+ どんより不愉快
闘条がメインな話、BL臭注意。
四月二九日は今年のゴールデンウィーク初日だ。
この日を誕生日に持つ闘条春日は、温かな春の日差しという意味で付けられたと言う。
しかし、生憎の曇天、今にも降り出しそうな暗い灰色の天井。
「鬱だな」
晴れていればエントランスは大きな天窓が燦々と照らすのだが、今は照明すらついておらず薄暗い。
「誕生日に晴れなかったぐらいで大げさな」
昨年同室だった為、だいたいいつも蔓んでいる皆上が言った。持っていた旅行鞄を降ろして、隣の長椅子に腰かける。
「いや、名前に負けた気がして無性に腹が立つ。天気は殴れん」
「名前なんて親の趣味だから気にしなきゃいいのに」
そういう皆上とて、愛利をアイリと読むと返事をしない。お互い名前で妙な空気になるので苗字呼びが定着した。
「連休は帰省か?」
「前半はね。バイトも入れてるから二日には戻るよ。闘条は丸々実家?」
五月二日の平日を挟むが、学校は寛大にも授業はない。参加自由の放生会という、学校行事がある。もともと寺の行事だったが、近隣の川の水質が一時悪化してホタルが居なくなったことから、川の清掃とホタルの幼虫の餌であるタニシの放流というイベントに姿を変えた。ホタルを育てようの会に名前を変えたらいい。
「いや、日曜に試合があるからその後実家だ」
「そうなんだ、応援行けなくて悪いな。頑張れよ」
「気にするな。当然勝つ」
なぜなら、相手の顔が殴りたい顔だったからだ。
闘条にとっては、人間は二種類。殴りたいか、そうでないか。皆上は後者だ。殴って顔が変形でもしたら、とても惜しいと思うバランスなのだ。対戦相手は鼻がステルス戦闘機なので、正面パンチは避けて横から整えてやるべきか。
「じゃあ、先に戦勝祝いかな。おめでとう」
皆上は鞄から綺麗に包装された箱を出して寄越した。
「なんだこれは?」
「誕生日おめでとう。あ、中身は格闘技のDVD。試合前じゃ気が散るかなと思ったけど、なんか大丈夫そうだし渡しておくね」
「あ、ああ。ありがとう」
いつの間に用意していたのだろう。ここのところバイトと件の女捜しに奔走していた気がするが。というか、野郎の友達の誕生日プレゼントなんて渡している場合なのか。この間、あの娘は定時制かもしれないと騒いでいた気がする。定時制に知り合いが居ないか訊いて回ったが全滅だったと、闘条がシャドウボクシングする横で愚痴っていた。
「気持ちは嬉しいが、俺なんかに感けていていいのか?」
「ああ、それ?ネット通販だし。受け取りはバイト先だから気にしなくていいよ」
「そうか」
全くしっかりしている。それでいて、例の女が何故まだ見つからないのかが不思議なぐらいだ。
コンビニの防犯カメラから画像を失敬してくるほど強かで、相手に迷惑を掛けないようなネットの使い方で手懸りを見つける機転も利く。
パッと見、普通の範疇には納まるが、同い年の人間からするとやってのけることがスーパーマンだと思う時がある。
「闘条、今ホントは食べ物のが良かったとか思ってない?駄目だよ、試合前なんだから。試合後ならまだいいけど……」
などと話をしているうちに、寮の玄関前にワゴン車が停車する。後部座席のスライドドアが開くと小柄な人影が文字通り飛び出して、こちらに走ってくる。皆上はそれを確認すると立ち上がって鞄を背負った。
「兄ちゃん!!」
小柄な人物は突進してエントランスのガラス戸を押し開いた。
「誠人、お前も来たのか?父さんだけかと思ったよ」
「先月言ったよね?!言った矢先にコレってどういうことさ?!」
皆上に弟が居ることを思い出す、どうやらそれがこの誠人らしい。誠人は闘条を指差したまま皆上(愛利の方)に食って掛っていた。
