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1 堅気になれる気がした

 三月末の昼下がり。荷解きが一段落して一息ついていると、机の上で充電中の携帯が着信を告げた。

『もしもし、兄ちゃん?』

「あぁ、誠人か。どうしたんだ?」

 実家には先日帰省したばかりだった。

『うん。この間返って来た時さ、コート忘れてったじゃん』

「いや、置いて行ったんだよ。もうこっちは暖かいから」

 電話の向こうで、伝言ゲームになっている。たぶん、質問者は母親だ。

『あっ、じゃあ着ないんでしょ、借りていい?』

「……着れるのか?袖折らないで」

 すぐさまスマホを耳から遠ざける。音割れした弟の怒った声が聞こえるが、聞かない。

「冗談だよ。着るんだったらあげるよ?」

『やっぱいらない!兄ちゃんのお下がりなんか』

 からかい過ぎたのか、拗ねたらしい。その様子を想像して、苦笑する。

『わーらーうーなーっ!』

「ごめんって、兄ちゃんが悪かったよ。今度似合いそうなの買ってやるから」

『マジ?!言質とったからね』

 ゴスロリ服でも買って男の娘にしてやろう、とこっそり思ったが、洒落にならない予感がして取りやめにした。

『てかさぁ』

「ん?」

『ボクはいいけど、弟より彼女とかに服買ってあげた方がいいんじゃないのー?』

 弟もそういう事を気にする歳になったのか、と感慨した。四つ下ともなると、まだまだ子供のような気がしてしまう。

「居ないものにあげようがないじゃないか」

『……えー、隠してんでしょ?』

「隠してないって」

『うそだー。兄ちゃん素材は悪くないし、格好にも気を使ってて、外面もいいじゃん。居ないのがおかしいよ。それとも、趣味がヘンだからフられたとか?あっ!まさか……!』

「まさか、何?」

 電話の向こうから、緊張のような、息を飲むような、間が空いた。

『……彼氏の方?』

 ガクッと脱力して机に突っ伏した。気を取り直して、極力普通に話す。

「違うよ。なんでそんな結論に至ったんだ」

『え、だって……そーゆー漫画好きじゃん』

「いや、うん。それは漫画だろ?僕はちゃんと現実と漫画は分けて考えてる」

『だったら、なんで男子高行って寮になんか住んでんだよ!状況証拠が揃い過ぎなんだよ!!兄ちゃんのドホモ―――――ッ!!!』


 皆上愛利(みなかみ いとし)は、ボーイズラブを愛読していた。


「誠人。ホモは侮辱用語だからやめなさい。本物の方にはゲイ。更に言えば、僕は腐男子であって、ゲイではないよ」

『知らないよ、そんなこと!彼氏なんか連れてきたら、父さんとボク、泣くからねっ?!』

「信用ないな……まぁそのうちね」

『絶対だよ、一年以内に彼女出来なかったら縁切るよ!!』

 弟は言うだけ言って通話を切った、一方的に。

「えっ、ちょ……」

 スマホを降ろすと通話終了の画面が表示されていた。


――まぁ、ちょっと自分でも心配ではあるんだよな。腐女子のOLだった前世(まえ)があるから――


 小学五年生の時に、ある朝思い出した。厨二病とかではない。前世の自分は他人が聞いても面白みは一切ない、善良なだけが取り柄の人生だった。特別、大恋愛などしていない、学生時代に同級生の男性と付き合って別れた。その後就職していい年齢になると、普通にお見合いで結婚した。ある日の仕事中、うっかり階段で足を滑らせて亡くなった。


 そんな彼女の唯一の強烈な個性が、『男性と男性の恋愛ストーリー』が大好物ということだった。


 それは、ボーイズラブと呼ばれているものだった。記憶の中で、同じ嗜好をもつ女性がすし詰めの電車に乗り、長蛇の列を作る光景は度し難い。さらに、口々に語る彼女ら萌え語りや、薄い本の内容は、刺激の強い嗜好だった。思春期の入り口に差し掛かった少年には。


 最初はものすごい抵抗を感じて、吐き気やめまいに襲われたものだが、次第に慣れてしまった。それどころか、普通に読んでいた少年マンガ誌で、好きな男性キャラクター二人が同じコマに居るだけで、萌えていた。



 そうして、開き直ったのだった。


「拙いかなぁ……やっぱり」

 愛利自身は、小学5年までは普通の男の子として生きてきた。今でも男である。かわいい女の子も綺麗なお姉さんも魅力的に見える。

 ただ先のことはわからない。前世が女性というのも気がかりだ。現実の男に食指が動く事があれば、流石にそれは嫌だ。アイデンティティー崩壊は免れない気がする。

 特定の女の子と付き合えば、何か変わるような気もしないではない。

「まいったなぁ……」

 健全と腐という文字を乗せた天秤が大変揺れていた。


***


 桜の木が花を付け、敷地の周りをぐるりとピンクに彩る。赤や黄色の紙の造花で飾られた看板の前で、真新しい制服を着て写真を撮り合う新入生や父兄が散り散りに門を抜けて行く。四十人程の新入生はロータリーの彫像の前に一塊りになっていた。

