここらの土は掘りやすいし、そこまで深くは埋められていないはず・・・」
と言った瞬間、シャベルの先がガツッと硬質なものに当たる音がした。そのまま土を分けていくと棺が姿を現した。
「あたりだ。手早く引き出そう。蓋の反対側を持ってくれ。・・・開くぞ、・・・1,2,3!」
棺の中には包帯を巻かれた人型が横たわっていた。
また背嚢から鋏を取り出すと足元からじょきじょきと体の中心線に沿って切っていく。
そしてすべての包帯が切り取られ、ランタンの灯りに照らされたレノーレ・コリントの死体は・・・
「・・・バカな。半年たっているんだぞ。なぜ腐敗が進んでいないんだ?」
ブリオーニが信じられないという風に呟く。
確かにレノーレ・コリントの死体は腐っておらず、それどころか顔の血色は死を感じさせないピンク色だった。
「マックさん、僕は今日宿で下女にここ周辺には昔から吸血鬼があらわれるって話を・・・」
「違う。吸血鬼は存在しない。これは絶対だ。」
「じゃあこれはどう説明するんです!死後半年経ってなんで腐っていないんですか!」
「死体は地中に埋めれば腐敗が遅れる。腐敗が進むのは空気に触れるからだ。だからこの棺の中ははうまい具合に条件が重なって空気と触れ合わなかったんだろう。それより、だ。」
マックはおもむろに死体に近づき、指から指輪を取り外した。
「ほれ。どうだ?確かにお前の家の指輪かい?」
動揺していたブリオーニは指輪を渡され、現実に引き戻される。急いで灯りに照らして確認する。
「・・・うん。確かに間違いありません。これは我が家の指輪です。」
「そりゃ良かったな。じゃあ蓋を閉めよう。そっち持ってくれ。」
「・・・いえ、今蓋を閉める必要はありませんよ。」
そういってブリオーニはやにわに懐から短剣を取り出しマックに斬りかかった。
マックが短剣をすんでのところで躱せたのは事前調査でブリオーニに不信感を抱いていたからだった。
「おい。どういうつもりだ?俺は墓を暴いて指輪をお前に渡す。お前はそれを確認して金を払う。それで終わりだろうが。なに斬りかかってんだ。」
「ふふふ、この指輪の一件を知る人間は消えてもらわなくちゃいけないんだよ。だからアンタはここで僕に殺されてそこの女と一緒に眠ってくれ。」
「なんで俺がお前に殺されなくちゃいけないんだ。」
「ふん、どうせ死ぬなら教えてやるよ。アンタもこの村で現地調査したならわかってるんじゃないか?今の彼女と遊んでるのがバレてこの女が連日俺の部屋でキャンキャンうるさかったんで指輪を渡して追っ払ったんだよ。・・・この指輪はな、僕が学校に行くとき親父から渡されてね、その時は古臭いただの指輪だって思ってたんだよ。だが少し前の長期休暇で実家に帰って話を聞くとあの指輪がなけりゃ次期領主になれないっていいうじゃないか。外にでて修行をつんだ次期領主がこの指輪を家に持ち帰るのが試練なんだとさ。
僕は困ったよ。村にきてみりゃこいつは墓の下だ。かと言って教会や冒険者ギルドに事情を話して指輪をとり返してもここら一帯に醜聞が広がるし親父にそれを聞かれればそれこそ首が飛びかねない。だから、さ」
「真実を知る人間が一番少なくなる強制遂行依頼、か。」
「そう!その通り!そしてここでアンタが地面の下に消えれば残りの報酬も払う必要がなくなるって寸法だ。我ながらいいシナリオだよ!」
「そうかい。お前の言いたいことはよくわかったよ。クズが。」
「まぁそのクズの未来のために死んでくれ!」
ブリオーニの振り回す短剣を小型シャベルでカキンカキンと払いながら凌ぐがじわじわとマックは追い詰められていく。
「僕は貴族だからな!決闘の心得は一通りたしなんでるよ。迷宮調査・探索をメインにしているソロ冒険者を注文したのもここで変な抵抗をされないためだ!」
実際ブリオーニの剣戟は激しく、マックの持つシャベルはボロボロになってきている。
「あのさぁ、もう逃げられないってわかるだろ?だったら潔くやられてくれないかな?」
息が上がりつつあることにいら立ちを覚えたブリオーニが降伏勧告をする。確かにマックの不利は誰の目にも明らかであった。折れ曲がったシャベルではどうあがいてもマックではブリオーニには勝てない。背を向けて逃げようにもブリオーニの突進力は目を見張るものがあった。
「・・・こうやって激しく動くとお前の香水の匂いが嫌でも鼻につくな。」
「はぁ?何言ってんの?」
絶体絶命の状況に発せられたマックの言葉は全く状況にあっていない内容だった。
「前に行ったよな。その香水、雌犬の卵巣のエキスから作られてるって。町を歩くと犬が寄ってこなかったか?」
「まぁそれが目的で作られた香水だからね。犬好きの生徒から流行が広がっていったよ。・・・それが遺言でいいの?」
「その香水、森では別のモノを引き寄せると思わないか?」
「は?何を言って・・・」
グガゥッ!と低い唸り声が聞こえた瞬間、ブリオーニの腕と足に黒い四つ足動物の影が噛みついていた。
「うっ!?うわぁぁっ!な、なんだ!?こっこいつ!た、助け・・・がぅ・・・」
助けを求めるより先に喉にも噛みついた黒い影がブリオーニの声を奪った。
魔獣化した狼である。
「こんな夜中に雌犬の匂いのする香水を振りまいてりゃ襲われる。」
