2 恋愛メンタリストなどと呼ぶな
結果から言うと、惨敗を喫した。
入学式の三日後、二度目のご来店があった。職務中にメールアドレスを渡すという、柄にもなくチャラい真似をした。だが、気が付かれなかったのか、あえて無視されたのか、レシートと思われたのか、何れにせよ表のゴミ箱行きになった。
「どこの誰かさえ分からないのに、これ以上どうしろと……」
レクリエーションスペースには、持ち込まれて持ち主が卒業して置いて行った物が雑然と広げられていた。麻雀卓の椅子にロダンの作品のように腰かけた。
「また来るかもしれないだろ?諦めるなよ」
消沈している愛利に目もくれず、目の前のボクシングの練習器具を綺麗なフォームで殴り付けている男が言った。
「もう一週間会ってないんだ、避けられてるのかも」
一瞬苦虫を噛み潰したような表情をして、強烈な一発を打ち込む。
「おい、やめろ。こっちまで湿っぽくなる。だいたい、お前。相談する相手が間違いだ。つーか、お前のがよっぽど女の気持ちとやらが分かるって安土先輩が言っていただろ!」
「その件はたまたまなんだよ。そういう事例が過去にあったから、そうやってアドバイスしただけで……。二度三度メアド寄越してくる男なんて正直キモい以外の何物でもないんだよ!なぁ、闘条。僕はどうしたらいいと思う?」
闘条は、うんざりとした顔で深いため息を吐いた。
「……お前。そこまで分かってるなら潔く諦めて、別の娘探したらどうだ?」
「さっき諦めるなって言わなかった?」
「俺に意見を求める方がおかしい。俺が欲しいのは女じゃなくて、サンドバッグだ。申請したのに何故通らない……!」
律儀に答えてくれるので、良い奴だと思う。しかし、恋人とサンドバッグを同列にするあたり、本当に相談相手を間違えた。サンドバッグが人ではないことを祈る。
「いや、ジム行きなよ」
闘条は再び練習器具に向き直った。
「そういえば、安土先輩が合コンのメンバー探していたぞ」
聞き捨てならない言葉を聞いた。
「…………。ちょっと行って来るよ」
寮長の安土は、A棟二階角の一番良い部屋を使っている。その部屋の扉に新入生が群がっている。
「なんだ、この人だかり」
「あぁ!皆上先輩、丁度よかったです!聞いてくださいよ」
わっと集まって来た新入生は、愛利を取り囲むと、口々に寮生活で他人への不満や、トラブルを訴えた。一部を聞き取れるだけで、あとはぎゃあぎゃあと引っ切り無しだ。
「発言は一人ずつ!」
全員押し黙る。
「山本、さっき隣の部屋の先輩に怒鳴られたって言ったよな。先日、クラスメートを部屋に入れてたけど、何で先に煩くなるって断っておかなかったんじゃないか?」
山本は小さく、あっと声を上げて項垂れた。
「他もあるようだけど、自分に落ち度がない奴だけ、今この場で要望を許す。相手に配慮のない要望は却下だ」
5秒程沈黙する。ふう、と息が漏れる。
「この寮の基本原則は自己責任だ。自分勝手に振る舞えば、住み心地は悪くなるし、相手を尊重していれば、信頼されて協力してくれる。安土先輩だって、彼女を呼ぶ事があるけど、他の連中から恨まれないのは信頼されてるからなんだ。わかるか?」
新入生は一瞬ざわついて、小さく頷く。
「じゃあ、解散。宮崎は部屋を片付けろな」
新入生が各々の部屋に戻っていくと、角部屋の扉が音もなく開くと、安土がすすーっと出て来た。
「いやーそろそろ、新入生が不満抱えて来るとは思ったんだけど。皆上が綺麗にまとめてくれて助かったわー。信頼されてるとか、俺ちょっと泣けてきちゃうかもー」
なははーと朗らかな笑顔を浮かべる安土に、愛利はこめかみがひくつくのを感じた。
「その信頼が地に落ちそうなんですけど」
「えぇー?なんでー」
「闘条から聞きましたよ。どういう事ですか、合コンとは」
