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【第45話】

「そう…… 彼女妊娠しちゃったの………」

 香織の話を聞いた千夏は、顔を曇らせて言った。

 その夜、母が出張だったので、千夏が僕の家に来て夕飯を作ってくれた。

「やっぱり大きなキッチンっていいなぁ」と、彼女は野菜を切りながら笑って言ったりした。

 そこには確かな安らぎがあった。でも、僕は香織の事が心配で、それを自分の内だけに留めて置くことができなかった。


「どうするのかしら……」

 食事の手を一端止めた千夏が心配そうに呟く。

「判らない…… 香織もまだ、迷ってるみたいだったよ」

 香織とはあの後ファミレスでお茶をして、駅まで自転車で送って別れた。

 彼女の家は駅向こうの住宅街にある為、駅の階段を使って向こう側へ歩いて行ったが、手を振りながら笑った彼女の笑顔とは裏腹に、その後ろ姿はとても切ないものに感じた。

 僕は香織の姿が見えなくなるまで、しばらく階段を見つめていた。



 夕飯を済ませた僕達はドライブへ出かけた。

「たまには、夜のドライブにでも行かない?」

 千夏がそう言ったからだった。

 もともと外へ出るのが好きな僕には、反対する理由はない。おそらく千夏は、僕に気分転換を促そうとしたのだ。

 工業港に隣接する海浜公園に沿った道路を走っていた。誰もいない直線道路に何処までも続く水銀灯の帯びは、何処か別世界へ続くタイムトンネルのようだ。

 このまま何の悩みもない世界に行けたらいいのに……

 巡航するレガシーの微かなノイズを掻き消すかのように、防波堤の向こうからは夜の荒ぶる波の音が響いてくる。

「なんか、一雨あるのかな」

 千夏がフロントウインドウ越しに、どんよりと曇った夜空を見て言った。

「ねぇ、どうして龍二と別れたの?」

 僕は、何となく切り出したが、特に気にしている訳ではなかった。

「あぁ………知ってたんだ。彼から聞いた?」

「あ、別に、話したくなければいいんだけど」

 彼女は特に隠す様子も無く話し始めた。

「ほら、前にも少し話したけど、彼はあたしがカートのレースに出るのを嫌がっていたのよ。競技用カートは、怪我をする事もあるから」

「自分は、レースに出ているのに?」

「女性は女性らしく、って思ってるみたい」

 千夏は少し笑ってチラリと僕を見ると、再び正面を向いた。

「でもさ、それって、本当にチカの事を好きだったんだね」

 僕の言葉に彼女は困惑した笑いをして

「どうして?」と言った。

「だって、僕にはそんな事言わないから、きっと大好きな女性には危険な事をして欲しくなかったんじゃないかな」

「マユって、考え方がポジティブなのね。そう言うところ、好きよ」

 彼女は笑いながら続けて

「その割には、アイツの浮気の多さは目に余るけどね」

 別れた本当の原因は、龍二の浮気の多さだな。僕はそう思ったが、口には出さずに一緒に笑った。



「あっ、停めて」

 僕は思わず叫んだ。

 防波堤の上に人影が見えたからだ。その人影は、白いシャツにグレーっぽいミニスカートを履いていたのが、公園の僅かな街灯の光に映し出された。

 僕はなんだか嫌な予感がして、思わず叫んだのだった。

「どうしたの?」

 千夏はそう言って、とりあえず、路肩に寄せて車を停めた。

「ちょっと待ってて」

 僕はそう言い残して車から降りると、防波堤に佇む人影に駆け寄った。

 間違い無い、香織だ。

 髪の毛とグレーのスカートが潮風に吹かれて、ゆらゆらと靡いていた。

「香織!」

 僕が声を掛けると、彼女は振り返って、幻でも見るような目で僕の姿を見つめた。

「マユ……」

 水銀灯の光に浮かんだ香織のその笑顔は、昼間見た後ろ姿と同じように、切なさで溢れていた。

「家に、帰ってないの?」

 制服のままと言う事は、多分家に帰っていないのだろう。

 彼女は何も応えずに、海に向かって防波堤に腰掛けた。僕も、防波堤によじ登って、その横に並んで腰掛ける。

 少しの間沈黙が流れた。

 広がる闇の中で、打ち寄せる波だけが、僕達とは無関係に音を奏でていた。

「ねぇ、心が潰れる音って、聞いたことある?」

 香織は無表情で海を眺めたまま言った。

 こころが潰れる時、それは押し潰される思いのキャパを遥かに超える時なのだ。

 僕は何も応えずに、彼女の横顔を見つめた。

 何度信じても裏切られ、もう信じるもんかと思いながら、また信じてしまう。

 他人同士の付き合いなんて、そんなものかも知れない。

 だからこそ、お互いに信じあえた時、信頼しあえる相手に巡り会えた時、それは大切なものとして心に刻まれるのだ。

「どうしよう……」

 再び沈黙が続いた後、不意に彼女は呟いた。

「親には?」

 彼女は無言で首を横に振った。

「彼がちゃんとするって……何時も言ってたのに……」

「そんなの言い訳にならないよ。妊娠するのは女の方なんだよ。香織だって判ってるだろ」

「そうだよね………」

 彼女はそう言って、肯いた。

「学校、卒業したいんだろ」

 僕の問いに、香織は黙って首の折れた人形のように再び肯く。

「だったら…… 答えは出ているはずだよ」

 僕は、小さな子供に何かを言い聞かせるように、静かに言った。

 彼女はしばらく黙ったまま、真っ黒な海を見つめていた。

 波打ち際で砕けた白い飛沫と泡が、厚い雲から覗く微かな月明かりに照らされて浮かんでは消えていく。

 途端に、香織は防波堤から暗い砂浜へ飛び降りると、海へ向かって駆け出した。

 僕は、一瞬訳が判らず彼女の様子を呆然と眺めていたが、波打ち際に足を取られながら水際を沖に向かって進む香織の姿を見て、僕も慌てて防波堤から飛び降りて砂浜を走った。

 女は何を考えているか判らない。

 身体が女の僕でも、時々そう感じるのは、僕が男性のジェンダーパターンを多く持っている証しなのだろうか。


注)ジェンダーパターンとは意識的、無意識的に学習する、思考や行動様式の男女の違いで、GIDの場合は通常の男女に比べ、そのあり方は微妙で様々だそうです。

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