マックは3匹の魔獣狼に囲まれながらもポケットから小瓶を取り出すと中の液体を上着の腕や胴、足に振りかけ、残りを辺りに振りまいた。
振りまかれた液体に魔獣はひるみ、唸り声をあげてマックを睨んでいたが、夜闇に紛れるように走り去っていった。
「俺が最初に噛みつかれなかったのは服に瓶薬臭さが染みてたからだろうな。ブリオーニ、運がなかったな。」
「かっ・・・たひゅっ、助けて・・・」
「無理だ。お前はもう喉を噛まれてる。どうしようもない。」
「ひ、いあ、ぼくは・・・しに、・・・な・・・」
そういってブリオーニは事切れた。
後にはブリオーニとレノーレの死体が残っている。
マックはブリオーニの死体をレノーレの隣りに引きずった。
そしてポケットから予備の小瓶を取り出し、二人に振りかけてた。
「お嬢さん、これは唐辛子っていう東からの交易品を蒸留酒につけて煮た汁とタバコの煮汁を混ぜた汁だ。俺が独自に調合した獣除けだよ。・・・あんたが一人で食われるのはあまりに可愛そうだからせめて好きな男と寝てくれ。」
いくら墓の陰に隠れたりしてもここまで大きな音を立てればすぐに村人がやってくるだろう。
マックは荷物をまとめて墓所の柵から宿場町に戻るために死体に背を向けた。そのまま歩き出そうとすると
「————————ありがとう。お礼に—————————」
「!?」
女の声が響いた。マックが驚いて墓に振り返るとそこには———————
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テメレイヤ王国南東部に位置する、北にオライオン山脈、南にモナーク湾を有する交易都市コリングウッドは今日も賑わいを見せていた。東西の交通の要衝である土地柄ゆえか、表通りで声を張り上げる露店商や商品からは幾分かオリエンタルな風情が漂う。
そんな町の大通りから少し外れた通りに火を灯したロウソクを入れたフラスコをかたどった鋳鉄製の看板が掲げられたアパートがあった。1階は商店になっている。扉にも看板と同じマークが描かれており、錬金術ギルド公認資格を有する人間を有する店舗だとわかる。店は雑貨店であった。
店内は薄暗かったが、どういった物を取り扱っているのかがわからない程ではない。受付の向こうの棚にはおそらく薬が入っているだろう瓶が所狭しと並べられている。
受付には少しふっくらして、のんびりした印象を感じる婦人と作業着を着た青年が座っていた。
婦人は手に持った新聞を見ながら
「マック君、近くの村で吸血鬼が現れたんですって!力尽きた吸血鬼と血を吸われたの亡骸がお墓の傍に倒れてたそうよ!なんでも吸血鬼に殺された人はその吸血鬼の生前の恋人だったんですって!すごいわねぇ!執念っていうのかしら。」
「大家さん、吸血鬼はいませんよ。生き物は死んだら生き返りません。おおかた墓荒らしが魔獣に襲われて亡くなったんでしょう。ゴシップ誌の読みすぎですよ。」
「でもでも!喉や手足には狼の噛み跡があったらしいけど肩のとこに一か所、人の顎の湾曲具合の噛み跡があったって書いてあるわよぉ!やっぱり女を袖にするような男には天罰が当たるのねぇ!」
「・・・・・。」
吸血鬼はいない。彼らは死体に悪魔が入ったものを言う。死んだ生き物は生き返らない。これは絶対だ。絶対のはずなのだ。
マックは事件当日の夜のことを思い出す。
マックは荷物をまとめて墓所の柵から宿場町に戻るために死体に背を向けた。そのまま歩き出そうとすると
「————————ありがとう。お礼に—————————」
「!?」
女の声が響いた。マックが驚いて墓に振り返るとそこには———————
————————————そこには誰もいなかった。ただ夜の闇が広がり、風が吹くだけだった。
そのまま急いで宿場町の宿屋に戻り、夜が明け次第コリングウッドに帰ってきた。冒険者ギルドのグッチに事情を報告し、この一件は『幸い』強制遂行依頼であったので、本当に存在しない依頼としてギルドもマックも知らぬ存ぜぬを突き通せた。
思えばブリオーニの計画も杜撰だったのだ。もし仮にマックが殺されたとして、冒険者ギルドが死因を調査しないわけがない。冒険者ギルドは少なくとも王国全体をカバーできるほど支所は持っている。ブリオーニが地元に帰っても必ず追及があるだろう。
やめよう。こんなことを今頃考えてもどうしようもないじゃないか。そう思いマックは魔獣除けの液を振りかけた上着を洗うために手をかけ、気づく。
上着のポケットの中に何かが入っている。
見ると、指輪であった。しかもブリオーニの依頼の品だ。
墓所から帰る際、聞こえた女の声は今まで風の音の聞き違いだと思っていた。しかし、女の声はありがとうと言った後、なんと言っていたか。
お礼に、と言っていなかったか。
指輪の文様を見ると、尻尾を絡めた2人の蛇人が描かれていた。
アンフィオン家は王国の中でも古参の家だったはず。その家宝の模様がマックの追ってやまない絡み合う蛇人王国の紋章であるのだ。
しかし指輪はブリオーニに渡し、彼のポケットに入れられていた筈だ。
ではマックのポケットに指輪を入れたのは—————————
そこまで考えてマックは頭を振る。
ありえないのだ。不死者などいるはずがない。
それよりも今は絡み合う蛇人王国への手がかりをつかんだのだ。
今はそれを喜ぼうじゃないか。