【第34話】
無言で後退りする男の顔を見て、僕は思い出した。
その男は、以前秀雄が馬乗りになって殴りつけた、理子の元カレだった。
「ボコるだけじゃなかったのか」
後にいた二人のうち、どちらかが震える声で突然叫んだ。
「俺達は関係ないからな!」
暗がりにいた二人がバタバタと路地に走り去った。秀雄は一瞬何が起こったか判らないように顔を歪めて、僕の前に崩れるように倒れ込んだ。
「秀雄、秀雄、しっかりしろ」
崩れ落ちた秀雄を見て、刺した男も慌てるように走り出して暗闇に消えた。
周囲にいた群集が、何事かとこちらをみているが、みんな訳が判らず手を差し伸べる者はいなかった。
秀雄のわき腹から少しずつ血が滲んでTシャツを染めている。
僕は急いでポケットから携帯電話を取り出し、警察に電話した。
「どうしたんだ」
「何かあったの?」
「あの少年、刺されたみたいだ」
「うそ、マジで」
ひそひそと、そんな会話が僕の耳を素通りする。
秀雄は目を細く開けて僕を見つめると、無意識のように自分のわき腹に刺さったナイフに手を伸ばし、柄を掴んで抜こうとした。
「抜かない方がいい。抜いたら出血がひどくなるかもしれないから」
僕は彼の手を掴んで言った。
「傷、ひどい?」
秀雄は心細そうな笑顔を作って僕に尋ねる。
「ううん。大丈夫だよ。出血もあまり無い」
僕はそう言って彼の頭を胸に抱かかえた。
秀雄の額からは、苦痛に耐える脂汗が吹き出ていて、僕は自分のTシャツを引っ張って彼の汗を拭った。
実際は刃渡りがどの位あったのか判らない。一瞬花火の閃光に反射して光った刃は、ごく小さかったようにも思えるし、とてつもなく長かったような気もする。だからどの位、傷が深いのか判らなかったし、出血が少ないのはナイフがそれを止めている為だと思った。
僕は、救急車が何時まで経っても来ない事に少し苛ついていた。110番の通報で、119番にも連絡がいっているはずだ。
花火の音に混掻き消されるように、微かにサイレンの音が遠くで聞こえる。
(こっちだ、早く来い!)僕は心の中で連呼する。
そうしているうちに、駅前交番から警官が二人、その後自転車でもう一人駆けつけて来た。秀雄を見るなり、警官の一人が無線で何かを話ている。
犯人の人相や背格好を彼らに伝えると、再び一人が無線を使って話していた。
自転車の警官は、その後男達が消えた方角へ向かってペダルを踏む。
「大丈夫だからしっかりしなよ。すぐ救急車来るから」
警官の一人が優しく話し掛けてくる。普段うっとおしい制服が、チョットだけ頼もしい。
目の前の暗闇から大きなサイレンの音と共に救急車の姿が現れた。
あの白いボディーと眩しく光る赤色灯が、あれほど安堵の色に見えたのは初めてだった。
僕達とは無関係に、頭上の花火は夜空を染め上げ、盛大に輝きを増し、フィナーレに近づいていた。