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【第5話】

 彼にしてみれば、さんざん迷い、悩み、覚悟を決めてここまで来て、ようやく発した言葉なのだと思う。

 バイトの時より緊張した口元、少し引き攣った笑顔。彼の表情や仕草で痛いほどそれが感じ取れた。

 僕はどうにか婉曲な断り方が無いものかと、一瞬のうちに目まぐるしく頭を回転させた。しかし、いい言葉は浮かばない。

「あ、あのね…… ごめん。それは、無理だと思う」

 僕は、自分の中の、本当の自分を言ってしまおうか迷い、何度も喉まで出かける言葉を呑み込んだ。

「俺の心は男なんだ。だから、お前はいい奴だけど男女の交際は出来ないんだ」と。

「そう」

 秀雄は下を向いたまま呟いた。

「あの…………友達じゃ…… ダメ?」

 僕も下を向いたまま呟く。

「ありがとう。お前いい奴だな。多分、そんな所が好きになったのかも。また会えてよかったよ」

 彼は、少しだけ晴れやかな笑顔を見せると、押していたドッペルゲンガーのATBに跨って「じゃぁ」と言って走り去った。

 もし、身体もれっきとした男だったなら、いい友達になれたと思うと、今まで感じた事の無い悲壮感に包まれた。

 性自認と同性の付き合いを求めても、時に身体の性別がそれを邪魔する。

 自分も傷つき、同時に他人も傷付けてしまう。

 これが、FtM‐GIDとして最も辛い瞬間かもしれない。

 僕は、秀雄に全てを説明して理解してもらう勇気が出なかったのだ。

 僕は少しの間、その場に立ち尽くして秀雄の後ろ姿を見つめていたが、彼の後を追わないルートを使って、別の農道を迂回した。

 直線道路の先に、何時までも秀雄の姿を見るのが辛かったから。

 少しでも近道をしようと途中で入り込んだ住宅街を抜けると、初めて通る道に少し迷いながら、何時も通る高架橋の下に出た。

 僕は何故だか目の前の、丘の上に続く道に向かって、マウンテンバイクのペダルを踏み込んだ。

どうしても、今すぐあの甲高いエンジン音の正体が知りたくなったのだ。

 それを探求する事で、今さっき起こった出来事全てから逃避したかったのかもしれない。

 両脇に草木が生い茂る舗装道路を、マウンテンバイクで駆け上がる。

 緩いカーブの先には同じく青々と茂る草むらがガードレール越しに何処までも続いている。

 自転車をこぎながら上を見上げると、鬱蒼と草木の茂る緑の丘の彼方には、五月の青い空に残像のように薄っすらと浮かぶ白い満月が見えた。

 しばらく右にカーブした道は突然T字路になっていて、「CART」の文字の看板には矢印が記されていた。

 真っ直ぐ行くと再び丘を下るのだろうかと思いながら、僕は看板の矢印が指す丘の上にひたすら続く道へ右折した。

 ギヤを二速まで落として一直線に伸びた坂道を一気に上がる。

 坂道の向こうに、高圧線の鉄塔の先が見えて来て、その全貌が次第に露わになる。すると、途端に広くて平坦な道になった。

 鉄塔は道路の右側に、左側には「CART・IN」の文字が書かれた看板が在って、ドライバーの身体が剥き出しの車の絵が描いてある。

「CARTって、ゴーカートの事……」

 僕はその絵を見て、小さい頃に遊園地で乗った記憶のある、歩くようなスピードでチンタラと走る自動車に似た乗り物を思い浮かべた。

 少し傾斜した入り口から、車が二十台は停められそうな広い駐車場に入ると、端のほうに数台の車が止まっているのが見える。

 どうやらエンジン音は奥のフェンスの向こう側から聞こえてくる。

 フェンスの手前には、ギャラリー用と思われる二階建ての鉄骨で出来た見物台のようなものがあり、その横にはプレハブ小屋が建っていた。

 フェンスの向こうに何かが通り過ぎるのがチラリと見えた。

 僕は自転車に乗ったまま、フェンスの側まで近づいた。

 乾いたオイルの匂いが薄っすらと漂っている。

 目の前の直線を一台の小さな車が甲高い唸りを上げて駆け抜ける。

「なんだ、これ……」

 ヘルメットを被り、グローブをはめたドライバーは小さく首を横に傾けながら最初のカーブに進入していく。

 車が小さく横滑りをしているのが見た目にもハッキリと判る。彼は小刻みにハンドルを修正しながら次のS字型にくねったカーブを通過して行った。

 すると、別の車が目の前の直線を立ち上がって来るのが見えた。

 ワッペンを沢山貼り付けた鮮やかな黄色のツナギ姿は、まるでテレビで観たF‐1ドライバーだ。メタリックグリーンのヘルメットが、太陽の日差しを受けてぎらぎらと輝いている。

 遊園地のゴーカートとはまったく別の乗り物なのだと直ぐに理解した。

 僕はギャラリー台の支柱に自転車を立てかけると、スカートを翻して二階へと階段を駆け上がった。

 ギャラリー台の二階からはコース全体が見渡せ、その中を四〜五台のカートが走っている。

 急カーブでは時折キュッキュッとタイヤの鳴る音が聞こえた。

 僕はギャラリー台の手すりにしがみ付いて食い入るようにそれらを見つめた。

「スカートでそこに上るとパンツ見えちゃうよ」

 男の声に振り返ると、少し汚れた作業用のツナギを来た青年が、階段を上がって来た。



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