「コレじゃないだろ、闘条だよ。あと指差すなよ」
「だから!こんなの家族に紹介しないでよ!!そっちの気はないっていったじゃんかぁー!!それとも、勘当になってもいいからって意味?!ホント目ェ覚ましてよ、兄ちゃん!!」
興奮しているのか、大きな身振りで毛束間のあるボブヘアーが揺れる。顔立ちは兄とよく似ており、目がつり目気味だ。ギャンギャンと話していることは意味不明なので、聞き流している。
「いや、その件と闘条は関係ないから。それについては、あとでちゃんと話すよ。じゃあ、闘条、また連休明けに」
「ああ、またな」
「ボクはオマエを認めてないからなー!」
「コラ、変な言いがかりつけるな」
賑やかに皆上兄弟は寮を後にした。
寮にはまだ数人部活などがある寮生が残っているが、閑散としたものだ。闘条は一度部屋に戻り、トレーニングウェアに着替える。すっきりしない天気だが、走り込みに行って汗を流そうという気分になった。
昔からフラストレーションは体を動かして解消する。昔から短気で、気に入らないものを破壊してきた結果だ。気に入らない顔がある、とりあえず殴る、親や教師から指導、公然と殴る術はないかと思って出会ったのが今のジムである。はけ口があると落ち着くもので、いきなり殴ることはなくなった。
「お、走りに行くのかー?」
間延びした声が階段の上から聞こえた。安土だ。
「ウッス、まぁ」
「ああ。そっかー……うん、なるほど」
何か含みのある言い方に聞こえる。安土の顔は殴りたい顔ではないが、時々こういう発言にイライラとさせられる。
「何がっすか」
「あれ、気がついてなかったのか。お前、独占欲強いだろう?皆上が帰省しちゃってて機嫌悪いんだ。だから、体を動かしたい。違うか?」
概ね合っている。フラストレーション要素が更に三つ重なっていることもあるのを除けばだが。癪に障る笑顔だ。
「いや、天気悪いんで気分も落ちるっつーか」
「そういう事にしておくかね」
安土は人をよく見ている。あの軟体動物のような態度やしゃべり方からは想像し難いが、寮長に納まるだけはある。
「どう思う?皆上の想い人は」
「どうったって……どんな奴かわからんのに」
「そーだよねぇ。一度見掛けたから、まぁ気持ちは分からなくもないけど。でもなぁ、二度と会えないかもしれないのによく頑張るよ。あー俺リコが居て本当に良かった」
安土は階段の手すりに寄り掛って、にこにこ幸せを噛み締めているようだ。ノロケならば、余所に行って欲しいと思った。
「闘条は彼女作る気ないのー?この前の合コン、モテモテだったじゃん」
「ないっすね」
「えー……じゃあ、炭水化物と女の子、どっちが好きー?」
「炭水化物」
「うん、予想通り過ぎて俺悲しい。じゃあ、炭水化物と皆上は?」
「……皆上」
一瞬安土の表情が、道端で轢かれた猫の死体を見るような憐れみを見せた。
「……それ、皆上大好きじゃん」
「言うなれば、ペット!ん、待てよ?面倒を見られているから飼い主に対するそれか?」
食事の管理、しつけ、遊び相手、などを総合すると、飼い主とペットというのが一番しっくりくる関係だと思った。
「あー……うん。言わんとすることはわかった。どちらかと言うと、野良に餌づけしてる気がするなぁ。しかしまぁ、お前って絶対卒業するまで彼女出来ないわ」
「皆上の片思いが上手く行くようなら、飼い主離れも考えるか。相手にも寄るが……」
今まであれほど他人に積極的に動いてる皆上も珍しい、それだけ本気なのだろう。
「へぇ。成長したねぇ、闘条。皆上の教育の賜物かねぇ」
安土は肩目こする仕草をして、口でホロリと言った。自分で言っておいて難だが、まるで獣の扱いだ。否定もできないが。