 腕章を付けた生徒が三人そちらへとやってくる。こちらはタイの色が異なり、多少着崩した様子から、一目で上級生とわかる。

 寮長と書かれた腕章の生徒が拡声器を使って召集のアナウンスを入れた。

「入寮式に参加する生徒はこちらに集まってください、点呼を始めますー!名前を呼ばれたら、返事をして二列を作ってくださいー!」

 寮兄と書かれた腕章の一人が、プリントを見ながら声を張って名前を呼ぶ。返事をした新入生を残りの寮兄が整列させた。

 最後の生徒を列に入れると、寮兄が手を上げ、

「安土先輩、OKです」

「日向は真ん中、皆上は最後尾頼むわ。では、移動しますー。」


 龍善寺高校は、通学と寮どちらも選べる。寮生はだいたい全校生徒の三割程度で百二十人前後。遠方から入学した生徒が中心で、特待生が優先的に入るが、家庭の事情だったり、社会勉強の一環といった入寮理由にある。

 寮には、寮監兼、寮父の学校職員の下に、学生の寮長と各フロアのリーダーとして寮兄が組織されている。かなりの雑用や面倒事を持ち込まれ、リーダーシップが必要とされるので、内申の加点や、角の一人部屋など優遇される面もある。

 今の寮長にある件で助言したところ、気に入られた愛利は今年から寮兄に任命された。


 新入生の後ろを歩きながら、対向の歩道を学校の方に向かって歩く見慣れぬ制服の女の子が居た。

 さらさらと風に遊ばれる緩くウェーブの入ったミディアムロングの明る髪、端正な顔立ちに似合わず堂々とした足取りが目を引いた。

 新入生の目にも止まったのか、ざわざわと話声が大きくなる。通り過ぎるのを惜しむように振り返るので、列が先頭の方から詰まってしまう。

 寮長は拡声器をピーガー言わせて、

「ちゃんと歩くー」

 寮長の気の抜ける口調に、苦笑しつつ、愛利も改めて新入生を促す。すれ違い様に、女の子を目だけで追う。目が会った。向こうは少し驚いたあと、不敵に笑った。


――なんだっけ、この感覚。


 似たような感情の起伏を覚えている。いつだったか思い出そうと、数秒呆けてしまった。


「先輩も見てんじゃん」

 後輩の声で我に返り、思考を中断した。

「ああ、悪い悪い」


 寮は学校から徒歩五分。小さな丘の頂上に学校があり、そのなだらかな中腹を切り崩して造成したところに寮がある。平べったい四角錐のカラフルな屋根が特徴だ。

 食堂でガイダンスが行われた。寮則の書かれたプリントは、意外なほど文字が少ない。

「朝食は朝五時半から七時四五分まで。一九時が門限で、すぐ夕食になる。入浴時間はローテーションだ。消灯二三時に点呼。必ず部屋の前に整列すること。外出の際は所在を明らかにすること。法律に触れる行為は当然禁止。家電、大型の荷物、危険物の可能性がある物の持ち込みは申請するように。一年で部屋割りが変更になるので、現状回復すること。最後に、人様に迷惑を掛ける行為は禁止だ。以上」

 新入生の反応は、昨年の愛利と変わりない。ぽかん、と口を開いて、いかにも「え、それだけ?」と言いたげである。

 そこで愛利が手を上げて、

「安土寮長!僕は本日一七時から二二時からバイトのため門限破ります。夕飯は職場で取ります。歓迎会のデザートを闘条(とうじょう)が勝手に余計に食うと思うので阻止して下さい!!」

「皆上寮兄、了承した!デザートは日向寮兄が担当しろー」

「うぃッス!!」

 このやり取りに、新入生は目を瞬いた。そう、これは毎年恒例の洗礼である。こうして新入生の度肝を抜き、本当にやる所までがこの寮の伝統なのだ。

 ちなみに本当にバイトがある。


 安土が日向に目で合図して、頷く。

「いいか、お前ら!今説明した寮則は実際は抜け穴だらけだ!寮長なんか、昼間彼女とお部屋デートしているし、俺は昨年教習所に通って普通自動二輪の免許を取った!点呼に応じて、犯罪や非行以外は自由だ!!各自協力して自由を満喫するといいだろう!!」