決まった相手が居るのに合コンに行くというのは、男女どちらにしろ良い顔しないのが常ってものだろう。このカップルには少しばかり関わりがあるので、他人事ではないのだ。
「あぁ、そのことか」
あっけらかんとして、腹立たしい反応である。
「ごめんごめん、ちゃんと説明するから。怖い顔するなってー」
安土の部屋に通される。イスを勧められ、安土はベッドの方に腰かけた。回転イスの向きを変えて、着席する。
「で?ちゃんと納得させて貰えるんですよね?」
「もちろん。だって合コン誘って来たのはリコだしー」
リコというのは、安土の彼女の愛称だ。
「なんか、リコの友達が発案みたいなんだけど、そんなに顔が広くないみたいで、リコに彼氏の友達紹介してって泣きついたらしいよ。俺が付いてくれば問題ないでしょーみたいな」
「リコさんは断りきれなかったと……」
「そーいうことー」
なんというか、発案者が強引な気がするが、よくあることかもしれない。
「本人たちが良いんなら良いですけどね」
気を使い過ぎて、疲労感が押し寄せる。
「皆上も行くよな?行くと思って一人空けてあるんだけど」
「はっ?!」
素っ頓狂な声とはこういう事をいうのだろう。声が上ずった。
「うん?だって、バイト先の客駄目っぽいって聞いたから。恋愛メンタリストがメンタリスト過ぎて上手く行ってないのは、見過ごせないしー」
愚痴を零したのは闘条だけだったはずだが、何故知っているのだろう。
「恋愛メンタリストって、ちょ……止めてください。変な肩書いらないです」
「そう謙遜するなよー。リコの心情を手に取るように言い当てて、俺たちをくっつけてくれたんじゃんー。スゲーよ、お前ー」
前世が女でも、すべての女の心情わかる訳がない。超能力みたいに言われるのは、気が咎める。チートみたいなものなのだから。
「そんなの偶然ですって」
「まーまー。このままじゃ、メンタリストの名折れだよ。俺とリコの恩返しだと思ってさ。……それにさっきから、行かないって言わないもんなー」
「……うっ」
***
幹事は何を思ったのか。
中央を刳り貫いてバーナーと鉄板を嵌めたテーブルは熱気を帯びて、対面の席との間に陽炎がゆらめく。
客が来店すると、通路を行きかう店員はいらっしゃいませのあとに、謎の擬音をつける。看板に描かれた動物のキャラクターを意識した行為だと思うが、意義が分からない。店員たちに、照れは一切ない。
鉄板いっぱいに広げられたジュウジュウと音を立てるそれは、飲み屋とか電柱の脇とかにおん撒けられたあれを思い出す。
「初対面の男女が出会いの場とする食事としてお好み焼き屋は適切なのか?」
気付いた人が誰も言い難くて黙っていたことだ。
ひとり遅れて来た在川と言う奴が開口一番にそれを言った。在川は頭髪から靴に至るまで、赤と黒のツートンでコーディネートされたパンクファッションという出で立ちだ。お好み焼き屋に居ると不自然なのはお互い様じゃないのか、口を付きそうになる。
何とも言えない空気が漂う。あわあわした様子で、シフォンなどのふわっとした服の女の子が立ちあがった。
「え、えっと!紹介するね!私の幼なじみで……」
「在川弥尋。こっちに引っ越したばっかでさ、友達がフーコしかいないんだよ。折角だからよろしく」
よろしくと返して、もう一度自己紹介する流れになった。
「今日の立案者のめぐみでぇす。企画とかやったことなくて、全部リコ達に丸投げしちゃいましたぁ!」
そうだ、京都に行こう。というノリで発案されたであろう様子がやすやすと浮かぶ娘だ。
「私も時也に投げちゃったんだけど……連絡係の眞理子です、リコって呼ばれてるので、よかったらそう呼んでね」
めぐみの友人の沙奈、歩、後輩の知夏。と紹介が進む。
「えと……、リコ先輩に誘われて来ました。前場文香、です……」