安土の携帯が短く鳴る。メールだろう。サブディスプレイをちらっと見た。
「部のミーティングだわ、引き留めて悪かったよー」
「いや、なんか逆に考えがまとまったっつーか……あざっす」
「そりゃどーいたしまして」
安土は闘条を追いぬいて階段を下りて行く。踊り場まで降りて、そうだ!と振り返った。
「なぁ闘条。この間の合コンに在川弥尋って子居たろ?その子殴れるか?」
「ああ、なんか赤い奴。いや無理」
「そうか、そりゃ良かった!」
何の事だか。あの場に居た人物で殴れそうなのは、矢裂と五林、それと炭水化物を笑った女三人位だ。赤い奴は割と面白そうな奴という印象だ。
再び含みのある笑みを残し、安土は階段をスキップで降りて行った。途中リズムが乱れた足音がしていた。転んではいないようだが。
気を取り直して走り込みに行ったが、やはり途中で降り出した。試合前に体を冷やすのもまずかったため、屋根のあるバス停に退避した。雨脚は一段と強くなり、路上がランドリーの中みたいになっている。
ベンチに掛けてどうやって寮に戻ろうか考えていると、逆に向かう循環バスが停車する。バスから降りて来た数人は傘を手に足早に歩き去っていく。最後に降りた一人を除いて。
「あ。トウジョウ……さん?」
「……誰だ?」
見覚えがあった気はするが、どこでと、名前が出てこない。今も着ているが桃の皮部分みたいなペラペラした服だった記憶はある。
「覚えてないですか、そうですか……」
女はがくりと首を垂れる。
「え、えーと、前場文香です。その節はお世話に……って、どの節か分かってます?」
「すまん、顔は見覚えがあるが……」
正直に言った。これで下手に覚えてる振りになんの得があるのか。
「リコ先輩とメグ先輩の合コンの時居ました、覚えてないのも無理もないですけど」
「ぜんばふみか……ああ、フーコとか言う!」
「って、てめーがフーコって呼ぶなぁあああ!」
突然の大声。さっきまでの、雨の音にかき消されまくって聞き取り難かったボソボソからは想像もつかない怒鳴り声だった。驚いた。
「フーコって呼んでいいのは後にも先にもヤッちゃんだけなの!!ないわー!この人ないわー!!」
二重人格だろうか。しかし、触れてはならない所に触れてしまったらしい。
「そうなのか、知らなかった。悪い」
「はっ……ついカッとなって、素が……ひぃ、ご、ごめんなさい!忘れてくださいぃ」
こんなに度肝を抜かれておいて、忘れられるはずもないのは明白だ。
「文香、でいいか。文香はこの近くか?」
「へ?いや、あの、違くって……ヤッちゃんに頼まれて用事を……」
ヤッちゃんとはあの赤い奴、在川のことであろう。なるほど、確かに文香は金魚のフンのようにくっついていた。
「そうか。どっち方向だ?」
「りゅ、龍善寺高……というか、闘条さん達の寮に、皆上さんに届けてほしいってこれを……」
ビニールのバッグに入った衣類と思われる。それを在川が皆上宛てに文香に託す構図が不思議だ。
「皆上なら居ないぞ。連休で実家に帰った」
「え、無駄足……?」
「不在でも寮父に預けておけばいいんじゃないのか?」
生ものではなさそうだし、問題ないだろう。
「そ、そうですよねっ!よ、よかったぁー」
「よし、案内してやる。替わりに、傘に入れてくれ」
都合良く傘を得た。道々、文香がひぃいぃぃ……と上ずった悲鳴をあげていたが、こういう奴らしいので、全く気に掛けなかった。
寮に着くころには雨も上がり、晴れ間が見えた。今年も名前負けせずに済んだ。
サブタイはお察しください。本筋には関係ないけど、名前で遊んでみました。
闘条と文香は似た者同士。