【第3話】
高校一年の冬からハンバーガーショップでアルバイトを始めた。
学校から家までの間に出来た、大型スーパーのテナントに入っているので、非常に通い易い。
満面の笑みを浮かべ
「いらっしゃいませ」
と言っている自分に、時々自分で吹き出しそうになる。
そこでも「彼女」という仮面が時には優遇を受ける事を知った。
男性アルバイトに厳しい社員も、僕の仮面の笑顔に惑わされ、十分までの遅刻は全て多めにみてくれた。
「松村ムカツクよな」
バイト仲間の秀雄が僕と二人きりの時に、よく口にする言葉だ。
彼は、事在るごとに社員の松村に指導と言う名の説教を受けていた。
「あたしは別に」
女性にだけは、余ったソフトクリームやポテトを呉れるし、遅刻はオマケしてくれる。
時々意味も無く手に触れてくるのと、詰らないギャグを除けば特に不満は無かった。
「女は得だよな」
オーブンを掃除しながら秀雄が言ったその言葉に、僕は心の中で同意した。
女子高に通う同い年の香織も僕より遅刻が多いにもかかわらず、遅刻の評価はいつも無遅刻だった。
きっとバレンタインのチョコレートが最高に効いているのだろう。
バイト先では、学校では出会えない、一味違った連中との出会いが楽しい。
香織は男遊びが好きで、バイトが終わる頃には必ず男が車で迎えにくる。
駐車場の段差を超えられないほど低い車高のエスティマやステップワゴンの窓からチラリと見える、肩にタトゥーの入った金髪の横顔がどういう男達なのか、気のいい誠実な青年ではない事ぐらい、何となく想像は出来る。
彼女はローライズのジーンズやヒップボーンの白いミニスカートに着替えると、日替わりでそんな車の中に消えていく。
「ねぇねぇ、マユ。今夜、飲みあるんだけど、あんたもいかない」
「あ、ウチ夜厳しいから。ごめんね」
時折香織は僕を誘うが、毎回柔らかく断るようにしている。
あの車達の餌食にはなりたくないのが本音だ。
秀雄は、仕事はがさつだが県下一の進学校に通う気のいい奴だ。
バイクのローンとガソリン代を払う為にせっせとバイトに励んでいるらしい。
学校の試験勉強で判らない所は、誰に聞くよりも丁寧に教えてくれる。
学力では和弥より上かもしれない。
僕は、母親から毎月小遣いを貰っている。高校生活にはさほど困らなかったが、去年の冬にアルバのセーターが欲しくて始めたのがバイトのキッカケだ。
既にセーターを手に入れた今、殆どのバイト代は今のところ貯金に回っている。
しかし、僕がバイトを辞める日は突然訪れた。
ある遅番の日、閉店時に松村と二人になった。
掃除が終って松村に報告をしに事務所に入った僕は、くだらない雑談を嫌々ながら付き合った後、着替えようとしてロッカー室に向かう為、彼に背を向けた。
すると松村は、背中から僕の身体に突然抱きついてきたのだ。
僕の仮面の笑顔が彼に好意を持っていると勘違いしたのか、それとも遅刻をオマケしている見返りが欲しかったのかは判らない。
僕は背筋に悪寒を感じ、全身に鳥肌が立つのを感じた。
勿論驚いたが、悲鳴など上げはしない。
「彼女」の胸を後から鷲づかみにした松村の手を、思い切り振り払いながら振り返った僕は、その反動を使って幕の内一歩ばりのリバーブロー、とまでは行かないが、みぞおちに一発、軽い体重の全てを乗せて打ち込んだ。
身長155センチの華奢な真夕が、まさか拳を繰り出すなどとは思ってもいなかったのだろう。
若干贅肉体質の松村は、驚愕と苦痛の表情を露わに、腹部を抑えてのた打ち回り、翌日、僕はバイトを辞めた。
突然バイトを辞める理由として店長に全てを話すと、松村はその後、首になったらしい事を、香織から聞いた。
「ねぇ、ヒデちゃんがマユに会いたいって言ってたよ」
その時、香織が言った。しかし、秀雄が僕に会いたい理由は判っている。
彼は僕を覆った「彼女」としての刑部真夕が好きなのだ。
一緒に働いている時から気付いてはいたが、できるだけ意識しないようにしていた。
もし、彼の気持ちを聞いてしまったら、結末は判り切っているのだから。