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【第41話】

「ちょっと飛ばしすぎじゃないの」

 僕はアルファのスピードメーターを覗き込んで言った。

「大丈夫よ」

 母は余裕の笑みで言う。

 GPSレーダーが警告音を発する度に一端スピードを緩めるが、また直ぐに160キロまで加速して、追い越し車線と通常車線を行ったり来たりする。

 東京と言っていたが、亡くなった父は埼玉に住んでいたようだ。と言う事は、この前僕に会いに来た由美とうい女性は、はるばる埼玉県から来たのだろうか。

 母は喪服の黒いワンピース姿で高速ドライビングに夢中だ。

 僕は、制服ではなく、黒のスーツを着て来た。

 去年、親戚の結婚式に着る為に、母に頼んで誂えてもらった三つボタンの少しタイトなシルエットのやつだ。

 家を出る際、玄関にある姿見に映った自分の姿をみて、まるでロン毛のホストのようだ。と思った。

「ねぇ、お母さんは、由美って人に会った事あるの?」

 僕はさっきサービスエリアで買った缶コーヒーを片手に訊いた。

「うん。一度だけ。あの人と再婚する事が決まってから、一人で会いに来たわ。あなたがまだ小学校の時ね」

「そうなんだ…… 知らなかった」

「お父さんの事、マユが訊いて来たら話そうと思ってたけど、あなた、あまり関心無いようだったから」

 母は少しだけ巡航スピードを落すと、後ろの窓をちょっとだけ開けて、タバコに火を着けた。

 僕は今まで父と母の事について訊いた事は無かった。子供心に、何故か訊かない方がいいのだと思っていたから。

 浦和インターから関越自動車道に入って、所沢で下りた時には、日もかなり傾いて西の空に浮かぶ雲を、朱色に染め始めていた。

 渋滞する大通りをしばらく走って小道に入ると、辺りは次第に長閑な風景に変っていき、両側には茶畑が広がっている。畑の中には小型扇風機のような、小さな風車が幾つも生えていて不思議な光景だ。

 道路標示の看板に入曽駅と書いてある。おそらく、この辺の地名も入曽と言うのだろう。僕はそんな事を考えながら車窓から外を眺めていた。

 交差点を曲がって住宅街に入るが、やはり空き地や畑が所々にあって、ここが東京近郊という感じはしない。

 父の家は小さな古い一軒やだった。一階建てだが小さな庭もついている。

 既に何台かの車が停まっている、隣の小さな空き地に車を停めて家に入ると、廊下を挟んだ茶の間の向かい側に、六畳の和室を半分占領した祭壇が見えた。

 茶の間には何人かの喪服の男女がいて、一番端に由美がいた。

 母は彼女達に丁寧なお辞儀をして靴を脱ぐ。その横で僕も同じ動作をする。

 家の中は焼香の匂いが充満していた。

 僕は、今まで意外と母に似ていると思っていた。しかし、目元や口元は完全に父に似ているのが、祭壇に飾ってある遺影をみて判った。

 火葬には間に合わなかったが、僕は遺影の写真をしばらくの間眺めていた。一昨日亡くなった勇次は、今日の日中に火葬されたようだ。

 僕の後に焼香していた母は、位牌を前に長々と手を併せた後、遺影を見つめて涙を流していた。僕は横目でその様子をチラリと盗み見ながら、元夫婦の絆のようなものを感じた。


「よく来てくれたわね」

 由美が僕に声を掛けてきて、冷えた麦茶を差し出し

「こっちは暑いでしょ」と言った。

 確かに東北と比べると異常に湿度が高く、じっとしていても汗が滲んでくる。

 周りにいる人たちは、殆どが由美の親戚らしく、勇次の親戚はいなかった。ただ、時折仕事関係か何かの男が焼香に来て香典を置いていく。

「あの・・・この前、わざわざ僕に会う為に来たんですか」

 僕は、何気なく訊いた。

「いいえ、たまたま仙台の方に用事で出かけたので、足を伸ばしたのよ」

 彼女は、静かな笑みを浮かべて言った。

 由美はこれからこの家で、一人で生きていくのだろうか。僕はそんな事ばかり考えて、何故か父が死んだという悲しみはあまり無かった。

 夕方になると、葬儀屋が来て、6畳間を占領していた大きな祭壇を片付けていった。仮の祭壇を置いていったが、ちゃぶ台ほどの粗末なものだった。


 その夜、ホテルで一泊し、翌朝早く東北自動車道に乗った。忙しい母は、そう何日も仕事を休んでいる訳にはいかないのだ。

「お父さんって、どんな人だったの」

 カーオーディオからは、母が好きなチャゲ&アスカの曲が流れている。

 昨夜、ホテルの部屋は母と一緒だったが、父の話を避けるように、母はカートの事や友達の事をしきりに訊いて来た。

「真面目な人…… かな」

 母は正面から目を離さずに言った。

「ふぅん」

 僕は、遠くに広がる青い空とぽっかりと浮かぶ雲を眺めて言った。そして、それ以上父の事を訊こうとはしなかった。



「結局、あの人は、あの子の亡霊に勝てなかったのよね」

 昨晩、由美がポロリと溢した言葉だった。どういう事なのか問い質す僕に、彼女は言った。

「勇次さんは、ずっとあなたのなくなったお兄さんの亡霊に獲り付かれていたの」

 彼女は勇次がうなされる夢の話をしてくれた。勿論母は止めようとしたが、僕はどうしても聞きたくて、話を続けてもらった。彼女も、聞いてもらいたい様子だった。

 17年間、彼は兄の声にうなされ、神経が衰弱していたそうだ。

 生きたいともがき苦しむ兄の声。そして、生まれた僕。

 勿論、母が言ったように、お腹の中の胎児が話すはずなど無いだろう。

 でも、僕は考えた。

 僕自身が、その兄なのではないかと…………兄の魂が、無理やり妹の身体に入り込んで生まれてきたのが僕。これは、神の悪戯でも手違いでもない。

 死を否定した僕の魂が自然の摂理を無視して行った行為。

 そして妹の魂はこの身体から追い出されてしまった…… いや、彼女はここにいる。

 時折感じる微かな女心と、夢の中で聞こえる声は、おそらく彼女の魂の欠片が奏でる主張なのだ。そして、その魂の欠片は、僕の魂と一緒に成長し、和弥や秀雄に恋心を抱くのだ。

 らせん状に激しく絡みあったまま、決して融合する事無く、僕と彼女の魂は同じ身体の中で生き続ける……

 そんな事はありえないと知りつつも、僕にはそう思えてならないのだった。



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