【第29話】
隣には朋子がいて、淡いピンクのビキニの上に白いTシャツを着ていた。
「あれ、今日は部活なかったの」
僕が和弥に尋ねると、「サボり」と言って笑った。
彼は、僕がいったい誰と海へ来たのか知りたそうな顔をしていた。付き合いが長いので、そんな事ぐらい直ぐに判る。
その時シャワーを終えた秀雄が出てきた。
「あっ、彼…… S高の武中秀雄」
僕が、少しぎこちなく秀雄を紹介すると、彼は軽く首だけの会釈をして微笑んだ。
秀雄はひと目で目の前の男が、僕が以前話した和弥だと悟ったようだったが、とりあえず和弥の紹介もした。
「あ、カート場の人達と来たんだ」
僕は二人で来たと思われるのが嫌で、すかさず説明する。ちょうど千夏や他の連中もシャワーと着替えを終えてざわざわと出てきた。
和弥は複雑な笑みを浮かべながら、みんなに挨拶をすると「じゃぁ」と言って僕達の前から離れて行った。
二人の歩く後ろ姿を、僕は少しだけ目で追ったが、直ぐに歩き出した。
「いいのかい」
秀雄が小声で言った。
「何が?」
僕は彼を見ずに応えた。
「彼、彼女がいるんだね。知ってたの?」
「ああ、知ってたよ。別におかしくないだろ」
「平気なのかい」
「あのねぇ、和弥とは同性の友人として付き合いが長いんだ。秀雄の友達に彼女が出来たからって、どうにか思う?それと一緒だよ」
先を歩く千夏達に聞こえないように小声で話したが、何故か僕は苛立って声を荒げていた。
そう、この苛立ちが何なのか…… 僕とは一度も来た事がない海水浴場に朋子と二人で来ていた事への嫉妬なのだろうか。
「そうだよな」
秀雄はそう言ったきり黙っていた。
その時、別々の方向へ歩いて行く和弥と僕の姿が、まるでこれから歩む人生の違いのように思えて少しだけ寂しかった。
これまでの和弥との運命の糸が解れて消えてなくなるような、そんな不安で心がいっぱいになった。
別れ際に見せた彼の笑顔の中にも、それを感じ取った何かが見えたような気がした。そして、一度解れた糸は二度と元通りにはならないのだと。
それでも僕は一度も後を振り返る事はしなかった。
夏の日差しを受ける屋外での仕事は、露出した素肌を嫌でも小麦色変えていく。
梅雨明け宣言はまだ無いが、ここ数日間、真夏日の晴天が続いている。
車体に跳ね返る霧状の水飛沫に小さな虹が掛かり、ほんのりとそれが頬にかかるだけで、砂漠で見つけたオアシスのように身体を潤してくれる。
こんな日は洗車の仕事が最高に気持ちいい。
同僚の平井理子はあの後彼氏とは別れたらしい。
「一昨日は有難うね」
二日後に会った時、理子が僕に言った。
「マユってなんか男の子みたいね。ビックリしたよ、アイツに正面から突っかかっていくから。そんなにかわいいのに」
彼女の「男の子みたい」と「かわいい」という二つの相違する言葉に、僕は複雑な気持ちで笑った。
スラリと手足の長いモデル体型の彼女にしてみれば、155センチの小柄な真夕の身体は、パッケージングが「かわいい」のだろう。
店の敷地内でのいざこざに責任を感じて、一端は辞めると言っていた彼女だったが、店長には知られていない事だしと言って、坂本と他の社員が引き止めたようだ。
良く働く笑顔の素敵な彼女を手放したくは無かったのだろう。
僕はバイト、和弥は部活に明け暮れている為、この一週間二人が偶然に会う機会は無かった。
カート場にも度々足を運ぶが、試験休みに入った大学生の来客が多くてなかなか競技用のカートを走らせる時間は取れなかった。
「昼間は当分ダメそうだな」
久しぶりに顔を合わせた龍二が言った。
レンタルカートでの走行者が多い場合は、競技用カートは走れない。
走れたとしても、ローテーションに従って5分ごとに再び順番を待つ事になる。
それでも25分で3千円取れるのだ。下手したら、3千円払って、5分しか乗れないかも知れない。
「競技用のカート、手に入れたんだって」
「ええ、三年以上前のお古ですけど」
「本格的にレースに参戦する訳じゃないなら十分だよ。早いだろ」
「ええ、最初はビビリました」
僕がそう言って笑うと、龍二も同じように笑ってタバコを咥えた。
走るお客の数が多い為、千夏も忙しそうにラップタイムのプリントアウトや、受付をこなしている。
「昼飯でも食べに行かない」
龍二が言った。
僕は少々驚いたが、午後からバイトがあるから少しの時間ならと言って、彼の黄色いS2000に乗り込んだ。
龍二は電動ソフトトップを開けると、オートエアコンの冷房を全開にして走り出した。
屋根の無い車には初めて乗ったが、バイクとはまた違った不思議な感じがした。
正面の景色からは風を一切受けず、頭の上にそよぐ程度で、それでも上を見上げれば直に大空が広がっている。
「頭、暑かったら閉めるよ」
龍二はブラウンレンズのレイバンを掛けた顔を少しだけこちらへ向けた。
「大丈夫。気持ちいい」
確かに太陽の照りつける日差しは暑かったが、屋根の無い開放感に浸っていた僕にはあまり気にならなかった。
龍二の咥えたタバコの煙が一直線に後方へ流れて消えていく。
「千夏から何か聞いた?」
食事が一段落した時、龍二の口から思いもかけない言葉が出た。
「えっ、何かって?」
「いや、別に何でも無いよ」
そう言って彼は意味ありげな笑みを浮かべると、食後のアイスコーヒーをストローで吸った。
ファミレスを出て、国道をカート場に向かって戻る時、前方から見覚えのある自転車が見えた。
それが和弥だと言う事は一瞬で判った。おそらく部活が午前中で終わったのだろう。
信号で止まった車の横を彼が通り過ぎる。
和弥は左のドアの横から無言で盗み見るようにチラリと僕を見下ろした。
僕は一瞬だけ上目遣いで和弥を見上げて視線を逸らした。疚しい事など何も無いはずなのに、なんて気まずい瞬間だろう。
僕の身体が男なら、軽く声を掛け合えたかも知れないのに、この身体はどんな男と並んでいても、傍目には誤解を招く確率が高いのだ。
和弥にはそれを理解してもらっているはずなのに、最近気まずくなる事が多い。
それは、僕自身が和弥と朋子の関係に嫉妬を抱いているからに他ならない。
きっと僕は、和弥を特別な存在として独占していたかったのだ。しかし、今は朋子にとって一番特別な存在であり、それは和弥にとっても同じ事だろう。
和弥が朋子と身体の関係を持った時から、僕の存在は特別ではなくなったのだ。
今はちょっと風変わりな、ただの友達に過ぎない。