 うおおおおおおっという歓声が上がる。

「尚、ハメを外し過ぎて目に余る事があれば、精神的に生まれて来た事を後悔する位えげつないペナルティを与えるので、そこだけは注意するように」

 愛利がにっこりと、しかし目はマジな表情を作って、釘を差す。


 三グループに分かれて引率し、設備の使い方や先人の知恵を伝授。

「この後は歓迎会だから食堂へ集合。何か分からない事があれば、追々質問に来てくれればいいよ。じゃあ、バイトあるから僕はこれで」

「ほ、ホントに行くんですかぁ……?!」

「シフト入ってるんだから、当然だろ」

 その期待通りの反応が見たくて、わざと入れた訳だが。

「じ、自由だ……」


 食堂が賑やかになるのを肩越しに見つつ、自転車を走らせる。一キロほどでバイト先のコンビニがある。自転車を外倉庫の裏に停めてドアを潜る。

「お早うございます」

「おはよ~皆上君、今日四便が多いんだって。気を付けてね。あ、いらっしゃいませー」

 前のシフトの主婦は、レジの時計の秒読みをしている。まだ五分前なのだが。自分用の飲み物を買い、カウンターを通りバックルームへ。

「おはようございます」

 同じ時間シフトの女子大学生がすでに準備して廃棄を漁っていた。

「あ、おはよ。ギリギリなんて珍しいじゃん。どうしたの?」

 ロッカーから制服を出してさっと羽織る。

「今日入学式で、入寮の新入生の面倒をちょっと」

「あーそっか、そっか。大変だね。皆上君、頼れるからわかるなぁ」

 その分、貴女がしっかりして欲しい。と喉まで出掛かった言葉を、先ほど買った清涼飲料水で飲み込む。

「恐縮です」


 大量の菓子類の入荷を何とか捌き切った。途中ポツポツ客が来て、ホットスナックやレンジアップを頼まれて、時間を削られたのが痛かった。その客の大半が寮生なのが無償に腹立たしい。二一時を少し回ったぐらいだ。

 女子大生のバイトは今コールドドリンクの補充をのたのたしつつ、冷蔵庫内で携帯を弄っている。十mも離れていない人物にギャル文字長文メールを打つのはどうかと思った。

 カウンター周りを補充していると、扉が開いた音がなった。反射的に、いらっしゃいませーと口に出るが、伸ばした声が途中で尻切れになってしまう。


 昼間、すれ違った女の子だった。


 再び、あの感覚に囚われる。心筋がリズムを乱したり、全身金縛りの様な緊張を覚えたり、怒涛のように思考が押し寄せて結局ループしていたり。

 店員の挨拶など耳に入ってないらしく、すっと雑誌コーナーを物色し始めた。煙草を什器に入れつつ、盗み見ながら、相変わらず思考はループした。

 彼女は一冊を手に取ると、店内をコの字に周り、炭酸飲料と杏仁豆腐を持ってレジにやってくる。

 その一歩一歩がスローに見えるような気さえした。

「いらっしゃいませ、スプーンはお付けしますか?」

 よくもまぁ、動揺を悟られずに定型文を言えたものだと自分で感心する。

 彼女は小さく首を縦に振った。その、こくん、と擬音が出そうな仕草に、袋に商品を詰める一瞬手が止まった。コンマ五秒で起動した愛利は、営業モードだった。

「お会計千百二十八円になります。ポイントカードはお持ちでしょうか?」

 首を横に小さく振り、千円札と百円玉をカウンターにそっと置いた。長い指に乗ったベージュ系の目立ちにくいマニキュアを塗った爪が視界に入る。

「千二百円お預かりします」

 ロボットの様に、機械的にお釣りを手に取り、掌に並べて見せ、

「七十二円のお返しになります。ありがとうございましたー」

 機械的にやっていたので、彼女の手に両手を重ねていた。その事実に気付いたのは、手を放してから、またお越しくださいの発音し終えた位のタイムラグだ。華奢な手だった。

 それからバイトが終わるまでは再び機械になっていた。


 愛利の心的異変には、誰一人気が付かなかった。


「お疲れ様でした」

「お疲れー皆上くん。ねー、この後皆上君もカラオ……」

「すみません、点呼に送れるので失礼します」

 普段は人の言葉を遮るような事はないのだが、今はその余裕がない。あっという間に店を出て自転車を漕ぎ、寮とコンビニの中間地点までやって来た。自転車を停め、息を整えつつ、ハンドルに凭れた。

「……今世初だ」

 一目ぼれしたのは。

「よかった、ちゃんと女の子好きなんだ。僕」

 これは、愛利にとって一縷の望みかもしれなかった。弟の言った状況証拠とやらが、頭の隅で引っ掻かているのだ。

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