彼女が在川を紹介した子だ。
「リコの彼氏の安土時也ですー。一応言っておくけど、何食べたいかって聞いたら、みんななんでもいいって言って、唯一返って来たのがもんじゃだったんだ、なんかごめんねー」
彼氏のの部分を強調したが、龍善寺高の男子はみんな知っている。
「そんなに嫌か?闘条春日だ。あまりサンドバッ……違った。彼女を作ろうとは思ってないが、付き合いだ。減量明けは炭水化物が欲しくてな」
闘条は悪びれもせず言った。
「皆上愛利です。安土先輩と闘条には寮で仲良くして貰ってます」
「こいつ、バイト先で好きな人が出来たんだけど、相手にされなかったってんで誘ったんだよー」
愛利は無難に済まそうと思っていたが、安土が口を挟んだ。へぇ~、と興味深げに色めき立った。一部女子の目の色が変わったように見える。
「ちょっ……もう、いいでしょ、次矢裂先輩お願いします」
強引に話を切った。愛利にしてみれば、その話は格好悪い事なのだ。
「……それじゃあ。俺は矢裂智流。部の後輩って事で呼ばれたんだ。ちなみにアウトドア部だよ。次五林」
「い、五林秀です!智流に唆されて来ちゃいました!」
「全員終ったか、それじゃとりあえず、いただこう……」
と言った鉄板の上は、すでに一人の手により食い尽くされていた。
「闘条。流石に空気読めー」
安土が呆れた声で咎めるが、闘条は気にした様子がない。
「あはは、面白いね、彼」
「すっごい肉食系の顔してるのに、粉物だもん。草食じゃなくてなんていうのかな……」
「穀物系とかか?」
めぐみの友達が盛り上がっていた。好意的に捉えてるので、胸を撫で下ろす。その間会話に加わってない人を相手に、愛利は追加注文はどれを取るか聞いて気を回した。
「文香さんは何か頼みたいのある?好きなの選んで大丈夫だから」
メニューを渡すと、文香ははにかんで受け取った。
「あ、ありがとう」
こういう場面に慣れてないようなので、急かさないように、隣に座っている在川に声を掛ける。
「えーと、在川さん?も、飲み物まだだよな?」
「呼び捨てでいいよ。皆上愛利だっけ、トシって呼んでいい?あだ名のがなんか落ち着くんだー。あ、うちコーラで」
「構わないよ。コーラね。リコさんは何か頼みますか?」
文香の横からリコがメニューをざっと見て、向き直る。
「そうだねー、みんなで食べられる奴がいいかなと思って。文香、これ一緒に食べない?エビ好きでしょ?」
「あ、はい!実はそれとこれと迷ってて……」
「うちもそっちがいいなー」
「闘条や矢裂が大食漢で足りないだろうから、それも頼もうか」
呼び鈴のボタンを押すと、すぐに店員が来て注文を取る。
「それにしても、皆上君メンタリスト健在ねー。気使いの出来る男って貴重よ」
愛利が発注していて口が留守の間に、リコが爆弾を置いた。
「えー、何ソレ?」
穀物から別の話題に飛んでいためぐみが聞いた。
「前にね、時也と付き合うの付き合わないので揉めた事があったんだけど、皆上君が仲裁してくれてね。その時、私や時也の気持ちをまるで見て来たみたいに言い当ててね。時也と皆上君の事恋愛メンタリストってこっそり呼んでるの。さっきも文香がちょっと会話に入り辛いの察してくれたみたいだしね」
注文の復唱を聞きながらでは、苦笑い以上のリアクションができなかった。女子から好奇の目で見られる。
「れん、あいっメンタ、リストって……ぷ」
在川が口元を押さえて、肩を揺らしつつ笑いを堪えているのを見逃さなかった。文香がオロオロと笑っちゃ悪いよ、と諌めた。
「リコさん勘弁してくださいよ……。言っときますが、そんな大層な事してないですよ?見れば誰でも二人が思ってた事想像付きますよ。あと、これたぶん二人の惚気の布石だから!」
なんだ、惚気かと話題がアウトドア部に移る。