【第12話】
(After School)
稲の生え揃った新緑の水田をそよいで通過した風は、冷気を吸って半袖の制服には肌寒くさえ感じる。
しかし、長袖を着てカートコースを10ラップも走ると、アスファルトの照り返しもあって、ヘルメットに納まった額は汗が滲んでいる。
初めてカートに乗って以来、僕は毎晩腕立て伏せを始めたが、「彼女」の身体は最近やっと三十回できるようになった。
高校に入ってもサッカー部に所属した和弥は、100回は楽勝で150回を越えるとちょっとキツイかな。とあっさり言っていた。
「タイム、かなり出てるよ」
ロビーで一休みする僕に、佐々木が声を掛けて来た。
佐々木とは、一番初めに声を掛けてくれた作業用のツナギを着た男だ。
彼は、ピットで主にメカニックを担当しているそうだ。他にもメカニック兼、先導係が二〜三人いる。
僕はウィークデイの放課後にココへくる事にした。今日で三回目だ。前回から会員に入り二時間の乗り放題コースを選択している。
この前、土曜日に来たら、大学生や一般の人などでかなり込み合っていて、順番待ちに時間が掛かりそうだったので平日に来る事にしたのだ。
平日の午後は、五〜六人程度のお客なので、文字通り時間内は乗り放題だ。
ただ、乗り放題といっても、5周ごとにカートを乗り換える必要がある。
同じ車を走らせ続けると、エンジンやタイヤに負担がかかり、熱ダレを起こしてしまうらしい。
そう言えば、最後の五ラップ目は何時もタイムが落ちているのはそう言う理由なのかと知った。
「ねぇ、これからも乗るんだったら、あたしのツナギあげようか。お古だけど」
千夏が声を掛けて来た。
地方のカート場では、まだまだ女性が少ないという事もあり、彼女は何かと僕によくしてくれる。
「えっ、ツナギ」
「ええ。使わなくなったのがあるから、今度持って来ておくわ」
薄々は感じていたが、やはり彼女もカートに乗るのだ。しかもツナギをくれるなんて、なんてラッキーな事だろう。
女?でよかった!
「あ、はい。喜んでいただきます」
僕は満面の笑みで応えた。
「身長もあたしとあまり変らないから、きっとサイズは大丈夫よ」
彼女はそう言いながら笑って、再びピットに入る僕を見送った。
* * * * *
煙るような粒の細かい雨が、朝から激しく降り続いている。
草木の色が何時もより濃い緑色に染まり、辺りの景色はいっそう暗さを増している。
こんな日は仕方なく家の近所からバスに乗って学校まで行く。
何時もは空いているバスも、雨の日は学生達で混雑し、女子高生が圧倒的に多い車内は、少女達のムレた匂いで男子学生は圧倒される。
バスの高い窓からは、全ての車や通行人を見下ろせる為、日常からトリップしたようで少しだけ気持ちイイ。
毎日見慣れた景色も、まるでどこか知らない場所へ来た気分になる。
水滴の着いた窓越しに、低い灰色の雲が何処までも上空を埋め尽くしている。僕は、その景色を眺めて、考え事に耽っていた。
何かバイトを探さなくてはならない。
一回に4千円が飛ぶカートに乗り続けるには、収入方法を考えなくてはならなかった。
ヘルメットとグローブにもお金をつぎ込んだ為、貯金がかなり減ってしまった。
それに、最近は90CCのカートにもチャレンジしてみたい衝動に駆られていた。しかし、レンタルカートの90CCは乗り放題が無いのだ。
いっそのこと、自分のカートを買ってしまおうか…… しかし、そんな金は何処にも無い。
学校前でバスを降りて正門を入ると、駐輪場に和弥の姿があった。
「こんな日に自転車で来たの?」
「ああ、帰りは部活があるからな」
和弥は濡れた髪をスポーツタオルで拭きながら笑って言った。
彼は僕の傘に無理やり入り込むと、二人で昇降口まで走った。
湿った空気に蒸されて、和弥の身体は男の匂いがした。
それは、僕の身体からは絶対に発しない匂い。