【第4話】
(FtM‐GID・)
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放課後、高校からマウンテンバイクを飛ばして農道を走る。
ライトグレーに紺とグリーンのチェックのミニスカートが風で靡いて、通り過ぎる車のドライバーはついつい脇見運転に転じてしまうだろうが、そんな事はお構い無しに風を切って走るのは気持ちイイ。
小さな水路に山なりに掛かる橋を一気に上って全力で下ると、時にオバチャンが運転するトロイ軽自動車を追い越す時がある。
二十一段変速のトップギヤのままペダルをこぎ続ける。
コンビニの在る交差点の信号が青の時は、そのまま600メートルほど先のT字路の突き当りまでノンストップで行ける。
T字路を右折して以前バイトをしていたハンバーガーショップも入っている大型スーパーの横を素通りすると、何時も立ち寄る古本屋がある。
店の前には学校帰りの立ち読み軍団の自転車が列をなして止まっているが、僕も人の事を言える立場ではない。
「いらっしゃい」
顔なじみの僕に、店主の早川さんが声を掛ける。
僕は大抵ペコリと頭を下げる程度だか、女だてらに少女コミックには目もくれず、サイコや北斗の 拳などを愛読する風変わりな女子高生という特別な認識があるらしい。
以前から欲しかったバリバリ伝説の全巻セットを買って店を出る。
古本屋の周辺は大きな新興住宅街になっているが、僕の住む住宅地まではまだ1キロ弱はある。
農道を再び走ると自動車専用道路の高架橋の下を潜って右側に母校の中学が見える。田んぼの真ん 中に立っている為、かなり遠くからでもその姿が見えるのだ。
左側には小高い丘が見え、草木が生い茂り、春夏は緑一面に葉緑素の匂いが立ち込め、秋冬は黄金 色のススキと枯れ草の匂いが辺りを包む。
季節を色と香気で表現してくれる場所だ。
まぁ、この丘が無くても辺りに広がる田園が十分に季節を彩る風景ではあるのだが……
丘には奥へと続く一本道があるが、何処へ続いているのかは定かではない。
緩くカーブしてその先は、鬱蒼と茂る草木の中へ消えている。
だた、この丘の下を通る時、微かに聞こえるエンジン音と入り口に掲げられた「CART」という看板の文字がやたらと気になって、緩くカーブした一本道を僕はいつも覗き込むように眺めた。
田んぼの埋立地に広がる住宅街には、僕が幼稚園に入る半年くらい前に引っ越してきた。と記憶している。
モデルハウスの建て売り一軒家を安く買ったのだ。
リビングとキッチンのデザインを母が担当した為、販売の抽選では優遇を受けたとか、受けないとか。
「あれ、母さん今日は早いんだね」
夕方に母が家にいる事は非常に珍しい。
「これから打ち合わせなのよ。夕飯はカレー作ったから、後で温めて食べて」
母はそう言いながら、ライトグレーのスーツの上着を羽織ると、玄関からそそくさと出て行き、ガレージのアルファ155に乗り込んだ。
僕の母はインテリアデザインをする会社で、デザイナー兼プロデューサーをやっているらしい。
父とは僕が生まれて間も無く離婚した為、僕は父の顔を知らない。
母が女手一つで育ててくれた訳だが、デザイナーの仕事は忙しく時間も不規則な為、小さい頃から夜を一人で過ごす事も多かった。
そのお陰で母子家庭の割には何不自由なく暮らせるのも事実なのだが、以前通ったクリニックでは、幼児期の孤独な心が「僕」を作ってしまった可能性も無くは無い、などと曖昧な診断をする医者もいた。
しかし、小学校二年生までは、祖母が僕の面倒を見ていたわけで、幼児期に人並み以上の寂しさを感じた記憶はないし、物心着いた時に、僕は既に「僕」だったと記憶している。
それに、百メートルほど離れた場所には和弥の家が在り、幼稚園で知り合った彼とは、その頃はまだ空き地だった裏手の原っぱで、何時も夕方まで遊んでいた。
小学校に入ると、時折夕飯にも呼ばれたので、あまり寂しさは感じなかった。
ある金曜日の放課後、校門を出た僕に声を掛ける男がいた。
ヒステリックグラマーの長Tにエビスジーンズ、何より足元の黒いレッドウイングは見覚えのある出で立ちだった。
秀雄が校門前で待っていたのだ。
彼の通う進学校は、勉強さえきちんとしていれば何も文句は無いらしく、殆ど校則と言うものが無い。したがって、制服も無いのだ。
「ごめん。待ち伏せするのもどうかと思ったんだけど、真夕の携帯番号知らないし、香織も教えてくれないから……」
「うん。別にいいけど」
すまなそうにしていた秀雄を少しだけかわいそうだと思った。
一緒に校門まで来たクラスメイトの晴香と加奈に手を振って、二人で自転車を押しながら県道を歩いた。
野鳥避けのテープが、水田のあちらこちらで風に揺れながら日の光を受けてキラキラと反射光を発している。
「バイト、これから?」
僕が秀雄に尋ねると、彼は肯いた。
「学校早かったの?」
沈黙した空気が嫌で、片言の質問を僕は彼に投げ掛ける。
「今日は、職員会議か何かで短縮授業だったんだ。なんだか、どうしてもまた会いたくて……」
少し俯いたまま、遠慮がちな笑顔で話す秀雄の言葉に、僕はどう応えればいいのだろう。
彼の事は嫌いではない。いい奴だと思っている。ただ、それは紛れも無く、男同士で感じる感性以外の何物でも無い。
しかし彼は、僕のフィジカルな「彼女」に好意を持っているのだ。
「付き合っている人とか、いるの?」
彼は俯いたまま、僕を盗み見るようにして微笑んだ。
「いや…… あの……」
僕はどうすれば秀雄を傷付けずにこの状況を抜け出せるか考えていた。
「付き合ってるっていうか、凄く親しい奴はいるよ」
僕は、和弥に犠牲になってもらう事にした。
「同じ学校の人?」
「う、うん。小学校から一緒なんだ」
僕は、彼に向かって精一杯の笑みを浮かべて見せた。
彼も、僕の仮面の「彼女」の笑顔につられて微笑んでいたが、その顔は何処か引き攣っていた。
「特定の彼氏がいないなら…………俺と、付き合ってくれないかな」
ついに秀雄は禁断の言葉を口に出してしまった。