【第17話】
ほんのり硫黄臭の混じったパーマ液の臭いと、さわやかなフローラルのアルカリ性シャンプーの香りが入り混じる空間で、僕は二ヶ月ぶりに髪をカットした。
「あ、雰囲気似てるから似合うかも」
タレントのショートヘアーの写真が乗った雑誌を差し出すと、何時も僕を担当する美容師の持田が笑って言った。
肩まで伸びた髪を、肩に着かないくらいのミドルショートにして、両サイドに少しシャギーを入れてアレンジした。
なんか、見本と随分違ってきて、安田○沙子みたいになったが、悪くないのでまぁ、いいか。と妥協する。
鏡越しに話し掛ける少しニヒルな視線も、指先で髪を撫で上げる仕草も、思わずパンチを繰り出したくなるが、持田はカットの腕前はイイので全てが相殺される。
ブローは何時も「適当でいいです」と言うが、ブラシを中までしっかり通しながらきっちりブローしてくれる。
(どうせ、自転車を飛ばせばすぐ崩れるのに……)
僕は毎回そう思いながら、レジで精算をする。
国道を横切って農道を走りトウモロコシ畑の横を抜け、住宅街を通って何時の古書店の裏側に出た。
店の裏には車五台分ほどの駐車スペースがある。
日曜日と言う事もあり駐車場は全て車で埋まっていた。
駐車場の端には小さな物置が在って、その周りには使わない什器が幾つか放置してある。
僕はその並びの店舗の壁に、無造作に立てかけてあるものを見て思わず自転車を止めた。
自転車を降りて、壁に立てかけられた物体に近づく。
赤いパイプフレームから飛び出ている四つのタイヤ。
傷だらけの赤いカウルに擦り切れた同色のステアリングは、視界を確保する為に上部が平らな逆D型ステアリングだ。
エンジンは少し白っぽい腐食が見られるが、サイレンサーは明らかにレンタルカートの物とは異なる。
それは純粋な競技用カートだった。
どうして古本屋にカートが…… 見ているだけで心臓の鼓動が高鳴り、ワクワクする。
僕は店の表に回って店内に入ると、立ち読みの連中の間を掻き分けて早川さんに駆け寄った。
「いらっしゃい」
彼は何時ものように笑顔で言った。
「あの……」
「なんか、探し物?」
一瞬言葉を呑み込む僕に、早川は笑顔で尋ねた。
「あの、裏のカートって……」
「ああ、あれ。知り合いが要らなくなって、処分を頼まれたんだ」
「あれって、まだ走るんですか?」
「えっ、いや、エンジンは掛かるって言ってたかな」
彼は、どうして僕がそんな事を聞くのか不思議そうに応えた。
「あのカート、走るなら欲しいんです。安く譲って貰えませんか」
早川の顔は明らかに驚いていた。
「あ、あたし、今カートやってるんです。それで、競技用のカートも乗ってみたくて」
「そうなんだ。多分タダで大丈夫だと思うよ。ただ、あちこち部品の交換は必要かも」
「それくらいなら大丈夫です」
「じゃぁ、今日か明日にでも持ち主に連絡取るから、待っててよ」
彼はそう言って僕の携帯番号を控えると「期待していいと思うから」と言っていた。
店を出た僕は、裏に回ってもう一度カートの姿を見てから家に向かった。
ダダ同然で競技用カートが手に入るかもしれない。そう思うと、どんよりと低い灰色の梅雨空の下でも僕の心は何時に無く晴れやかで、自転車のペダルもいっそう軽く感じた。
普段通らない住宅地の中を抜けて家に向かっていた。
そんな事をしたのも、思いのほかペダルが軽かったせいだろう。
突然赤い何かが目の前に現れた。
ボール? 家の敷地の中から、それが飛び出て来たのが見えて、僕は急ブレーキを掛けた。