体力は生活の基本である
さて、冬の寒さに凍えている合間に今後の方針を決めた俺だったのだが、別段今できる様な事はないのだ。いくら俺の精神が大人であるといっても世間ではまだ幼い5歳児でしかない。そんな俺に専門的な事を教えてくれる様な酔狂な大人はいないのだから仕方が無いだが……
早速出鼻を挫かれた感が否めない俺だがそれなら今何をしているのかと言うと家の簡単な手伝いなんかをしている。主に単純労働で家で使う薪運びであったり、水汲みだったりするのだが何もしていないよりはマシだし、何よりある程度親の目を気にすることなく外に出る事ができるのが素晴らしい。
どうもうちの母親は過保護なタイプらしく、俺が目に見える範囲からいなくなると大慌てする程で、機を織っている時も俺が気になるらしくよく注意を受ける姿を見ていたからしばらく自由に動く事はできないんじゃないかと思っていたが、最近多少ではあるけどその過保護ぶりが緩和されたらしい。
俺の仕事の話に戻そう。まずこの村にはガスや電気などない為料理を作ったり、暖を取る為には当然火を起こす必要がある。その為薪が絶対に必要となるのだが、各家庭がそれぞれ森入り薪を集めるとなると効率が悪く回数も増える事からこと村では集めた薪を複数の場所でまとめて保管しそこから各家庭が持っていくという仕組みになっている。俺はそこから薪を家まで持っていくのが仕事であるし、同じ様に山から引いて溜めてある水瓶から水を桶に入れて持っていくのも俺の仕事である。
しかしこの仕事であるが5歳児の俺にとって途轍もない重労働である。なにしろまだ体が小さく筋肉も余りないから運べる量が少ない。だから必要量を運日終えるには平気で2、3時間かかるのだ。始めてやった時なんて昼から何もできなかった位である。
前世なら児童虐待だと児童擁護団体とかが騒ぎ立てる処だが、あいにくこの世界にそんなものは存在しないし、小さな子供の仕事と言えばこれが当たり前だから誰も可哀想などとは思わない、それが当たり前だからだ。
もしかすると小さい頃から重労働をさせるのは早いうちから体を鍛え、体力を付けさせることが目的なのかもしれない。生きていくには体力がいる、それは前世の時より切実な問題である。機会などないこの世界では全ての事を自分でしなければいけないのだから体力は当然必要だし、もし病気になってしまったら頼れるのは自分の体だけなのだ。いくら薬師がいるといっても彼らの作る薬が万能である筈もなく、最終的に体力勝負な面は否めない。だからこそ小さなうちから体力を付けさせようとしてもおかしくない。なにしろ子供は何かに付けて熱を出す。そして体力無い子供は死んでしまう可能性が高いのだ。
だから体力を付けさせ少しでも子供が死なない様にする。
可愛いから、死んで欲しくないからこそ厳しい行動をとるのだ。これを愛情と言わずなんというのだろうか。
そんな事を考えながら今日も愛ゆえの筋肉痛を感じる5歳の春の事だった。
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